彼女の悪戯

「マザコンで魔石食う暗黒騎士なんていうゲテモノはアインだけニャ!」



 唐突に言われた一言に、何とも言えない苛立ちを覚えたが、アインはそれをなんとかギリギリで抑え込めた。



「いきなり何言ってんのカティマさん」



 カティマの研究室。そこで二人はいつもの研究という名の物騒な開発を行っていた。

 今日のメインは、アインが30万Gで購入してきた謎の魔石。



「人を呪う魔石なんて聞いてたら、同じようなゲテモノが居たニャと思ったのニャ」


「喧嘩売ってんのかお前」



 カティマはアインが居ない間も資料となりそうな書物や、過去の事例を読み漁っていたものの、今だ何の魔石なのか見つけられていない。

 そのせいで若干ストレスが溜まっていた。



「よく考えたら同年代の友達もいなかったニャ。マザコンで魔石食うボッチな暗黒騎士に変……痛いニャ!痛いニャアアアアア!!」



 いい加減我慢ならないアインがカティマの耳を左右にひっぱる。

 駄猫への教育と思えば心が痛くなることはない。


「別に一人はいるからいいんだよ。ボッチじゃねえし」


「誰ニャ。言ってみるニャ」


「……クローネっていう友達が一人いるから、だからセーフ」


「どこにいるニャ」


「もうすぐ船に乗ってイシュタリカに来る」


「あぁ~ハイムからのお客さんニャ。じゃあ今ボッチなのは……だから痛いニャ!ニャアアアアア!」



 懲りないカティマが悪いが、アインとしても若干このやり取りを楽しんでいた。

 結局のところ、友人がいないアインにとっては楽しい時間なのだ。彼の本意であるかないかは別問題だが。



「そろそろ続き始めようよ。こんな馬鹿な事してないで」


「く……くぅ、痛かったニャ……」


「結局なんの魔石かまだ分からないんだよね」


「一つだけわかったことはあるニャよ」


「えっ?何それ聞いてないよ俺」



 ちょっとしたドヤ顔を披露し、一つ分かったことがあると話した。



「この魔石は最低でも、デュラハンの魔石と同世代か、あるいはそれ以上前の産物ニャ」


「ならその世代の資料を漁ってしまえば」


「それだけじゃないニャ。デュラハンと同じくらいの強さがある魔物ニャ。ニャからそんな魔石の資料なんてないニャ。そもそも謁見の間にある魔王の魔石だって、詳しくわかってないニャ。あれ?強さについても分かったなら、分かったことは2つだニャ」



 それほど過去の産物とは思ってもいなかった。そしてデュラハンと同程度であり、資料がない魔石と聞いてはちょっとウキウキするアインだが。やはり呪いの件が気になって仕方がない。



「結局魔石の呪いってなんなんだろうな」


「……いっそのこと、もう吸ってみるかニャ?」



 カティマの提案は、アインとしても検討したことがある事実だ。

 別に毒は通用しないのだ、そう考えていたものの。じゃあ呪いは?となってしまう。

 呪いは少なくとも毒とは思えない。その結果自分の体に何かあったらと考えると躊躇ってしまう。



「やっぱり呪いがネックかな。毒だけなら怖くないんだけど」


「ニャア。吸った瞬間呪い殺されるなんてことは」


「さすがにないだろうけどさ」


「デュラハンクラスの魔物が、生きてた頃の呪いを使えたら余裕ニャ」


「って結局ダメじゃねえか!」



 いくら毒素分解EXとはいえ、アインは特別毒以外に強い耐性があるわけでもなく、ある種のチートがあるわけでもない。

 それこそ呪いなんて、抵抗があるわけでもなければあっさりとやられてしまうと思われた。



「アイン。この魔石の前の持ち主たちは、封印されてない状況で保有してたんだよニャ?」


「マジョリカさんがそう言ってたような」


「ふむ。ニャらいっそのこと箱から出してみるニャ」



 カティマの案は、一度取り出して近くに置いてみようという話だった。

 今まで呪われた者達は、変な夢を見たと言うだけで決して死んではいないはずだったからこその、力技だ。



「ここで?カティマさんがいるとこで?」


「そんな楽しそうなことするのに、のけ者にはさせないニャ」



 肝が据わりすぎているカティマに若干引いたものの、それぐらいなら……とアインは覚悟を決めた。

 そして封印のケースに手を伸ばす。



「いやちょっと待て。呪いが城の人とかにも影響したら危ないだろ、開けるとこだったあぶねぇ」


「この研究室からは出られないニャ。この研究室は、少なくともその封印のケースよりも厳重な封印加工をしてる特別製だから大丈夫ニャ」


「あ、はい」



 いらぬ心配だったようで、再度ケースに手を伸ばす。

 カティマが研究に金をかけているのは理解していたが、まさか研究室に呪い対策まで施しているとは思ってもみなかったのだ。



「とりあえずケースを開けて魔石を取り出すニャ。まだ触れたら駄目だニャ」



 そう言われ、手を伸ばしていたケースを解放する。



『……』


「やっぱり。なんか呼吸してるというか魔石から気配を感じる」


「私は感じないニャ。どんな気配ニャ?」


「気が付いてほしそうな、そんな気配かな。マジョリカさんの店でも封印されてたのに、なんか気配を感じたんだよね。研究室では感じられなかったけど」


「ここの呪い対策とかが優秀だったからだと予想するニャ」



 筋は通っていた。そしてカティマが言っていた、研究室に施されている呪い対策加工の強さも実感できた。



「気が付いてほしそうな気配ニャー……それってもう、アインが取りつかれてるんじゃ……」


「不吉なことは言わないで欲しいんですがね」


「でも説明がつかないニャ。なんで今更になって、アインに憑りつくのかがわからないニャ。お前何モノニャ」


「普通の男の子だろ」



 アインについて説明するならば、ドライアドとのハーフで毒素分解EXという力で魔石を吸収できる。そして転生した人間だということ。このことを考えると決して普通の男のことは言えなかった。

 アインとしても自分が転生したと言うことを、たまに忘れてしまうほどにはこの世界に馴染んでいた。



「マザコ」


「また耳引っ張るぞ」


「……まあいいニャ。一つ教えるニャアイン、吸収については"完全"に制御できるニャ?」


「もうできると言っていいと思う。少なくとも、魔石を手に取ったからって無意識に吸い出すようなことは無いよ」


「まだ無意識に吸ってたら、マジョリカの店吸い放題ニャ」



 若干危ないことを口走ってしまったが、アインは既に吸収を制御することに問題なかった。



「それはしないけど。嫌いな人がいろいろ持ってたら吸っちゃってもいいかもね」


「アインはひどい奴ニャ」


「それで、制御できてると何かあるの?」


「……持ってみるニャ?」


「それってまさか」



 カティマが肉球をさしたのは、例の魔石。

 手に取ってみることで何かわかるかもしれないと彼女は予想していた。



「さすがに危険なんじゃ」


「吸わないなら、魔石とのリンクは構築されないはずニャ。どうせ昔は無意識に遠距離だろうと吸い上げてたニャ。だから今なら平気だと思うニャ」



 たしかにアインは、吸収を制御できなかったときは身近の魔石を無意識に吸い上げていた。

 今ではそれを制御し、基本的には腕から吸い上げているため問題がないだろうとカティマは仮説を立てていた。



「仮に何か問題が起きた時の対処は?」


「この部屋ごと封印をかけるニャ。それでとりあえず外への影響は抑えられるから、そこから少しずつ魔石を破壊するなりなんなり考えるのが一番ニャ」


「……本当にいいんだな?」



 対処法もあり、特別危険な事にはならないだろうと考えたため。アインもその謎の魔石を手に取る決心をした。



「いいニャ。魔石の研究なんて、多少の危険はつきものニャ」


「わかったよ。じゃあ何が起きるかわからないから、警戒だけはしといてよ」



 そして魔石の隣に両手を構える。



「いくよ?」


「こっちも準備いいニャ。さぁやるニャ!」



 その声を合図に、アインは例の魔石を手に取った。

 なんだなんにもないなと思っていたのも束の間。

 今度はアインにだけ聞こえる声で無く、部屋中に響く音で声が鳴る。



『見つけた……見つけた……見つけた……見つけた!』


「ニャッ!?なんニャこれっ!?」



 その見つけたと言う声は鳴りやない。



「アイン!もとに戻すニャ!箱にいれるニャ!!」


「わ、わかったっ!」



 危険と判断し、魔石を再度箱に戻せと言うカティマ。

 そこで予想しなかったことがアインの体に起きた。



「えっ……な、なんで?なんで幻想の手がっ」



 アインの背中から幻想の手が2本、3本……4本とどんどん数を増やして出現していく。

 その腕達は魔石に向かい伸びていく。



「何をしているニャ!アイン!」


「俺じゃない!勝手に出てきて……ッ!なんだよこれ!?」



 突然のことに何が何だかわからないアイン。箱に戻そうとしても手から魔石も離れない。



「ニャッ……戻るニャアアアアア!」



 その異様な状況にカティマが動く。アインの背中にタックルし、アインの手を強引に箱の中に戻した。

 そして何とか力を込めて箱からアインの手を引っこ抜き、箱を閉める。

 すると何本も出ていた幻想の手は徐々にアインの体に戻っていった。



「はぁ……はぁ……いったいなんなのニャあれは」


「カティマさん。体すっげぇだるい……」


「あんだけ幻想の手が出てくれば当然ニャ。なんなのニャ本当に……ってアイン!?」


「なんだよ。まだなにか」


「体!見てみるニャ!」



 カティマがそうアインに焦って伝える。カティマがこうまで焦った姿は見たことがなかったアインも、急いで鏡の前に移動する。アインが移動している最中に、カティマは本棚に向かった。



「っなんだよ、これ……」



 アインは普段着で研究室に入った。そのはずだった。

 だが今着ているのは黒い甲冑。小さなアインの体に合った大きさの甲冑をしていた。

 漏れ出すオーラは黒。赤いような青いようなオーラが入り混じっている。



 これではまるで、その鎧はデュラハンそのもので。



「あったニャ!アインこれを見るニャ!」



 カティマが持ち出したのは一冊の古い本。そこに書かれていたのは一つの絵で、アインが今装着している黒い鎧だった。そしてそのページはとある魔物について説明されている。



「デュラハン……」



 持ってこられた本は古い魔物を纏めた貴重な資料で、カティマが開いたページはデュラハンについての情報。

 幻想の手についての挿絵がそばに載っており、隣にいるデュラハンは黒い甲冑を身にまとっていた。そのデザインはアインがいま纏っているものと瓜二つ。



「アイン。正直に言うニャ。……少し吸ったニャ?」


「吸ってない!急に幻想の手が出てきたと思ったらあんな感じになったんだぞっ!?」



 そうしてカティマは考え込む。

 今起きたことに関して、頭の中では様々な仮説や計算が蠢いていた。



「まずこれを吸うニャ。ヒールバードの魔石ニャ。ヒールバードは特別な魔石で、人間に毒性はなくてその力はそのまま治療に使われるニャ。アインが吸っても同じ効果になるはず」



 そうしてカティマはヒールバードの魔石を3つアインに手渡した。

 尋常じゃなく疲れていたアインは、それを一気に吸い上げた。

 味を感じる余裕なんてなかったが、ミントのようなスーッとした香りがアインの体を通っていく。

 その香りと清涼感も疲れを癒してくれているように感じ、吸い終わる頃にはアインも少しの落ち着きを取り戻した。



「ありがとカティマさん。ちょっと落ち着いたよ」


「それはよかったニャ。……鎧も消えたみたいだニャ」



 どうやらアインが落ち着いたのと時を同じくして、デュラハンの鎧もその姿を消したようだ。



「参考までに聞くニャ。幻想の手以外の暗黒騎士のスキルは練習したりなんかは」


「してない。というかどんなスキルがあるのかすら全くわかってなかったんだからな」


「正直装備のどこまでが魔法で、どこからが本物なのかなんてデュラハンに関しては全く分かってなかったニャ。だからアインが練習してたら怖かったニャ」


「じゃあなんで聞いた……」



 その強さは有名なデュラハンだったが、暗黒騎士というスキルについての詳しいことは今だ解明されていない。

 実際、今発見された鎧に関することすら歴史的な発見と言えた。



「意味が分からないことだらけニャ」


「でも声が聞こえるってことは、カティマさんもわかったんだよね?」


「そうニャ。それだけでも発見だけど、でも……ううむ」


「なんで暗黒騎士の幻想の手が、あの魔石を求めたと思う?」


「仮説があるニャ」



 幻想の手が勝手に発動し、魔石を求めたこと。魔石本体に関してもわからないことだらけだが、デュラハンの鎧まで出現し、その魔石を求めた理由がわからなかった。



「でもまるっきり現実味がない話ニャ。1つ目が暗黒騎士がこの魔石を求めたこと、自分の成長に関係していると感じて求めたのかもしれないニャ。2つ目が……これはもっとおかしな話ニャ。暗黒騎士が、デュラハンが何か"縁"のある魔物の魔石だったのかもしれないニャ」


「つまり、俺の吸ったデュラハンの魔石。それの元の持ち主がこの魔石、あるいはこの魔石を持っていた魔物と何か関係があったって?」


「そういう事ニャ。もう魔石が呪いをかけることとか、今あったことを考えるとこんなことがあっても不思議じゃないニャ」



 正直に言うと、カティマとしても現実味がない仮説しか例に挙げることはできなかった。

 研究に明け暮れた生活をしてきた彼女でも、この魔石に関わることは全てが謎に満ちているのだ。



 二人としても、その仮定についての話を続けてみるものの、全くと言っていいほど話は進まない。

 結局少ししてから今日の研究はお開きとなり、アインもカティマも研究室を後にする。




 *




 魔石の騒動から少し経った日。

 アインは久しぶりの遠出をしていた。

 向かう先はイシュタリカ初日に訪れた、イシュタリカで最も大きな港町。



 アインが向かうということで、通常であれば王家専用水列車が発車するのだが、あまり大々的にするべきことではなかったため、貴族向けの車両がある水列車で向かっている。



 向かうメンバーは、アインが乗った車両にはアインとクリスの二人。

 一つ前の車両にはウォーレンをはじめとした文官たちが数人に、護衛の騎士達が乗っている。



 港町に到着する船に向かっていた。

 およそ3時間と少しの時間をかけて到着する港町。そこに到着する予定の船には、エウロから持ち帰ってきた多くの海結晶が載せられている。



 ウォーレンがその海結晶の状態を視察に出かけるのだ。

 アインが付いてきている理由は、シルヴァードが良い経験になると考えオリビアに打診した結果だ。

 オリビアが付いてきていない理由は、王妃ララルアの仕事を手伝っているため。

 彼女としてもアインに着いて来たかったのだが、その役目はクリスに任せることにしていた。



「もうすぐ着きますよアイン様」


「久しぶりですね。こんな遠くに来るのって」


「そうですね。そういえばアイン様がオリビア様から離れて遠出するのは初めてでは?」



 クリスにそう言われ、アインは確かにと納得した。

 よく考えてみれば、今まで遠出は母のオリビアとしかしたことがなかった。

 学園へと入試に出向いたことはあるが、あくまでも同じ王都内での移動だったため遠出とは言えないだろう。



「そう考えるとお母様のことが心配になってきました。どうしましょう……」


「オリビア様は逆のことをお考えですよきっと」


「否定できない」


「アイン様は近い将来、多くの視察や公務をすることになります。今回の視察も良い経験になりますよ」



 そうクリスが口にする通り、アインとしても有難く思っていた。

 現状のアインはただ養われているだけだったため、将来の事や今自分にできることを考えると、いくらでも手を付けておきたかった。



「感謝してますよお爺様には。ただ会うたびに最近小言を言われますが」



 入試でやらかした件だ。

 オリビアも約束したことを破ったらだめでしょ?と口にしていたものの、シルヴァードからしてみればあまりにも甘い言い方だった。



 オリビアがアインへと強く言えないのは分かり切っていたため、シルヴァードも普段は甘い態度だったが、その時ばかりはといけないことだと強く叱りつけた。

 1つ、使ってはダメだと言われたスキルを使ったこと。

 2つ、きちんとどのような結果になるかを学んでから技を使うこと。



 それ以来、ちょくちょくシルヴァードからその事を言われていた。




「まだ公にはできることではありませんからね」



 だが一つアインにとって良いこともあった。

 それがきっかけになり、幻想の手を使った訓練が始まっていた。

 相手は通常の騎士は不可能だったため、もっぱらロイドが務めている。



「ロイドさんが相手務めてくれるのはありがたいんだけど、あの人硬すぎると思うんですよクリスさん」


「あ、あはは……」



 例の試験官を相手にしたとき、その試験官の骨まで折る攻撃をしてしまったアインだが。ロイドにはそれほどまでのダメージは与えられなかった。



 試験の時と同じぐらいの魔力を込めて使ってみるものの、鎧をまとった片腕でガードされてしまう。そしてそのあと吹き飛ぶことも体制を崩すことも無かった。



「確かさ、幻想の手の訓練って安全に使うためにっていう名目だったはずなんですよ。危険性を理解するためにも必要って。ロイドさんに使ってると違うんですけどあれ、全然危険に見えないから若干趣旨が変わってるというか……」



 幻想の手の強さをしっかりと覚え、使いどころや力加減を理解するための訓練だったはずだ。

 だがロイドに使っても全く危険に見えないのだ。むしろ食らってもはい次!と言って次発を急かすあたりもう全く危なそうに見えない。



「……今度、その件はロイド様にお伝えしておきますね」


「お願いします」



 頭を抱えるクリス。

 使い方に関して言えば、アインは大分上達しただろう。細かく動かすことにも慣れてきている。

 だが問題であったはずの、危険性についての理解を深めることはできていない。



「最近のロイド様は、更に出力を出させようとしてる節が若干見受けられますので」


「ダメじゃんそれ」



 すでに強化訓練を始めようとしてるロイドに、アインは別の訓練に関しても検討をせざるを得なかった。

 そしてロイドという、大国イシュタリカの元帥の強さをよく理解できた。



 そうこう話しているうちに港へと着いたようで、クリスがアインへと降りましょうかと提案した。そしてアインがそれに頷き港町へと降り立つ。




 *




「こんなに広かったんですね」



 水列車から降りたアインが見たのは、広大に広がる港町の風景。

 アインが下りた駅は、大型船が止まる場所に近い小高い場所にある駅。

 前にアインがここに来たときは、ドアからドアを移動するような形でプリンセスオリビアから王家専用列車に乗り移ったため、町の風景を見ることは無かった。



「前回は見ることができませんでしたからね。ここがイシュタリカ最大の港町マグナです」



 軍港も兼ねていますが、とクリスが続けて説明した。

 広く賑やかなこの町は、多くの家が赤い屋根に白い壁の家が特徴的。

 ところどころ水路があり、小さな船をこいで何かを運んでいる姿が見える。



 海のそばでは数多くの船が止まっており、同じく数えきれない人たちが仕事をしていた。

 軽い食事ができる出店も多く出店しており、見て回るだけでも楽しそうな町だった。



「すごい賑やかで、美しい町ですね」


「ここで購入できる海鮮の味は絶品ですよ。帰りに少し購入していきますので、オリビア様へもお土産に致しましょう。オリビア様はマグナで売られている魚が大好物ですから」


「それはいけませんね。大量に購入していくことにしましょう」



 アインの返事を聞いて苦笑いしたクリスは、船が停泊する場所を指し案内を始める。



「少し前に到着したようですね。手続きをしているようです」



 その先には港の従業員と思われる制服を着た男と、船から降りた文官と騎士が話をしていた。

 同じく列車を降りたウォーレンが近くにやってくる。



「アイン様、長旅お疲れ様でございました。どうですかここマグナは」


「綺麗でにぎやかな町ですね。しばらく過ごしてみたいほど魅力的ですよ」


「はっはっは。それは何よりです。それでは参りましょう。海結晶やいくつかの機材についてご説明致します」



 そうしてアインはウォーレンに着いて下ろされた貨物の近くに歩いていく。

 どうやらひと箱分、ウォーレンが視察に来ると言うことで早めに降ろしたようだ。



「そこの。もう所定の作業は終えたのか?」


「はっ。ウォーレン様がご確認される分に関して、優先して殺菌などの作業を終了させております!」


「ご苦労。ここは私たちが引き継ぐ、次の仕事に移りなさい」


「はっ!」



 ウォーレンが貨物に関して確認することがあったようで、そばにいた騎士にそれを訪ねた。問題がなかったようなので騎士を移動させる。アインのことを考えての措置だった。



「クリス殿、開封してもらってもよいかな?」


「承知しました」



 クリスはそうして溶接された蓋を開封する。

 なにやら魔法を使ったようで、風が吹いたと思ったらすでに切れ目があった。



「ありがとうございます。ではご覧くださいアイン様、これが採掘され特に何も手を付けられていない海結晶です」



 アインの目の前に取り出されたのは。岩塩のような塊。白く透けている塊だった。

 手触りは普通の石のように感じられ、少し表面はザラザラしている。



「これが海結晶。ザラザラしているのですね」


「海中でいくつもの傷をつけてしまいますからザラザラしてしまいますな。これに魔法を記憶させ、魔石を制御するのです」


「そうすると、人体への影響がなくなるんですよね?」


「そうです。この海結晶を削り、伝導力を高め加工されたものが魔道具の一部になるのです」



 アインが手に持っている海結晶は大きさ20cm程のものだった。

 それでも重さは全く感じず、乾いた骨のように感じた。



「一つお持ちください。どういったものなのか列車の中でも手で触れてみて頂ければと思います」



 ウォーレンにそう言われ、クリスはアインから海結晶を預かった。



「では次に参りましょう。採掘に使う魔道具をいくつかご紹介します」



 アインの視察は続く。

 この後は、いくつかの採掘に使う魔道具や港町にある海結晶の加工機、海結晶の調査団の活動についての説明などが続いた。




 *




「これにて以上ですな。長時間お疲れさまでした」



 ウォーレンの案内によって始まったアインの視察が終了した。

 多くの説明を受けたが、アインはどれも真面目にその説明を聞いた。

 一番興味を抱いたのは、海結晶の加工機。



 表面を削ると聞いていた。カッターのようなものがいくつもあるのかと思っていたが、薬剤をかけて表面を溶かしてから、ウォーターカッターのようなもので削り取っていた。



「とても興味深いことばかりでした。ありがとうございますウォーレンさん」


「それは何よりでした。それでは視察は以上となりますが」


「お母様へのお土産でも見に行こうかと」


「それはよいですね。クリス殿お付きを……っと、そうでした、クリス殿も確認すべき書類等いくつかありましたね」



 視察が終わったと聞いたので、アインとしては少し港町を見に行きたいと思っていた。

 だがクリスにはまだ仕事が残っていたようなので、それをしばらく待つことにした。



「じゃあクリスさんの終わるまで待ってますね」


「それなりにお待たせしてしまうかと思われます。なので別の騎士を何名かつけてもよいのですが」



 ウォーレンが代替案を出してくれるが、アインとしてはあまり歓迎する案ではなかった。

 口にはしないが、あまり話したことがない騎士達と港町に出ても緊張してしまいそうだったのだ。



「いえ、ならこの桟橋のとこで待ってますね。海を眺めてたいので、いいですか?」



 アインはクリスを待っている間、いくつかある桟橋のとこから海を眺めていることにした。

 マグナの海は透き通っていて綺麗で、中を泳ぐ魚の姿もよく見えた。



「さすがにお一人では危ないかと」


「クリス殿。少しアイン様も息抜きをされてもよいでしょう。ただしアイン様、ここからそばの桟橋以外に移動はなさらないでくださいね?我々から見える場所に居てください。クリス殿であれば、万が一アイン様が海に落ちることがあろうとも音は聞こえます」


「たしかにこのエリアは騎士団や調査団の者しかいませんが……それでも絶対に安全とは」



 クリスが渋る。王太子を近くとはいえ、一人にするのは彼女にとっても許されないことだった。



「ではアイン様。これをどうぞ」



 ウォーレンは一つの小さな紅い宝石を手渡した。

 アインは一緒に細いチェーンも受け取る。



「これは貴重な魔道具です。小さいですが、これを持っている者を守ってくれます。悪意のあるものを寄せ付けず、危険な事があれば強く光ります。本日アイン様が港町に出るときに渡してくれと王妃様より賜っておりました」


「大地の紅玉……確かにそれがあるなら、桟橋にいるだけならば許可致します」


「なんですか?この大地の紅玉って」


「とても貴重な魔道具です。強力なドラゴンの核を凝縮し、それを海結晶に埋め込んだものになります」



 クリスは説明を続ける。

 悪意のある者が近くによればその紅玉は輝き、その悪意ある者を包み込み身動きができないようにしてしまう。

 そして遠距離から魔法を打たれても、数発程度ならばそれを解除することができる、貴重な魔道具だった。



「すごい高そうなんですが」


「アイン様は王太子なのですからこれぐらいは当然です。これは作るのに長い時間もかかるため、量産はできません。先日出来上がったものを、ようやく今日アイン様にお渡しできると言うことです」


「わかりました。なら受け取りますね」


「腕に装着してください。装着していなければ効果が発揮されませんから」



 クリスにそう言われ、チェーンを使って腕に装着した。

 最初から腕につける予定だったようで、留め具もついていたため簡単に身につけられた。



「ではアイン様。くれぐれもこの傍の桟橋より遠くには行かないようにしてくださいね」


「わかりました。それじゃ終わったら迎えに来てくださいね」



 そうしてアインは桟橋へと向かった。透明感にあふれる海を近くで見られることにアインは喜んだ。




 *




「すっごい透明だ。底まで見える」



 アインは早速桟橋に行きしばらくの間海を見ていた。

 港町ラウンドハートと違い、澄んでいて海の中の様子が分かるマグナの港は、泳ぐ魚までよく見えて楽しかった。



「手づかみで魚取れそうだな。暖かくて気持ちいいし、ちょっと眠くなってきた」



 アインが頭に思い浮かべたのは昼寝。

 王族としてこんな場所で昼寝なんて許されるわけがない。とはいえアインの顔はまだ国民に知られていない。

 それを考えたアインは、やるなら今が最後のチャンスでは?と考え、もういいややっちゃえと横になる。

 日に照らされた桟橋は暖かく、海の風が吹いて心地よかった。



 桟橋にはいくつかの木箱が置かれていて、その陰に居れば周りからもあまり見えないだろうと考え、昼寝を決行する。



「はぁ……気持ちいいなここ」



 段々と冷えてきたとはいえ、天気が良い港町マグナはそれなりの陽気に包まれていた。

 そのため風邪を引くような寒さは一切なく、過ごしやすい気温をしていた。



 クリスのほうを見ると目が合い、額に手をあててため息をついているようだった。だが咎めに来ない当たり許してくれるようだ。



 それをきっかけに、目を瞑ってこの陽気を楽しむことにした。




 *




 アインが昼寝を初めて少しの時間が経った。

 クリスはまだ書類の確認や、いくつかの作業が残っているようでまだアインを迎えに来ていない。



 彼もこの陽気に包まれた昼寝が心地よく、今だ目を覚ましていなかったため問題はなかった。

 彼が"一人"で寝ている間、近くを歩く人間は気が付く人はいなかった。



 アインはまだ大きな体でなかったこともあり、目立つことは無かった。

 また港町マグナの大型船の仕事をする者たちは、目的地である船以外に目を向けることが少なかった。



 あくまでもそれは、一人で寝ている時の話だったが。



「ん……うぅん」



 そうしてアインが、昼寝を満喫した後に段々と意識を覚醒させていく。

 心地よい陽気に包まれた昼寝を終え、彼は随分と満足した気分だったが頭に何か違いを感じた。



 木箱に寄り添うように寝ていたから、頭にあたる感触は硬いはずだった。

 なのに彼が感じたのは柔らかく、花の良い香りがしていた。



 それを不思議に思ったアインは、なんだろうかと状況を確認するため起きることにする。

 ゆっくりと目を開き、何が起きているのかを確認する。太陽の光が眩しいが、それでも自分に起きている何かを理解することができた。



「ねぇアイン?貴方が最初に口にする台詞は何かしら。久しぶり?それとも膝を貸してくれてありがとう?」



 膝を貸していた彼女はこう口にする。小さく悪戯をする様にアインに問いかける。



 少し大人になった彼女、前よりも美しくなった彼女。懐かしい綺麗な声がアインの耳を奪う。

 少しいらずらっぽく微笑みながらアインを見て、アインが最初になんて口にするのかを聞いてきた。

 長く美しいライトブルーの髪をかき分ける手には、花の形をした宝石が輝いている。



「……会いたかったよ。っていうのはダメかな?」



 まだ小さな子供のアインだが、彼にとっての一生懸命の言葉。



 彼女は顔をほんのちょっとだけ赤くして、アインの頬を撫でる。

 美しく成長した彼女へのアインからの言葉。彼女がした小さな小さな悪戯に対する、アインの小さな小さなお返しだった。

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