星満ちる一夜

 すでに日は暮れていた。夜の帳が降り、星は輝く。辺境の地であってもこぼれそうな星の河の美しさに変わりはない。

 だが、その下にあるのは――


 せりだした岩壁の下で焚き火が弱々しく揺れている。その周囲には4人が思い思いの格好で座り、あるいは岩壁にもたれている。

 カレンにキリク、リリアームヌリシア、イヨだった。


「眠れないようだね」


 キリクの声に呼び戻され、カレンははっと顔をあげた。

 傍らで、リリとイヨが岩壁に背を預け、うとうととしている。お互いにしっかりと手を握り合っているのが微笑ましかった。

 疲労が大きかったのだろう。それでも二人とも、幸福な夢とはほど遠い、悲しそうな寝顔だった。


 トウマが通過したと思しきブリガドゥーンの村に、一歩足を踏み入れると、腐臭が鼻をついた。それで全てを悟るには充分だったが、カレンは全ての家々を見て回った。村の入口でリリは腰を抜かしてしまい、イヨと共に置いていった。キリクが律儀にも現場検証に付き合ってくれた。

 カレンとて鋼の神経の持ち主ではない。目の当たりにした光景はあまりにも凄惨で、今後、悪夢の種となるだろう。

 トウマが置いていった端末を持っているのでセイントに帰るのは容易だ。無理せず、安全なセイントで夜を過ごして戻ればいいはずだった。

 だがカレンは野営すると決めた。リリとイヨの精神状態が悪ければ二人をセイントまで送るつもりだったが。


「大丈夫……大丈夫。こんな酷いこと、絶対、許せないもの!」


 涙目でリリ自身が、残ることを決めた。イヨも、一人旅を経て逞しくなったのだろうか。涙は流しても、泣き言ひとつ漏らさなかった。


「少しでも休まないと、明日も強行軍だ」


 キリクの気遣いに、カレンは笑みを返した。


「キリクこそ……ゼロからもらったアラートボムがあるから、モンスターの夜襲は大丈夫よ」


 出発のとき、ゼロは対モンスター用の埋め込み型警報機をカレンに渡した。黒の丸いボールに赤い線で幾何学模様が入っていた。配色がゼロそのもので、カレンは少し可笑しかった。


『地上設置型の警報装置で、地上2メートルまで有効だ。2、3メートルおきに並べてスイッチをいれると、そのバリアを越えようとした物体に対してスパークが発動する。時限式のスパークボムのようなものだ』

『ありがとう。でも、なぜこれを?』

『確率はかなり低いが、リターンシステムが作動しない場合、やむなく野営することになるかもしれない』

『ゼロ……』

『マスター・カレン。セイントのシステムも完璧でもなければ万能でもない。ただの“仕組み”だ。結局は使うあなた方次第なのだ……聖剣も同じなのかもしれない』


 ゼロの、別れ際の言葉が重くのしかかる。カレンは膝に置いた青い魔導書に手を重ねた。


「戦いは……どんな場合でも自分自身が最後の武器だものね」

「ええ?」


 聞き返すキリクに、なんでもない、とカレンは首を振った。


「……今日は、正直言って驚いた」

「え?」


 キリクは炭を枝で掻きながら、焚き火を見つめている。


「あの村の、あんな状態を、君はつぶさに見て回った」

「バイアスの言ってた通りだったわ……本当に、酷い……」


 カレンは唇を噛んだ。


「見なくてもよかったのに、君は見たんだね」

「……ええ。見ておかなくちゃいけない、って思ったの」


 ふ、とキリクは笑った。


「聖剣の主としての義務感?」

「違うわ」


 迷わず、カレンは答えた。


「私がそう望んだから」

(――トウマは村を見て、怒ったでしょうね……ううん、きっと傷ついた。悲しんだ。ブリガドゥーンの民を救うために赴いたのに、間に合わなかったのだから――トウマが見たものを私も見て、少しでも痛みを分かりたい)


「……変わったね。一昨日の君も、昨日の君も、今日の君とは違う」

「開き直ると私、強いのよ? レイにもそう言われたわ」


 冗談めかしてカレンが言うと、キリクは笑った。


「本当に、別人のようだ。そんなに簡単に変われるものなのかなあ」

「変わらないことのほうが大変だと思うの。何かを恐れて踏み出せないか……それとも、変わらないように踏みとどまって努力しているのか」


 カレンは立ち上がると、焚き火から少し離れ、夜空を見上げた。


「あの星の光はいつも変わらないように見えるけど、随分と遠いところからの光なのね。私たちが今見ているのは、数年前、十数年前の輝きだって、おじいちゃんが言ってた。

 きっとね、変わらないように見えて変わっていくのよ……それに気づかないふりをしているだけで」


 キリクがカレンの隣に立ち、同じように空を見上げた。


「そういう考え方もあるのか……不変こそが強さだと思ってた、僕は」

「私は、キリクもセイントに来て変わったんじゃないか、って思うわ」

「僕が?」


 星を見ながら、カレンは頷いた。

 暫くの沈黙の後、キリクが空を指さす。


「カレン。あの星、見えるかい? ぽっかりとあいた空にひとつだけ光ってる、青い星」


 カレンは目を細める。かろうじて、ぽつんと光る星を確認できた。


「“一人旅の星”って別名がある。あの周辺にだけ星がないからね。3000年前にもあの星があったんだよ」

「ほんとなの!?」

「壁画の星天図に残っている」

「じゃあ、3000年前に、グランドと、あの人……ユージニアさんが見てたかもしれないわ!」

「あのオーブの中の人が、相当気になるんだね。直接覗いてしまったからかなあ」


 カレンは魔導書をそっと抱き締めた。


「他人事じゃないような気がするの」

「君が、聖剣の主だから?」

「またそんなこと言ってからかうのね!」

「からかってなんかないさ。聖剣を失った人と、手にした人との差はあるけど、同じ立場の、年も近い女の子同士だからね。共感するところが多くても不思議じゃない」

「共感、だけじゃなくて……私、ユージニアさんに伝えたいことがあるの」

「それはなに?」

「秘密。女の子同士の」


 ずるいよ、とキリクは笑った。カレンもくすくす、と笑った。

 そして静かになる。



「――キリクは、どうしてこの旅に同行したの?」



 長い沈黙の後、キリクは呟く。


「それを、僕の口から言わせるのかな?」

「……」

「僕は――「私ね、もう逃げない」


 キリクの手が、カレンの肩に置かれた。カレンは誓いをたてるように、魔導書に向かって囁く。


「走って、走って、追いついてみせるわ……トウマに」


 分かってる、とキリクは言った。


「この先、どんな試練があっても、逃げない。戦う」


 カレンの瞳にキリクが映る。

 キリクは素早く顔を寄せ、カレンの唇に軽く唇を重ねた。カレンは一瞬目を瞑ったが、そのまま顔をあげて、キリクを見つめ続ける。


「逃げなかったね、本当に……ごめん」

「謝らないで」


 そう言って、カレンは微笑んだ。


「本当に、強くなったね。何が、君を一夜にして変えたんだい?」

「本気の殴り合いよ。それと想い出。ユージニアさんが……教えてくれたの、大切なこと」


 澄まして答えると、カレンはまた夜空を見上げた。

 その横顔を見ながら、キリクは息を吐き、そして一緒に空を見上げた。

 東の空に一際明るい星が輝きはじめた。


――初めて知ったよ。君は、何かを決意したときが、一番きれいだってことを。


 目指す先に待ち受けるものを。すでに崩壊が始まっていることを。

 カレンの目が真っ直ぐ見据えていた。あのブリガドゥーンの隠里の方角を。


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