第53話 昭和19年11月、春香、親御さんと子供たちの面会日


 ここのところ、10日に1回の割合で親御さんたちが面会に来る。

 とはいっても、毎回、全員の親が来るわけではなくて抽籤で選ばれた人だけだ。学校によっては交代制で選んでいるらしい。


 まだ疎開が始まって3ヶ月。清玄寺での暮らしぶりがわからなくて、きっと親御さんも心配でたまらなかったんだろう。


 宿舎にはポストがあって、子供たちが盛んに親に手紙を出している。その返事もたくさん届いていて、子供たちが食い入るように読んでいた。


 手紙を待ち望む気持ち。それが私にはよく分かる。私も待ちつづけているから……。



 面会が近くなってきた子供たちと話をしていると、面会の日に砂糖菓子を持って来て下さいとお願いした子もいるらしい。実は面会の時の食べ物は禁止になっているんだけど、その気持ちはよくわかる。


 私も本当はお菓子も作ってあげたいけど、配給では砂糖が全然たりなくて、闇市でもの凄く高くてできないでいる。

 畑で甜菜も育てていたけど、突然の疎開の決定だったから、作付け量が不十分だった。それでも、料理に使うことができる程度はあるので助かっているけど。


 親御さんの中には子供宛に小包を送り、その中で衣類に挟んでわからないようにお菓子を送ってくる人もいるらしい。ただそういう小包は先生の前で開けさせられて、みんなに配るとして没収になっているとか。

 ……まあ、確かに平等の問題はあるから難しいといえば難しい。


 それで今では送ってくる場合は、全員分を送るようにと親御さんPTAたちに連絡が行っていて、たまに果物が箱で送られてきていた。


 親の不安といえば、ここ清玄寺のことではないけれど、子供たちがひどい扱いを受けているという噂が東京で流れていたらしい。


 これは前に面会に来た親御さんから聞いた話だ。

 なんでも手紙で、地方の親戚の家に預けられる形式の、縁故疎開にして欲しいと書いた子供もいるらしく、学区内でそういう話が広まっていたらしい。親御さんも心配するのは当然のことだ。

 そういう事情もあってか、初めての面会の時には親御さんがひどく涙ぐんでいた。


 少なくとも清玄寺に来た子供たちについては、そんな噂はすぐに無くなったようだけれど、面会に来る親御さんによっては学寮側のあら探しをしようという人もいるので、面会日のたびに私たちも緊張してしまう。


 それにね。そんな噂も食糧の点だけは事情がわかるんだ。

 子供たち1人あたりの食費が月に25円の計算なんだけれど、配給では足りないものも多く、かといって闇市で買うと高くついてしまう。

 結果、運営が厳しいところでは食事もわびしいものとなってしまっているんだろう。村全体で支えてくれる体制がないと、またあったとしても疎開してくる学童の人数が多すぎるところは大変だと思う。


 それはともかく今日の面会の予定では、午前は本堂での授業参観、そして、お昼を子供たちと一緒に食べてもらい、午後はゆったりと面会の時間となっている。


 幸いによく晴れているので、お昼は外で食べられるようにと、本堂前広場にテーブルを出すことにした。


 メニューは栗ご飯(ただし麦飯)に、秋野菜の素揚げ、豆腐とカブのおつゆ。時局柄かなりのご馳走だと思うけど、これも地方の農村だからできること。

 昨日から準備もしてきたし、この季節ならではの松守村のご馳走をぜひ楽しんでほしい。


 もう一つ狙いがあって、前の面会の時に、お土産のお菓子を食べ過ぎてお腹をこわす子供たちが続出したので、お腹をいっぱいにさせてそれを防ごうという意味もある。


 欲をいえば、お昆布をお土産で持って来てくれないかなとひそかに思っているけど、そこまでは望めないかな。

 あれば、美味しいお鍋を子供たちに食べさせてあげられるんだけど……。



 気持ちのよい朝の空気の中で、子供たちも手伝ってくれたのでテーブルの用意もスムーズにできた。


 そろそろ到着の予定だ。子供たちがソワソワしているので、直子さんも安恵さんも苦笑いをしている。しきりにお寺の山門さんもんをチラチラと見ていて、心ここにあらずの様子。


 直子さんに目配せをすると、微笑みながらうなずいて先生に何事かを言ってくれた。それを聞いた先生が、ちらりと私の方を見てうなずき、

「それでは山門にお迎えに行きましょう」

と子供たちに声をかける。


 途端にパッと笑顔になる子供たち。まだ到着はしていないよ、と心の中で突っ込むけれど、そうだよね。待ちきれないよね。

 あわただしく山門に向かう子供たちがほほ笑ましい。



 さてと、それはともかく私たちは次の準備をしないとね。


 親子の再会を見たい気持ちはあるけれど、その場は直子さんにお任せして私と安恵さんはお寺の厨房ちゅうぼうに向かった。



 無事に親御さんたちが到着し、お茶出しも終え、今はスケジュール通りに授業参観をしている時間帯。私たちはお昼ご飯の準備で大忙しだ。


 栗ご飯はもうき上がっていておひつに移し済み。ミカンの房のようにくし形に切ったカブは、煮崩れしないように面取りをして既に下茹したゆでをした上で、豆腐と一緒におわんによそってある。後は温めたおつゆを入れるだけ。


 というわけで、残りは野菜の素揚すあげ。食材は、一口大に切ったナス、ニンジン、じゃがいも、サツマイモ、カボチャにとってきたシメジまで。

 純粋な素揚げではなく、アレンジとして片栗粉少々と例の謎の粉生大豆粉をまぶしてある。


 私は大きな中華鍋の前に陣取り、油に次々にお野菜を投入しては揚がったお野菜をトレーに移していく。

 出汁つゆがあれば、揚げ浸しになって冷めても美味しいんだけど、それが無い以上、揚げ物は冷めちゃうと美味しくない。食事時間を計算して調理するのが重要なんだよね。


 トレーが一杯になるとそれを安恵さんに手渡し、安恵さんが塩を振ってから個別のお皿に盛りつけていく。


 廊下から直子さんがやってきた。

「今、午前の授業が終わりました!」

「オッケー! じゃあ、食当食事当番さんに先に栗ご飯を。美子よしこさん。すみませんがカブ汁の方を」


 結局、寮母じゃないけれど美子さんにお願いをしてしまう。

 ……まあ、私も寮母としての給料は返上しているから、厳密に寮母といえるか微妙だけどね。浮いたお金は食費に回してもらっているわけで、私はそれで納得している。


「わかりました。御仏使様」

といいつつ、美子さんが私の隣にやってきて、寸胴鍋すんどうなべをかき混ぜながら温度を見ている。今日は外での食事だから、あの寸胴ごと持っていって現地でお椀によそう予定だ。


「よっと。終了っ」

 私の方の素揚げが終わる。そのまま塩をさっと振って、最後のお皿に盛り付けを行った。


 その間にも、食事当番食当さんの子供たちがおひつを持っていき、素揚げのお皿を並べたもろ箱番重を順番に持っていってくれている。


 温め終わった寸胴は危ないので私たち寮母で運ぼう。全部で3つ。こぼしたら大変だから、台車を使うことにする。


 厨房の勝手口に台車を持って来て、そこに寸胴を並べる。途中でひっくり返らないようにひもで固定。厨房の片付けに美子さんと安恵さんを残し、私と直子さんで食事会場に向かった。


 厨房から出ると、秋の涼やかな空気が汗ばんだ肌に心地よい。山々がちょうど紅葉のシーズンを迎えていて、赤や黄色に染まっていた。

 調理が終わって一息つきたくなるけれど、もうちょっとの辛抱だね。


 外の会場では、すでに子供たちが座って待っていた。親御さんのいる子供たちは別のテーブルにまとめられているようだ。


 お鍋を台車から配膳台はいぜんだいに移し、さっそくおたまを持ってお椀にお汁をよそっていく。完成したカブ汁は食当さんが次々に配っていった。

 そして、すべての準備が終わると、先生の唱導で「いただきます」。爽やかな秋空の下での食事会がはじまった。


 その光景を見ながら、配膳台のところでイスに座る私と直子さん。

「終わりましたね」

と言って手ぬぐいで汗をく直子さんに、

「そうだね。お疲れさま」

と声をかける。今日の料理は力を入れただけあって、親御さんも美味しそうに食べているようだ。


 うんうん。大成功。

 時期も良かったね。秋の味覚の揃ったころだったから。


 東京ではかなりの食糧難だと聞く。

 婦人雑誌でも野草の食べ方どころじゃなくて、防空壕内で食べる防空食、屋外で食べる戦場食なんて言葉が現れて、水団すいとんも小麦粉じゃなくて、芋や大豆の水団を紹介していた。驚いたのは毒があるはずのジャガイモの芽までも、熱を加えれば大丈夫とばかりに食材として扱っていたことだ。


 東京ではそんな有様だから、きっと親御さんのなかには、帰る前に野菜の買い付けをしようという人もいるに違いない。


 子供たちもいつもより美味しいご飯にうれしそうに食べている。量もいつもより多めにしてあるけれど足りるかな?

 ……まあ、その分、明日から水団すいとんやうどんが増えちゃうと思うけど。それは言わないでおこう。


 美味しそうに食べているみんなを見ていると、やり遂げたという充足感が湧いてきた。――さ、私もここでお昼をいただくことにしようか。




 私なりに大満足のお昼が終わると、午後はそのまま面会となる。

 親御さんの来ていない子供たちと一緒にお昼の片付けを済ませ、少し本堂の様子をのぞいてみた。


 親子で写真を撮っている男の子の家族。

 広げられたお土産を嬉しそうに見ている女の子。

 子供の成長を確かめるように体を撫でている親。

 来られない親御さんから預かったお土産を、その子を呼んで渡している人。


 自宅ではないからか。はたまた久しぶりに会う親子だからか。どことなくぎこちなく、それでいて余計にはしゃいでいるような空気。


 これからも面会の機会はあるだろうけれど、親子にとっては許可が無ければ会うこともできない。だから今日は特別な一日。

 明日にはまた離ればなれになるのだからこそ、せめて今日は最後まで楽しく過ごして欲しい。


 松守村での出来事を一生懸命しゃべっている男の子を見て、切にそう願った。



 親御さんたちが帰るや、涙ぐむ子供たちをなだめ、どうにか面会の一日が終わった。


 夜ご飯は予想していたとおり、あまり食べられない子もいた。きっと面会で禁止されている食べ物を、こっそりと食べてしまったんだろう。


 気持ちがわかるだけに仕方がないことだと思う。


 全体的に、祭りの後のような一種独特の寂しい空気が漂っている。……また今日は布団の中で泣いちゃう子供がいそうだ。


 そんなことを考えていたのがいけなかったのか、点呼集合までの時間を厨房で後片付けしていると、突然、青木先生が走り込んできた。


「子供が倒れました。最寄りの病院はどこですか」


 倒れた? どういう様子なの? 最寄りの病院っていったって黒磯に行かないと無いんだけど。


 あわててれた手をエプロンで拭いて、

「容態は? どこに?」

「腹痛です。また何か食べたんでしょう。……まったく」

「すぐに案内して下さい。――美子さん。黒磯のいつもの病院に連絡しておいて下さい」


 美子さんにそう言い置いて、先生をかして子供のところに行くと、倒れているのは4年生の女の子だった。

「優子、しっかりしろ!」

 名前は石田優子。6年生のお兄ちゃんの和則かずのりくんが心配そうに声をかけている。


「はいはい。どいて!」

と集まっている子供をどかして、心配そうな和則くんにも横にどいてもらい倒れている優子ちゃんの様子を見る。

 苦痛に歪んだ顔。お腹を押さえて脂汗を流している。

「――お腹が痛いのね。くだしそう? いたりした?」


 首を横に振る優子ちゃんを見て、お兄ちゃんに、

「面会の時に何か食べた?」

「く、クッキーを食べました」

「優子ちゃんは食べられないものとかあった? 食べると具合が悪くなるようなものとか」

「特にないです」


 心配げなお兄ちゃんの横顔をチラリと見て、優子ちゃんの様子を見る。

 ふむ。……食あたりでは無さそうね。

 とすると原因が分からない以上は、往診おうしんをお願いするよりも、病院に連れて行った方がいいだろう。


 私の隣で先生が和則くんをしかり飛ばしている。

「馬鹿者! 面会で食べ物をもらうのは禁止と言ったろうが。それを守らないからこういうことになるんだ!」

「すみませんでしたっ」


 そうじゃない可能性も高いけどね。

 もっとも面会に備えて、パンやお菓子など、親御さんが何日もかけて集めたような食料品は、すでに傷んでいる場合もある。今までに面会後に激しい下痢になった子がいたけれど、原因はそこにあると思う。


「先生。この子を病院に連れて行きます。念のため、家族ということでお兄ちゃんにも来てもらいます」

「私も一緒に行きます」

「いえ。先生には他の子の様子を見ていて下さい。また具合が悪くなる子がいるかもしれません」

「……そうですな」


 顔をしかめている。本当はご自分も一緒に来たいんだろう。子供思いなのはわかるけど、先生にはここにいてもらいたい。

 私はすぐに厨房にとって返した。


「美子さん。黒磯の病院に連れて行きます。……他に具合が悪い子が出たら、例の救急箱から征露丸せいろがんやワカモトを。場合によっては電話をお願いします」

「わかりました」


 そのまま財布を手にして勝手口から出ようとすると、直子さんが、

「こんなに暗いのに。大丈夫なんですか?」

と言う。


 ああ、この人は村の人じゃないから知らないんだっけ。


「大丈夫よ。――車で行ってくるから。私、免許持ってるんだよね」

「ええっ」

「じゃ、そういうことで。優子ちゃんを玄関までお願いしますね」


 そう言って返事を待つことなく、私は外に飛び出した。


 暗い中を蔵のそばに行き、車を覆っていたカバーを外す。誰も見ていないから、神力使いまくりだけど、まあいいよね?



 この車自体、状態保存の封印をしておいたからシートに汚れもないし、タンクのガソリンが古くなったり、どこか詰まったりして調子が悪くなることもない。

 木炭? 今は緊急事態だから、そんなのしらない。


 そのまま運転席に飛び乗って、キーをひねってエンジンをかけ、ゆっくりとスタートさせた。



 宿舎の玄関まで行くと、こんな田舎に車があったことに驚いたんだろうか、子供たちが窓からこっちを見ていた。

 先生も驚きの表情で立ちすくんでいるけれど、まあ放置しておこう。


 直子さんと安恵さんに抱えられた優子ちゃんを後部座席に横にならせ、そのそばにお兄ちゃんの和則くんにいてもらう。

「いい? 少しでも楽な姿勢を取るのよ。すぐ着くから頑張って」



 心配げな子供たちに見送られ、私は静かに車を発進させた。



 村には病院も診療所も無い。

 もし急病の人が出たらその症状を見て、先生に来てもらうか、こっちから行くかなんだけれど、そのお世話になっている病院が黒磯の後藤病院だ。


 地方にはありがたく、まだ若い30歳くらいの先生で、村でお世話になっていることが分かってから、夏樹が多少の設備を寄付していた記憶がある。

 以前、簡単な手術ならできた方がいいだろうからって言っていたのを覚えている。


 暗い道をなるべく振動を抑えながら、かつ車を急がせる。

う~んう~んという声を聞きながら、ようやく黒磯の町に入り、静かな夜の通りを後藤病院に向かった。


 夜の商店街はどこか気味が悪い。しかも消灯時間を過ぎているから真っ暗になっている。

 静かな街を走らせていると、不意に犬の吠え声が聞こえてドキッとしてしまった。


 後藤病院に到着すると、病院の玄関は明かりがついてかぎが開いていた。さきに清玄寺から連絡が行っているはずだから既に待ってくれているんだろう。


 車を停めて先にお兄ちゃんに降りてもらい、私が優子ちゃんを抱きかかえて病院に入った。

「こんばんはっ。先生、連絡していた清玄寺です」


 すると奥から先生が、看護婦である奥さんを連れてやって来た。

「早かったですね。さ、すぐに診察室に」

とドアを開けてくれたので、そのまま診察室に入り、寝台しんだいに優子ちゃんを寝かせた。


 私には詳しい状況がわからないので、先生の質問には和則かずのりくんに答えてもらう。私は、その間、診察の様子をながめているだけだ。


 お腹を出させて、手でゆっくりと押さえ痛みの場所を確認し、いつから痛いのか、その痛み方などを質問し、下痢げり、食欲などを尋ねている。その間に先生の奥さんは血圧を測ったり体温を測ったりと忙しく動いていた。


 先生が下した診断は、

虫垂炎ちゅうすいえんですね。早期手術をした方がいい」

 即座にお願いすると、鎮痛剤を打って、すぐに手術の準備を調えてくださるという。


 よかった。盲腸だったんだ。

 ほっとひと安心した私だったが、和則くんが暗い表情をしているのに気がついた。

「え? 優子ちゃんは大丈夫だよ。先生が手術してくれるって」

 けれど、和則くんは青い顔をしたままで手をギュッと握りしめている。


 あ。もしかして「手術」が怖いのか。


 見ると優子ちゃんの顔色も悪い。

 私は2人を安心させようと、

「大丈夫。手術が遅れちゃうと危険だけど、優子ちゃんみたいに早いうちなら、ほぼ確実に成功するから。年間に何人も手術しているんだし」

と言うが、まだ信じ切れないのだろう。優子ちゃんは不安げに小さくうなずいていた。


 お兄ちゃんが寝台のそばに行き、その優子ちゃんの手を握っている。

 私はそんな2人の頭を撫でて、「大丈夫。心配はいらないから、先生を信じて。ね?」と言いつづけた。


 ここには親はおらず、兄妹2人しかいない。だから尚のこと怖いんだろうか。

 だけど虫垂炎の致命率は、この時代もそこまで高くはない。危険なのは、単なる腹痛だと甘く見て病院に行かず、診断が遅れて体内ではじけちゃっていた場合だ。優子ちゃんの場合は、そうではないから大丈夫なんだよ。


 ただ、それは2人には言っても分からないだろうね……。よしんば分かっていたとしても、やはり手術は怖いものかもしれないけど。


 やがて看護婦の奥さんが準備ができたと呼びに来たので、私と2人でストレッチャーに載せ替えた。

 心配げな2人の様子を見て、奥さんは安心させるように穏やかに微笑んで、


「大丈夫。私の旦那はね。名医だから、虫垂炎なんてスパッと直しちゃうのよ。優子ちゃんもちょっと寝ているうちに終わるからね。

 ……ただし、終わった後の方が注意しなきゃいけない事が多いから、ちゃんと言うことを聞いてね」


 すると2人の様子が少し落ちついていく。

 私が言っても駄目だったけれど、不思議と看護婦さんが言ってくれると不安がおさまったようだ。……よかった。

 そういえば同じ経験は私にもある。お父さんの入院の時がそうだった。夏樹と慌てて病棟に駆け込んだんだけど、看護婦さんの一言で落ちついちゃったんだよね。


 私も優子ちゃんに「じゃ、待っているから行ってらっしゃいね」と声をかけ、そのままお兄ちゃんと待たせてもらうことにした。


 あ、電話をお借りして清玄寺に連絡しなきゃいけなかった。……でも、もう始まっちゃったから、終わるまで待つしかないかな。

 心配しているだろうけど、しょうがない。


 手術の結果はもちろん無事に成功。ただし、優子ちゃんは入院となった。

 清玄寺に電話した時には、夜の12時近かったけれど、恵海さんや青木先生、直子さんもまだ起きていて、連絡を今か今かと待っている様子だった。


 心の中で悪いことをしちゃったなと思いながら、虫垂炎のこと、手術のことを報告。向こうも安心したようだった。


 それから疎開学童がいるのに村には病院も診療所もないということで、先生の方から10日に1度、往診してくれると申し出をいただいた。これは子供たちにとっても、村にとってもとてもありがたい。


 先生にお礼を言って、私は和則くんを乗せて再び車を走らせた。

 静かな夜を車のエンジン音だけが響いている。町を出てからつけた2つのライトに、浮かび上がっているのは村へと続く道。

 お兄ちゃんは安心したら急に疲れが出ちゃったらしく、後部座席で寝てしまっている。


 それにしても、子供たちが来てから実にあわただしく、色んな出来事が起きるものだ。でも、それが育てるってことでもあるんだろう。

 ハンドルを握りながら、急に疲労におそわれて小さくため息をつく。遠くの山の端には月が昇りかけていた。

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