番外編 キャッシュレス騒動記
※第二部終了後の時間軸(未来ですね……)の予定になるかな……。
最近流行りのキャッシュレス決済ネタでの小話です。
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「あのっちょ、ちょっと待って……」
大きいタブレット端末に指を這わせようとした天竺蒼衣の動きが、ぴたりと止まる。
現在、夏季休暇中のピロート店内には客の姿はない。カウンターの中で四苦八苦する蒼衣と、カウンターの外でスマホを手に持ち、どこか楽し気な顔をした店長の東八代の二人だけである。
「……どこを触ればいいんだっけ」
タブレットの画面には、値段が表示され、支払い方法一覧が出ている状態である。
「ええと、恐れ入ります、支払い方法をもう一度教えて下さい」
「Poi-Poiで」
「……ぽ、ぽいぽい……?」
幼児語を言った訳ではないのは、流石の蒼衣でも分かっている。Poi-Poi――近年、利用者数が拡大しているというバーコード決済方法の名称。そして、この秋から「魔法菓子店 ピロート」でもレジを一新し、導入する予定である。
今日はそのためのレジ研修中。蒼衣が店員役、八代が客の役だ。
「あっなんか別のやつ押しちゃったどどどどうすれば戻るってあの横にある丸いボタン? だっけ?!」
慌てて端末の横にある「困ったらこれを押せ、とりあえず戻る」と教えられたボタンを押したが、画面が真っ暗になったため、蒼衣は「ひぃ!?」と動きが止まる。
「壊しちゃった?!」
顔面蒼白なりかけの蒼衣を見た八代は「とりあえずロールプレイ中断な~」と宣言し、カウンターの中に入った。
「ごめん八代、折角のタブレットを!」
「壊れてないから安心しろ~。ほれ、もっかいホームボタン押して。パスワード入れて……戻ったろ」
たどたどしくも操作をすれば、画面は先ほどの状態に戻った。
ああよかったぁ、と心の底から安堵する蒼衣を見て、八代が「うーん、予想以上だな」と苦笑する。
「ごめん、まだ覚えきれてなくて」
「初めて触ったタブレットが店のだもんなぁ」
「決済方法も多くて……く、クレジットカードですらいろいろ方法が違うんでしょう? これであの……ほら、電車乗るときのタッチするカード? とかで支払いとか……取り消し方法とか……よくわかんなくて……」
ああああ、と不安な要素を次々言葉にする。すると、不安がさらに大きくなり、頭がクラクラとしてきて、蒼衣は思わず額に手を当てる。
「安心しろ、画面の指示通りにやればできるし、マニュアルも傍に置いておくから」
「そ、そうだね」
八代が丁寧に教えてくれているのは理解できても、一切スマートフォンやタブレットの類をプライベートで所持していない……もっと言えば、パソコンですら普段使っていない蒼衣には、どの画面がどうなって、触ればどうなるのか、良くわからないままだ。
簡単に言えば、天竺蒼衣は電子機器――特に、スマートフォンやタブレット、パソコンなどのインターネットを介するものが苦手だ。
高校時代、インターネットで怪しいサイトに携帯メールアドレスを登録してしまい、大量のダイレクトメールが届いた失敗経験がある。それ以来、携帯のインターネット接続ですら、年に数回の状態だ。
プライベートならいざ知らず、仕事、しかも、まかりなりにも金銭が関わるもののため、不安はさらに大きい。
縋るようにマニュアルのファイルをめくるが、自分が何が分かっていてなにがわからないのかあいまいなままで、ううんと唸り声を上げるだけしかできない。
「お、ちょうど昼飯の時間だ……蒼衣、飯行こう、飯」
「えっもうそんな時間なの」
時計を見れば、既に十二時前だ。朝いちばんからタブレットレジ端末にかかり切りだったことに気づき、その間に覚えたことを思い出す。
「……この数時間で、タブレットの電源を入れることしか覚えてないかもしれない」
つまり、本題であるレジ操作と決済操作までまったくたどり着いていない。
「自分がすっごく情けなくなってきた」
「まー、大丈夫だって。こういうのは、慣れだから」
がっくりと肩を落とした蒼衣に、八代が明るく言う。
「さて飯、飯ねえ……いつものところでいいか」
いいよぉ、と返す声音も気力がない。蒼衣は、半ば八代に引きずられる形で車へと向かった。
「や~だ蒼衣くん! またげっそりして! ははんまた八っちゃんのしわざね! たくさん食べておいき、全部そこのボンクラ店長の名前でツケつけとくから!」
今日も今日とて元気な、中華料理『きんとうん』の女将・西セン子に圧倒されつつ、蒼衣と八代は盛りに盛られた定食メニューを食べ終えた。
「セン子さん、相変わらず蒼衣には甘い」
「でも今日は八代のも大盛りだったじゃないか。セン子さんは八代のこともちゃんと気にかけてるよ」
「それ、今日の食事代、俺のツケにするって宣言したからじゃないかな」
そんなたわいもないことを言いながらレジに向かうと、八代はなにか思いついたような顔になって「良い機会か」とひとりごちた。
「蒼衣、見てみろ。こういう風にお客さまからは見えるんだ」
八代が指さす場所を見れば、そこは見慣れたきんとうんのレジ前――の筈なのだが、なにやら最近見かけたステッカーやPOPがずらりと目に入る。
「もしかして、ええと、これが」
「セン子さんところも導入したんだなー、アレ」
良く見れば、蒼衣が格闘していた決済システムと同じものがある。
「ああこれね。面白そうだから導入したの」
セン子は難なくタブレットを操作し「八っちゃん、160万円じゃ」と『¥1600』の会計が表示された画面をこれ見よがしに見せつける。蒼衣は、自分よりも年上の人間が使っていることに改めてショックを受けたが、それは今に限ったことではない。
師匠ですらスマホとSNSを使いこなし、なんなら常連の三婦人らも毎回魔法菓子を写真におさめていたり、旅行の報告と称して撮った写真を見せてくる。彼女たち曰く「面白い玩具のようなもんだべ」というくらいの気軽さらしい。
持ち歩く携帯機器と、インターネットという「外」に繋がる怖さがいまだに紐づいている蒼衣には、楽しい玩具とも思えないのが現状だった。
「それじゃあ蒼衣、実際に支払ってみますか」
ほれ、と渡されたのは、八代のスマートフォンである。えっと戸惑っていると、「支払い専用機だし、横で俺が見てるから」と飄々と言うので、慌てて押し戻す。
「そんな、流石にマズイと思うんだけど」
「こんなことできるの蒼衣くらいだっつうの。普通はしません」
「やっぱりしないじゃないかあ」
「ああいうのは使ってナンボなんだよ、ほれ、ホーム画面にアプリのアイコンがあるだろ」
「あぷ……あいこん……?」
半ば強引に手の中に握らされたスマートフォンは、手のひら一杯の大きさで、普段触っている二つ折りの携帯電話(とはいっても、ほとんど電話を受けるだけのものと化しているが)の細さと違う感触だ。何事も無いように言われた「あぷり」「あいこん」なる単語も理解が追いつかず、動きが止まる。
八代が指さす絵をタッチする。そもそも、指だけで操作ができてしまうことすら、蒼衣には不思議に思える。
バーコードなどがある画面が開き、セン子さんが「Poi-Poiね。スマホこっちに見せて」と言うままに差し出す。慣れた手つきでバーコードリーダーで読み取り、会計完了まであっけなく終わった。
「わ……早い……魔法かSFみたいだ」
あまりの素早さに感心していると、横にいる八代が「それ、魔法菓子職人が言うか?」とからかうように言う。
「すごく簡単だったね。あと、おつりとか、間違えることもないし」
「使ってみれば、簡単だろ」
手数料がまあまあかかるのが難点よねぇ、なんて少しだけ愚痴るセン子にごちそうさまを言って、店を出た。
「決済、使わせてくれてありがとうね」
車に乗り込んだ後、礼と共に代金を八代に渡した蒼衣は、既に八代の手元に戻ったスマートフォンを見ながら言った。
「おまえが電子機器オンチというか……インターネットに繋がったものを苦手そうにしてるのは知ってたから、どうかなぁとは思ってたんだけど」
高校時代、半ば防犯のためにと持たされた携帯電話での失敗を思い出し、蒼衣は苦笑交じりで頬を掻く。
「一体これがどうして繋がるのか、どうなっちゃうのか怖くなって。新しいものって大体怖いこともセットでついつい遠ざかってたんだけど……八代が試させてくれて、少しは分かった気がした。便利だねえ」
「便利は便利だが……蒼衣の言う通り、必ず安全でもないのは確かだな。だから、お前の不安もわかるよ」
今や迷惑メールで済まない時代だもんなぁ、とぼやく八代を見て、蒼衣は「でもね」と続けた。
「使ってみて、そのツールの『いいこと』が実感できることもあるんだなあって。怖がって近寄らないままだと、これはわからなかったことだよね」
蒼衣にとって、自分の安全な場所であるピロートの厨房の外は、なにであろうと怖い『外の世界』だ。
三十路を過ぎても、こればかりはどうも克服できず、新しいものやひとを受け入れることが難しい。
だが、前に進むことや、新しいことに触れることは、己に新しい『世界』を見せてくれる。それは、お客さまの存在だったり、がむしゃらに頑張る価値観の違う弟子だったりする。
「なんとか使えるようにしたいから、その……」
少しだけ手を伸ばす勇気が蒼衣の中にあるのは、つい最近わかったことだ。
「わかってらあ。おまえが不安じゃなくなるまで、付き合うよ」
八代は「俺に任せろ」と言わんばかりの明朗快活な笑みを浮かべて蒼衣を見る。
「いつも、ありがとう」
新しいことに挑戦するたび、蒼衣の傍で見守ってくれるのは八代である。
「そりゃあもう、うちの名物パティシエがてきぱき働けるようになるなら、俺は手取り足取りお教えしますよぅ」
「うーん、流石敏腕店長さん」
「もっと褒めて褒めて。ついでに試作のお菓子もくれるとうれしい」
「えっ試作?! ああ、ええと、新作……もうちょっとでアイディアがまとまるかも……」
「お前のそういう真面目なところ、ほんと長所だよなぁ。いいことだ」
そんな気兼ねない会話をしながら再び店に戻った後、蒼衣はタブレットとスマホの画面に再度挑むのであった。
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その後、無事に新レジスターに切り替えた魔法菓子店ピロートであったが。
「あおちゃん、そのお客さんのアプリはあっぷでーとされとらんと教えてあげてや」
「あおちゃん、そのクレジットカードはかざすだけで大丈夫じゃ」
「あおちゃん、そのアプリでも決済できるなも。ああ、画面が反射しちょるけえ、もうちょっと離しておやり」
お客から出された決済画面やカードを見るたびに固まる蒼衣へ、常連の三婦人――ヨキ・コト・キクが鮮やかなアドバイスをする風景がしばらくあったのはまた、別の話である。
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