249話 訪れた悲劇の刻(とき)


「新種の唖喰!?」


 戦闘中に初咲支部長からの通信で齎された情報……新種の唖喰が現れている可能性が高いということに、美沙は驚きを隠せなかった。

 何故よりよって今日なのか……そんな不快感で歯を噛み締める。

 

『ポータルも無しに唖喰を増やすだなんて芸当は、過去のデータに存在していないわ……故に多少性急とはいえ、新種と仮定して警戒を怠らず対処にあたって頂戴。情報分析が済み次第、逐一こうして連絡するわ』


 だが、それを通信先の初咲に言っても、ましてや今も獲物を喰らおうとする唖喰に言っても栓無きことである。

 そのまま通信は一旦切られ、二人の胸中にはなんとも言えない不安が渦巻いていた。


「……ひーちゃん」

「……うん」


 抱いたばかりの慢心も、新種の唖喰という未知の存在の前では風前の灯に等しいようであった。

 ショックというより、未知に対する恐怖が勝っているのか、翡翠の表情は幾分暗かった。


 そんな彼女を励ますため、美沙は翡翠の小さな頭の上に掌を乗せて撫でる。


「大丈夫。ひーちゃんのことは私が守るし、新種の唖喰なんてすぐにやっつけて帰って来るよ」

「……ホント?」

「ホントホント。ひーちゃんのお姉ちゃんは約束を破ったりしないでしょ?」

「──はいです!」

 

 美沙の言葉に励まされた翡翠は、戦闘中に到底浮かばないような満面の笑みをパァッと輝かせる。

 大事な家族の様子を見て大丈夫だと確信した美沙は、少女の撤退を援護するために術式を発動させた。


「固有術式発動、メタトロン・ビーズ」


 三十六万もの光の粒を展開させ、美沙はさらに声を張る。


「みぃちゃん、援護して!」

「ヘイヘイ、さっさとやるぞ」


 マスケット銃を撃っては投げを繰り返していた美衣菜にも、手助けの声を掛けたのだ。

 彼女としても、新種の唖喰を相手取るのに翡翠の存在はあまり良くないと考えていた。

 それだけに美沙が撤退を指示したこと、少女がそれに従ったことは都合が良かった。


「それじゃ、ひーちゃん! 全力で走って!」

「はいです!」


 美沙の掛け声に合わせ、翡翠は身体強化術式を最大出力で発動させ、一気に駆け出す。

 それに美沙と美衣菜も追随する。


「ギシャアアアア!」

「ガルルルルルァ!!」

「シャアアアア!!」


 だが、そうはさせまいと唖喰達が立ち塞がる。

 悪辣なその本能で、獲物翡翠の撤退を阻止するためだ。


「邪魔しないで!!」


 当然、そんな敵の行動に美沙は不満を露わにする。

 展開している無数の光の粒子を操り、唖喰達をハチの巣にして消していく。


「ハハはハははッッ! どけどけどけどけーッ!!」


 マスケット銃を次々と撃っては投げて、美衣菜も唖喰を蹴散らしていく。

 それでも依然として押し寄せる敵の群れに、三人は段々と移動速度を落とす一方であった。


「みぃちゃん! いっそ動き止めちゃって!!」

「言われなくてもやってやるよォッ!!」


 何も全て倒す必要はない。

 翡翠が撤退する道を作ることが二人の目的なのだから、ある程度の間引きと時間稼ぎが出来れば十分なのだ。

 その意図を理解しているからこそ、美沙の掛け声を合図に美衣菜は固有術式を発動させる。


「固有術式発動、パラライズ・パラダイス!!」


 上下二連式のショットガンを手にし、その引き金を引く度に光弾が前方に放たれる。

 光弾が唖喰の群れに着弾すると、閃光と共に光の網が敵を覆っていた。


 拘束効果のある術式により、敵の動きを封じたのだ。

 網の拘束を逃れた唖喰に対しては、美衣菜がマスケット銃で撃ち抜いたり、美沙が展開している極小の光弾で対処していく。


「ゲギャギャギャギャギャ!」

「ガルルルルルルルル!」

「シャアアアアアアア!」


 だがそれでも、唖喰の群れは次々と押し寄せてくる。

 彼女達三人以外にも魔導士がいるのにも関わらず、まるで群れ全体が三人だけを襲っているようにも思えた。


「く、こん……のぉっ!!」


 あまりの数の暴力に、美沙は苛立ちを発散させるように愚痴を吐きつつ、メタトロン・ビーズの光弾を自分達を囲うように旋回させた。

 近付くモノを阻む嵐のような攻防一体の技だが、唖喰はなおそれを越えようと突っ込んで来る。


「ああアあアアアッッ! うざってェッ!! 固有術式発動!!」


 敵のちまちまとした、しかし厄介な効果を発揮する妨害に美衣菜の怒りが爆発する。

 その感情のままに発動させた固有術式の効果で、彼女の右腕が黒い殻に覆われたように変化する。


「スティーシェル・スマッシュ!!」


 禍々しさすら感じるそれを、彼女は大きく振り被って一番前にいるイーターへと拳を殴り付けると……。

 

 ──バアアァァァァンンッッ!!


 空間そのものを揺らす程の凄まじいインパクトが走ったかと思うと、攻撃対象である唖喰達は一瞬で塵と姿を変え、たった一撃で前方にいた百体近くの唖喰が消し飛ぶ。


 固有術式〝スティーシェル・スマッシュ〟。

 腕にガントレットのような黒い殻を纏わせることで、強烈な一撃を叩き込むという効果を持つ。

 

 だが、そんな一撃を目にしようともなお湧き出る敵に対し、美衣菜は動きを止めずに新たに魔法陣を展開し、今度は黒一色に染まったマスケット銃を二本手に取る。


「今度はコイツを食らいやがれェッ!!」


 そう吠えながらマスケット銃の引き金を引くと、唖喰の群れを挟むように左右へ弾丸が縦並びで放たれた。

 

「キッヒヒヒ……」


 美衣菜は狂笑の表情のまま両手に持つマスケット銃を手放し、だらんと下げた手の爪を立てるように指を曲げる。

 その両手を振り上げてクロスさせると……。


「固有術式発動、ヴァンパイア・クローバイト!!」


 先程撃った弾丸から、赤い光の牙が左右から唖喰達を喰らわんと噛み千切る。

 さしもの唖喰も、食欲を本能とする自身が喰われる側になるとは思っても見なかっただろう。

 

「ハハはハッ! はハハはははハははハはハハハッッ!!」


 しかし、その一撃で終わりではない。

 美衣菜ががむしゃらに両手を振り回す度に、赤い牙は何度も唖喰達に噛み付いて行く。

 

 固有術式〝ヴァンパイア・クローバイト〟。


 先に撃った弾丸で位置をマーキングし、そこから魔力で発生させた赤い牙を操る術式である。

 遠隔操作の爪のようにも見えるが、どちらにせよ強力な攻撃である点に変わりはない。


「よしよし、あと少しだよ!」

 

 結果的に敵の妨害を受ける前に倒せているため、美沙は感嘆の声を上げる。


 唖喰にとっての失敗は、美衣菜を怒らせたことだろう。

 攻撃的な狂人を怒らせることなど、自殺行為そのものとも言える。

 

 そして美沙の言う通り、唖喰の包囲網もあと少しで突破出来るところまで来た。

 なおも離脱を許すまいと敵は大量に襲い掛かって来るが、美沙の美衣菜の攻撃によって妨害もままならない状況が続く。 


「攻撃術式発動、光弾三連展開、発射!」


 加えて翡翠も負けじと攻撃に加担しているのも大きい。

 敵にとって一番の狙いはまさに彼女なのだが、その本人は美沙達の撃ち洩らしを蹴散らすことに神経を研ぎ澄ましているため、隙を潜り抜けて来た唖喰を的確に撃破していた。


「グルアアアアッッ!!」


 一体のイーターが体に幾つか穴を開けながらも、翡翠を喰らおうと大口を開けて飛び掛かって来る。


「てやぁっ!」

「ガブッ!?」


 そんな動きはお見通しだと、訴えるように翡翠は手に持つ長棒で刺突を繰り出し、イーターを殴り飛ばす。

 たったそれだけで、イーターはようやく通り抜けたメタトロン・ビーズの嵐へ戻されて、その体を塵に返る。

 

「ひーちゃんもナイス!」

「はいです!」


 美沙の惜しみない称賛に、翡翠は快く返す。

 途中で自分だけ離脱することになったが、それでもこうして美沙達と共に戦えることは彼女にとってずっと待ち望んでいた瞬間である。

 

 自然と士気は上がり、緊張こそすれど恐怖はあまり感じていない。

 

「ハアッ!」


 いよいよ出来上がった突破口へ、美沙はメタトロン・ビーズで道を形成する。

 その道を辿れば後はひたすら遠くへ駆けるだけであった。


 若干口惜しさは残るが、死んでは元も子もないため、翡翠は身体強化術式を最大出力で発揮してその道を通り抜ける。


 五メートル……四メートル……三メートル……二メートル……一メートル……。

 

「よしっ! 抜けた!」


 唖喰達の攻撃が届かない高さまで跳び上がり、追撃が来ないことを確かめた翡翠は空中で反転して後方にいる美沙へ振り返る。


「おねーちゃん、絶対に戻って来てね、です!」

「うん! もちろん!」


 端的に約束を交わし、少女は再び反転して正面を向く。














「シュルアァッ!」

「──ぇ」


 ──正面を向いたと同時に、から一体のシザーピードが飛び掛かって来た。


 あまりに突然の事で、翡翠は攻撃に対する反応に遅れ──。


「きゃうっ!?」


 腰から下を大きなハサミで拘束され、そのまま連れ攫われた。

 

「ひーちゃんっ!!?」

「んだよアイツ、どっから来たんだ!?」


 急変した事態に、美沙は悲鳴に近い声を上げる。

 同じく驚きを隠せない美衣菜が慌てて周囲に視線を向ける。


 二人は今確かに、翡翠が無事に離脱出来ると信じ切っていた。

 その安堵の隙を突いた不意打ちに、動揺を隠せず一気に焦燥が募る。


 シザーピードは大きなハサミを持つムカデ型の唖喰で、スピードこそあれど先程のような跳躍が出来るなど、美沙と美衣菜は聞いたことも見たこともなかった。


 だが何より驚いたのは……

 

「もしかしたら、新種の唖喰の仕業か?」

「分かんないけど……とにかくひーちゃんを助けきゃ……みぃちゃん!」

「おう、引き受けてやるからさっさと行けェッ!!」


 あのタイミングでシザーピードに妨害された理由は後回しにし、美沙は美衣菜にこの場を任せて翡翠の救助に向かった。


 ──嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、ひーちゃんが……私の家族がいなくなるなんて嫌だ!


 司だけでなく、翡翠も居なくなってしまったらと思うと、美沙は自分がどうなるか予想もつかなかった。

 それだけは絶対にダメだと、彼女は妹が攫われた方角へ駆ける。


「シャアアア!」

「ガルルルルァ!」

「~~っどいて!!」


 そんな彼女の進行を阻止しようと、唖喰が牙を向く。

 一分一秒でも大事な人の元へ駆け付けたい美沙にとって、それはかつてないほどに腹立たしいことだった。

 その苛立ちを示すように、メタトロン・ビーズにより光の粒をけしかける。

 あっという間に全身に穴を開けて塵となる唖喰を尻目に、美沙はさらに足を速める。


 それでも唖喰の妨害は止まらず、美沙の前に立ち塞がる。

 何度蹴散らそうとも一向に絶えない敵数に、彼女の苛立ちはさらに募っていく。

 

 度重なる足止めに、美沙が苦戦を強いられていると……。



「──ぃやああああぁぁぁぁああぁぁああぁぁぁぁぁぁあああああっっ!!!??」


 

 少女の初めて聞く悲鳴が耳に入った。


「ぁ──」


 その声が聞こえた瞬間、美沙の中で遂に我慢の限界が訪れた。

 

「私の……」

 

 ポツリと漏れた呟きには、美沙が生きて来た中で最も大きな怒りを孕んでいた。

 彼女の怒りに呼応するように、周囲に渦巻くメタトロン・ビーズの光の粒子がさらに本流を強くする。


「シャアアア!」

「ガアアアアア!」 


 ラビイヤーやイーターが美沙へ飛び掛かるが、その暴風雨と見間違える粒子の雨で瞬く間に塵と化し、そんな唖喰達の末路に構わず、美沙は怒りを露わにする。


「私の妹に……手をだすなぁぁぁぁっ!!」 

 

 感情の高ぶりによって、より強烈に荒れ狂う嵐の波に呑まれた唖喰達は、その姿を塵に変えていく。

 美沙はそんな唖喰達に目もくれず、翡翠の悲鳴が聞こえた方角へ一気に走る。


 ──ひーちゃん……ひーちゃん!


 美沙の心には妹の安否を確かめたい以外の気持ちは一切なく、足取りも焦りを含んだ速さになっていく。



 ──お父さんとお母さんと同じように、ひーちゃんも殺させない……私が守るんだ!


 唖喰に喰い殺された両親と同じ末路を歩ませないと、彼女はただ目の前の障害を払う。

 そうして進むうちに、美沙に見向きもせず背を向けるシザーピードが視界に映る。

 

「っ! アイツが……!」


 翡翠にあんな悲鳴をあげさせた相手だと認識すると、美沙は怒りを隠せすことなく殺気を向ける。

 そのまま相手が自分の存在に気付いてない逆手に取って、怒りをのせて粒子の嵐をぶつける。

 これまで倒してきた唖喰と違い、そのシザーピードだけは念入りに塵も消し飛ばす程に。


 さらに三十六万もの光の粒子によって大きな竜巻を形成し、それだけに留まらず、なおも周囲に蔓延る他の唖喰も竜巻を四方に旋回させて消滅させる。

 もちろん、それだけの広範囲を攻撃するとなると相応に魔力も消費するのだが、美沙は全く意に介さなかった。


 翡翠のためであれば、残存魔力量に気を遣う余裕など不要なのだ。


「ひーちゃん!!」


 周囲の敵を殲滅したことを確かめると、すぐに地面に横たわっている翡翠の元へ駆け寄る。

 


















 ──そこには、地面を血で真っ赤に染めあげていき、腰から下が欠損してぐちゃぐちゃに潰れている少女の無残な姿があった。

 

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