呪詛

 強い想いは呪いと同義だ。正義であれ、悪であれ。

 想いに蝕まれ、か弱い人間は己を見失う。

 それこそが最も滑稽で悲しい人形劇なのだ。

 人形であるうちはいい。自分の信じていることを、存在を疑わずにいられるから。だが人形が人形だと自覚したとき――




「私、逃げてばかりだったの。聖剣の主になってしまって、怖くて堪らなかった」


――贄神と戦うことが?


「ううん。それよりも怖かったの……世界の運命が私にかかっているのが。自分が本当に独りだと思ったわ。誰も私の気持ちなんて分からないって」


 ――孤独に耐えてきたんだね。


「そう……なのかな。おじいちゃんも亡くなって独りぼっちだった。身寄りのない私一人がいなくなっても誰も悲しまない……一番最少の損失で済むって思ったわ。知り合いも友達もいなくてかえって良かった、って……分かってなかったの、私。本当の孤独を。辛かったのは、むしろセイントで暮らすようになってからよ。何かと話しかけ、接してくる“仲間”たち。立ち止まることなく行動する、もう一人の聖剣の主……」


――分かるよ。ここにいるといつの間にかメンバーに組み込まれてしまう。


「でしょう? 最初は嫌だった。放っておいてほしかった。時期が来れば、悲しい戦いだと分かるから。打ち解けていれば辛いだけだもの。でも勢いに負けちゃっていつも巻き込まれてたわ……きっと、あなたもそうでしょ」


――そうかもしれない。


「そうよ。変わったと思うわ。ここの生活に馴染んで、楽しそうだもの。“作ってない”顔をしてる」


――酷いな。そんなに作っているように見えていたのかな。


「ご、ごめんなさい! いつだって礼儀正しくてきちんとしてて感じが良くて……隙がないって感じだった。でもね、あなたが驚いたり戸惑ったりしてるのを見ると」


――面白い?


「ううん。でも、そのほうがいいわ」



 そう言うと、淡い金髪と空色の瞳の少女は笑った。

 他人のことは驚くほど観察しているくせに、自分のことになると目が利かなくなる。大人びて冷静な思考をすると思えば、非常に子供っぽい。矛盾の塊だった。相方のほうがブレがない。きっと自分でも気づいていないのだろう。成熟と未成熟の間を彷徨い、聖剣の主と普通の少女を行き来する彼女こそ、“自分”を保っているのではないか。

 彼女の言うとおりだった。何の変哲のない、穏やかな時間を楽しんでいた。必要とされることが嬉しくもあった。


 奇妙な感覚だった。自分で作った仮初めの殻をしっかりと掴んで離さない自分がいた。

 本に埋もれ、雑用をこなす。涼しい風に吹かれながら冷たいお茶を飲む。知っている街の話をする。とりとめもないことで笑う。並んで星を見上げる。

 時の流れが停滞し、過ぎ去ることを意識したこともなかったのに、楽しい時間はあっという間に過ぎていった。


 それすらも擬態だ――と、自分に言い聞かせた。では真実の自分とは何なのか。いや、手段として存在する自分に自分などない。

 聖剣がそこにただ在るだけのように。

 自分もただ在るだけだ。ひたすら、機能する機会を待っているだけなのだ。それこそが存在意義――のはずだった。

 ためらいは弱さだ。信念を持ち続けることが強さだ。

 長く、強く願い続けることでは聖剣の主に負けない。

 そのようなことを想う自分がいた。



「出会って最初の頃はイライラしたわ。なんでこんなにノーテンキなのかしらって。もちろん、彼は聖剣の宿命を知らなかったってこともあるんだけど。『王様になりたい!』って、ちっちゃな子供みたい。恥ずかしい話だけど、最初はちょっとバカにしてたの。だけど……彼の本当の願いがみんなが平和に暮らせる世界にする……なってほしい、でもなくて『する!』だったの」


――彼らしい。


「相手が皇帝だろうと魔属の女王だろうと絶対に退かなかった。なのに……聖剣の主同士の戦いで、あっさり剣を置いたの……私、迷ってた……ずっと迷ってて決められなかったのに!」


――譲るのは当然じゃないかな、彼の立場だと。


「そうかしら? 当然じゃなかったと思うわ、彼の背負ったものに較べれば……彼は何も捨てていない。全部背負ってきた。それを……私に託した。やっぱり、私、分かってなかったの」


――自分を責めることはない。それに……君も独りで贄神に立ち向かったじゃないか。


「彼が、気づかせてくれたから。逃げてばかりじゃなくて、守りたいもののために戦う勇気があるって分かったから。一年前と同じように、また逃げまわってたけど……もう逃げないって決めたの」



 そう語る彼女の横顔は凜として迷いがなく、綺麗だった。

 弱さで彼女に共鳴し、強さで彼に羨望の念を抱いた。僕は、強いのだろうか、弱いのだろうか。

 もうすぐ証明される。

 誰が一番強いのか。強いことが幸いなのか。


 薄暗いフロアに光の輪が幾つも弾けた。白い光の粒子が人の形に収束していく。



「――おかえり」




■□■




「……」

「……」

「……あの……」


 遠慮がちにティアが切り出した。びくん、と肩を震わせるクリューガ。


「な、なんだ? 言いたいことがあるなら先に言ってくれて構わねえよ!」

「ええと、話があるって言ったのはクリューガの方よねえ……」

「……そうでした」


 若草色の木製の調度品でまとめられた居心地のいい部屋。そこで居心地が悪そうに、クリューガとティアはテーブルを挟んで座っている。かれこれ20分にもなるだろうか、紅茶も冷めてしまった。

 逞しい人狼型の獣人とエルフの美女が向かいあって気まずいお茶を飲んでいる。まさしく美女と野獣だ。

 クリューガはとりとめのない世間話をしようとするが、いずれも話が続かない。空気を察して良い話し相手となるティアも、今日は敢えて会話を弾ませようとしなかった。

 ティアの赤ん坊が出来た宣言以来、二人はまともに話をしていない。それが、クリューガがいきなりティアの部屋を訪れたのだ。が、未だ本題に触れないでいた。


「カレンたちがトウマの後を追って4日目になるけど、何の連絡もないわね。ちょっと心配だわ」

「……アイツらのことだ、下手は打たねえだろう」


 当たり障りのない返事をしているが、クリューガも難しい顔をしていた。


「クリューガ、なぜここに残ったの? 何か理由があるんじゃない?」


 おっとりと、ティアは核心を突いた。クリューガはがたっ、と椅子から滑り落ちそうになった。


「なっ、なんでそんなことを?」


 ティアは頬に手をあて、考えていることを口にした。


「遠征に出る機会があるなら、きっとクリューガがついていくと思ったのよ。でもあなたは、トウマのときも、カレンのときも率先して残ったから……何かあるのかなって思ったの」


 うふ、と肩をすくめて笑うティアからクリューガは目を反らした。

 落ち着かない様子で足を組み替える。と、その拍子にテーブルの下にあったかごを蹴飛ばしてしまった。


「わりぃ」


 かごを起こそうとして、ぴたっと凍りつく。オフホワイトの柔らかな毛糸玉と編みかけの生地が入っていたのだ。こぼれおちた毛糸玉をかごに入れ、クリューガはぎこちなく笑った。


「これから夏なのに編み物か」

「ええ。来年の春先に間に合わせようと思ったら今から準備しないと。それに白なら男の子でも女の子でも合うもの」

「そ、そうだよな……」

「……」

「……」


 何度目かの気まずい沈黙が再来した。そのときである。

 ヒュウウウウ……

 静かな唸りを立て、明かりが落ちた。一瞬暗闇に包まれるが、非常用の弱い明かりが点灯する。


「停電……? 珍しいわね、今までこんなことなかったのに」


 天井を見上げながらティアは呟いた。


「まるでカノン砲を発射したときのようね」


 何気ないティアの一言に、クリューガは目を光らせた。先ほどまでのおっかなびっくりだった態度が一変し、表情が険しくなっている。

 す、とクリューガは立ち上がった。


「ちょっと、ゼロに様子聞いてくる。ここで待ってな」

「あら。じゃ、私も行くわ。暗いの苦手なんだもの。眠くなっちゃう」


 と言って、ティアも立ち上がった。


「ティア、お前はここにいろ」


 さきほどまでの優柔不断な態度とは裏腹に強く言い放つクリューガ。ティアは首を傾げた。


「どうして……?」

「停電くらいで騒ぎたてるこたあねえ。オレがちょっと様子見てくるから、よ」


 いつものティアならあらそう、と引き下がっただろう。だがクリューガの態度から何か感じ取ったようだ。


「クリューガ、何を用心しているの? あなたらしくないわ」

「別に、何でもねえ」


 ティアはずい、とクリューガの前に立ち、腰に手を当て胸を張った。


「クリューガ?」

「ティアこそやけに食い下がるな」


 温和でおっとりとしているティアだが、クリューガのはぐらかしっぷりにカチンときたらしい。


「あなたの態度がおかしいからじゃない! 人の部屋を訪ねてきたのはいいけど用件も切り出さずだんまりで!」


 クリューガは天井を仰いだ。まだ灯りは非常灯のままだ。これほど長い間復帰しないのも珍しかった。


「わかった、わかった。じゃあな……暗い中でも出来ること、しようぜ」

「なっ……!」


 驚き呆れるティアを、クリューガはいきなり抱きしめた。


「クリューガ! ……ん、くっ」


 抗議するティアにクリューガは覆いかぶさる。クリューガの長い舌がティアの唇に割って入り、絡め取った。さりげなく腕がティアの頭と首の頸動脈あたりに添えられる。


「んんっ!」


 ティアはくぐもった小さな悲鳴をあげ、怪力で抵抗する前に、クリューガの腕の中にくたくたと崩れ落ちる。キスにかこつけて首の急所を圧迫したのだ。

 近距離の肉弾戦を専門とするクリューガにはお手の物だった。それにティアとて、まさかこんな形で失神させられると思っていなかったに違いない。

 クリューガはティアの体を大切そうに抱きかかえると、ベッドの上に寝かせた。口元に耳を寄せて呼気を確認すると、厳しい顔に安堵の表情が浮かんだ。

 シーツを引き裂いて、ご丁寧に手足を縛っておく。この方法では意識を失っているのは長くて1分程度だ。ティアをこの部屋に足止めしておく必要があった。


「すまん……嫌われても仕方がねえ。これで何にもなかったら最低だな、俺は……けどよ」


 クリューガは天井を仰いだ。


「もしも、ただの停電じゃなかったら。お前の身に何かあっちゃいけねえ」


 ティアの部屋を訪ねる前、バルコニーから周囲を確認していたクリューガは、派手な色を上げる信号弾を見つけていた。


「オーリエからの信号弾……やっぱり、そういうことだろうなあ」


 ぎらり、とクリューガの目が鋭く光った。好戦的な表情が浮かぶ。バイアスから聞き出した情報。セイントでの度重なるトラブル。そして、聖剣の主の不在。

 獰猛な獣の本能が、思惑の匂いを嗅ぎとっていた。


「全く、厭な感じだぜ」


 クリューガはティアを残し、部屋を足早に出ていった。


「……おや?」

「ん、あんたは魔王の」


 廊下に出て、クリューガはディアナと出くわした。彼女はリグラーナが見つかるまでセイントに厄介になっていた。


「不具合のようですわね。こういったことは時折……?」

「いんや、多分非常事態だ」


 ディアナの目がきっと細められる。獣人の闘気にただならぬものを感じたのだろう。二人がはっと振り返った。

 薄闇の中、小さな赤い光が明滅している。一つや二つではない。静かにそれらは佇んでいる。敵意は感じられなかった。それもそのはず。相手はロボットだからだ。

 図書館で静かに動き、書籍を運び、あるいは停止しているロボットたちが、クリューガたちを取り囲み、じりじりと間合いを狭めてくる。


「クリューガ殿!」


 ディアナの腕が呪法を組み上げ、クリューガがそれを庇うように前に出た。


「おう女官さんよお。何か異常な事態が起きているようだ。戦えるんだろうな?」


 思いがけない早さで、一体のロボットが床を滑り襲いかかってきた。

 クリューガは豪腕を横に薙ぎ払った。ぐしゃり、とひしゃげながら床に転がるロボット。その体から、黒いもやが立ち昇り、消えていくのが見えた。


「あれは――贄神の……!?」


 一年前の壮絶な戦いが、クリューガの脳裏をよぎった。


「愚問。ですが、これは…………!?」


 クリューガの背後で青白い光炸裂し、爆発音が鳴り響いた。ディアナの雷撃がロボットを蹂躙していく。

 最も安全だったはずの機動城塞セイントの中で、戦いが、始まった。

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