第41話 挿話 ビジェンプール、壮烈なる散華

挿話ですので読み飛ばしていただいても。弓師団最前線の一コマ。

――――


 牟田口司令官の不退の信念のもとに強行されてきたウ号インパール作戦は、このころ大きな行き詰まりを見せていた。


 インパールの北方の山中では、佐藤幸徳師団長が率いる烈師団がコヒマを占領し、日本国内でも大きく報道された。牟田口司令官がもっとも期待を寄せていた部隊だ。しかし、そのままディマプールまで進軍させようとしたところで、第15軍の上のビルマ方面軍から止められてしまった。


 しかも、その実態は占領したのはコヒマの町であって、敵のコヒマ陣地は落とせていなかった。幾つものこぶ山のそれぞれに、互いが連携し合うように英印軍が陣を構えていて、攻める日本軍の損害が増えるばかり。

 何よりも第15軍が約束していた糧秣りょうまつ・弾薬の補給は、後方を敵空挺団に遮断されたこともあって、一度も補給されなかった。


 もともと皇道派の牟田口司令官に対して、統制派の佐藤幸徳師団長は仲が悪く、しかもウ号作戦に反対していた。懸念通りの補給の問題に直面し、佐藤師団長は激怒。補給できるところまで後退するとして、宮崎支隊を残して勝手に師団を下げさせた。


 インパールの北方に出た祭師団も、蜂の巣陣形と呼ばれる強固な敵陣を打ち破ることができず、むしろ反撃されて山中を散り散りになる始末だった。やはり補給が一切されず。もう食料も弾薬も限界に来ていたのだ。


 弓33師団の右突山本連隊も、インパール平原入り口のパレルで激戦を繰り返していた。実は方面軍はこの山本支隊に期待を寄せて攻撃の重点大本命にするつもりだった。しかしどこですれ違ったものか、この重点を牟田口司令官はインパール平原西側に進出した、笹原・作間の両連隊に持っていくことにした。


 自らも第15軍の司令部とともに弓33師団の司令部があるモロウへと行ったのはその表れだった。自ら指揮を執りインパールへ進撃する。

 しかし、その野望も今、英印軍の強固な陣営によって阻まれていた。


 モローの師団の前に、森やアンテナ高地と呼ばれる複数の敵陣があり、司令部を圧迫。

 笹原連隊もビジェンプールをいまだに攻略できず、今は攻撃の矛先を、この森やアンテナの敵陣へと移していた。

 しかし、敵の砲弾と戦車攻撃に、いくら肉迫して突撃を繰り返そうと勝てるものではない。

 この頃になると、敵陣の拡声器や戦車から投降を勧める放送が流れ出した。


「勇敢な第33師団の兵隊さん。私たちはあなた方が白虎部隊という強い部隊であることを知っています。――これから懐かしい日本の音楽とニュースを贈ります。放送中は絶対に射撃しませんから、安心してお聞き下さい」


 微妙におかしなイントネーションの日本語で、こう前置きすると、『つばめ』『愛染かつら』『東京ラプソディ』など懐かしい歌が流れた。思わずしみじみとしてしまう兵士も出たという。


「これは鉄と肉の戦いです。無駄口牟田口の作戦など私たちはみんな知っています。戦争など止めてこっちに来ませんか。――それでは、これから砲撃を開始しますから、兵隊さんは壕のなかへ、将校は壕の外に残ってください」


 この放送が終わった途端に、大量の砲撃が日本軍の陣地へと降り注いだ。



 作間連隊は、森・アンテナ高地周辺の敵軍のさらに背後に回っており、牟田口司令官はこの作間連隊にインパールへの攻撃をさせるつもりでいたが、5月中頃、師団の総力を挙げてビジェンプールを前後から挟撃して奪取する総攻撃を計画した。

 南側からは笹原連隊や戦車・砲兵隊が、そして、北からは作間連隊が突撃するという計画である。


 この攻撃に間に合うように、トンザンよりさらに南の警備任務についていた田中第3大隊を呼び寄せたが、大隊長の田中は極度の臆病でちょっと歩いては小休止、雨が降ったら大休止の案配で、到着がはなはだしく遅れている有様ありさまだった。


 5月20日の夜、作間連隊第1大隊380名は、森谷新大隊長の指揮の下でビジェンプール北方を奇襲きしゅうし成功。

 ただちに壕を堀って敵の反撃に備えたものの、翌21日には敵歩兵と戦車の地上攻撃を受けて、空からは20機を越える爆撃機が順番に降下して爆弾を落としていく猛攻を受け、為す術もなく後退することになった。


 ……もう作間連隊には対戦車火器も鉄条網も残っていなかったし、南からの攻撃はそもそもビジェンプールまで届かず、単独攻撃となっていた。135名が戦死し、作戦は失敗に終わる。


 作戦通りに南からも攻めてもらわないと、このままでは突入した部隊は全滅する。

 しかし、作戦主任の山守大尉が師団本部に連絡を取ったところ、ビジェンプール南にも敵が出て、トルブンも抑えられ、準備不足、輸送不足であと1両日はかかるとのことだった。


 これを聞いた作間連隊長は激怒し、電話越しに師団の田中参謀長を怒鳴りつけた。


「師団は作間部隊を見殺しにするつもりかっ。作間の兵隊は食えなくたって突入したぞっ。――こんな馬鹿な戦があるかっ。いいか。今すぐに出せ! どんな方法でもいいから、今すぐに援軍を出せ! 作間の部隊は全滅するぞっ」


 しかし、一方で撤退はできなかった。もしも南にいる笹原や戦車隊が攻撃したときに、自分たちもビジェンプールを攻撃していないと、今度は笹原たちが無駄死にしてしまう。

 苦悩する作間連隊長だったが、ビジェンプールを死守せよとの師団命令には変更は無い。

 ……ならば再び部隊を突入させねばならない。


 行くなら第1大隊だが、すでに大隊長、中隊長、小隊長の全員が戦死しているようだ。残存兵力をまとめ上げ新たに指揮をする者が必要だ。


 連隊長の前には、河合連隊副官、作戦主任の山守大尉、情報将校の長中尉の3人がいる。誰もが死地に赴くことを覚悟していた。


 苦悩の末に長中尉に下達しようとしたとき、山守大尉が進み出て、

「連隊長。自分をやって下さい。自分の第1中隊はビジェンプールに突入して全滅しました。自分の中隊です。どうかこの山守を、行かせて下さい」

と申し出た。

 作間連隊長は胸にこみ上げてくるものを、ぐっと堪え、静かに「そうか。山守、行ってくれるか」と言った。


 長中尉は胸に一枚の写真を持っていた。

 足利出身の中尉には、思いを寄せてくれる女性がいた。そして、中尉もその女性に思いを寄せていたのだ。しかし、自分が行くのは死地である。「結婚して下さい」と強く訴えるその女性に「自分よりもっと貴女にふさわしい人がいるから」と固辞していた。

 けれどその瞬間、中尉にとってその女性は心の妻となった。ひそかにその写真を持っている。中尉はそういう人だった。すでに決死の覚悟はできていたのだ。


 山守大尉が「自分を」と進言したのは、長中尉は連隊に必要だと思ったのではないか。または、自分ならビジェンプールの司令部をやれるとの思いがあったのではないだろうか。


 これから100%帰ることができない死地に向かう。

 死を決した山守大尉は穏やかな心境で、通信紙に、

「立派な死に所を、喜んで出発します。骨は一片も残りません。後に禍根かこんは残してありませんからご安心下さい。なお、長年、当番兵として尽くしてくれた益子平八郎兵長宅に百円送金を依頼してあります。――死を決して安らかなり」

と書き残した。



 第1大隊の本部があるブンデの部落では、先のビジェンプールから撤退てったいしてきた兵士が三々五々に逃げ延びてきていた。山守大尉は、再度のビジェンプール攻撃を伝え、部隊の編成に努めていた。

 けれどもどの兵士も満身創痍まんしんそういで、戦意も低い。ノロノロと集まる様は敗残兵のそれであった。

 かろうじて集まったのは第4中隊、佐藤政春准尉を長とする12名の兵。さらに第3中隊、各中隊のわずかばかりの兵。合計35名ほどだった。


 軍刀をスラッと抜いた山守大尉は、

「これからビジェンプールの司令部に突入して陣地を死守する! 貴様らの命は俺がもらう。命の惜しい者は即刻申し出よ! 出発に当たって処断する!

 ――白虎部隊の名誉にかけて、陣地を死守し、他部隊の突入を待つ!」

と訓示した。


 夕闇に紛れて部落民の使う間道を進んだ一行だが、第4中隊、第3中隊は前進するものの、他の隊員は戦意を失っていて闇に紛れて一人ずつ減っていった。


 やがて平地の見える丘で休止をした時には、すでに22名ほどになっている。待てど暮らせど後続は来ない。

 これも仕方ないかと諦めた。


 山守大尉はとっておきの興亜という白い上質な煙草を取り出した。

「これが最後だ。全部分け合って吸え」

 お互いにしみじみとした感慨で吸いながら、大尉の指示を聞く。


「この丘を降りて道路に出て、竹林の奥に敵高級司令部が隠されている。……全員でそこに突入するぞ」


 誰もが黙して聞いている。最後の煙草を吸い終えるや、大尉が力強い声で詩を吟じ始めた。

 その声を聞いているうちに兵士たちは生死を超越した境地に入り、ただ「命令のままに戦うのみ」と独特の安らかな気持ちとなっていた。


 静かに丘を降りる一行。路上に敵トラックが数量あるが敵影はない。道路の左側に盛り上がった台地がある。そのままその台地に向かってのぼっていった。


 おもむろに、すっと山守大尉が停止を命じた。

歩哨ほしょうがいる。――俺が行く」

 そういうや、大尉はさっと駆け寄るや軍刀で抜き打ちに歩哨に切りつけた。


 ――次の瞬間、足元の壕より自動小銃で撃たれ銃弾が次々に大尉の体にめり込む。

 ぐっと唇をかみしめた大尉は、銃身を左手でつかみ軍刀を振り下ろし、壮絶な戦死を遂げた。



 台地だと思ったのは敵の掩蓋えんがい陣地だったのだ。鉄条網もなかったので気がつかなかったのだった。

 第4中隊の佐藤准尉が、すぐに中隊全員の手榴弾しゅりゅうだんを集めさせ、「これから俺が敵陣地に投げ込む。――お前たちはさがれっ」


 そのまま手榴弾をポケットに入れ、准尉は掩蓋えんがい陣地に駆け上った。まるで忍者のように、陣地の空気穴から次々に手榴弾を投下し、あちこちで爆発が起きる。


 突然、ポシュンッと音がするや、照明弾があかあかと輝いて強い光が一帯を照らす。露見した准尉に射撃が集中した。

 その場に倒れた佐藤准尉は、必死の形相で力を振り絞り両手の手榴弾を同時に発火させた。1個は敵陣に投げ込み。…………そして、「万歳っ」と叫んで残る1個を抱え込んで自爆。見事な最期を遂げた。


「うおおっ。とつげきぃぃ!」

 残った兵士たちは「さがれ」と命じられたにもかかわらず、弔い合戦、先にった2人に遅れてなるものかとばかりに、敵陣めがけて吶喊とっかん。たちまちに手榴弾や自動小銃が、勇壮なる20名の突撃部隊に集中した。


 爆発する土砂をかいくぐり、銃弾を体に受けて倒れ伏し、それでもまた別の者が前へ前へと突き進む。


 ――やがて、銃声が止んだとき。部隊は文字通り全滅した。



 静かになった夜に、作間連隊長の目に涙がにじんでいた。


 遂に平地方面の援護がないまま10日が過ぎ、6月28日、師団から派遣されてきた岡本参謀が撤退を進言、師団に連絡し、作間連隊は撤退することになった。


 第1大隊、第2大隊合わせて920名中、生還者はわずか54名だった。

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