逃走劇

 最後のファイアの欠片が、弱々しく砕けちった。

 もはや、最下級の魔法も唱えることができない。

 リリアームヌリシアとイヨの周囲を、ぞろりぞろりと贄神の眷族が取り囲んだ。背後は水晶の蔦で出来た壁。どこにも逃げ場はなかった。

 リリはイヨに抱きついていた。イヨもリリをぎゅっと抱きしめる。お互いに決して離さない。


「絶対に、離さないでね……」


 リリは小さく呟いた。


「うん……リリちゃん、ずっと、一緒だよ」


 二人は目を閉じた。来るべき瞬間を待つ。苦痛の時間が短くてすむよう祈りながら。

 じわり、と贄神の眷属が間合いを詰めてきた。


「……何か聞こえない?」

「……聞こえたね」


 リリとイヨは目を開けた。水晶の壁の向こう側から、なにやら騒がしい音が近づいてくる。音源は一気に間合いを縮めてきた。


「――ああああああッ!」


 物凄い掛け声とともに、リリの横で水晶の壁が砕け散り、黒い物体が飛び込んできて床に転がった。レギオンの女王型だ。やがてそれは黒い塵となって消えた。その後を追って飛び込んできた影一つ。


「うっわ、ここも満室かよ!」


 リリとイヨは同時に叫んだ。


「――トウマ!?」


 傷だらけで服も盛大にぼろぼろになっているが、紛れもなくトウマだった。トウマは傍らを振り返って驚いた。


「リリ公、イヨ公! お前ら、こんなとこで……うわっ」

「うわあぁあぁぁん!」

「トウマぁぁぁぁ!」


 リリとイヨは泣きながらトウマに抱きついた。

 いきなりのトウマの乱入に、一時は動きを止めていた贄神の眷属どもだったが、やがてじりじりと間合いを詰めてきた。


「ま、なんでもいいや、話は後だ!」

「うっく、ひっく、でも、もう僕、魔力がないんだよぅ……」

「あたしも、動けないのお……ふえええええん」


 ああそう、と事もなげに言いながらトウマは剣を構えつつ、膝を折った。


「リリ公、おんぶしてやるよ。イヨ公は動けるか? 俺の腕に捕まってろ。絶対離れるなよ」

「う、うん」


 背中にはリリ、片手にイヨをぶらさげ、トウマは立ち上がった。


「トウマ……大丈夫? けがしてるのに」


 心配そうに尋ねるイヨにトウマは笑ってみせた。


「カレンに元気をもらった。必ず戻るってあいつは言った。俺も必ず戻ってみせる!」


 口元には不敵な笑みが浮かんでいる。絶対に、生きて戻る自信に満ちた顔だった。

 気合を込めて、炎の剣・レーヴァンテインを振りかざす。

 ファイアが発動し、贄神の眷族が焔に包まれた。その後を追うように、トウマは手前にいたレギオンを一刀の元に切り伏せた。間合いを取るためか、ひしめきあう贄神の眷属の間に空間ができた。それを狙っていたトウマは、おもむろに猛烈なスピードで走りだした。


「とりあえず逃げるぜ!」


 振り放されないように、イヨはトウマの腕にしがみついている。ほぼ、トウマがイヨをひきずりながら走っている格好だ。


「なにそれー、かっこわるーい」


 背中にぶらさがりながら、リリは楽しそうに文句を言った。

 ざわりざわり、と贄神の眷属たちが追いかけてくる。体力も魔力も充分に溜まるほど、逃げ切れるかどうか。それでも、希望に満ちた逃走だった。

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