第57話 地下世界37-2
『なるほど。アイリスに戻ったら資産家の家が崩壊していて驚いたが合点がいったよ。まさかとは思っていたがスバルとリナであのボンボン息子を討ち取ったのか』
口を動かすことなく≪精神的集団連鎖≫の効果で脳内に思念が流れてくる。
黒龍に操られ暴れまわった話をし終わるとレイナールは顎を手で撫で、何度も首を縦に小さく揺らした。
一応、ブラウに怪しまれないよう声を出して別の取り留めのない話もしている。
俺がレイナールから聞いた話はココの話を補完する程度のもので特に真新しい情報はない。
ルクルドの街の若い衆、族長の娘が俺に喧嘩を吹っ掛けてきた熊獣人とその取り巻きを引き連れてクーデターを起こした。
穏健そうな族長の指示ではないのが判明して得心がいったのはつい数時間前だ。
彼らは集落の若者全員で黒龍に先制攻撃をしかければどうにかなると考え、それを実行した。
その無謀な攻撃は黒龍に届くことはなく、ココとレイナール、フラーラ、エリスの四人に止められてしまったが。
けれど、族長の娘の行動を一概に責めることもできない。
黒龍のあの力は洞窟全てに轟いたはずだ。
巨大な力を前にして街を捨て逃げ出すか、街を守るため勝算の薄い戦いを挑むか。
苦渋の決断ではあっただろう。
その判断は族長の娘にとっては街に降りかかる恐怖を振り払い、街の住民全てを守るための行動であったことは間違いない。
俺は黒龍に従うより生き残る道はなかった。
突然黒龍との戦いが始まるという異常事態でもなけば、あの圧力を感じて冷静な判断を下せるのか俺自身も怪しい。
……まぁ今となっては塵すら残らず滅びた街だ。
考えてもしょうがない。
『あの鼻持ちならないミッド・ポーカーが死んでくれたのはいいニュースだが、この件は色々尾を引きそうだ。すでに犯人捜しは始まってる』
レイナールは嬉しそうにナッツを頬張った。
交渉を担っているだけのことはあり、以前から街の有力な資産家であったミッド・ポーカーとも交友があったようだ。
最も死んで喜んでいるあたり好感は抱いていなかったようだが。
『ボク達には関係ないけど、スバルとリナには問題大ありだね』
『聞いた話じゃ白龍や黒龍の戦いの残滓のせいでそっちの下手人の痕跡がほぼ拾えないようだな。スバル達が捕まる可能性は殆どないとみて良いだろうな』
『それを聞いて安心しました』
リナがほっと胸をなでおろす。
直接手を下しただけにかなり心配してようだ。
『ポーカーの殺害は問題ないが、後始末に苦戦しそうだよ』
送られてくる念話は精神状態が作用するせいでレイナールの陰鬱な気持ちがストレートに伝わってきた。
『栄華を誇ったポーカー一族もこれで終わりそうだ。私としてはうれしいが結族としては遺産相続に後継者問題、一波乱も二波乱もありそうで気が気じゃない。昨日の今日で皆が皆、一番遺産をもらうべきだと騒ぎ立てているようだしな。中にはすでに美術品の売却を始めてる奥方もいるようだ』
『そりゃなんとも気が早い……』
『スバルが暴れている中生き残っただけのことはあって奥方連中はみんな気が強い。これだから私は巨人が苦手なんだよ……全くミッド・ポーカーもなんで巨人ばかり娶ったのか私にはわからないな』
レイナールの独白には多分に実感が込められているように思える。
過去に何か巨人とトラブルでもあったのだろうか。
『ボクは巨人よりも龍に苦手意識ができちゃったよ。思い返せばよくもまぁあんなでたらめな龍に喧嘩吹っ掛けようなんて言ったもんだよね。あの洞窟の惨状見た? 亜龍の見た目のときにいけそうだって思ったのが恥ずかしいよ』
目を閉じればすぐにでも思い出せる最後の洞窟での出来事。
黒龍が放ったサイオニックは俺達の予想を遥かに裏切り空洞全てを灰燼と化していた。
感動すら覚える綺麗な密林もルクルドの人々が住んでいたゲルや木の小屋も例外なく灰と成り果て見る影もない。
その場から洞窟の端まですべてが消えさり壁まで何もかも消失していた。
焦げた広場はさらに高温で熱せられたのか土がガラスのように硬質化していた程だ。
転送サービスを早めによこしてもらうように≪伝言≫を伝えている間、全員のテンションは最悪だった。
思えばあの時に最低限の情報交換ぐらい済ませておけばよかったかもしれない。
疲れ果てた俺達にそんな余裕はなかったが。
その時の事を思い出しているのか、それとも黒龍が致命的な一撃を放つ少し前のことを思い出しているのか、リナの表情が曇った。
『その件については私も反省している』
『気持ちはーー物で示しーーれると有がーー』
念話の音が徐々にかすれ、ココの思念が薄れ始めた。
長々と話したせいでどうやら効果時間の限界のようだ。
「っとと、そろそろ秘術の効果時間も切れそうだけど追加で使う?」
ココが腰のポーチから宝石を取りだし、指で掲げる。
「いや、この辺で内緒話は終わりでいいだろう。あとは全員で疲れを癒すことにしようか」
レイナールの言葉を合図に、途切れかけた精神的なつながりが完全に断たれる。
奇妙な喪失感と共に秘密の会議が終了した。
各々が酒に肴に摘まみ始める。
ココとリナは今回の依頼の報酬を何に使うかを話し合い、フラーラはカモフラージュのためにしていた話に夢中になりすぎてエリスに絡み酒だ。
たしかフラーラはコボルトとの宴会の時もすぐに潰れていた気がする。
元来そういう性質なのかもしれない。
皆に倣い串焼きを手に取った時、ふと、帰りに見た街の様子を思い出した。
所々壊れた建物に、何故かテーブルや屋台がいくつも並べられお祭り騒ぎの大通り。
頭に過った疑問を一番詳しいであろうレイナールにぶつけた。
「そういえば、じっくりと見てなかったけどアイリスの被害はどれくらいなんだ? 結族のほうには詳細な情報が集まってるんじゃないか?」
「ざっとした情報しか入ってきてないが、あまり酷い事にはなってじはいないみたいだな。流石は白龍が出張って守っただけのことはある。復興には二日と掛からないだろうな」
「意外と早いな」
「もっとも修理されないほうが好都合な店もありそうだが」
壊れたままの方が良いという含みのある言い方。
そんな店なんてあるのだろうか。
ぱっと、思いついたのは大通りに並べられた幾つものテーブル。
「……もしかして『木漏れ日酒場』の事か? あそこ建物は倒壊してるわ人だかりが凄いわで詳しく見てないんだけど」
「見てないわけがないか。そうだよ、あの店こそがお祭り騒ぎの元凶だ。酒場の作戦勝ちだな。龍の力を受けた酒場ってことで喧伝しているそうだ。今日ばかりはシティガードも忙しくて取り締まれない。そのせいで徐々に机が広がっていくうちにあら不思議、気が付けば近くに屋台が立ってお祭り騒ぎに早変わり」
呆れながらレイナールはさらに続ける。
「がめついかな壊れた建物の破片を龍の加護があるとか言って売ってすらいるらしい。この売上だけでも建て替え費用が貯まるんじゃないか」
そう締め括り、レイナールは焼き鳥の串を串入れに投擲した。
串はテーブル中央に楕円を描いて飛び、綺麗に串入れに収まる。
意外と彼の投擲能力は高いらしい。
「あそこの奴らはみんながめついからな……」
脳裏に浮かぶのは店内の乱闘騒ぎの最中でも酒を運んでくる小さなウェイター。
そのウェイターが笑顔で右に左に隙間を縫って破片を売っているのを幻視した。
「君らみたいな冒険者向けの酒場だ。がめつくもなる」
「酷い言い様だ」
笑いながら反論していると、無駄に利く嗅覚が『幸運のよつば亭』の前に新たな来客を教えてくれた。
脳内でその匂いも持ち主を探る。
「どうかしたのかスバル?」
急に黙り込んだ俺に、レイナールは怪訝な顔を浮かべた。
「……レイナールとしては微妙な立場の客が来たな」
「いったい何のことだ?」
レイナールが言い終わる前に入口の扉が開いた。
礼服と言っても通用する身綺麗なエルフが酒場にゆったりと入り、つかつかと俺の方へと歩み寄る。
メガネをかけたエルフはテーブルの横で立ち止まり優雅に一礼した。
よつば亭で飲むことやアイリスに戻ってきたことは伝えてなかったが、まぁ彼らの情報網は広くて深い。
俺達の居場所などその気になれば筒抜けだろう。
「キール。明日にでもこっちから出向こうかと思ったんだけどな」
「いえ、スバル様。此方から出向くのが礼儀というものです」
グラスを持ち上げ視線で一緒にどうかと問いかける。
闇市の商人キールは柔らかく固辞した。
「例の件はありがとう。あいつも自分の手で始末出来て喜んでたよ」
「ご希望に添えて幸いです。私共といたしましても多大なる利益あっての事。気になさらないでください」
淡々と言っているように見えて言葉の端々や仕草にはキールの喜びが見て取れた。
彼がどの程度のことをやっているのかは知らないが随分と上手く密猟ビジネスを乗っ取ったようだ。
いくら幼体とはいえドラゴンを密猟できるほどの実力者たちが一斉に死んてしまっては密猟グループとしては大打撃どころの沙汰じゃない。
その隙をついてグループの本丸なんなりも同時に壊滅させたのだろうか。
あくまで想像の域をでないが。
しかしながら短い時間ながらに成果を残せるのはこのエルフの有能さ故だろう。
「……なるほどな。確かに私としてはなんとも言えない人物だ」
小さな腕で頬杖をついたレイナールが顔を顰める。
「これはこれはグラント結族のレイナール様。お初にお目にかかります」
レイナールの含みのある視線にもキールは微笑を崩さず流麗な所作で礼をした。
「当然私を知っているみたいだな。アークティック商会のキール。君らの商売は私達結族にとってはいつも頭痛の種だよ」
「申し訳ありません。お客様のご要望に応えることで結族の方々と軋轢が生まれてしまうのは私共としても悲しい限りです」
「君らがそうやっていつも態度ばかりは礼節を守ろうとするのも私としては……いや、やめよう」
レイナールは頭を振ってロックグラスひったくるように掴み、バーボン飲み干した。
何かを振り切った顔だ。
カウンターの端ではブラウが嬉々として酒を注ぎ始める。
「今日ばかりは結族に属するものとしての感情は棚上げしよう。今だけは敵でも味方でも何でもない。一人の人間として君に礼を言おう。スバルに協力してくれたこと、感謝する。私個人はこの恩を忘れないだろう……」
小さな交渉役は背筋を正し椅子の上で立ち上がった。
そのままキールの方へ向き直り、頭を下げる。
「……噂通りの実直な方ですね。その言葉が聞けただけでも協力した甲斐があったというものです」
「残念ながら明日になれば気も変わっているさ。気持ち的には闇市なんて今すぐにでも閉鎖させたいくらいだ。できれば今後も私の手を煩わせないでくれると助かるがね」
「では、私はこれからもまるで手のかかる恋人のようにお手を煩わせることにいたしましょう。それでは皆様、これにて失礼いたします」
用件を伝え終わるとキールは足早に酒場を後にした。
本当に礼を言いに来ただけらしい。
昨日の今日だしまだ後処理も終わってないのだろう。
業務を丸々乗っ取るのだから手間は非常に手間だ。
一日やそこらで再編は難しく、時間を掛けてもかなり骨を折ることになることは間違いない。
……最も、苦労なんて霞むほどのリターンはあるだろうが。
「エリス! ニコニコ笑ってないでそろそろボクを助けてくれないかな!?」
「でもフラーラさんがとっても幸せそうですよ?」
キールの出ていた扉をぼーっと眺めていたらココの悲痛な声が聞こえてきた。
視線を動かすとフラーラがココの膝上を占拠して酒を片手に絡んでいる。
身体も小さく幼い容姿であるハーフリング。
ぱっと見では子供にじゃれられているようにしか見えない。
「ココさんって綺麗な顔してますね……」
「か、顔を寄せるなッ!」
普段ならば暴走を止めてくれそうなリナは口数少なく何か考え事をしているようで二人を見ずに黙々と酒を口に含んでいた。
「くそ……我慢してたけどなんかもう手が出そうだ……」
「酷いこと言わないで下さいよココさん……私、もう女性でもいいかもしれません」
「ボ、ボクはごめんだよ!」
慌てて引きはがすココにそれを見て笑う俺を含めた一同。
唯一リナだけは最後までどこか上の空だった。
「さて、そろそろお開きにするか」
宴もたけなわ料理も食べ終わりグラスも乾いた頃、レイナールが手を打ち解散を宣言した。
「フラーラも寝てしまったみたいだしな。残りの支払いは私に任せてくれ。それで悪いがココ、そこの眠り姫を預かっておいてくれ」
机に突っ伏したフラーラを苦笑いしながら見つめ、レイナールがココにすまないと手を挙げた。
「おっけーそこらのゴミ箱にでも突っ込んどくよ」
ココが揺すっても起きないフラーラの頭をペシペシと叩き立ち上がった。
言葉とは裏腹に優しく抱き抱え、リナと一緒にフラーラを上の宿へと運んでいく。
さて、楽しい時間も終わりだ。
フラーラじゃないが睡魔が酷く疲労もピークに近い。
なにせポーカー邸を襲撃して以来一睡もしていない。
今日は気持ちよく眠れそうだ。
レイナールとエリスも脚の長い椅子から跳び下り、身支度を整え始める。
「あぁ、そうだスバル。一連の騒ぎの報酬についてだが明日すぐにでも届けさせる」
「働きに見合ったものを期待してる」
「額はかなり期待してくれてていい。上がルクルド跡地を好きにできることにたいそう喜んでいるようでかなり上乗せがされているからな。もし何か装備なり、秘術なり必要なものがあるなら代わりにこちらで用立てても良いが……」
紹介してもらった『アッシュの古代遺物店』で秘影剣を購入したことを思い出す。
そういえば秘影剣も何本か消し炭にされてしまった。
装備もいくつかはメンテナンスにださなきゃいけないだろう。
しかし、それ以上に今、必要なものがある。
「……今回は遠慮しておく。使い道を何個か考えてあるんだ」
「わかった。だがもし、手が必要な時はいつでも言ってくれ。今回の件で私たちの関係はより一層深いものになった。友人に手を貸したいを思うのは当然のことだ。それが恩ある友なら猶更だ」
頼み事。レイナールに言われてすぐに頼みが頭に浮かんだ。
彼が何か察して気を利かせて言ってくれたのだろうか。
人の機微を見るのが相変わらず上手い。
交渉役は伊達じゃないな。
「なら、一つ頼みごとをしたい」
「君の頼みなら他の用事を端に避けてでも力になろう」
レイナールは口角を上げ、小さな胸を叩き背を反らした。
ちょっとした動きも様になっているのが憎らしい。
苦笑しながら頼みを口にする。
「家を探してほしい」
家は兼ねてよりそろそろ必要かもと考えていたものだ。
土地の限られたこの街ではコネがなければ家は買えない。
この街に来た当初にも一度考えはしたがぽっと出の冒険者にそんなコネなどなく断念したのは苦い思い出だ。
けれど今は違う。
面倒なことも多々あるがせっかく結族と仲良くなったのだ。
使わない手はない。
「おぉ! スバルも遂に家を求めるようになったか! 確かに宿屋での暮らしは楽だが不便も多いもんな」
「まぁな、そろそろ落ち着いて腰を据えれる拠点が欲しくてね。広さはそう大きくなくていいが一軒家であることが絶対条件だ。いくつか見繕ってくれると助かる」
「わかった。明日、報酬と一緒に私の裁量でなんとかなる物件の資料も届けよう」
視界の隅でブラウが驚きの表情を浮かべているのが見えた。
無駄に大きな耳には良客だったのに、という呟きも聞こえてくる。
年単位で住んだこの場所も愛着はあるが潮時だ。
最近の出来事で嫌が応にも名前が売れてきてしまっている。
名前が広まるのは良い面もあるが、知名度は時に悪い事も運んできてしまう。
一番危険な睡眠の時間を安全なひと時にするためにも好き勝手できる拠点は必須事項だ。
「ありがとう。感謝する」
「なに、私のわがままも聞いてもらったし気にしないでくれ。ちなみに、気に入った物件がなかったら言ってくれ。私の知り合いで物件を扱っているミクシュナーという男に話は通しておく。グラント結族の建物に来てくれればすぐにでも物件に案内できるようにしておこう」
「恩に着る」
「では、また会おうスバル。私はこれから仮眠をしてまた紙とにらめっこだ」
眉を顰めて嫌々言うレイナールが心底書類仕事を嫌っていることは手に取るように分かっただ。
「スバル様、お休みさない」
レイナールが横で待っていたエリスを連れて扉に向かった。
「じゃあなお二人さん、気をつけてな」
レイナールが振り返らずに手を挙げ、エリスは振り返り微笑みながら会釈をした。
木の扉の閉まる鈍い音がすっかり静かになった酒場に大きく響いた。
気を付けろと言った後に野暮な事だったと思い至る。
アルコールが入っているとはいえエリスが居るのだ。
生半な奴には遅れはとらないだろう。
一人になったテーブルを見渡していると、寂しそうにブラウが此方にやってきて片付けを始めた。
肩を叩いて多めのチップを机の端に置いて階段を上る。
俺も早く床に就こう。
足早に部屋につくと二つしかないベッドは予想通り三人に占拠されていた。
ココとリナ、そして酔っ払いのフラーラ。
腹立たしいことに三人は非常に穏やかな表情で寝息すら立てている。
レイナールと話している僅かな間で眠りについたらしい。
宿屋らしく新しく部屋を借りようにも此処は年単位で借りる半端者の吹き溜まりだ。
とても借りれやしない。
ため息をついて部屋の隅に座り込む。
皆同様、シャワーを浴びる元気もない。
俺は壁に体重を預け、三人の寝息を聞きながら瞼を閉じた。
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