姫のお茶会

「お待ちしておりましたわ、トウマ様」


 トウマが転送装置の台に実体化された瞬間、エレーナが挨拶をした。

 彼女の後ろには黒いドレスを身に纏った侍女達10人が控えている。それが一斉に同じ角度で会釈をするのだから、トウマは圧倒されてしまった。

 頭をかきかき、片手に下げた包みをエレーナに差し出す。


「あのさ、ラクトン村で有名なスイーツの店があるんだ。これ新作」

「まあ! 私に? 有り難うございます!」


 エレーナがうれしそうに包みを受け取ろうとしたとき。


「──お待ちくださいませ」


 侍女の一人が声をかけた。つい、と前に進みでた女は、年の頃は二十歳くらい。大柄で凛々しい顔立ちの美人だ。長い金髪をポニーテールにして、白のかわいらしいヘッドドレスをのせているが、硬質の美貌には相応しくない。むしろ鎧兜や剣が似合うタイプだった。


「お客様には誠にご無礼を申し上げますが、その包みの中を改めさせていただけますか」


 丁寧ではあるが、低く冷たい声だ。警戒しているのがよくわかる。


「ソーニャ、よいのです。このお方は皇帝陛下もよくご存じの方」

「しかし、エレーナ姫様の身に何かございましたら」


 なおも食い下がるソーニャに、エレーナは一言、たしなめるように「ソーニャ」と言い、微笑んだ。ただそれだけなのに、ソーニャはぴっと背筋を伸ばし、顔を伏せる。


「出すぎた真似をいたしました。申し訳ございません!」


 ソーニャの行為はエレーナへの忠誠心から出たものだろう。が、微かに畏怖の感情も含んでいるのをトウマは目敏く察した。ただの温室育ちの姫君とは思えない見事な統率力である。


(──もしかしてグレゴリアより王様の素質があるかもしれねえな……)


 エレーナはトウマからの手みやげを大切そうに抱きかかえた。


「さ、トウマ様。どうぞこちらへ」


 エレーナに先導されてトウマは王城の回廊を歩きだした。背後には侍女達が勿論無言でしずしずとついてくる。だが、トウマの背中にはちりちりと緊張感がまとわりついてい、居心地が悪かった。察したようにエレーナが言う。


「お許しくださいね、皆緊張してしまって。ここはエルドスムス城の最深部、滅多にお客様がいらっしゃらないのです」

「姫さんの友達が遊びにくるのも大変だよなー、一大事だぜこりゃ」


 トウマは冗談めかして言うと、エレーナは寂しそうに微笑んだ。


「おりませんわ」

「え?」

「……お友達という方が気軽におしゃべりし、喜びや悲しみを分かち合う関係だとしたら、わたくしにはおりません。あら、お兄様は別ですわよ」


 グレゴリアが贄神に捧げられる運命にあったエレーナを手中の珠と大切にしすぎたのかもしれない。そうでなくともエレーナは第二皇位継承者だ。周囲が避けるのも必然だった。


「だから、トウマ様はわたくしが女主人としてお招きする初めてのお客様なのです。今まではお兄様がお呼びになった学者や音楽家、画家ばかりでしたから……」


 寂しい言葉だった。


「オレが第一号ってわけか。友達はこれからいっぱい作ればいい。だけど待ってるだけじゃ誰も遊びに来てくれないからさ、自分から外に出てみたら? あ、そーだ。セイント見たことないだろ? 今度遊びに来いよ」


 そう言って、トウマはエレーナに、にかっと笑いかける。姫は心底うれしそうに、はい、と頷いた。ほのぼのした会話とは裏腹に、背後の気配はピリピリ度が増しているのだが。


『姫様に向かって何という口のききかた』

『しかも気軽に遊びに来いなどと』

『ざけんなゴルァ!』


 などという無言のツッコミが聞こえてきそうだった。

 しばらく長い回廊を歩きつづけ、ようやくエレーナはある扉の前で足を止めた。


「ここですわ」


 音もなく侍女たちが側に立ち、両開きの扉を開く。

 部屋の広さはさほどではなく、こじんまりとした印象を与えた。だが壁の一面が窓とテラスになっているので開放感があり、明るい。

 薄桃色の絹張りの壁、彫刻を施した丸天井。微かに漂う薔薇の香り。柔らかなベージュ色の絨毯。様々な菓子や銀食器。磁器の小さなカップが並べられた大きな白いテーブルに、白い椅子。

 金銀の装飾や彫刻をほどこした回廊よりかなり控えめだが、女性らしい優雅な部屋だ。無機質で常にキラキラ何かが輝いているセイントに比べると、時の流れと温もりが感じられた。

 トウマは部屋の隅から隅をへーへーいいながら物珍しげに眺め、言った。


「いい部屋だ。居心地がいい」


 くすくす、とエレーナが笑う。


「有り難うございます。さ、その椅子におかけくださいませ」


 トウマが椅子に座ると、侍女たちがてきぱきとお茶の支度を始める。無駄も私語もない動きはセイントのロボット達に似ていた。


「すげーな。朝のお茶、どころじゃないぜ」


 テーブルの上を見て思わずトウマは呟いた。テーブルの上には大きなケーキ丸ごと、クッキーなどの焼き菓子の他、小さなサンドイッチやパイ、カットした果物が山盛りの皿まであった。


「わたくし、お茶を淹れて差し上げるのも初めてなものですから……」


 エレーナは自らポットを手に取り、目の前にそろえられたカップ2つに注いでいく。真剣そのものの表情だ。その様子を背後で侍女たちが息を詰めて見守っていた。カップに紅茶が無事に注がれると、ほっ、とエレーナも侍女たちも息を吐いた。

 紅茶一杯でこの集中力と緊張感。笑ったら侍女達、特にソーニャに刺されそうで、トウマは笑えなかった。


「どうぞ」


 トウマに茶をすすめながら、エレーナはソーニャに向かって頷く。ソーニャは傍らの若い侍女に何事か囁いた。その侍女は静かに姿を消した。


「今、報告のための資料を持ってこさせますわ」


 あやうく、トウマはカップを落としそうになる。今ここにいるのは報告を聞くためであることを忘れかけていたのだった。


(キリクのこと調べたって、今更どうすんだよっ)


 何かあることを期待していないが、あったとしても変わらないような気がした。


「あの……お茶、苦かったでしょうか」


 エレーナが心配げに尋ねるので、トウマは慌てて否定する。同時に、ソーニャの立っている辺りから、ぐわっと殺気に似た冷気が立ち昇るのを感じた。


「いや、うまいよ!」


 これは本心だ。温度も香りも味もすばらしい。初めて自らの手でいれた紅茶というが、きっと練習したのだろう。

 ちょうどそのとき、出ていった侍女がワゴンを押しながら部屋に入ってくる。一冊の小振りな本と、一抱えもある大きなガラスケースが乗っていた。ソーニャはガラスケースを抱え、うやうやしく姫君のほうへ差し出す。ガラスケースは上に蓋がない。


「トウマ様、いただいたお菓子、大切にしますね」

「え?」


 大切にするとはどういうことか。

 エレーナ姫はガラスケースに手みやげの包みをそのまま入れた。


「それ……どーすんだ?」


 トウマの問いに、姫はさもうれしそうに微笑む。


「わたくし、大切なものはこうしてガラスケースにしまい、特殊な薬剤で永久保存するのです。この他にもお兄様が私に初めて送ってくださったお花やお手紙、剣術の鍛錬で汗をお拭きになったタオルなど……」

「えええええええぇ」


 グレゴリアが汗を拭いたタオルまで保存するとは、どれだけマニアックなのか。


「このお菓子はわたくしのお客様であるトウマ様からいただいたもの。大切に大切に置いておくのですわ」

「でも、それじゃあ食べられないだろ?」

「当然です! 食べてしまえばなくなるではありませんか!」


 姫はうっとりとガラスケースを眺める。


「こうして形をとどめておけば、いつでも『思い出』にふれることができますもの……わたくしは自分の宿命を知ってから──こうして『思い出』を集めてきました。最後の時まで楽しい『思い出』に囲まれ、笑っていられるように、と」


 それもまた寂しい言葉だった。

 贄神を倒した後に聞いた話だが、グレゴリアはエレーナに恐ろしい宿命の話を聞かせまいと周囲に箝口令を敷き、必死に立ち回っていた。

 

──エレーナのいない世界は余にとっては「ない」も同然の世界。


 統治者として人民を守りつつ、しかし最愛の妹をそのための犠牲にしない。そのために、手段は間違っていたとはいえ、グレゴリアも闘い続けていた。

 トウマとグレゴリアは様々な意味で対極にあるのだが、喪いたくない、という想いとそれを守るための行動にためらいがない点では、共通していた。


(わかるんだよな、それって)

「姫さん!」


 トウマはテーブルの上に身を乗り出した。きょとんとしているエレーナに、トウマガラスケースを指さして言った。


「それ、今食べようぜ」

「え……?」

「オレも味見させてもらったけどすんげえうまいんだぜ」

「でも……」

「今すぐ食べて、おいしいって思ってほしいんだ。一緒に楽しめるだろ? それって楽しい思い出にならないかな」


 エレーナは戸惑いの表情を浮かべている。


「姫さん。思い出はさ、形にして残すだけじゃないんだ。心に」


 そういって、トウマは自分の胸に手を当てる。


「ちゃんと刻んでおくもんだ」

「でも……なくなってしまうことを惜しいと思うのは……わたくしが欲張りだからでしょうか」

「なくならないさ。ちゃんと覚えておいて、ほんでもってそれをたくさん積み重ねていけば確かなものになる」


 ソーニャもまた、驚きの視線をトウマに向けていた。トウマはうん、と頷く。ソーニャは意を決したように、エレーナにガラスケースを差し出した。


「贄神はもういない。思い出を形にする必要もない。これから忘れるくらいたくさん作っていきゃあいいんだって」


 にっ、と笑うトウマ。その笑顔に後押しされたように、エレーナはガラスケースから包みを取り出し、テーブルに置いた。

 包みのリボンや花飾りを丁寧に解いていく。レースのような包み紙の中には、色とりどりの糖衣をまとった小鳥の卵のような菓子が行儀よく並んでいた。


「まあ、かわいらしいこと!」


 エレーナはちら、とトウマを見てふふふと笑った。


「トウマ様がこれをお買い求めになる様子が目に浮かぶようですわ」

「まー、あんまりオレみたいなのが行く店じゃねえからな」


 食欲旺盛、うまい食べ物なら何でも大好きのトウマだが、さすがにスイーツの店へ入るのはちょっとばかりためらわれた。栄えているラクトン村周辺で人気の店だけあって、朝から女性客ばかりだった。幸い、店の中から売り子の女性がでてきたからすんなり入れたものの、そうでなければ十五分くらいは様子を見ていたかもしれない。

 店に入ってからがまた大変だった。トウマは「うまけりゃなんでも(モンスターでも)オッケー」だから女の子の好みなど分からない。売り子は「彼女にプレゼント?」など聞いてくる。周囲でそれを聞いていた女性客がうふふと笑う。任せると言うと売り子から「プレゼントは真剣に選ばなくちゃダメ」と突っ込まれる。周囲があらあらと笑う――ともかく、ひどく緊張したのだった。


「それ、小鳥の卵みたいだろ? なんとなく姫さん、小鳥っぽいっつうか、小さくてかわいいからさ」


 トウマは思ったことを言っただけだったのだが、エレーナ姫は頬を薄く染めてうつむく。一国の姫君に面と向かってかわいいと言えるのはトウマくらいだろう。侍女軍団は無言だが、動揺しているような気配があった。


『姫様を小鳥と同列に並べるとは!』

『臆面もなく“かわいい”などと!』

『ボコってやんよ!』


 ……などとは思っていないかもしれないが、ともかくトウマの言動に驚きを隠せないでいた。

 見えない圧力を感じて、トウマは頭をかりかりと掻く。


「オレ、何か変なこと言った?」


 エレーナはぶんぶんと頭を左右に振る。


「そんなことありませんわ! わたくし、かようなお褒めの言葉をいただいたのは初めてなもので……」


 そして堪えきれず、くすくすと笑い出す。


「トウマ様って、前々から感じておりましたが、本当に凄い力の持ち主ですのね。わたくしの『過去』をいとも簡単にうち崩してしまうのですから」

「そんなにヘンかなあ」

「ヘンですわ。でもそれが良いのです……では、お一ついただきます」


 控えていたソーニャが一歩前に踏み出す。が、それより早くエレーナは卵のような菓子を一口、二口と食べてしまった。


「ひ、姫様! まずはお毒味を!」

「とってもおいしい!」


 そう言って、ソーニャを振り返る。


「ソーニャ。今日、わたくしは古いわたくしを捨てます。ですから――見守っていてくださいね」

「姫様……」


 ソーニャは感極まった表情で俯き、黙って引き下がった。


「トウマ様もおひとついかが。何色がよろしくて?」

「その黄色いやつ。栗が入ってるんだってさ」


 トウマが手を伸ばそうとすると、エレーナはすっと包みを引いた。


「?」


 カティーナは黄色の卵を摘むと、上体をのりだし、トウマの眼前へと手を突き出す。


「アーンしてくださいませ」

「な」

『なっ』

――なんだそれーっ!?


 トウマだけではなく、侍女軍団にも大きな動揺の波が走る。

 トウマは目の前の黄色い卵と、その向こうにあるエレーナ姫の顔とを交互に見比べる。そして、助けを求めてソーニャの方を見た。

 ソーニャは拳を握りしめて激しく頷き、次にもの凄い恐ろしい目つきで親指を下に向けて真横に腕を引いた。


『喜んでお受けしなさい! でも姫様の指に触れたらコロス』


 自他共に鈍いと認めるトウマだが、ソーニャの言いたいことは伝わった。


「はい、アーン」

「う……いや、ちょっとそれは……グレゴリアにも殺されそうだし」

「あら、お兄さまならお茶の時間、いつもこうしてさしあげるんですのよ」

(――おいおいおい、バカ兄貴)


「わたくし、今日は初めてなことばかりでまるで生まれ変わったような気持ち。ですから、外に向かって行動を起こそうと思うのです。今まで内に籠もりすぎていましたもの」

「来客にいっつもこんなことしたらマズイって」

「当たり前ですわ。トウマ様だからおもしろ……いえ、喜んでやるのですわ!」

(――オレ、遊ばれてる?)


 笑顔で迫るエレーナ。無言で詰める侍女軍団。トウマに逃げ場はなかった。


(なんか、最近女に追いつめられるのが多いな、オレ)


 諦めて口を開ける。エレーナはトウマの顎に手を添えると、そっと口の中に卵を押し込んだ。とりあえず一気に飲み下すトウマ。


「お兄さま以外の殿方のお口にお菓子を入れて差し上げるのは初めてなのですが……勇猛果敢なトウマ様も可愛らしく見えて不思議ですわ。癖になりそう……ふふ、うふふふふ」

(オレってやっぱり押されると弱いよなー……)


 内心、苦笑いをするトウマ。「やっぱダメ」と拒めば、エレーナとて無理強いはしないだろう。

 だが、今日、トウマはエレーナの過去から引きずってきた殻を砕いたのだ。その当人が拒めば、きっと傷つく。それに拒むようなことでもなかった。気恥ずかしさやとほほな気持ちは残ったものの、エレーナのうきうきとした顔を見ていると「ま、いいか」と思える。


「――遊んでいただいた御礼、ではないですが……調査結果が届きましたの」


 トウマの中で楽しかった気持ちが急速に萎んでいく。ソーニャはワゴンから本を取るとエレーナの前に置いた。


「わたくしの言葉で説明さしあげてもよいでしょうか」

「んー、あー。わかった」


 すう、とトウマは息を吸い、下腹に力を込めた。なぜこんなに緊張しているのか、嫌なのか自分でもよく分からない。


「キリク・リーダ。21歳。王立研究機関『アカデメイア』の歴史部と遺失技術部の兼務です。軍属ではありませんが、先の戦争では遺失技術部から派遣されて軍務についていました。お兄様の勅命により派遣されたことからして、信任も厚く、年齢のわりには重責を担っているようです」


 そこでちらっと、エレーナはトウマを見る。


「若くて好青年。リーダ家は階級はそれほど高くないですが富裕な貴族の家柄です。武家ではありませんわね。お婿さんとしては非常に有力視されていて、貴族の女性たちで作る情報ネットワークによると『お婿にしたいランキングトップ20』に入っています。ですが、女性問題はこれといって派手な見聞はありませんでしたわ。人柄は温厚、魅力もあるのに一切社交界にも顔を出さず、研究に没頭する“変わり者”といったところでしょうか。またそれが禁欲的だとか言うファンもいらっしゃるようです」

「あ、そ……」


 なんとも返事がしづらい報告だった。


「トウマ様は、いかが思われました?」

「いかがって……『そのまんま』だな、と。姫さんはどう思うんだ?」


 エレーナは小鳥のように小首を傾げる。


「非の打ち所のない方とお見受けします、履歴書としては。そう言えばトウマ様は、エルドスムスの家系の考え方についてご存知でしょうか?」

「全然! 戦争のことで、グレゴリアをぶっ飛ばしにきたのが初めてだったからな、エルドスムスに来たのは」


 エレーナは本を開いて、トウマに指し示す。枠囲みの中に名前が描かれたものが線で結ばれている。それが枝葉を伸ばす大樹のように連なっているのだ。


「これはリーダ様の家系図です。家系図とは、父母、祖父母、さらにその前の世代と、代々の家名が記されておりますの。エルドスムス王家は初代の聖剣の主であらせられたグランド様を開祖とした家系……といわれております」

「ンなこといったって、もう数千年も前の話だろ? グランドの成分もかなり薄くなってるんじゃねえの」


 トウマの言葉を王家への侮辱と思ったのか、侍女軍団の気配が張りつめた。だが姫は楽しそうに笑う。


「確かにそうですわ。血や遺伝子――子々孫々受け継がれる身体的な情報――は、もうグランド様を特定などできないでしょう。でも、自らを犠牲にして封印された贄神とその戦い……志。そういったものを伝えるのが、わたくしたち子孫の役目だと思うのです。そのためか、エルドスムスでは家系が非常に重視されてきました。長く続けば続くほど、未来に当時を伝えることができるからかもしれません」


 トウマは頭をかりかりと掻いた。


「オレにはよく分かんないな、そーいうの」

「その分、トウマ様は自由なのです。家にも伝承にも、何者にも縛られない……」


 羨ましそうにエレーナ姫は言った。


「そうだな……自由ってどのくらいのもんなのか、ってこともあるんだけど」


 トウマは何気なく自分の右手を見る。手甲のようにまとわりつく、赤い聖剣――比類なき“力”の象徴にして根元。


「縛られるものがちょっとくらいあったほうが、生きやすい――過去に何もないより、ずっと」


 辺境に捨てられ、拾われた。やっと得た居場所、親や仲間は戦火に消えた。喪っただけではない。トウマはその時、部族に残ることではなく一人旅立つことを決意した。

 

(――捨てたんだ。オレ自身が)


 力と未来を求めて彷徨い、仲間を得て、聖剣を手にした。今の有り様が、セイントが、やっと自分の手で勝ち取った居場所なのだ。だからトウマには過去がない。思い出はあっても、確かな痕跡がないのだった。


「こういうの、結構羨ましいよ。オレは辿ろうにも辿れない……何もない」


 エレーナが持った本を指さし、トウマはにかっと笑って見せた。エレーナは悲しげに目を伏せた。


「ごめんなさい……わたくし、トウマ様の気持ちも考えずに。ごめんなさい」

「あ、あのさ! 謝ってもらうようなこと、姫さんは言ってねえよ! 王家だとか貴族だとか、それだけで面倒なことだってあるだろ。オレもそういうのよくわかんねえから、さ」


 慌てて慰めにかかるトウマ。それを見て、ようやく強ばっていたエレーナの頬が緩んだ。


「ありがとうございます」

「礼を言われるようなこともしてねえって」

「でも。ありがとうございます」


 と、エレーナはにっこり笑った。そして本を差し出す。


「家系図は辿れるところまで辿っています。発祥はエルドスムス王家に近い筋の高貴な家柄でしたわ」

「うへぇ。んじゃ、キリクも数千年の歴史とか背負ってるわけか」


 トウマがなんとなく敗北感を感じていると、エレーナは首を左右に振った。


「ちょっと違うのです。発祥の家柄はとうに廃絶しているのですわ。血統としては続いていると言えますが、家そのものは滅びているのです」

「んんん? ちょっと待った、オレにも分かるように説明してくんないか?」


 はい、とエレーナは頷くと、本を脇にずらし、取り皿を前におく。砂糖壺から白と、ピンクに色づけされた角砂糖を二つずつ取り出して一組つづ並べた。


「この二つ並んだ白いお砂糖が元の家柄とお考えください。この家は2代から3代続いております」


 エレーナは白い角砂糖の一つを、ピンクの角砂糖の上に置く。


「白の家柄から養子、あるいは結婚して嫁ぐという形でピンクの家に入ります。そしてその後、何らかの理由で白い家系は断絶します。跡継ぎが誰もいなくなる状態ですね」


 トウマは砂糖を眺めながらうーんと頭を捻った。


「でも、養子に行ったか嫁に行ったかの白い砂糖が継げばいいんじゃねえの」

「一度生家から出た場合、また復帰することは大変難しいのです。『家系』という形式を承継するための仕組みとでもいいましょうか。その難しい手も敢えてとらず、次のピンクの家系に混じる」

「それって、変なことなのか?」

「いえ、他家に入り、生家が途絶えること自体はよくあるのですが……リーダ様のご先祖様の場合、それがかなり頻繁なのですわ」

「そんなの本人のせいじゃないだろ」

「勿論! 何のメリットもありませんもの。稀にこういう巡り合わせの血統……この場合家そのものは滅びていますから……が、あるのですが、家系を重視するノスワルドでは“滅びの血族”と言われて避けられております。“滅びの血族”と言われては大きな家柄の縁談はないでしょうから、徐々に廃れ、階級を落としていくものなのです」


 貴族社会も大変なんだな、とトウマは思った。背負いたくもない家の名前に縛られ、嫁いだり養子に入った先の家が傾けば彼らのせいになるのだろう。

 キリクもこれまで辛い目に遭ったかもしれない。そう考えると余計に、自分の行為がやましく思える。


「でも、リーダ様の血統が“滅びの血族”だという話は聞きません。“滅びの血族”というのは養子あるいは婚姻した代か、その次に跡継ぎがいなくなることを指します。リーダ様のご先祖様は一応3、4世代続いているので、こうして緻密に調べあげて並べて、先祖代々の生家が没落していることが初めてわかったのですわ」


 あーっ、とトウマは髪の毛の中に手をつっこんだ。


「なんかよくわかんねえけど、それはキリク個人に関係するもんじゃないんだろ? 自分の背負った看板がたまたま壊れかけっだったてな感じか?」


 トウマの例えに、ぷっとエレーナは吹き出した。


「面白い比喩ですわね! そう、そんな感じです。だからリーダ様をどういう人物か見極めるのは、実際にご覧になっているトウマ様次第なのですわ」


 それは最初から分かっていた答えだった。

 エレーナはトウマのカップを取り、壺に冷めてしまった紅茶を捨てた。そして新たに紅茶を淹れなおし、差し出す。


「わたくしはご存知のとおり城にこもりっきりで、他の人のことはよく分かりません。でも、誰かと比較しなくても、トウマ様は素敵だと思います」


 面と向かって女の子に誉められることは、もしかするとこれが初めてだったかもしれない。


「え、えっと……うん、サンキュ」


 トウマは照れながらも、にかっと笑ってみせた。心の中のもやもやしたものが、すっと晴れた気がした。



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