隠れ里
それから、一時間ほどが経過して――。
トウマたちは襲いかかってきた獣兵を倒した。ごく数人だ。逃走する獣兵は追わなかった。人間でこの村に来ていたのはバイアスだけだったようだ。彼が率いていたのはかなり小規模な部隊だったようだが、武器と戦う術を持たない村人はその前に屈するしかなかったのだろう。
村を取り囲んでいる木の柵に火が放たれたため焔と煙が広がり、トウマたちも生き残った者を探すのにかなり手間取った。燃やすものが無くなったのだ。1時間後には火は小さくなり、灰の上でくすぶっていた。
生き残った者たちは、寄り添って地面に座り込んでいる。わずか十数名。ネルと同じように、フードのついた長い上着を着ている。フードの下から飛び出した角。背から生えている羽。長い爪。鱗に覆われた腕。肌の色も様々だ。だがどの顔も、一様に無気力で、怯えていた。
「若者ばかりだ」
カリヴァがぼそっと呟いた。言われてみると、フードの下にある血の気のない顔は、みな若い。一番の年長者でも二十くらいにしか見えなかった。昨日のロムスや、このレムルスの焼け残った家屋を見ていると、暮らしぶりが質素だったことがよくわかる。
村の中にさえ、ほとんど緑がない。わずかな畑とたった一つの井戸。周囲の枯れた環境では、家畜も養えないのだろう。交替しているとはいえ、体力のある若者でないと過酷な生活に耐えられないのかもしれない。
こうまでして村を存続させている理由を、トウマはなんとなく理解している。
世界との接点を失わないためだ。
打ち捨てられた者同士寄り添っていても、それだけでは生き難いのだ。
「……生き残った者は、隠れ里に連れていく。もう、ここには、住めない」
呟くと、ネルはトウマの前に立った。トウマをじっと見つめる。少し迷っているようで、何度も唇を開きかけては閉じる。トウマはネルが言葉を発するのを待った。
「トウマ……選んで」
「何を」
「ここで、引き返すか。ブリガドゥーンの隠れ里に、一緒に、行くか」
「引き返してる暇なんざねえ。バイアスのアホが戻ってくるかもしれねえしな」
「……」
違うとでも言いたげに、ネルは頭をふるふると左右に振った。
「トウマよ」
カリヴァがトウマの背後から割り込む。
「儂は、一旦セイントに戻ってカレンたちと情報を共有したほうがいいと思うぞ」
「んな!? 何言ってんだよ! この暑さでボケたか?」
「馬鹿もん! これしきの暑さでボケるか! あのウツケは帝国軍人だ。それは分かるだろ?」
「ああ。だけど身分を剥奪されて地下牢にぶち込まれてたはずなんだけどな。なんだってグレゴリアの奴はあいつを外に出したんだ」
「そこだ」
歴戦の騎士の指を、カリヴァはトウマに突きつけた。
「奴が帝国の肝いりなのか、帝国を騙っているのか慎重に見極めねばならん。皇帝にとっても、魔王にとっても、いよいよただ事ではないぞ」
思いのほか理論的に諭され、トウマはぐっと言葉に詰まった。伊達に長生きはしていない。
「だけどよッ……!」
こんなところで見捨ててなんかいけない、とトウマが反論しようとしたとき。
「いいの」
ネルが呟いた。
「……これ以上、深入りすると、トウマが、苦しむ」
トウマは言葉を失った。
「……だって……トウマ、辛そうな顔、してる」
ネルには見透かされていたのだ。ここから先は中途半端な同情や軽い気持ちでは進めない、進んでほしくない――そう言っているようだった。
何気なく、空を見上げる。煙が薄くただよう谷底では、空は見えなかった。
トウマはふっと息を吐き、にかっと笑った。そしてぽん、とネルの頭に手を置く。リリやイヨを安心させるときに、よくそうしてやるのだった。
「ネルは何のために苦労して、オレたちのところへ来たんだ? ブリガドゥーンが安心して暮らせるようになってほしいから、だろ」
「……」
「ネルは頑張った。だから、オレも頑張りたい」
「……でも……」
「心配すんな。言ったろ、未来も空も守るって」
トウマはネルの頭から手を離し、振り返る。カリヴァが鋭い目付きでトウマを見ている。
「つーわけでさ。カリヴァだけ戻って状況を知らせてくるってのはど――」
皆まで言い終わらないうちに、カリヴァは大槍を振り上げ、石突をトウマの頭の上にごちん、と落とした。
「ってえぇぇえ!」
「こんな阿呆、放っておけるか。それに……帰り道も分からん!」
「なんだそりゃ!」
カリヴァはずい、とトウマの前に進み出た。
「ブリガドゥーンの里、な。天国でないことは確かだぞ」
トウマは頭をさすりつつ、笑いながら言い返した。
「分かってる――」
トウマはちらっと後ろを見る。静かに佇むネルと、影のように動かない村人たちの姿があった。
「でも、ここで引き返したら、オレの中で通してきたモンがぽっきり折れちまう」
カリヴァはつくづくトウマを見て、言った。
「左様か。では、行くとしよう」
「切り替えはやっ! ……いいのか?」
「儂とお前さんの仲だ、行き着くとこまで行こう。冥界だろうが地獄だろうが恐れるものはない」
「……さんきゅ」
話は終わった。覚悟もできた。
トウマはパンデモニウムを掲げてみせる。
「行こう」
ネルはかくり、と頷き、しばしトウマを見つめる。灰褐色の瞳が揺れているように、トウマには見えた。
歩き出してすぐ、ネルは足もとの石に躓き、よろめいて膝をついた。数日間、高熱を出して寝込んでいた直後で体力は著しく落ちているだろう。健康な者であっても、昨日、今日と衝撃的な光景を目の当たりにしたとあっては気力も体力も萎える。トウマはネルの傍に膝をついた。
「大丈夫か? やっぱりガリュウの背にのっけてもらえよ」
左右に首を振るネル。ごく短い間トウマは考えると、くるっとネルに向かって背を向けた。
「ほれ」
「……?」
「おぶってやるよ」
にっ、と笑うトウマ。ネルは大きく目を見開き、うっすらと頬を赤くする。
「いい」
「先を急がなきゃなんねーんだ、我が儘言ってんじゃねえ」
いささか乱暴に言うと、トウマは無理矢理ネルの腕を掴み、背に負った。そしてネルの心の準備も待たずに立ち上がる。
「きゃっ……!」
小さな悲鳴をあげて、ネルはトウマの背にすがりついた。ネルは痩せているが、少女の体の柔らかさが背中ごしに伝わる。体温は低いほうなのか、心地よくもあった。
肩越しにトウマは言った。
「お前、さっきみたいなかわいい声、出せるんだな」
先ほどより頬を赤くしたネルは、トウマの肩に爪を食い込ませた。
「いて、いてて! 冗談!」
そしてネルは、トウマの耳元で囁いた。トウマ以外には聞こえない程の小さな声で。
「かわいい声、もっと聞きたい……?」
「……んあ?」
少女は、妖艶に笑った。
「トウマ。一緒に……――――」
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