貰った手がかりと、アウグスト家
辺りは既に暗く、気温も徐々に下がってきた。
王都から遠く離れた都市イスト。ここは王都とは違い気候がやや涼しげな様子で、王都と比べれば春の暖かさを感じづらく思える。
何度も休憩を挟み、お互いが知っている知識を共有するところから始めていた。オズ主任教授はその評判通りに、博識で理解が早い男だった。
早い時間に見せてもらった赤狐の魔石は、何が起こるか分からない為すぐに再度封印処置をしてもらった。
「……では私なりにまとめますが、王太子殿下にとって今一番の問題は2点。まずは自らの魔物化という現象について、そしてもう一点は赤狐の件。これは魔王の過去の事例などを纏めて赤狐とさせて頂きました」
「えぇ。それで間違ってないですね」
「赤狐の件ですが、明後日もう一度ここにいらしてくださいませんか。私が今までに調べてきた資料を用意しておきます」
「それはありがたいです!」
今日はあくまでも知識の共有。アイン達が知り得た新たなことや魔王のことは話しているが、やはりオズが長年研究して来た成果を知るには、時間が足りなすぎる。
オズは数多くの研究成果があるため、それを纏める時間が必要だった。オズが資料を纏めておいてくれると聞いて、アインは素直に喜びを露にする。
「さて。では少しだけ、魔物化についての私の意見をお伝えしても?」
「っ何かご存知ですか!?」
「研究者の中でも、禁忌と呼ばれている事ですがね。闇が深いことすら、この魔法都市ではいくつも行われてきました。……カティマ様はご存知ですか?」
長い時間語り合い、オズはすでにカティマと呼ぶことを許されていた。
「……えぇ。とはいっても、この都市の限られた人間しか詳しい内容は知らないかと。もちろん私もその内容は聞いた事がありません」
「そうですね。ここイストでも限られた者しか耳にしたことがない、貴重でありまさに禁忌に触れる情報です。もう100年以上前になりますが……っと、そういえばお時間は大丈夫ですか?」
既に外は暗く、夕暮れの灯りなんてものもすでに消え去っている。休憩を挟んだとはいえ、長い時間会話を続けてきたことで、アイン達が付かれているかと気を使った。
「俺はまだ平気ですけど……いえ、そうですね。今日はお暇することにします。こんな遅くまで、教授からお時間も頂きましたし、唐突なことでしたからね」
「いえそんな……でしたら、特別な紙に用意致します!」
オズはそういうと、立ち上がり魔石の入っていたケースの許へと、再度足を運んだ。
一番下の段の、薄い引き出し部分に指を押し当てる。するとカチッという音が響き渡り、自動で引き出しが開き始める。
指紋認証?のような技術に、ついアインも驚いた。
その引き出しから取り出された数枚の紙。それを手に取り、普段仕事をしていると思われる机に向かった。
「血印書を作ります。どなたか一滴でよろしいので、血を頂けますか?その方の生体情報を登録し、登録された方意外が手に取ると、燃えて無くなるように致しますので」
「でしたら私が」
アインは、自分の血を提供しようと思った。だが横からクリスが自分の血を提供すると申し出る。
「畏まりました。ではこちらへどうぞ」
申し出たクリスを呼ぶオズ。クリスはオズの近くに足を運び、指示された場所に指を置き、血を提供した。
「はいありがとうございました、もう終了です」
「え……?も、もうですか?」
「えぇ。技術の進歩と同じく、痛みを生じさせずにすぐに血を頂けるようになりましたから、こういった小さな場所にも新たな技術は使われます」
「……御見それ致しました」
気が付かないうちに血を抜き取られたクリスは、その速度と何も感じさせない技術に感服した。
もう血液を与える必要がないのに、アインとカティマは自分も体験したいと、心の中で考える。
「それでは印刷も終了致しましたので。これをお持ちください。この袋ならクリスティーナ様以外の方が触っても、中身が燃えるという事態にはなりません。ただ中から出すのはクリスティーナ様がするようにお願いします」
「承知しました」
「……そういえばオズ教授。私の記憶では、血印書はそこそこいいお値段がしたと思うのですが……」
カティマはその書類の作りと、価格に心当たりがあった。今までは血を吸い取る魔道具に目を奪われていたが、よくよく思えば金がかかってしまってるのでは?と懸念を抱く。
「カティマ様が仰る通り、これはその機密を守るため高い技術と素材で作られている紙です。一枚当たり20万G程度ですね、なのでお気になさらずに」
「っ……すみません教授。お支払いしますので」
「とんでもない王太子殿下。3枚でたかが60万Gですから、お気になさらずに。それ以上の金額となる、新たな情報を教えて頂いてますから……。研究内容によっては、一日に10億Gなんて金が飛ぶこともございますので、どうかお気になさらずに……」
さすがはイシュタリカ最高峰の研究所。その研究費用もアインの想像を遥か上、想像の範疇に収まっていなかった。
「そ、そんなにかかるんですか……」
研究という仕事は、何をするにしても金がかかる。量産体制が出来ていない素材を使うのは勿論、一つ一つの検証にも確実性を求めるため、一回ごとに貴重な魔物の素材も使う。その事実を想えば、たかが60万Gという言葉は、オズという優秀な研究者にとっては当たり前だった。
若干放心してしまったが、無事に魔物化に関しての資料を手に入れたアイン。念には念をということで、その書類が入った封筒は、クリスがそのまま持ち運ぶことになる
急な訪問に申し訳なく思いながら、今日は宿に帰ることにしたアイン。
何度も礼を言い、明後日またここに来たときに赤狐の話をしよう。そう約束をして研究所を後にした。
*
ディルに案内されたときは、どうにもゆっくりと宿を見ることが出来なかった。
一応貴族向けの部屋と言うことで、広い部屋を借りたのだが、その中のエントランス部分に荷物を纏めて置いてから、すぐに出発したからだ。
部屋は全員分あるようで、今日も皆が個室で休むことができる。
アインは早速、貰った資料を見ることにしたかったのだが、カティマは別の考えがあった。
「ついたのニャ!それじゃアイン、ディルのこと借りていくのニャ」
「態度変わりすぎだよね?というかあんな言葉遣いできたの?」
帰り道は、ずっと口を開かずにいたカティマ。それには理由がある。彼女はオズからいくつかの最新の技術書を借りていた。それからの彼女といったら、もうその技術書の表紙を見ているだけでも幸せだったようで、なんとも締まりのない、まるでマタタビを与えられた猫のような顔をしていた。
宿に着いたとたん、いつも通りの口調になったカティマをつい指摘してしまった。
「わ、私ですか?えっとアイン様……?」
なぜカティマがディルのことを借りるといったのか分からない。まずはそれを聞かなければ。
戸惑っているディルを一目見てから、カティマへと問いかけた。
「なんでディルを借りていくのさ?」
「私は今からこれを読むのニャ。すると研究者の礼儀として、考察をオズ教授にお返しするのが当然のことなのニャ。だからちょっと雑事を頼みたいのニャ」
クリスは血印書を読むのに必要、となればディルが適任だった。
「……ディル、いい?」
「え、えぇ勿論です」
「それなら行くのニャ!ほら早くディル!ついてくるニャ!」
「えっちょっと……カティマ様!?」
あの小さな体から、どうしてあんな力が出るのか不思議で堪らない。
すでに170cm近くのディルの腰をつかみ、猛烈な勢いで部屋に向かって行ったカティマ。
「……部屋割り。楽に決まって何よりだね」
「そのようですね……」
アインはもう一方の大部屋へと、クリスと共に向かって行った。
扉を開けてみると、なんとも魔法都市……新たな技術が生まれる都市らしさに包まれている。
贅を凝らした豪華なインテリアはもちろんだったが、美しくカットされた大きなガラスケースが見え、その下には2つの蛇口がある。おそらく温水と冷水を分けて出してくれる、水のタンクだろう。
シャワールームと思われるスペースが角に設置されているが、中には水が出てくるような場所が見当たらない。どういった仕組みなのか、後で体験してみなければならない。
「今までとは、全然違った雰囲気の部屋だね」
「多くの魔道具が置かれているのは、イストらしさがありますね」
部屋に着いたことで、長旅の疲れを感じてしまったアイン。先ほどより少しだけ早く足を動かし、ソファに腰を下ろした。
「ふふ……お疲れさまでしたアイン様。今お飲み物を淹れますね」
「あぁありがとクリスさん。普通の水がいいな、喉が乾いちゃって」
「はい畏まりました」
あまり披露する機会はないが、実はクリスは茶を用意するのも上手だったりした。というよりも近衛騎士達は、そういったマナーに関しても学ぶ機会が設けられているからだ。
その中でも、クリスやディルのように特に王族と関わる機会が多い者達は、更に厳しく躾けられることになっている。
「キャッ……っと、し……失礼しました」
「ど、どうしたのクリスさん」
水を入れに言ったクリスが、何かに驚いたようで声を上げた。普段の彼女からは想像できない高い声で、アインもついクリスの方を見つめる。
「申し訳ありませんっ……。水がすごく冷たかったので、ちょっと驚いてしまって」
アインの想像通り、そのガラスケースの水は冷水と温水を分ける魔道具だったようだ。
水が出ると思っていたクリスは、冷たい水のイメージで青い方の蛇口をあけたのだが、想像よりも冷たかったのでつい驚いてしまった。
「あぁやっぱり冷たかったんだ。そうなのかなって想像してたんだよね」
「わ……わかってたのなら、教えてくれてもっ……」
少しばかりムスッとした顔を浮かべるクリスに、笑いながらごめんと謝るアイン。
クリスは二人分の水を用意し、ソファ前のテーブルにそれを並べた。
「まぁたまにはああいうクリスさんを見られるのも、悪くないよ」
「全くもう。歳を重ねるごとに、だんだんオリビア様に近づいてきておりませんか?」
「親子だからね。当然だよ」
そんなのは当たり前だろうという立場を崩さないアイン。
「あっちはあっちで"楽しく"やってそうだし、先に読んじゃおっか」
あっちというのはカティマの部屋にいる、二人の事だ。
ただあくまでも、楽しそうというのはカティマだけであり、ディルは苦労しているだろうと容易に予想できる。
「オズ教授から頂いた資料ですね?」
「そうそう。出してもらってもいい?」
この時間を無駄にするのも勿体ない、クリスが受け取った資料を荷物の中から取り出し、封筒から数枚の資料を取り出した。
「えっと……どうしましょうか?」
「ん?なにが?」
資料を取り出したクリスが、迷っている様子になりアインを頼った。
「私以外が持ったりすると、この紙が燃え尽きるとのことですし……ア、アイン様の隣にいったほうがいいのかと」
「あ、あー……なるほど。うん……そうだね。それなら、クリスさんに隣に来てもらおうかな」
少しばかり恥ずかしそうにしているクリス。サイドに流れている髪の毛を、指で少しくるくるいじったあとに、覚悟を決めてアインの隣に腰かけた。
「それではえっと……一枚目から、始めますか?」
「う、うん。そうしようかな」
アインの左側に腰かけたクリス。自分の右耳に掛かっていた髪の毛を耳に掛ける。そうすれば、彼女の白い首筋がアインの近くに現れ、人知れずアインはさらに緊張した気持ちを抱いた。
「あれ?どうかしましたかアイン様?」
クリスは覚悟を決めたからなのか、アイン程は動揺した様子がない。
「いえなんでもありません……」
まだ不思議に思うが、アインがなんでもないというから追及はしない。アインも何度か深呼吸をして、自分の気持ちを落ち着かせる。
「一枚目からなかなか興味を惹く内容ですね」
「どれどれっ……」
クリスに続いて、アインは彼女の持つ資料に目をやった。
「……うん、昔は随分と残酷な研究もあったみたいだね。国に内緒でやってたってこと?」
「完全に秘密にされてたとは思えませんね。おそらく王都にいた研究者たちも、関わっていた者はいるはずです」
『異人種の魔物化実験。到達点、人工魔王を目指しての研究』
一枚目の主題は、そう記載されている。異人種を使って人工的に魔王を作り出す実験。そんなことがここイシュタリカで行われていたのを、その事実を知っている者はごく僅かにしか存在していない。
要は人体改造を行って、自分たちの命令を聞く魔王を作り出そうとしたのだろう。
考えるだけでも身の毛がよだつ研究だが、自分に関係しているかもしれない、そう思えば無視することはできない。
「……大丈夫ですか、アイン様?明日にしても……」
「いいよ。平気だから続けよう。どちらにしても読まなきゃいけないことだしね」
いくら嫌悪感を抱こうとも、これを無視することはできない。クリスが自分を気遣ってくれたことは嬉しかったが、覚悟を決めることにした。
*
ハイム王都にあるアウグスト邸。アインとクリスが資料を開いたのと同時刻。ようやくクローネの手紙が到着した。
アインがエウロに持ち運んでいた手紙だったが、第三王子ティグルたちとの邂逅があったため、半年以上の時間をかけて慎重に運び、ようやくクローネの父、ハーレイの手へとたどり着いた。
「エレナ!クローネの手紙だ!ようやくクローネが自分で書いた手紙が届いたよ!」
今日は都合よく、妻のエレナも仕事を早く終えてアウグスト邸に帰宅している。
事前にクローネの手紙が届くと連絡はなかったので、ハーレイもあまりの事態についはしゃぎ出した。
「いい大人がはしゃがない!」
「っわ、悪かったよ。でもしょうがないだろう?」
「気持ちは分かります。でも……まぁいいわ、怒っても仕方ないから。それでその手紙は?」
ハーレイが飛び込んだ先は、妻のエレナ専用の書斎。明日のために資料を纏めていた彼女の場所へ、ノックもなしに入っていったのだ。
「……すまない。喜ぶあまり、つい私の書斎に……悪かった!悪かったからそのペンを下ろしてくれ!それはさすがに危ないだろ!?」
「……はぁ。お義父様が退いてからというもの、あなた少し落ち着きをなくしたのではなくて?機会があれば再教育してもらわなければならないわ」
「勘弁してくれ……」
落ち着きを失ってしまった夫の気持ちは痛いほど理解できる、だが大公家の人間として、常に冷静にいてほしいと考えるのも無理はない。妻のエレナは、そう思いつつも静かに席を立ちハーレイの書斎を目指した。
「お、おい待ってくれ私も行くから」
「勿論です。ほら早く来なさい」
いつから尻に敷かれていたか?そんな疑問があれば、こう答えるしかない。最初からだ。
出会った時の初めての会話は、『失礼しますハーレイ様。書類にいくつか間違いが』というものだった。
その日の夜、こういうことがあったと口にするハーレイへと、グラーフがエレナを正式に紹介したというわけだ。
正直に言ってしまえば、相性は最高に良かった。
ハーレイはグラーフの子として、優秀な成績を収め人当たりのいい性格もあり、多くの人間から好まれていたが、物事を強く話すといった面では、物足りない部分があった。
それは社交界でも同様で、エレナと共に様々な場所に顔を出すようになってからというもの、ハーレイはエレナに助けられることばかりだった。
先を歩くエレナを追うハーレイ。目指す場所は自分の書斎だというのに、妻が先を歩く現状に情けなく思う。
そんなことを考えようとも、エレナが足を止めるわけでもなく……そのままエレナを先頭に、ハーレイの書斎へと到着した。
「それで?どこかしら」
「あ、あぁ私の机の上に……」
「……あら。ずいぶんと質のいい紙ね、さすがクローネだわ。こういうところでも、イシュタリカの良さを見せてくれるなんて母として嬉しいわ」
エレナがクローネからの手紙を手に取った。まだ封が開けられていないようで、そのことに安堵した。もし封が開けられていたならば、エレナの雷はハーレイへと落ちていたことだろう。
「開けてもいいかしら?」
「もちろん。早速読もうか」
なんだかんだ二人の夫婦仲はいい。近くにあるソファに、二人並んで腰かけてエレナが手紙の封を開ける。
「……久しぶりに見る、クローネの字ね。昔より綺麗になってるけど、でも質は変わらないわ」
「……あぁ、そうだな」
愛おし気に、二人してその手紙を撫でてしまう。そこにクローネはいないが、だが文字を撫でるだけでも、なんとなくクローネを感じられる気がした。少しの間そうしてから、二人は手紙に目を通す。
「うん。しっかりとやってるようね、あの子は」
「本当はこちらで学園に通う予定だったけど、むしろあの子の可能性を想えば、これでよかったのかもしれない」
「えぇ……。あの子は、クローネはここハイムに収まるような器じゃないわ。もっと大きな世界で羽ばたける、私たち自慢の子だもの」
エレナは城で働いていて常々感じていた。親心を抜かしても、彼女はハイムには勿体ない器だと。第三王子ティグルが求婚したときには、王族が求婚するのも当然だと感じていた。だがそうはいっても、たとえハイムの王族だろうとも、クローネは"勿体ない"それを感じるのを止められなかった。
「当然のように書かれてるけど、首席卒業ね。イシュタリカのような国の名門で、首席で卒業なんて大したものね」
「たくさん努力もしたみたいだ」
「そりゃそうよ。……続きもすごいわ、お義父様の話ね。イシュタリカの王都でも、有名な商会になるまで成長したとか。さすがお義父様だわ」
グラーフのハイムで行った功績は、過去のハイム貴族たちを加えても並び立つ者がいないほど、優秀な実績だ。
だからこそ、彼は貿易の覇者との異名をとったのだから。イシュタリカの王家から協力があったとはいえ、実力がなければ生き残れなかっただろう。
「やれやれ。ほんと父上はすごいお方だよ。クローネを楽させたいという思いもあっただろう、それに環境も整っていたかもしれない。だけどそれでもイシュタリカで成功を収めたんだから。わが父ながら恐ろしい人だ」
久しぶりに得た家族の情報に、つい笑みを零す二人の夫婦。……本当は、クローネの弟のリールへもこのことを教えたい。だがまだ幼いリールだからこそ、この情報を与えることはできなかった。意図していなくとも、情報を漏らしてしまっては、今までの計画がすべてゼロになってしまうから。
「国家案件への抜擢……?海龍艦リヴァイアサンの建造?なんだこれは?父上の商会がそれを担うと?」
「あなた。ちゃんと次の文も読みなさい?……アインが海龍を討伐。アインって……王太子殿下のことね。王太子殿下が海龍を単独討伐……なにかしらこれ、海龍って一体……」
クローネはわかっていた、海龍がどんなものかと両親は疑問に思うだろうと、だからしっかりと海龍の大きさや強さは追記されている。
「イシュタリカの戦艦よりも大きな海の龍、それが海龍……って書いてあるけど。前の手紙に書いてあったね、イシュタリカの戦艦は海に浮く城のようだと……。それよりも大きな龍を、単独で討伐か、随分と逞しい王太子殿下のようだ」
「すごいわねイシュタリカの王太子は。それほど勇敢な後継ぎがいるのは羨ましいわ」
「いや、というかエレナ?クローネの思い人って、このアイン殿下だからね?すっかり忘れてるだろうけど」
すっかりそのことを失念していたエレナ、想い人がこんな英雄と聞いては驚かないはずがない。
「っ……ちょっと、ちょっとだけよ?クローネにその彼を落とせるのか心配になってきたわね」
「いや落とすだなんて。……まぁ間違えてないけど」
クローネの想い人がそんな英雄だと思えば、ついエレナですら尻込んでしまう。娘の器の大きさや器量は理解していたが、それでもだ。
そんな妻の表情を見て楽しんでいたハーレイだが、続きを読み始める。
「ま、まぁいいけど。……どうやら海龍艦は、その一頭の海龍を丸ごと使って作られる、新たなイシュタリカ王専用船となるらしい。そんな重要な案件に関われるだなんて、すごいな父上は」
「ハイムにいる貴方よりも、随分とご出世なさっているみたいよお義父様は」
「そのようだ。だけどそんなに耳に痛いことを言わないでくれ」
それからも手紙の続きを読み続ける二人。日常に起きた小さなことや、城でこういうことを勉強した。など彼女の日常も併せて書かれている。クローネが楽しそうに暮らしているのが、二人は何よりも嬉しく思えた。
——手紙をゆっくりと読みふけっていた二人だが、そろそろ手紙の終わりが近づいてきた。そして最後にはこう記されている。
『いつかまた、家族みんなで食事ができますように』
それは親元と国を離れた身であろうとも、家族に向けるクローネの愛の証だった。
「いつか、えぇ……いつかまた、皆で食卓を囲みたいわね。もし可能ならば、その想い人も一緒に」
「エ、エレナ?イシュタリカの王太子殿下だからね?……難しいと思うけど」
二人は名残惜しさが募ったが、断腸の思いで読み終えた手紙を燃やした。この手紙がどこかに漏れることがないように、すぐに証拠を隠滅することにしたのだった。
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