魔女の語り
泥の中をもがくような眠りから引き戻された。指先から腕、肩、足。各関節を動かしてみる。動く。軽い。
――やっと回復した、みたいだ。
動けなくなるまで体力と精気を奪われ、回復に時間がかなりかかった。だが、心は重いままで、しばらく天井を睨み続けていた。
――このままでは、救われない。誰も、救えない。
無力さが傷だらけの心をさらに掻きむしる。
――ネルは何をやらかすつもりなんだ……?
『聖剣の主は、一人だけで、用が足りる』
ネルの、冷ややかな声が蘇った。
どっと、脳内から熱くて冷たい何かが放出され、体内に力がみなぎる。
――カレンが危ない!
何も失うものがないネルは、カレンに対して容赦なく行動に出るだろう。危険な覚悟だった。
そのとき、靴音を聞いた。素早く起きあがり、身構える。
銀網の牢獄越しに、扉が開いているのが見えた。
「……ってことは……カレンがここに来てるのか!?」
――捕まった。
そう聞いて、今度は血液が逆流するような感覚に囚われる。
「剣、持ってないか!? 何でもいい、オレをここから出してくれ! 早く!」
銀網を掴み、力の限り揺さぶりながら叫んだ。
「なんで来たんだよ……!」
もう知らない、勝手にしてと言いながら、いつだってカレンは駆けつけるのだ。口ではあれこれ勿体ぶった理由をつけて、しかし、大きな目に涙を浮かべながら。
「……意地っ張りで、ガンコな、ツンツン女なのに……なんでだよ」
手の中から金属の感触が消えた。遮るものは何もない。
ずしり、と重い焔の大剣――レーヴァンテインが手渡される。ここに来る途中の部屋で見つけたものだという。
「どちらを選ぶのか、って……」
――ネルとカレンのどちらかを、選ぶ?
「……」
まだ、この期に及んで、戦わずにネルを止める方法を考えている自分を見透かされたような気がした。
どちらにも傷ついてほしくない。だが、そんなきれい事で場が収まるとも思っていなかった。
――戦えるのか? 最も救いたい者と。
トウマは、無言のまま剣の柄を強く握りしめた。
答えは口に出せない。その時が来るまでは――
■□■
最後の魔女は歌うように語る。時の彼方に消えた歴史を。忘却の物語を。儚い記憶を。
『3000年前、この大陸はより広大で、アースとカナンという二国によって統治されていた。それより以前、神話時代には一つの国、一つの言語、一つの世界、神代といわれ、争いもなく穏やかな世界であった』
破綻はすでに神代から始まっていた。神代とは、生物の意思を制御し、統合するシステム、通称“エリュシオン・システム”下で産まれた不自然な調和でしかなかった。
『神代では人々は争うことなく、目と目が合うだけで分かりあえた』
意思統合をすすめた結果、人々はいやおうなく晒けだされる自分の感情に、あるいは他人の感情に耐えきれきれなくなり、殺しあい、あるいは自ら命を絶つ者が続出した。
剥き出しになった感情の重さに耐えられるほど、人は強くない。全てを認識し、全てを赦す“神”にはなれなかった。
そも、あらゆる闘争を捨てるということは、生物が生きる上で大きく損ねていたのだろう。戦いは剣を手に取り、相手を打ちのめすことだけではない。自分自身と対峙したときの葛藤と克服も然り。畑の菜を摘み、海川の魚を捕り、獣を狩って食することも然り。
ゆるやかな衰退は、感情を機械的に、薬物的に排除しコントロールするシステムを導入した時点で決定的だった。
『自らを神ではなく人と認識した神代の者たちは、天国を捨て旅立った』
つまりは、“エリュシオン・システム”を放棄したのだ。
人口が半減し、エリュシオンの呪縛から解き放たれた人々は、集団を形成していった。
人らしく生きること。尽きせぬ感情を、衝動を、欲望をカタチにすること。神代から受け継いだ技術は、今度はあらゆる利便性を追求するために使われることになった。
神代から一転、増え続ける人々を養うために、膨大なエネルギーが必要となった。太陽、風、水。地下の石炭、石油等の物質的なエネルギー。だが、いずれそれら資産も枯渇していくのは目に見えていた。そもそも神代からエネルギーは慢性的に不足気味だった。“エリュシオン・システム”は闘争を避け、エネルギーの浪費を防ぐ目的もあったのだ。
『ならば、余計なものをエネルギーに変えればよい――と、人々は考えた』
廃材、廃棄物、ゴミ──大地そのものが持つエネルギー。行き着いた果ては、人自身の感情。祈り。感情を捨てるのではなく、いつか流れ、忘れていく些細な感情や記憶。怨み、悲しみ、苦痛といったネガティブと呼ばれる感情がその対象となった。
人々は週に一回、自分が住む村や町の“サンクチュアリ”と呼ばれる施設に通い、塵芥の感情を喜捨した。
『いわば、究極の
目に見えないものをカタチにする方法はこの頃編み出された。魔法もその産物だ。自分の発した言葉や撮影した映像を記録するメモリーオーブもその技術を応用したものだった。
『そして、一旦離散した集団は長い時間をかけて二つの国に再編成された』
それがアースとカナン。のちの人間族と魔属の祖先。
アースとカナンは独自に文化を育み、自分自身と大地から得るエネルギーを活用し、大きくなっていった。
カナンはアースよりも人口が少なかったが、神代の遺産を活用し、遺伝子操作によって長命と強靱な体を持つ者を生み出した。アースはカナンより技術力が劣っていたためか、神代より文明レベルは後退したものの、身の丈に合った成長を遂げていった。
人間族と魔属の種別の差異はここから生じた、といえる。
二国は何度か衝突し、その度に甚大な被害を出した。戦争で疲弊し、休み、また衝突する。それの繰り返しだった。
争いを放棄しようとした神代から一転、争うことで存在意義を明らかにしようとしたのだ。
その最中、カナンは放棄された“エリュシオン・システム”を利用してあることを画策した。
あることとは――神代の時代から使い残した、否、処理しきれなかった人々の思念の残滓を集め、統合する意識、核を埋め込んで制御し、強大なエネルギー源を作ること、だった。
アースもまた同様のことを考えていたのだが、先に実現したのはカナンだった。数百年に一度の不世出の天才と謳われた男によって可能となったのだ。
ローゲというヴァンパイア族の青年で、カナンの繁栄を支える技術を承継する家系の出身だった。
彼が完成させたのは、人の様々な思念を集合体として一ヶ所に集約し、指向性を持つエネルギーとして制御、再利用する、という技術。莫大なエネルギーは、同時に凄まじい破壊力を持つ武器となりえた。時のカナンの王は、即座に武器への転用を命じた。
遅れて十数年後、アースもまたこの技術を手にした。
一説によると、賢明なローゲは政治バランスが崩れることを恐れ、密かにアースに情報を流したという説もある。
強大な武力を手に入れたことで、二大国はこのままではいずれ大陸を、この星を滅ぼしかねないと判断した。
二つの国が統治するといっても大陸は広く、様々な種、民族に分かれている。国がバックアップして民族や種の争いを代理戦争に仕立て、その後三十年間、せめぎあうこととなった。
だが、予想だにしなかった事態が生じた。これらの思念の集合体を制御できなくなったのだ。
元々、思念は物質として存在しない。地中のあらゆるネットワーク――水脈、鉱脈、マグマ、地力――そういった天然のネットワークを通じてアースへの侵攻を開始した。集合体にとってみれば、単なる増殖行為であって侵略の意図などなかった。
開発責任者だったローゲの結論は『カナン人の意志では完全に制御できない』だった。
人体改造を進め、長寿と強靭な体を手に入れたカナンは、引き替えに元々持っていた生物としての資質を失っていた、というのがローゲの論だった。
そうしている間にも集合体は成長し、人々や生き物を取り込んでは、異形の仲間を増やしていく。
大陸の存亡に関わると判断したカナンはアースと手を結んだ。
アースの支配者は、若干18歳の少女だった。しかし彼女は賢明で思慮深く、現実主義者だった。すぐさま集合体を「人類共通の敵」と判断し、仮初めではあるが和平を結んだのだった。
皮肉なもので、強大な敵が長年の対立を解消させた。だが、遅かった。いや、集合体の侵攻が予想以上に早かったのだ。
大陸は枯れていき、水は汚れ、黒い雨が降り、また地を枯らす。異形のモンスターが跋扈し、村や町がカナン、アースを問わず消えていった。国の、種族の差別なく喰らい、誘い、増殖し続ける、目的を持たない意志。全き恐怖。呑まれた者たちの恐怖や悲しみ、怒りがさらに集合体を活性化させた。
「彼らは意識の集合体をこう名付けた――贄神、と」
ネルは言葉を切り、振り返った。
「……聞いてる?」
「……聞いてるわよ……ッ」
カレンは食いしばった歯の間から言葉を絞り出した。細い体を、人の腕ほどもある触手が締め上げている。牢の床は、増殖した触手でびっしりと埋まり、甘ったるい匂いがそこらじゅうに充満していた。触手から分泌された粘液である。腕も足も絡め取られ、身動きができないでいた。
カレンの美しい金髪も、白いコートドレスも、ショートパンツから伸びた足も、それらの粘液でねっとりと濡れていた。
銀の網のような囲いで覆われた檻の中で、カレン、リリアームヌリシア、イヨの三人は触手状の何かと必死で戦っていた。とはいえ、魔法は吸収されてしまう。物理攻撃系ではないので決定的な対抗策はなく、かろうじて抵抗しているというのが現実だ。
「いや、あ、あ、あ! き、気持ち悪い~~~! あ、足の間に入ってくるうっ! ちょっとや、やめて! ヘンタイ触手! バカァ!」
リリがじたばたもがくのを、イヨが慌てて抱き締めた。
「リリちゃん、ダメ! 暴れると刺激してっ……ひっ! いやあん、そんなとこっ……ら、らめぇ!」
「ちょっとイヨ! アンタなに恍惚とした表情浮かべてんのよっ! このおバカチン!」
カレンは、苦痛と気持ち悪さに耐えながらネルを見つめ続けている。
(――贄神が、人の手によって生み出されたものだというの!?)
今まで贄神は“そういう存在”として認識されており、発祥も成り立ちも定かではなかったのだ。
人の意志がより集まって、それを人の意志で制御する。
しかし、聖剣の仕組みを考えると納得できるものがあった。過去数代に渡って、贄神を制御するために聖剣の主が核となってきたのだから。
ここに至り、うっすらとではあるが、この世界の成り立ちと贄神、そして聖剣の意味と役割が分かった。
体を締めつけたまま、うねうねと動く触手の中で、カレンは必死に考える。
「誰も知らないことを詳しく知ってるあなたは……ローゲの子孫か何かなのね」
ネルはふわり、とドレスを翻し、網の傍まで近付いてきた。
「ご名答。私は、ローゲ直系の、子孫。そして最後の一人……」
にぃ、と笑った唇の端からは鋭い牙が見えた。そしてネルはまた表情を消す。
「アースの人間族の手で贄神は、封印された。聖剣の主が、核となって、抑えこんだ。贄神は一旦、活動を停止し、世界に平和が、訪れた……世界はそれで、よかったのだろう、けど」
ローゲは全ての責めを追って、魔属から永久追放された、とネルは呟いた。
「カナンの国体を、保つため、咎人が、必要だった」
「そんな……酷い」
思わず、カレンは吐き捨てるように言った。
強大なエネルギーを生み出す仕組みを作ったのはローゲだが、武器に転用することを是としたのはカナンの国そのものだ。それもアースに対抗するために。
カレンの中で、聖剣の主でありながら聖剣を失ったユージニアの記憶と、ネルの言葉が交差する。
たった独りで贄神との戦いに赴いたグランド。残されたユージニア。そして図らずも贄神を生みだしてしまったローゲ。
――悲しい。
ネルはおもむろに網の間に手を入れ、触手に絡みつかれているカレンの太股の間にそのまま突っ込んだ。
「きゃっ!?」
ネルの手はカレンの背後にあった触手の一本を鷲掴みにし、そのままずるずると引っ張り出してくる。気丈に振る舞っていたカレンだったが、剥き出しの太股に触手が擦れて、おぞましさに身をよじらせた。
「いやっ!」
両手と両膝は触手に絡めとられてぴったりと閉じたままだ。肉づきの薄いカレンの太股の間に触手を挟みこむ。触手は股の間でうねうねと蠢いている。コートドレスの下は防御性能が高いレイ・スーツを着用していた。
防御力は高いが生地の密着度が高く、ショートパンツごしに触手の動きが伝わって気持ち悪いことこの上ない。なにより、自分の足の間から異物が這い出ているという状況が恥ずかしくて、カレンは内心泣きたくなった。
ネルはその光景を見てにぃと口角を上げる。
「この話を聞くと、みんな、そうやって、気まずそうな顔をする……私、嫌い、そういうの」
まだ続きがある、とネルは言った。
「後の、魔属の国家……フィンゲヘナでは、先代の歴史は、そこで終わり。でも、私たちは、そこから、始まった」
淡々と吐き出されるネルの声の温度が、また低くなった。
カレンはネルに尋ねた。
「ネル、あなたは何をしようとしてるの? ローゲさんの名誉回復?」
ネルは首をふるふると横に振った。
「願いを――叶えるため」
「願い……?」
「……知りたい?」
言いながら、ネルは触手をぐっと手前に引いた。大人の腕ほどもある触手がずるり、とカレンの足の間から引きずりだされる。触手から分泌されるおびただしい粘液が、太股の間を濡らし、ねちゃねちゃと厭らしい音を立てた。痛みはないが、おぞましさと羞恥で精神的なダメージは相当なものだ。カレンは唇を噛んで悲鳴を堪えた。
「ううっ……」
「いい顔。トウマに、見せて、あげたい」
トウマの名を聞いて、カレンに闘志が戻る。
(――負けるもんですか、こんなことで!)
ちらっと横目で見ると、イヨとリリはたくさんの触手に絡みつかれ、ぐったりとしていた。暴れたせいだろうか。イヨがリリを守るように抱き締め、その上から触手が二人を締め上げている。
(いけない……このままじゃ。でも、なんかちょっと羨ましい……かも。でも、こんなとこ、トウマに見られたら、私、死んじゃう……)
「あっ!?」
カレンは思わず仰け反った。ショートパンツの生地ごしに触手の圧迫感が強くなったのだ。ネルが触手を上に引っ張り上げ、触手がさらに股間に食い込む。背筋をぞくぞくと悪寒が走った。こんな辱めを受けたのは初めてだった。
「まだ、余裕、あるのね」
「や……」
ネルは目を細めてカレンを観察している。
「あなたには、これから、役に立って、もらうの。もう一人の聖剣の主……」
ネルが手を緩めると、反動で触手がずるり、と太股の間に戻ってくる。またひっぱる。上下左右に動かしてカレンをいたぶる。カレンが激しく抵抗すると触手が締めつけてくる。緩やかな、だが、潔癖なカレンにとっては発狂ものの拷問だった。
カレンはがくり、と頭を落とし項垂れた。全身から力が抜けたのをみて、ネルはつまらなさそうに言った。
「こんなことで、イっちゃったの? 弱い、わ」
「……」
カレンは無言で俯いたままだった。ネルはまた触手を引っ張ったり緩めたりするが、カレンはぐったりとして身動きしない。
「慣れて、ないのね。もっと、面白いこと、できるけど……」
ぽん、とネルは触手を放りだした。
「壊れでもしたら、元も子もない……残念」
カレンは気を失ったのか、微動だにしなかった。
反応しないカレンに、なおも囁き続けるネル。低く、抑揚がなく、まるで呪文を唱えるように。
「初代の聖剣の主は、本当は二人いた。男と女。でも、女のほうは、取り残された。男に、捨てられたの。役立たずって。可哀想な、アースの女王」
あなたには生きたまま、地獄を味わってもらう――ひっそりとネルは呟いた。
「それで、トウマを、助けられるの。満足でしょ? それがアースの女王の、望みだった……」
もうすぐ叶う。
すべての願いが叶う。
私は自由に、なれる。
どこへでも行ける、ただのネルに戻れるの――。
そう囁くネルは、本当にうれしそうだった。感情の起伏をほとんど見せない彼女の、真実の言葉だった。ネルは、動かなくなった鳥籠の三人を眺めながら言い放った。
「今のうちに、幸福な眠りを、貪りなさい。次に目覚めたら……もう、二度と、眠れなく、なる」
カレンの置いた魔導書を拾いあげると、ネルは踊るような軽やかな足取りで、部屋を出ていった。
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