亀裂
祖父の書斎で発見したオーブから紡がれた過去。非常に私的な、だがあまりにも重い悲しみと憎しみにカレンは打ちのめされた。日記は映像や音声で、カレンの五感に生々しく訴える。いや、それ以前に、なぜだろう、記載者の気持に共感したのだった。めくるめく記憶と慟哭、憎しみの中でカレンは完全に記載者に同化しながら、なおかつ客観的にそれを眺めているような感じだった。
ぐちゃぐちゃに掻き乱された感情の嵐の中、カレンの願った通り、支えてほしい者は現れた。ただ最悪のタイミングで。
すぐにグレートブリッジの転送装置で戻ればよかったのかもしれない。
だが、端末の転送システムの光の中に消えゆくトウマの背中が、自分を拒絶しているようにカレンには感じられた。自分に怒りが向けられることには慣れていない。恐かった。オーブの記憶がカレンの心を弱くしていたのだろう。珍しく決断に迷っていた。
キリクと途切れがちな会話をしながらも考えているのは『どういう顔をしてトウマと話をするか』だった。
(きちんと順を追って説明すれば、誤解は解ける……はず。トウマにどんな態度を取られても、何を言われても、冷静に、真面目にうち明ければ絶対通じる)
34回目の同じ結論に辿り着いて、ようやくカレンはセイントに戻る決心をした。時間にして約1時間半。
カレンはオーブを元の本型の箱にしまい、それを胸に抱いた。
「――キリク。そろそろ帰りましょうか」
「わかった」
キリクは返事をすると床に置いた袋を持つ。すでに荷造りはできていた。カレンが帰ると言い出すのを待っていたのだろう。カレンが動揺して考えにふけっている間も何も言わなかった。
(本当にごめんなさい……)
カレンはキリクをまっすぐに見ることができなかった。自分が何も分かっていないばかりに周囲の人間を傷つけていると悟ったのだ。
(――私、本当に嫌な子だ)
「……君が気に病む必要はない。さっきのことは“事故”さ」
隣を歩くキリクが呟いた。
慰めてくれたのだが、カレンの気持ちはかえって重苦しくなるばかりだ。
トウマと話をすることを最優先事項としながら、いきなり制御ルームで出くわさないように祈りながら、カレンは転送装置を操作して帰還したのだった。
意地悪だったタイミングの神様も、今度は良い目を出してくれたらしい。制御ルームに降り立つと、見渡す限り人はいない。ただボソボソと話し声が聞こえてくる。
「レイ。ゴールドメタル組み込みの際、君は他に何かインストールしたのか? どうもそれ以来、制御系がおかしいのだが」
「知らないわようーだ。そんなことアタシにできると思う~?」
「思わないが、念のため確認してみた。余計なウィルスを持ち込んで組み込んだ可能性もある」
「ムカツクー!」
レイとゼロが制御パネルを前に言葉を交わしている。いつもの通りゼロの無意識のツッコミにレイがキーキー言っている。それがカレンには羨ましかった。
何となく声を掛けそびれて、カレンはその場に立ち尽くす。キリクはカレンの肩をぽん、と叩き、自分と居住区に降りる階段を指さして微笑んだ。
カレンが何か言う前に、キリクは荷袋を抱えて階段を降りていく。
(また、気を使われてしまったわ……)
「まあいい。近いうちにスキャンしてシステムを洗い出す……マスター・カレン。何か用か?」
カレンは隠れているところを見つけられたようにびくっと肩をすくめた。
「え……ええ……ただいま」
「カーレーンーッ!」
レイは階段を3段飛ばしで駆け降り、カレンの前で急停止した。むんずと両肩を掴み、顔を寄せる。
「……目、腫れてるし。泣いてたの?」
カレンは慌てて目をこすった。
「は、腫れてないわよ! ……トウマは今どこにいるの?」
レイはますますカレンに顔を寄せてきた。
「レイ。状況は先ほど説明したとおりだ。我々がマスター・カレンの聖剣の波動を追っていったところ、マスター・カレンはキリクと「全部言わなくていいから! レイ、聞いてるのなら分かるでしょ?」
レイはじとーっとカレンを見ている。
「もう、ゼロのでしゃばり。聞いてたけどカレンの口から聞きたかったのよう」
「悪趣味ね! 私、あることがあってすごく取り乱して泣いてたの。それでキリクが慰めてくれて」
「抱き合ってたと。それは否定できないよね」
「大きな声で抱き合ってたとか言わないで! 思い出すとものすっごい恥ずかしいんだから。でも、私から抱きついたわけじゃないもの」
レイは目を細めてカレンを見た。
「うっわ。なにそれ、全部キリクが悪かったっていいたいのお? カレンに隙はなかったって言えるのお?」
「隙ってなに? 私が誘ったっていいたいの? レイ、酷いこと言うのね」
自分の声がとんがっているのがカレンにも分かっていたが、止められない。話の雲行きが怪しくなってきた。
レイもレイで、両腕を組んで胸を反らしている。
「でー? どうするつもり?」
「どうするって……勘違いされたままなのも困るから、きちんと説明するわ。分かってもらう」
「口きいてくれるかなあ、トウマ」
小憎らしいことを言うレイ。
「そ、そんなに怒ってたの?」
カレンが恐る恐る尋ねると、レイは明後日の方向を見て遠い目をする。
「恐くて近寄れなかったもの」
(怒ってたんだ、やっぱりというか、何というか……でも怒ってたってことは、一応気にしてくれてるってことで……)
はあ、とレイは頭をがくりと落とした。
「分かってもらうって……幾ら何か理由があってもさあ、説明して納得してもらえるものなの?」
「私だって学んだわ。トウマも前よりは大人になってると思うし、誠心誠意をもって伝えれば、分かってくれる……はず」
「アタシが言ってんのは、それで感情的なトコロがちゃんと解決するかって話よう」
「それはっ……でも……もし、トウマが不愉快な思いをしたのなら、ちゃんと謝るわ」
「んんー、謝るって、何て謝るのよう? 『キリクと抱き合ってるとこ見せて不愉快な思いをさせました。ゴメンね』とでも?」
「うぅ」
カレンは言葉に詰まった。まさしくレイの言った通りの言葉しか思いつかなかったのだ。だがそれが失礼にも程があることは、カレンも自覚している。他の男性の胸で泣いていたことと、不愉快な思いの因果関係が明確で、それをカレンは“知っている”ことになるのだから。
レイはカレンを見て、溜息をついた。
「ヒカネから借りた絵物語だと、相手が事情を説明してもまだ怒ってるようだったら『怒ってる……?』ってヒロインが聞くわけ」
「……そういうものなの? 怒ってる相手に怒ってるって聞くと余計に怒られるわよ」
「相手の男は『怒ってない』って否定する。怒ってるのを認めたくないから。でもって困っちゃったヒロインはしくしく泣き出すの」
「泣く!?」
感情表現がうまくないカレンだけに、泣くとか涙を流すという弱さをさらけだすのは最も苦手としていた。
「そーそー。泣きながら『何で怒ってるの? 私に悪いところがあるなら直すから』とか言うわけよ、ヒロインは。女の子に泣かれると男って弱いから、ついそこで本音を言うわけ」
カレンのアクションの中にはない選択肢だが、トウマがそこまで怒っているとなればやむをえない。
「うまく行くかわかんないけど、やっぱり、気まずいのは嫌だから……やってみるわ」
「あ、今の絵物語、トウマも知ってるから。ヒカネが読んでて涙してたのを『わっかんねー』とかいって首捻ってた」
がくっと、今度はカレンが頭を落とした。
「意味ないじゃない!」
「そこんとこは臨機応変でしょ。トウマがツンツン怒ってたら試す価値はあるかもよ」
「そういえば、トウマは部屋にいるの?」
「マスター・トウマはニアネードの森だ。イノブタ狩りに出ている。ティアとリリアームヌリシアが同行している」
ゼロが淡々と答える。この状況下でイノブタ狩りとは、実益と憂さ晴らしを兼ね備えた行動ではないか。
「やっぱり怒ってる……よね?」
うなだれるカレン。
「怒っているかどうかは私には分からないのだが」
ゼロをレイが遮った。
「自分で確かめてみなさいよう。自分の態度がトウマを怒らせたのかどうか」
レイの言葉に、カレンのボルテージが急上昇する。
(――友達だったら協力するものでしょ、普通)
「レイ。あなたも誤解しているようね……私は故意にキリクに抱きついてないし、泣いたのもある意味不可抗力よ。レイだって、このオーブを見れば分かるわ」
カレンは手に持ったままだった本型の箱を、レイの鼻先に突きつけた。
「なにそれ~?」
カレンは無言で本を開く。オーブは謎めいた煌めきを放ちながらも静かに鎮座していた。
レイは目を見開き、無言でオーブを凝視している。
「メモリーオーブだ。マスター・カレン、どこで見つけた? しかも状態がいいようだ」
「おじいちゃんの書斎よ。私も知らなかったのだけれど、隠してあったようなの……?」
カレンは声を掛けたが、レイは微動だにせずオーブを見ている。
「レイ。このオーブのこと知ってるの」
カレンに顔を覗き込まれ、レイは我にかえったようだ。ぶんぶんと慌てて首を横に振る。
「ううん、懐かしいと思って。オーブなんて、現代までほとんど残ってないんだもの」
「そう言えば、前から聞きたかったのだけど……レイはグランドの時代のことを知ってるのよね」
一瞬後、レイはにぱっと笑った。
「忘れちゃったの。アタシ、バカだから。ゼロみたいに記憶巣が大きくないしー、感情ユニットの維持ってエネルギー使うのよね。こないだのゴールドメタルの組み入れのときにも大分消耗しちゃったし」
「記憶を消耗するの?」
「うん。全部ってわけじゃないけど。アタシたちが実体を捨ててシステムに入ると、ファイアーウォールを開けるためにどーしてもデータを損失するわけ。無駄なところから切り捨てていくから大丈夫だけど、だから何度もチョクでシステムに入れないのよお」
「半分くらい言葉がわからないけど、でも危なそうね。もうシステムの中なんかに入らないでよ……ゼロ。このオーブ、解析して再生できるのかしら?」
「多分様々なロックがかかっているだろうが、時間を掛ければ解析できるだろう。だが、マスター・カレンはどのようにして再生したのだ?」
カレンは左手の魔導書を見て、ゼロに向かって指し示す。
「聖剣のおかげ、なのかしら。それに初めて手を触れたら勝手に声や映像が頭の中に流れ込んできたのよ」
と、カレンは恐る恐る指先でオーブに触れてみる。だがオーブは、今度は何の反応も示さなかった。
「これは……グランドと共に聖剣の主だった人。女の人だった」
指先でオーブの表面を撫でながら、カレンは呟く。
「あんまり情報量が多すぎて私もよく分からないんだけど、これは大変な記録だわ。解析して、みんなに分かってもらえるようやってみる」
ねえねえ、とレイが本の向こうからカレンに尋ねる。
「グランドの時代ってもう三千年の前の話になるよ。今さら……じゃない?」
「このまま埋もれさせておけない。放っておけないわ」
ぽつん、とレイが呟く。
「遅すぎたのよ。彼女はもういないんだもの、今となっては」
カレンの反対側から、オーブを指で撫でながらなおも呟くレイは、今までみせたことのない寂しそうな顔をしていた。
「だから何をしても、救われない……今を生きるカレンたちの自己満足なの。それでも他人に公開するの? この中の誰かさんの傷を見せ物にするの? ねえカレン、過去って何のためにあるの、過去が今この時点で何を変えるっていうの。過去は過去だよ、起きてしまったことは……変えようがないの」
暗に、レイが過去を暴くなと言っていることくらいカレンは分かっている。だがそこまでレイがこだわるのはなぜか。
(レイは忘れたっていってたけど、覚えてるんだわ。でもそれは、今、私にも誰にも話したくない、『傷』……)
「そうね」
カレンの言葉に、レイは顔を上げた。ゼロの視線も感じながら、カレンは優しく微笑んだ。
「遅かったのかもしれないけど、この人の『存在』をみんなに知らせたいの――置いていかれた悲しみ。やり場のない悔しさが、憎しみに変わってしまった…… この人のために。そうでないと、この人が『なかったこと』になってしまう。過去や歴史は、並べてみれば味気ない記録。そんな記録で感情の全てが語れるわけじゃない……。
でも、私、この人を知ったことで何か変わるかもしれない。おじいちゃんが言ってたわ。過去の上に現在という塔が立っている、その上にこれから未来の塔を作っていくって喩えなんだけど。過去に起きたこと、土台は今さら変えることはできない、だが知ることでこれから作る未来の塔は変えられるかもしれない、って。だから、過去だからといって斬り捨てることなどできないわ」
「……変えられるのかな」
ちょい、とレイの指がカレンの指先をつつく。カレンもレイの指先をつつきかえした。
「うん、きっとね。1年前の私がそうだったように」
レイは暫く黙っていたが、やがてこくん、と頷いた。
「わかった。でも先に、トウマと仲直りしてよね」
「んぐっ……わ、わかってる。私だってぎくしゃくしてるのは嫌だもの」
たちまち自分の現実に戻ったカレンは唇を噛んだ。
「じゃあ、トウマが帰ってくるまで私、自分の部屋に戻ってるわね。埃っぽいし、なんだか疲れちゃった……」
泣くほどに感情が高ぶったのは本当に久しぶりだった。
カレンにとって人前で泣くということは最も自戒すべきことなのだ。両親が発掘事故で亡くなり、葬儀でもおもいっきり泣いた。その時誓ったのだ。これ以上に悲しいことがあっても、決して人前では泣かないと。写真の中で微笑む両親と、カレンの手をずっと握り続けてくれた祖父のためだった。
オーブをレイの手に乗せると、カレンは先ほどよりは幾分軽い足取りで制御ルームを出ていった。
その後ろ姿を見送りながら、レイが言う。
「他人のことは恐ろしいくらい分かるのに、自分のことはてんでダメなのねー、カレンってば」
「他人のことが分かるのであれば、マスター・トウマとの関係ももう少し円滑に行くはずだ」
レイはオーブを手の中で転がしながら、階段を昇っていく。
「他人でも見えなくなるってことあんのよ。自分に近ければ近いほど……ね」
制御パネルの前に座っているゼロの膝の上に、レイはオーブを置いた。
「レイ、一つ教えてほしい」
「あによー。オーブの解析はアンタに任せたから」
レイは制御パネルにもたれながら、ぼんやりと天井を眺めている。
「オーブではない。マスター・トウマのことだ。レイは、彼は怒っていると言ったが私には分からない。彼は怒っているのか? 何に対して怒っているか。この場合、怒るべき対象はむしろキリクのように思われるのだが」
「トウマはねー……今は怒ってないと思う。多分、ここに帰ってくる頃には」
「マスター・トウマはいささか短気ではあるが確かに切り替えは早い。常に前向きという点は賞賛に値する」
ふるふる、とレイは頭を振る。薄い桃色を帯びた、不思議な色あいの銀髪がふわりと揺れた。かくん、とレイが頭を垂れると髪がふわっと広がる。
「そうじゃない。そうじゃないの。トウマは切り替えが早いんじゃなくて、いつも前を向いているから……」
「それは、私が言ったこととどう違うのか?」
「アタシ、うまく説明できない。けど、トウマは、いつかその“前向き”な生き方で苦しみそうな気がする。だから、後ろ向きっていうか過去にこだわるカレンとバランスが取れてるって思ってた」
うまくいかないね、とレイは大きな溜息をつく。
「カレンも結局はトウマのことをまだ分かってないから」
「レイが理解しているのであれば、説明してみてはどうか」
「人間の行動には不干渉。それがアタシたちの行動規律でしょ」
「君はその制約がないと思っていたのだが」
言いながら、ゼロはレイを興味深そうに眺めている。
「……なに?」
「色々と思うところはあるのだが、まず一つ。その髪の色はユニークだ。二つ目は……」
へ、とレイはゼロの顔をまじまじと見、言い放つ。
「ゼロ。アンタとは休眠を挟みつつ数千年の付き合いだけど、そーんな脈絡のないセリフは初めてよ。この髪の色、気にいってんだけどユニークって誉め言葉なのー?」
「そうだな。思わず見入るほどユニークだ」
レイとゼロの視線が交差する。レイはかつてそうだったように、四つんばいのままゼロの足もと近くまで歩き、座り直した。
「ゼロも変わったわ。過去の聖剣の主の元ではそれほど変化がなかったのに。トウマとカレンの影響かな」
ふむ、とゼロは思案顔になった。
「確かにあの二人のマスターに仕えることで、これまでにない経験をすることになった。こうして人間体にもなった」
そして自分の手を眺める。レイが腕を伸ばし、ゼロの手をぐいっと掴んだ。
「それはアタシのおかげでしょー」
ゼロは自分の手に絡みついたレイの手もまじまじと眺めていた。
「私の手と基本構造は同じだが造作は違うな。レイの手は遙かに細い」
「ったりまえじゃない。女の子なんだもの。ほら、髪の色だって質感だって全然違うもん」
レイは手を解くとゼロの膝の上に上体を乗せ、自分の髪の一束を、ゼロの顎先で振って見せる。この辺りの子供っぽさは猫っぽい姿だった頃を彷彿とさせた。
「そして、ゼロは男よ」
いたずらっぽく笑いながら、レイはゼロの黒衣の胸をつつつ、と指でなぞっていく。
「正直に言うと人間体の男性に転換したのは驚きだった。我々には性差という概念は無意味であるし、ないものと思っていたからだ」
レイはよっこらせ、とゼロの膝の上に座ると、肩に肘をかける。
「ゼロは男よ。最初から決め打ちで、それに基づいて状況判断能力や分析能力をインプットされてるんだもの。リペアシステム内で組み直した場合、男の体が与えられるのはトーゼンなの。アタシが女型だったから、相方となる男型のゼロが起動された――必然よ」
黒衣の青年に、淡い桃色の羽衣と銀白のパンツスーツをまとった少女が絡みついている。端から見れば何とも色っぽい光景に映るだろう。
「アタシが消滅したら、女型の疑似生命体が起動されるの。そんときはよろしくやんなさいよぉ。まー、まだまだ先の話だけどね」
そう言ってレイはにこっと微笑んだ。
「それはそうと、レイ。体に触らないでほしいのだが。落ち着かない」
無表情のままゼロが言った。あら、そう? と言いながらレイはゼロの体の形を確認するように、黒衣の上から撫で回している。
「人間体の男型って触るの初めてなのよお。案外胸板厚いね。犬型のときはひょろーんとしてたのに」
「……」
「何か不満そう。んじゃ、アタシに触ってもいいよ」
「そうか」
「そうかって……えーっ!」
ゼロは開いている手でレイの髪の一房をつまみ、目の高さまで持ち上げ、眺めている。
「角度によって色が変わるのは表層に反射物質がコーティングされているから、か。なるほど」
半ば安心、半ば脱力して大きく息を吐くレイ。
「あー、ちょっとびっくりしちゃったじゃないの」
と、口の中で呟いた。だが次の瞬間、悲鳴さえ忘れた。
信じがたいことだが、ゼロの手がレイの胸を掴んでいる。だが、ゼロは相変わらず無表情だ。
「ゼ、ゼ、ゼロ? アンタ、何やってんの……っ?」
「柔らかい。これは私にはない触感だ」
「そういう問題じゃなーい! 手、手、手を離してよう! 誰が触っていいって……」
「レイが言った」
「……あ、そうでしたそうでした……じゃないのーっ! ……う」
レイは声を噛み殺した。ゼロに“そういう”意図がないことは分かっている。レイの乳房がそこにあって興味本位で『観察』しているだけなのも。だからレイも妙な“そぶり”は見せまいと唇を噛んだ。
自分たちは疑似生命体、人の手によって作られしモノ。だが人間の姿を借りた途端、反応までもが人間に近付いていく。こと、レイは体に触れられると敏感に反応しやすくできていた。
やめてと言えばゼロもやめるだろうが、レイは言わなかった。
それはそれで、いいかもしれない。何せ数千年この唐変木とは折り合ったことなどなかったのだから。
「ところで私が君に対して思うところの二つ目だが」
言いながら、ゼロはレイの肩先から乳房の頂点を通り、その下まで指を滑らす。
「……なによお」
息が弾まないようにくぐもった声でレイが言うと、ゼロはレイの目を見たまま言った。
「レイ。君は饒舌だが秘密が多すぎる。その秘密主義と行動規律の制御外であることが現時点での不安材料だ」
淡くもやのかかったような世界から、レイは引き戻された。
「何が、言いたいの」
「君が自分の判断で選択し行動するのは、君に許された権利だ。だが私は最近思うのは――君のことを知らなさすぎた、ということだ。先ほどマスター・カレンが持ち帰ったオーブの中身について君は“知っている”のだろう。その上であんな試すようなことを言った」
二人の間の空気がぴん、と張りつめる。
「よく見てるね」
「率直に言うと、ゴールドメダルの話を持ち出した時点から、私は君に対して若干の不信感を持っている。非常に重要で、共有しておかねばならない機密事項だ」
「まだそんなことにこだわってんのお? んもー、肝っ玉小さいわねえ、男でしょ」
レイの軽口にもゼロは反応せず、ただ静かにレイを見ている。
レイはきっ、とゼロの視線を弾き返した。
「――アタシが何を知ってても、聞かれなければ答える必要がない。これはアンタと同じ行動規律。そして何を語るか語らないかを選択できるのは、アタシの権利」
黒と白の生き物が絡みあいながらお互いを凝視している。
「忘れないでほしい、君も私も聖剣の主のために今、ここに、いることを」
表情も声音も変わらなかった。だがゼロの全身から、一歩も引かない気迫が滲み出ている。
「そんなこと分かってる。アタシ、カレンもトウマも、他のみんなも大好きなんだもの」
そう言ってレイはにっこり笑った。だがその笑顔は空虚なものだった。
レイとゼロの間に見えない亀裂が、耳に聞こえない軋みを立てて空間を切り裂いていった。
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