第2章 トレジャーハント
第23話 地下世界15
その洞窟は空気が淀んでいた。
剥き出しの岩石や土壁は苔生し、刺激を受け特殊な光苔が明滅を繰り返すたびに高さ十数メートルの道を明るく照らす。
光が点滅する中にとある影が浮かび上がった。
成人の腕の太さ程の脚を持つ蜘蛛だ。
体表は周囲に同化するように灰色と茶色で構成され、濃い体毛は生えている。
アッシュ・スパイダー、天然の狩人たる蜘蛛はじっと息を潜め気配を外に漏らすことはない。
彼らは巣を張ることなく自らの脚で動き回り、獲物を探す厄介なクリーチャーだ。
この空間は彼らの縄張りであった。
幾つもの蜘蛛のシルエットがそこかしこに潜んでいた。
静寂の中、全身を金属で覆われた少女、リナが動かない巨大な蜘蛛へと突貫した。
肥大化した腕部と脚部から火柱が噴き上げ凄まじい速度で飛行し、肉薄する。
金属の表面に刻まれた赤いラインが煌めき、腰から生えた三対の刃が振り抜かれた。
不思議なことに一連の動作に音が無い。
≪消音の小部屋≫が外装骨格を纏ったリナに掛けられていた。
六つの斬撃に成す術もなく体液をまき散らしながら蜘蛛がバラバラとなり崩れ落ちる。
突出したリナの陰から二人の男女が現れた。
短髪の黒髪少女が胸の上の革サスペンダーからスローイングナイフを幾つも抜き放ち、リナへと尻を向け今にも糸を吐き出しそうな蜘蛛へと投擲する。
一本のナイフが糸の射出口を潰し、残りのナイフが節足の付け根に吸い込まれた。
頑強に見えた太い足が切り離され、達磨のように胴体が転がる。
犬耳の青年が加速し、地面に横たわる胴体を手に生えた長い爪で切り裂いた。
壁を蹴り、天井を蹴り、リナの≪消音の小部屋≫の影響下から飛び出し、黒髪少女のサポートを受けながら次々に残りの蜘蛛を蹴散らしていく。
消音の範囲外であるのに青年の動きは極端に音が少なかった。
そういった音を発しにくい技術を身に着けているのだろう。
その間にもリナは飛び続け、背中を向けて飛び跳ねながら逃げるマンティスを追う。
相変わらず火柱の立っている手足からは音が出ない。
音を消すその秘術は洞窟内の反響を消し、他のクリーチャーに存在を悟られないために必要な措置だ。
当然デメリットもあり、自身も周囲の音を拾えないため敵への警戒がしにくいという欠点がある。
青年や黒髪少女のように静かに行動できない彼女にとって、隠密行動を重視する場合はこの呪文が必須なことは明白であった。
リナがマンティスに追いつき、身体を前方に一回転させ、カマキリに蹴りをくらわせた。
カマキリはでこぼこの地面をゴロゴロと転がる。
崩れた体制を整えようと顔を上げた先、リナが先回りをして立ちふさがった。
彼女が腰の刃を構えた。
カマキリは怯えたように這いつくばり、頭を地にこすりつけている。
その時、効果時間が切れたのか彼女の耳に気色の悪い音が届いてしまった。
「お、お願いです。助けてください。殺さないでください」
隙だらけのその身体に刃を振り下ろせば全てが終わる。
「ごろざないでください……」
ギチギチと不快な音を立てて命乞いをするマンティスにいつまでたってもリナは刃を振り下ろせない。
何秒かの時間が経った時、突然マンティスの命乞いが終わった。
マンティスの頭部がころころとリナの足元へと転がってくる。
マンティスの後ろには蜘蛛の処理を終えた黒髪少女が紅く煌めく剣を振り抜いた状態で立っていた。
ため息をつき、黒髪少女が口を開く。
「リナ、やることはきっちりやらないとだめだよ」
金属に覆われた身体で肩を落としリナが答える。
「……わかってはいます」
「こいつらはリナを陥れた連中の一味だよ」
「……わかってます」
腰を落として落ちたマンティスの頭部を拾い上げる。
「命を奪う覚悟はしているつもりです。現に命を奪うための作戦もこの前、私が立てました。大丈夫です。次は、できます」
祈るようなリナの言葉にココはわかったと小さく頷いた。
そこに周囲の安全を確保した青年が歩み寄ってくる。
青年は何かを引きずっていた。
手足の無いマンティスの身体だ。
マンティスはギチギチと「痛い痛い助けて」と譫言のように繰り返している。
「もう一人隠れてたよ。レイナールの情報じゃ一人って話だったが、少し間違ってたみたいだな。まぁこいつらの顔なんて見分けがつかないし、無理もないかもな」
残虐な行為をしている青年は何事もないかのようにいつものような口調で言葉を発している。
「さて、リナ。君が冒険者を望むというならこういった行為は今後吐いて捨てる程目にするし、実行しなきゃならないだろう」
青年が哀れなそれをリナの前に投げる。
着るものも剥がされ手足をもがれ、もはや脳力を使うという発想にも至れないマンティスが
地に打ち上げられた魚のようにのたうち回っている。
「リナ、そいつの命を奪え」
青年の言葉に太い武装で覆われたリナの手が震えた。
「もしできないなら仕方がない。それでも全然かまわない。ただ、それなら君は冒険者になるより別の道で生計を立てたほうが絶対に幸せになれる。大なり小なりこの稼業はろくでなしじゃなきゃ務まらない」
リナが行動を起こせぬままたっぷり一分ほど時間が経ち、青年がため息をついて自身の爪を振り上げる。
その瞬間、外装骨格の腰に付いた三対の刃が煌めき、マンティスの身体を貫いた。
刃はマンティスの身体をリナの目線の位置まで持ち上げ、一本の刃が抜かれる。
再度刃が煌めく。マンティスの首が地面に落ちた。
その場所は光苔の上だった。
衝撃を受けて苔が光り、その光が伝播し洞窟を明るく照らした。
リナの外装骨格には緑の血がべったりと付いていた。
第十五話 後始末
「お疲れ様、スバル。ココもありがとう」
ハーフリングの青年、レイナールが執務室の名が机の奥から声を掛ける。
彼の手は喋りながらを動き続け、机の上に置かれた書類へとサインを施していく。
「簡単な仕事だったよレイナール。いつもこうやってことがスムーズに進むといいんだがね」
価値の理解できない絵や壺、謎の調度品に囲まれた部屋の真ん中にあるふかふかのソファに腰かけながら俺は答えた。リナも隣に座っている。
ココはいつものように扉の近くで壁に体重を預けていた。
此処は劇場や『頑固者のドーナツ屋』があるアイリスの高級歓楽街地区のグラント結族所有の建物。レイナール個人の執務室だ。
彼は先日あった記録媒体が奪われ、さらにはリナがアイリスで生活しなければならなくなってしまった事件への後始末の書類を作成に追われていた。
一段落したのか飽きたのか、レイナールが羽ペンを机に投げ出し、ふかふかのソファへと近寄ってくる。
「そいつは実にご機嫌な話だ。私もこの書類に山が簡単に消えてくれれば最高にご機嫌になれるというのにな」
小さな彼の身体にはソファは大きく、彼は跳ねてソファに座った
客間も兼ねているせいでハーフリング専用の家具ではないらしい。
「ミクリナはそろそろアイリスでの生活に慣れてきたかな?」
「はい。スバルさんやココさんに色々案内してもらったり良くしてもらっているのでなんとか頑張ってます」
話を振られたリナが自分の装備している服を引っ張りながら笑顔で答える。
『聞き耳服飾店』で仕立ててもらった革鎧や膝まで届く革鎧靴に腕を覆う布手袋。
動きやすさを重視した短パンに行動を阻害しないように作られた腰に巻かれた外套。
そして外套の上にはココとお揃いのポーチ。
彼女を守るように金属球が周りをふよふよと浮いている。
つい先日の案内で前回の依頼の報酬を使い、買い揃えた装備を彼女は一応気に入ってくれているらしい。
自分の装備の修理もあったとは言え、ココとリナの買い物に長々と付き合わされた身としては気に入ってくれていないと困るが。
リナの嬉しそうな顔を見てレイナールも釣られて笑顔になった。
「それは良かった。もし私の助けがいるようであれば何時でもいってくれ。結族の恩人の悩みであればきっと私の上司もそこの書類を放り投げてでも助けに行けといってくれるさ」
苦虫を潰したような顔で机の上の書類の山を指を差した。
本当に嫌そうな顔をした彼を見て思わず笑いが出てしまいそうになるのを必死に抑える。
「それにしてもすまないな。あれから時間も経ってないのに依頼を受けてもらって。結族としても人手は割いてはいるんだが、なにぶん代わりの利かない仕事が多くてな。君らにやってもらっているようなゴミ掃除はどうしても外注せざるを得ないんだ」
「俺たちにとってはありがたいことだよレイナール。そのおかげで金も増えるし、また君らから貴重なアーティファクトも買える。絵に描いたようないい関係じゃないか」
「そういってもらえると助かる」
俺達は約束していた前回の依頼の報酬の残り半分を受け取りに来た時、ついでに依頼を受けていた。
依頼内容は簡単な後始末だ。
マンティスの残党の処理と、そのマンティスが潜伏しているスラムの地下で何故だか依然とは比べ物にならないほどの密度で終結しているクリーチャーの間引き。
メインは残党処理だ。
レイナール曰く、あんなに地下のクリーチャーが一か所に集まることはないらしい。
そのせいでスラムの人間は多くやられ、地下遺跡や洞窟での縄張りもそこそこ変化してしまったようだ。
原因に全く心当たりはないが。全く。全然。
責任を感じて依頼を引き受けたわけでもない。断じて。
依頼の証拠であるのマンティスの首はこの建物に入るとき結族の受付の人間に渡してある。
リナは自分の行為を思い出してか顔を歪めていた。
「そちらの報酬も用意してある」
レイナールは執務机の上に置いてあった布袋をその場から動かずに持ち上げた。
なんらかの秘術の効果で浮かび上がった布袋三つが目の前の机の上に降りてくる。
日常的に物を取る秘術を使う彼はもしかしたら秘術ではなく脳力の類なのかもしれない。
閉まり切らない布袋の口から見えたのは紛れもなく金貨。
「確かに受け取った」
ココやリナも受け取り、それぞれが『秘術の携行袋』にしまっていく。
報酬を受け取り席を立つ。
「おいおいもう行ってしまうのか?」
席を立つと急にレイナールが焦りだした。
「とっても忙しそうだからな。邪魔しちゃ悪いよ」
「ま、待ってくれスバル。存分に邪魔をしてくれ。もっとゆっくり雑談と洒落込もうじゃないか。美味い菓子も用意させよう」
「いやいや忙しそうだし」
必死に頼んでくる彼はいつだか感じたできるやつの面影は一切ない。
「頼む居てくれ。応対している間はあのクソみたいな書類仕事から離れられるんだ。いつもお茶を用意してくれる彼女、わかるだろ? 上からつけられた秘書のようなものなんだが、彼女が怖いんだ。終わるまで返してくれないんだ。もう二日も執務室に閉じこもってるんだ。頼む気分転換をさせてくれ!」
タイミングを図ったかのように扉が開かれ見慣れたハーフリングの女性が入室してきた。
彼女はエリス。件のレイナールの秘書だ。
「これはスバル様、もうお帰りでしょうか?」
「……あぁエリス。今まさに帰るところだったよ」
「お気をつけてお帰りください」
丁寧にお辞儀をされ、部屋を後にする。
「私の専門は交渉だぞ! 雑事は君らの仕事じゃないのか! スバル! スバル! 私を置いていかないでくれ!」
レイナールの悲鳴を無視して三人で出口に向かう。
俺には何もできない。合掌。
ココは楽しそうに笑っている。彼女は人の不幸を楽しむ傾向がある。
俺にもある。レイナール超がんばれ。助け舟は絶対に出さないぞ。
ココと二人でにやけながら受付の人に会釈をして建物を出ると目の前には大通り。
結族の建物だけあって立地はとてもいい。強い光が目に入る。
今日も今日とてアイリスはずっと明るい。
時刻は一日の真ん中あたり。
昼の歓楽街は人が行き交い、劇場では順番待ちに列までできている。
「……ボクは上に立つ立場じゃなくてよかった、本当に」
「見てる分には楽しいけど、確かにあんな風にはなりたくないわな。俺も冒険者でよかった」
軽口をココと言い合いながら、リナを見る。
「…………」
今日のリナは口数がとても少ない。
無理に笑顔こそ見せてくれるが何もしていないと暗い表情になってしまう。
依頼の帰りもそんな様子たったし。
先程の行為をまだ心に引きずっているのだろう。
俺はあれをやらせたことを後悔も反省もしないが。
今後、一緒に行動するのならば、いざという時に命を奪えないということは彼女自身の命だけではなく俺やココにも関わってくる。
あれは必要な措置だ。少しでも慣れてくれることを祈る。
しかし、気落ちしているリナを見ていると心苦しい。
同じ女性のココに頼めないかと視線を送っても、逆に視線でむりむりと返される始末。
俺たちはどうにも命の機微に疎い。
かける言葉は見つからない。
まさかいい太刀筋じゃん、相手もすっぱり死ねて幸せだね、なんて声を掛けるわけにもいかない。
何か元気出させるようなことは……。
あぁ、そういえば今日はあの日か。
「今日はこれからリナは予定とかあるか?」
アイリスに来て日の浅いリナに予定なんかあるわけないのに声を掛ける。
「……ないです」
力なく答える彼女。でもきっとあの場所は気に入ってくれる。
もし仮にリナに予定があったとしてもどのみち行くその場所。
報酬を受け取り、金がある今こそいかなければならない場所。
それはアイリス屈指の闇市だ。
「今日は10日に一度開かれる特別な市場が開かれる。楽しい場所だ。リナも一緒に行こうか」
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