266話 歌姫の真意と再来する悪意
訓練場に向かったゆず達と別れて、俺はアリエルさんと二人で食堂に残った。
何せ、彼女には聞きたいことがあるからだ。
昨日の夜、何故アリエルさんは自分が不利になると解っていて、ルシェちゃんを俺の元に向かわせたのか……身体強化術式の裏技なんてものを彼女に教えて、俺と性行為をするように仕向けたのか……。
結果的に立ち直ることが出来たものの、その過程には大いに疑問が残る。
一歩間違えれば俺がルシェちゃんを選んで、アリエルさんを含めた三人の告白を断るかもしれないのに……。
そんな俺の疑心暗鬼な視線を受けても、彼女は飄々とした調子を崩さない笑みを浮かべる。
「さて、ツカサ様がワタクシに何をお尋ねになられるのか……それは大方察しておりますわ」
「なら話が早いですね。この際誤魔化すのもアレなんでハッキリ言いますけど……なんで自分じゃなくてルシェちゃんだったんですか?」
言わずとも話題が通じたことに手間が省けたと思う分、意外だなとも思っていた。
アリエルさんのことだから、いつものように真意を見せないままはぐらかすと思っていたからだ。
だが、その予想に反して彼女はあっさりと自分の行いを認めたともとれる発言をした。
なら、遠慮する必要はないと判断して尋ねた質問に彼女は瞑目して答える。
「先日にも仰った通り、ワタクシではツカサ様の抱える悩みや想いに答えを齎せないからですわ」
「でも、俺のストレスを吐き出させるってだけなら、アリエルさんの方がスマートに出来たんじゃ……」
ストレスもだが、もっと正確に言えば性欲を発散させることが主目的だっただろう。
実際に今朝になると、鬱屈していた思考で如何に狭い視野で物事を考えていたのかと思い知った。
だが、それだけなら男性恐怖症を抱えているルシェちゃんである必要は何処にもない。
こう言ってはなんだが、アリエルさんなら婚前交渉という建前無しに、俺が求めれば自らの身を差し出すことだって出来たはずで、房中術を学んでいることも含めてむしろ望んですらいた。
では何故そうしなかったか?
自分に経験が無かったから、姦通済みのルシェちゃんならスムーズに進むから、なんて理由はありえないだろう。
そう思って告げた言葉に、アリエルさんは右手の人差し指をピンッと立てる。
「ある程度なら、と付け加えましょう。ですが、それでは意味がありません」
「意味……?」
何が言いたいのか分からず、首を傾げていると彼女が焦らすことはせずに口を開いた。
「ルシェアは、あなた様を説得する際に想いを告げませんでしたか?」
「──っ、じゃあやっぱり……」
「ええ、彼女がツカサ様を慕っていることは把握していましたわ。気持ちを伝えまいとしていたことも含めて」
あっけらかんと、アリエルさんは俺が考えていた可能性を肯定する。
ルシェちゃんが俺に告白する直前、彼女は本当は伝えるつもりはなかったと言っていた。
それでも告白してくれたことは今となっては嬉しいことだが、あの状況はそもそもアリエルさんがああなるように誘導した結果、出来上がったものだ。
あの場面を作り上げるには、直前まで秘めていたルシェちゃんの想いに気付いていない限り、偶然で片付けるには無理がある。
そうなると、一体アリエルさんはいつ彼女の恋愛感情に気付いていたのかってことになるが、その時期もすぐに伝えられた。
「ワタクシがルシェアの想いに気付いたのは、王様ゲームの時です。何せ、男性恐怖症の彼女が唯一発作の出ない相手がツカサ様であり、元よりあの子はあなた様に絶対的な信頼を寄せておりましたもの。そう考えると辻褄が合いますし、そう見て当然ですわ」
「っ、そんな前から……」
これもルシェちゃん自身が言っていた事だ。
自分の気持ちを自覚したのは、あの子とアウトレットモールでデートした時だったが、それよりも前に気持ち自体はあっただろうと。
元修道女という職業柄上、他人の感情の機微に敏いアリエルさんが気付いていてもおかしくない。
だが、王様ゲームの頃からとは思ってもみなかった。
──だって、そうなると……。
「──日本への留学も、男恐治療係も、この時のための計算内だったってことですか?」
「流石ツカサ様です。ええ、その通りですわ」
特に動揺した素振りもなく、彼女はそう答えた。
なんというか、してやられたと思う他ない。
ルシェちゃん本人はもちろん、今の今まで誰一人として察せられない用意周到な計画にだ。
彼女の恋心の自覚すら、アリエルさんによって促されたと言っても過言じゃない。
そうなると、ますます彼女が自分の恋敵を増やす理由がわからないな。
正直言って、身体を重ねたこともあってルシェちゃんに独占欲を抱いた……つまり、俺の中で他の三人に比べてあの子への想いが一番強くなっている。
わざわざ厄介事を引き入れる様な真似をして、一体何が目的なんだ?
そんな疑問の眼差しを向けられていることを察した上で、アリエルさんはニコニコと笑みを浮かべ続ける。
「御心配なさらずとも、ツカサ様の悪いようには致しませんし、ルシェアの男性恐怖症の治療も全くのデタラメというわけではありませんわ」
「だったらなおさら、なんでこんなことを……」
「ツカサ様に、ルシェアを受け入れて頂くためですわ」
「え……?」
きっぱりと告げられた言葉を意味を、一瞬上手く飲みこめなかった。
どういうことだ?
わけがわからず呆けている俺に、アリエルさんはゆっくりと答えを述べていく。
「はぐらかさず正直に答えましょう。──ルシェアの幸せのため、あの子の伴侶はツカサ様以外の殿方は相応しくないと判断したからです」
「よ、余計に分からないんですけど……」
独占欲を持っている以上、そう断言されると嬉しくはある。
でも、それは俺に好意を向けている三人の気持ちを……アリエルさん本人の気持ちすら否定しかねない諸刃だ。
「よく考えてみて下さい。もし彼女があなた様への気持ちを隠したまま……いえ、自覚がないままで男性恐怖症が治らければ、最早生涯を賭けようと結婚は不可能です」
「それはルシェちゃんの留学初日の頃に聞きましたけど……」
「そうです。あの時の説明に言葉を付け加えるのなら、ツカサ様以外の男性との恋愛は不可能と断言致しますわ」
「ふ、不可能って……」
そんな馬鹿なって思う他ない。
だがしかし、そうはっきり告げたアリエルさんの表情は真剣そのもので、一切の悪戯心を含んでいなかった。
「ルシェアの男性恐怖症は、叔父様の復讐が起因した性欲の捌け口にされたことが原因です」
「そう、ですけど……」
「ツカサ様への恋慕と信頼が無ければ、一生女性としての幸せを知る機会を得られなかったでしょう」
でも、あの子は俺に恋をして、絶対的な信頼を寄せた。
いい加減、ここまで言われればどうしてルシェちゃんをけしかけたのか、大まかに予想できる。
──ルシェア・セニエに女性としての幸福を与えるためには、俺への初恋を成就させる他ない。
アリエルさんはそのために、国境を越えた計画を立てたのだ。
自分の初恋を天秤に掛けてまで……。
だが、何故彼女がそこまで親身になるのか。
そこだけが解らない。
「なんで、あの子のためにそこまで……」
「──ルシェアは被害者です。なのに自分には罪を犯したから幸せになる資格はないと、諦念に駆られている……まるで直前までの誰かさんのようではありませんか?」
「……そういうことか」
アリエルさんが言った『自分では俺の想いに答えを出せない』という言葉……あれは、自暴自棄になった俺の心に一番寄り添えるのがルシェちゃんで、彼女が抱える心の傷に寄り添えるのが俺だったからだ。
あの夜の出来事は、俺と彼女の二人を同時に奮い立たせるためだった。
傷の舐め合いという、ある種の荒療治だと察する。
「ツカサ様とルシェアのためと思えば、先を越される嫉妬心も抑えてみせますわ」
「嫉妬はするんですね……」
「当然です。諦めるつもりは毛頭御座いませんもの」
大胆というか強かというか……。
ともかく、おかげで俺はこうしていられるわけだから、言うべき事はしっかりと伝えないといけないな。
「ありがとうございます、アリエルさん」
頭を下げて、お礼の言葉を口にする。
煮え切らない態度を取り続けた俺なんかに、自分の想いを抑えてまでの心遣いには、申し訳ない気持ちはある……でも──。
『誰が悪いとかそういうのは良いんです。こういう時は誰だって『ごめん』よりも『ありがとう』って言われた方が、嬉しいんですから』
何よりも、助けられたことに感謝しないといけないと、思い知ったから。
だから、こうして気持ちを言葉に出して伝えたんだけど……。
これだけじゃ、全然足りないなと思ってしまう。
「うふふ、よろしい」
「今度、何かお礼をさせて下さい。もちろん、俺が出来る範囲でですけど」
「あら、よろしいのですか? では、ツカサ様との熱い夜を──」
「それは無理ですって」
満面の笑みでお礼の内容を口にするが、即座に却下する。
当然、自分の言葉を遮られたアリエルさんは不満気だ。
「むぅー……ルシェアとは逢瀬を交わしましたのに、まだ我慢なさりますの? それとも、彼女に操を捧げたことに対する義理なのですか?」
「何もルシェちゃんだけに限った話じゃなくて、昨日みたいに流されるのは一回だけで十分なんです」
「はぁ~……ツカサ様がそう仰られるのでしたら……」
「そうしてください。何もアリエルさんに不満があるわけじゃないんで、ちゃんと順序を踏んでからですよ」
「え──?」
俺が言った言葉が咄嗟に理解出来なかったのか、アリエルさんはキョトンとした表情を浮かべた後、カァッと顔を赤らめていった。
「あ、あの、ツカサ様? 今のお言葉はどういったものでしょうか……?」
「今は、これもルシェちゃんのおかげってことで勘弁して下さい。しっかりと俺なりに考えて告白の返事を出しますから、もう少しだけ……」
「あら、焦らすだなんて随分と意地の悪いことを仰られるのですね?」
「それに関してはお互い様だと思いますけど……まぁ、いいか」
普段の自分の言動を棚に上げる彼女に、何を言っても今更かと思い直す。
そうしてアリエルさんとの会話を終えた後、後は翡翠にどう向き合うべきか頭の片隅で考える。
ハッキリ言って、俺の存在が彼女のトラウマを刺激してしまうことはどうしようもないことだ。
そもそも、一口に翡翠を救いたいと言っても、そのために何をどうすればいいのかという点が不鮮明だったりする。
それ以前に、もしかしたら翡翠は自分が救われることを望んでいないかもしれない。
身も蓋も無い言い方をすれば、これは俺の自己満足と言ってもいいだろう。
でも、だからといって諦めるつもりはない。
ゆずの日常指導係を通じて、何度も実感したはずだ。
──歩み寄らないと、先に進めないと。
「なら、やることは変わらないか……」
ポツリと、そんな言葉を呟いた。
自分以外の誰にも聞こえない程の小さな声音で発せられたそれを、心の中で何度も何度も反芻する。
翡翠を助けたい。
自己満足でも余計なお世話でも、ありがた迷惑でだっていい。
ただ、そのために出来ることを模索するだけだ。
それが、術式の使えない俺が、彼女達に出来ることだから……。
──ビィーッ!
──ビィーッ!
ゆず達と仲直りした次の日の夕方、唖喰の出現を報せる警報が日本支部に響き渡る。
日常が非日常へと移り変わる、戦いの幕開けだった。
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