第53話 地下世界36-1

第三十六話




浮遊感の後、視界が切り替わる。


岩と土に囲まれた通路から、焦げた広場の中心へと世界が変わった。


煤けた臭いが鼻に広がる。


戦闘の後が色濃く残るこの場所はおそらくはルクルド外れの森だった場所だろう。




点滅する視界に数度の瞬きを繰り返し、ようやく目が正常に戻る。


眼前には黒く鈍い光を放つ堅牢な鱗に守られた巨大な飛龍。




黒龍だ。




彼の隣には一回りも二回りも小さな黒曜龍が尻尾を振らんばかりの勢いで身体を黒龍にこすりつけている。


黒龍は目的を達成したことに喜びを感じているようで、表情こそ読み取れないが最初に対峙した時のような背筋の凍る威圧感はない。


言いたいこと、確認したいことは多々あるが二匹で談笑しているのを邪魔するのは得策ではない。




不意に腹部にかゆみを感じ、咄嗟に手を伸ばす。


俺の動きに呼応するように身体を覆っていた紋様の鎧が霧散した。


大きな力の喪失に少しだけ寂しさを覚える。




刹那の思考の後、気を取り直し破れた革鎧の隙間から手を入れて直接腹部を撫でる。




指から伝わる感触で傷跡すら残らず治癒したことが分かった。


短い時間で完治するなんて凄まじい治癒力だ。




これほどの治療をアイリスで受けるには余程の金となんらかのコネが必要だ。


秘術として売り出されている回復の術が込められた宝石は高額だし、治療系の脳力は結族が抱え込んでしまう。


そこらにいるもぐりの治療脳力者は粗悪な実力か法外な値段かの二択だ。




黒龍の湧き出る力に浸る感覚を思い出し、黒龍が容易くこんな芸当を成し遂げたことに納得する。




「スバルさん! 大丈夫ですか!?」




傷跡を摩っているとリナが駆け寄ってきた。


彼女の紋様の鎧も消えている。


装備こそ煤けているものの俺と違って外傷などはないようだ。


白龍の手下と思しき存在を相手に俺と違って上手く事を進めたらしい。




「あぁ、大丈夫だ。それよりさっきは助かったよ。流石にあの時ばかりは信じていない神に祈りそうになった」


「無事でよかったです。遠くから見てましたけど気が気じゃなかったですよ。炎に電撃にと色んなものが乱れ飛んでて」




リナは俺の視線で自分の革鎧の状態に気が付き、煤を払い始めた。


俺の身体にも残る戦いの痕跡は、否が応でも先程の戦いを思い出させる。




「あの攻撃の嵐は生きた心地がしなかったな。黒龍の鎧がなかったらすぐに消し炭にされてるところだっただろうし」


「あの鎧は凄かったですね!」




嫌な出来事を語る俺の口調とは違い、リナの語気は楽し気だ。




「上の街で着た最新式の外装骨格とも比較にならないほどの高性能でした! 火力、機動力、防御力。どれをとっても私の技術……いいえ、セントラルシティの最先端技術でも力の一端すら再現できそうにありません! あの力が解明出来たら素晴らしいことになるのに! あぁ! 急に研究意欲が湧いてきました!!」




興奮気味にぱたぱたと全身を叩きながら話す彼女に若干、引いた。


何がリナの琴線に触れたのかはわからないがあの紋章の鎧は彼女の興奮を引き出すに足るものだったらしい。


最近、グラント結族と一緒に外装骨格の開発や改造ばかりしていたせいで変なスイッチができてしまっているようだ。




「おちつけおちつけ」


「あ、すいません。でもなんだか心臓がバクバクで! 全身がドクドクいってます!」




未だ平時のテンションを取り戻せずリナが紋様の鎧を褒めちぎっていると、彼女の眼前を力なく漂う何かが横切った。




いつもは視界の端で邪魔にならないように漂っているはずのリナの外装骨格だ。


外装骨格はリナの顔を通り過ぎたかと思うと徐々に高度を下げていき、焦げた地面にぺたりと不時着した。


真球と呼んでも差し支えほどの見事な球形が崩れ、黒い大地に銀色の液体が薄く広がった。




「ごめんごめん、あなたのが凄いよ。いつも一緒に戦ってくれてありがとう!」




必死に励ますも外装骨格の機嫌は直らず銀色の液体は集まっては広がりを繰り返す。




改造を繰り返した影響なのかこんな動きまでするようになっているらしい。


一人と一体のやりとり、そして常に動向を探らなければならない黒龍を視界の隅に捉えつつ周囲を見回す。




黒龍の近くにココやレイナール達の姿はない。


嗅覚に意識を集中する。


焦げた臭いが充満する中、微かにココの匂いを感じた。


この場所から少し離れた所のようだ。


ココの匂いに注意を向けると他の三人の匂いも鼻に入ってくる。




匂いの流れからみて四人は徒歩でこちらに向かっているようだ。


状況はわからないが逼迫した局面ではないらしい。




黒龍も四人を待っているのか俺達に話しかけることなく、ミスティとの話に花を咲かせている。


まだ黒龍と話ができる雰囲気ではない。




俺は浅く息を吐き出し、機嫌を直した外装骨格を胸に抱くリナに視線を移した。


彼女は硬さを取り戻した球体を優しく撫でている。




「そう言えば、なし崩し的にポーカー邸で暴れまわってからのことを聞いてなかったけど、聞いていいか?」


「大丈夫です……といっても特別なことはなくて多分想像通りだと思いますよ」




リナは状況から想定される事実を顔色一つ変えずに想像通りだと言い放った。




「じゃあミッドポーカーは……」


「はい。何かしらの幻惑をみせる術をかけられた後に、目の前で無数に分割されてましたね」




第三者的な物言いからリナもやはり操られていたということがわかる。




「実行時にはもう紋様の鎧を纏ってたんだよな?」


「そうですね。タイミング的にはスバルさんと同じ時だと思いますよ」




俺の身体の制御が聞かなくなった時には思い至らなかったが、リナもあの時にはすでに体の自由を奪われていたのか。


≪伝言≫は無駄だったようだ。




「自分以外の誰かに身体を動かされるなんていい気分じゃないですね」




目の前で惨殺死体を作られたリナは少し眉を顰めて言い放った。


セントラルの連中の膨れ上がる肉会に、ゴブリンのミンチ。


凄惨な死体には十分すぎる程に接する機会があったとはいえ、分割死体にはまだリナも慣れていないのか、彼女は不快感を露にしていた。




「……ココさんたちはどこでしょうかね?」




リナは一度深呼吸をして自らの気持ちを切り替えるように呟く。


深刻そうな彼女とは裏腹に、俺は彼女のすぐ後ろに広がる光景のせいで笑いを隠し切れない。


突然噴出した俺を見てリナは怪訝な表情で俺を見つめた。




「こっちにいるよ。リナ」




話に集中していたリナの背後からココがふらふらと手を振りながら声を上げた。


俺の位置からはココを含めレイナール達、全員が丸見えだった。


そんな中、どこにいるのかと言われては笑ってしまうのも勘弁してほしい。


こんな近くの気配に気づかないとは、やはりリナの戦闘力は多分に外装骨格などの外的要因に依存している。




軽く見たところココやレイナール、全員に大きな外傷はない。


黒龍は下衆な真似をする類ではなかったが無事な姿を見てようやく人心地が付く。




リナは声の方向に勢いよく振り返り、外装骨格を放り出して勢いのままココに抱き着いた。


投げ飛ばされた場所で外装骨格が寂し気に浮かんでいるように見えるのはたぶん気のせいではないだろう。




お前の命を繋ぐ大事な機械なんだ。大事にしなさい。




「ココさん無事でよかったです!!」


「うわっ! どうしたのさリナ。大袈裟だよ」




呆れるような口調なココも口元が綻んでおりリナに心配されて満更ではなさそうだ。


困るような視線をココに向けられ、仕方ない受け入れろと目で返事をする。


リナは俺達に様子に気が付くことはなく夢中でココを抱きしめていた。




この焼け焦げた広場での戦闘を遠くから全て見ていたであろうリナは、俺以上にココを心配していたのだろう。




「スバル。鎧に穴が開いてる割にピンピンしてるな」




じゃれる二人の横から小さな人影が歩み寄ってくる。




「そっちも汚れた格好のくせに元気そうじゃないか」




レイナール達だ。


若干の疲労こそ顔色から読み取れるものの彼らの足取りはしっかりとしており、遠くからの見立て通り大きな体調不良はなさそうだ。


手を挙げて彼らに答える。




「エリスやフラーラも無事で何よりだ」


「スバル様も御無事なようでほっとしました」


「お二人も怪我とかなさそうでよかったです」




エリスはレイナールのすぐ後ろに佇み、フラーラは挨拶もそこそこにリナの元に足を進めた。


レイナールが背伸びをして俺を上から下までじっくりと観察しはじめる。




「ふむ、私達もいったい幾つの骨を折ればいいのかわからないほど大変な時を過ごしたが、察するにそちらもかなりの事態だったようだな」




彼の声音から明確な疲労が滲んでいた。


予想では森に残された全員は軟禁状態か眠らされてその辺に転がされているのかと思ったが実際はそうではなかったらしい。




「てっきりそっちはバカンスばりに寝入っているのかと思っていたがそうじゃなかったみたいだな」


「あぁ、どうも私達は微妙な立場に居てね。正直身体よりも心が疲弊しているよ。彼女を見る限り、こと精神面においては私達の方が疲れているかもしれないな」




レイナールは生気の薄い目を動かし、視線をフラーラへと抱き着いてはしゃいでいるリナへと向けた。


俺の軽口にいつもの気の利いた返しがないあたり本当に疲れているようだ。


しかし、レイナールの言う黒龍の使いっ走り以上に微妙な立場とはいったいなんだろうか。




「何があったのかは知らないが互いに大変だったみたいだな。小さな身体がいつもよりも余計に小さく見えるぞ」


「なんとでも言ってくれ。この事態に関しては完全に私の責任だ。いらない苦労を掛けて済まなかった」


「その気持ちは支払いに上乗せされてくれると有難いな。だが、労いの言葉にはまだ少しばかり早いんじゃないか?」




目を僅かに動かし黒龍へと向ける。


今ここで談笑をしていられるのも悲しいことに黒龍が上機嫌だからだ。


人でない存在の笑いのツボや、沸点がどこにあるかはわからない。


このまま上手く解放されそうな雰囲気ではあるが、最後まで警戒しているべきだろう。




意図が正しく伝わり、レイナールは深くため息をつき額に手を当て首を横に振った。




「スバルも無事だったみたいだね」




レイナールが虚ろな目になった頃、ココがいつもの飄々とした調子で近づいてくる。


リナの標的はフラーラからさらにエリスへと移り、ココは完全に解放されたようだ。




「そっちも元気そうだな」




ココは俺に向かって手の拳を突き出した。


差し出された拳に合わせて自分の拳を突き出す。




打ち合わせれた拳の感触がいやに懐かしく感じる。


ココも同じ気持ちなのか彼女の目つきは何時になく柔らかい。




「けっこう面倒な事態だったみたいだね」


「ん? リナから聞いたのか?」


「いや、まだだけどかなりめんどくさい事したって顔に描いてあるよ。……あといつもより耳にと尻尾に元気がない」




ココの目線に釣られて耳を触ってみても感触はいつも通り。


尻尾も見やるが特に変わったことはなさそうだ。


付き合いも長くなれば俺すら気づかないような細かな差異で内心が察せられてしまう。


だが、それは逆も然りだ。




「そういうココだって笑顔の割に明るい表情とは言い辛い顔じゃないか。こっちは軟禁生活程度と思ってたんだが違うのか?」


「なんというか対応が難しい事態ではあるね」




レイナールも似たようなことを言っていたがいまいち話が見えてこない。


もちろん内容を飲み込めていないのもココに察せられる。


彼女は頬を掻き、眉を顰めた。




「ルクルドの連中が敵討ちだの喚いて黒龍に攻撃を仕掛けようとしててね。黒龍の気変わりを防ぐためにも黙ってみているわけにもいかず、ちょっと手荒に止めてたんだけど……まぁ、そうなると当然獣人にこっちも敵視されちゃって当初の目的がちょっと微妙なところに」




なるほど。


不幸の連続で忘れかけていたが本来なら、ほとんど内容の固まった契約をルクルドで交わして終わりの単純な依頼だった。


それが黒龍のせい……いや密猟者のせいか?


どちらにせよで事態は散々引っ掻き回されて思わぬ方向に転がってしまっているのには変わらない。




穏健そうな族長だっただけに黒龍に正面から挑むとは思わなかったが……あぁ、集落まるごと焼き払えれば楽なのにな。


他の結族から非難されてグラント結族を表立って攻撃できる材料を与えないためにも無理な話なのだが。




レイナールが頭を唸らせるわけだ。


落としどころを探るのが難しい。


それどころかせっかく円満にいきそうだった契約が白紙になるかもしれない。




ココが更なる説明をしようとした時、威厳と圧力に満ちた声が場に響き渡った。




「小さきもの達よ。よくぞ私の期待に応えた」


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