229話 不機嫌な天使


『もし、美沙さんがまだ司くんのことが好きだったら、どうするの?』


 昨日、学校の保健室で看病してくれた菜々美に美沙の人柄を尋ねられ、その話を聞き終えた彼女からそう問い掛けられた。


 ──あんな別れ方をしたのに、そんなはずない。


 そう一笑するしかなかった。

 だってそうに決まっている。


 告白を受けて、恋人になったのにも関わらず、彼女への気持ちをはっきりさせなかったばかりに、その純粋な想いを踏み躙ったのは、他でもない俺だ。


 いくら美沙でも『元から好きでもなんでもなかった』なんて、本心で無くとも言われれば傷付く。

 現に、俺はそんな思ってもいない言葉をぶつけて、彼女の想いを否定した。


 でも……でも、もし菜々美の言う通りに美沙がまだ俺のことが好きなのだったら……。

 

 そう考えても、相変わらず答えは全く浮かばない。

 美沙に会って謝ることに固執していて、その可能性は微塵も考えなかったというのもあるが、何より謝って許されること以上に虫が良すぎる。

 

 そもそも、今の恋愛価値観を持ったのは美沙との喧嘩別れが原因だ。

 

 彼女が俺とよりを戻したいと言って、その想いを受け入れたら、今俺に好意を寄せてくれている三人を裏切ることになる。

 付き合っているわけではないが、三人からの告白の返事を未だ保留している現状では、間違いなく裏切りと断じられても仕方がない。


 もう、こんな状況が続くのなら、いっそ──。 


「──ボケっとしてんなよ!!」

「──っおっと……」


 思考に耽っている頭に、怒鳴り声が飛び込んで来た。

 咄嗟に声の聞こえた方に顔を向けると、一人の少年が俺の体に手を伸ばしてきた。

 

 俺はそれをくるりとターンをして躱す。

 当然、少年の手は空を切った。


「う、お、ととっ!?」


 勢い余ったのか、少年は上手く踏み込めずにバランスを崩してたたら踏んだ。

 そんなあからさまな隙を見逃すはずもなく、俺は少年の腰に巻かれている細長い布をサッと抜き取る。


 それを見た少年は、ガクリと腰を落として地べたに座った。


「あーっ、また負けた!! ボケっとしてたから、チャンスだと思ったのに!!」

「悪い悪い。でも始めた頃よりは身のこなしが良くなってきてるぞ」

「一度もアンタの布を取れてないから、成長が実感出来ねぇよ……」

「お疲れ、蘇芳君」


 少年──崎田蘇芳君が、俺との尻尾取りに負けた不満感を丸出しにした、悔しそうな表情でそう愚痴る。

 その彼の肩に手を置いて、もう一人の少年──十和朽葉君が健闘を称える。 


 俺もそうだが、二人は運動用にジャージを着ている。

 十和君は早々に俺が布を取ったことで脱落したため、体力はあまり消耗していない。


「でも、人は見掛けに依らないね。竜胆さんって何かスポーツでもやってるんですか?」

「いいや、生まれてこの方特定のスポーツにのめり込んだことはないかな」

「オレ、現役サッカー部のエースなのに、スポーツ経験皆無のやつに勝ててないのかよ……」


 あぁ、だから足捌きが上手いわけだ。

 俺の場合、唖喰対策として身体強化術式を掛けながら鍛えてるから、純粋な身体能力で言えば、崎田君の方が上だろうというのが、俺の予想だ。


 うん、まぁ……ぶっちゃけ俺が彼に勝てているのは、年齢と場数の差だ。

 もし彼に魔力があれば、率先して翡翠守る騎士ナイトとして、唖喰にも勇敢に立ち回れるかもしれない。


「崎田君、十和君、竜胆さん、お疲れ様です」

「ありがとう、菫ちゃん」


 俺達三人に、紫がかった黒髪をゆるふわパーマにした少女──李織菫ちゃんから、手作りであろう、レモンの蜂蜜漬けをもらう。

 

 うん、レモンの酸味に蜂蜜の甘味が染み込んでいて、美味しい。

 未だに思い出せないけど、アリエルさんより料理の腕が上なのは確かだ。

 アリエルさんのアレは、正直練習でどうにかなる次元じゃない気がする。


「いえ、こちらから竜胆さんに体育祭の自主練の手伝いを頼んだので、これくらい当然ですよ」


 そう、なんで俺が翡翠の同級生である彼等と尻尾取りをしているのかと言うと、昨日の晩に彼女から自分達の自主練を手伝ってくれないかと連絡が来たからだ。

 

 特に予定もなかったし、翡翠のためになるならと了承した。

 男女別に分かれて自主練をするということなので、菫ちゃん達と面識のあるルシェちゃんに、応援を頼んだ。

 そうして、羽根牧区にある公園の一角で中学校の体育祭の競技である、尻尾取りの練習から始めたのだった。


 なお、ルシェちゃんに頼ったのは決してゆずや菜々美だと、あらぬ誤解を受けそうだから選択肢に入れなかったわけじゃない。

 誤解も何も、三人の女性からの告白を保留にしてるわキスしてるわで、誤解が誤解じゃないのが怖いくらいだ。


 っと、今は蜂蜜レモンのお礼を言わないと……。


「それでも、この蜂蜜レモンだってそれなりにコツがいるだろうし、菫ちゃんは将来いいお嫁さんになるよ」

「へ……あ、ありがとうございます……」


 菫ちゃんにお礼の言葉を告げると、彼女はどこか浮足立ったような笑みを浮かべる。

 というか、なんだか頬が赤い気がする……。

 ルシェちゃんも魔導少女だから見た目以上に動けるし、ちょっと疲れてるのかもしれないな。


「菫ちゃん、顔が赤いけど大丈夫か?」

「え、ええ、大丈夫です……翡翠ちゃんが言ってたのってこういうことなのね……」


 大丈夫とは言っているが、後半はボソボソと呟いていてよく聞こえなかった。

 そう思っていると、崎田君から射抜くような鋭い視線を向けられた。


 翡翠は絡んでないのに……何故だ。 

 

「お前、やっぱロリコンなんだろ?」

「いやいや、なんでそうなる!?」


 失敬な。

 俺は純粋に菫ちゃんの将来性を称賛しただけだ。

 

「崎田君、多分あれが下心無しで言えるかが、セニエさんみたいな綺麗な人と仲良くなるコツかも──」

「朽葉、それだけは絶対にねぇよ」


 十和君が呆れを通り越して尊敬するような眼差しを浮かべながら、怒る崎田君を窘める。

 そこまで言われて、俺はようやくいつものジゴロ発言が出て来ていたことに気付き、背中にブワッっと冷や汗が流れ出た。

 

 やっちまったぁ……。

 よりによって中学一年生の翡翠の友達を口説いちまった……。


 そりゃ、ロリコン呼ばわりされるわ……。


「ツカサ先輩、お疲れ様です」

「あ、あぁ、そっちもお疲れ、ルシェちゃん」


 俺が自分の馬鹿っぷりにやるせなさを感じていると、羽根牧高校の体操服を着ているルシェちゃんが声を掛けて来た。

 掛けられた労いの言葉を、俺も彼女に伝えようとして──声を詰まらせた。

 

 何せ、ルシェちゃんの表情は笑ってるのに笑ってないからだ。

 お前は一体何を言っているんだって思うかもしれないが、俺には解る。

 

 今のルシェちゃんは、笑みを浮かべるのに怒っていると。


 まぁ、外国でよくやる挨拶のキスをしてもいいと思えるくらいに信頼している相手が、四歳年下の女子中学生を口説いていたら、そうなるよねー……。

  

「つっちー、ルーちゃんが怒ってるのはそういうことじゃないです」

「え、なんで翡翠は俺の考えてることがわかったの!?」


 続いて歩み寄って来た翡翠に、心内を読まれていたことに驚きを隠せなかった。

 ただ、その表情はからかうようなものではなく、ムスッとしたものだったが。


「まだ不貞腐れてるのか……」

「はい、スミレちゃん曰く、ヒスイちゃんはこういった家族絡みの行事には、あまり乗り気ではないそうです……」

「まぁ、あの子は両親が離婚しただけに留まらず、母親が唖喰に殺されてるからな。片親の子供が授業参観とかに乗り気じゃないっていうのはよく聞くし、翡翠が元気ないのも無理はないだろ」

「そう、ですか……」


 俺が知る範囲での翡翠の境遇を知ったルシェちゃんは、悲し気に眉を顰めた。

 そう、菫ちゃんが俺達に声を掛けた一番の理由は、翡翠に少しでも元気になってほしいからだ。


 菫ちゃんと崎田君は小学校低学年の頃から翡翠と交流がある分、出会って半年の俺より彼女の日常に触れている。

 

 そんな長年の友人である菫ちゃんから、翡翠が実は授業参観などの親子行事を酷く嫌っていると聞いた時、俺はあの翡翠がなんて驚きを隠せなかった。

 

 それと同時に納得もすることがある。

 昨日の体育祭に翡翠が来なかったのは、自分が不機嫌になることを理解していて、俺達に八つ当たりをしないためだったと分かる。


 そうなると、今の状況は翡翠からすればありがた迷惑以外何物でもないってことになるのだが、彼女も俺達が純粋な善意で中学生達の自主練に付き合っているのも理解しているのか、表情に出ていても口から文句が出ることはなかった。


「でも、いざ本番になったら、翡翠は大活躍じゃないのか?」

「いや、天坂は体力は確かにあるけど、運動能力は低いくらいだぞ?」

「は?」


 翡翠も魔導少女なんだから、昨日のゆず達のような活躍をするだろうと思っての発言は、翡翠を良く知る崎田君の言葉によって否定された。


 彼女と小学生の頃から付き合いのある崎田君が、嘘を言ったわけではないのは明白だ。

 

 俺が驚いたのは、翡翠の運動能力が低いだなんて思っても見なかったからだ。


 魔導士と魔導少女は身体強化術式を使って戦闘をするが、その効果量は術者の運動能力が高ければ高い程、術式の出力による上昇量が大きくなる。


 〝1〟を百倍にして〝100〟になるのと、〝3〟を百倍にして〝300〟になるのでは雲泥の差が出る。

 

 なお、彼女達は日常生活において魔導器の装備を義務付けられているが、こと学校生活においては身体強化術式を使うことは禁止されている。

 つまりゆず達は昨日の体育祭はもちろん、普段の体育の授業でも身体強化術式無しであれだけの運動能力を発揮しているのだ。


 いつかの鈴花のように、人目に付くところで術式を使えば怒られるが、あれも人目を避けていれば黙認されるらしい。


 そんな事情を抜きにしても、やっぱり翡翠の運動能力が低いとは思えない。

 

 そういえば修学旅行の海水浴の時に、翡翠が乱入して来たことがあった。

 俺はその時、彼女に泳ぎを教えたのだがフォームが整っていなかったにしてもかなり遅かったものの、それでも人並みに泳げるくらいにはなり、二人で競争することになった。


 崎田君が言ったように、体力はあるから俺とのスタミナ差は明白だ。

 後半で抜かされて負けたわけだが、あの遅さが泳ぎに不慣れじゃなくて、翡翠自身の運動能力が低いかったからとすれば……。


 そこまで考えて、俺はほとほと自分に呆れるしかなかった。


 ──ちゃんとしろよ俺。


 まだ半年とはいえ、俺はあまりにも天坂翡翠という少女のことを知らなさ過ぎると、不甲斐なさを感じた。

 小学二年生の頃に両親が離婚、その一年後に母親が唖喰に喰い殺されて、天涯孤独の身になる。

 魔導少女になって最初の戦いで、唖喰によって下半身を食い千切られて、教導係だった魔導士の献身によって一命を取り留めるも、その代償として教導係は死亡。


 以降、ベルブブゼラルの時の一回を除いて彼女が戦場に立ったことはない。


 そんな背景があるのにも関わらず、翡翠は非常に明るい性格をしている。

 実は一種の懐かしさを感じるくらいなのだが、今は置いておく。

 あの明るさの裏に、どれほどの心の傷を隠しているのか、まるで予想出来ない。


 魔導士と魔導少女の日常を守る。

 フランス支部の騒動で得た俺の答えは、翡翠にも当て嵌まる。

 

 まだ十三歳の小さな女の子が、心の傷を堪える必要のない、本当の笑顔を浮かべて穏やかな日常を過ごせるように、俺が出来ることがないか模索しないといけない。


「……ちょっと翡翠と話してくるよ」

「はい、ボクはスミレちゃん達と待ってますね」


 どちらにせよ、翡翠に元気が無いと俺も寂しい。

 こうやって一人でうだうだ考えるより、翡翠と直接話した方がいい。

 そう思った俺は体育座りをしている彼女の元へ歩み寄り、その隣に腰を掛ける。


「翡翠、どうした? いつもみたいに元気が無いぞ?」

「……そんなことないです、つっちー。ひーちゃんはいつも通りです」

「いつも通りじゃないってことくらい、俺にだってわかるよ」

「……」


 なんだかんだいって半年……決して短くはない時間を過ごして来たわけだから、それくらいは判る。

 俺の言葉に、翡翠はどう返したものかと反応に困っていた。

 珍しい様子だが、そうなるほどに今の翡翠はらしくないと感じる。


「菫ちゃん達、翡翠が寂しくならないように出来るだけ一緒にいようとしてくれるんだろ? 良い子達じゃないか」

「はい、ひーちゃんの自慢のお友達です」


 本心からの言葉だろう。

 ちょっとだけ表情の強張りが綻んだ気がする。


「中学一年生っていうと、何か恋愛話とかしないのか? ほら、翡翠ってよく告白されてるって隅角さんや菫ちゃんから聞いてるからさ」

「……正直、皆ひーちゃんの顔か体しか見てないので、告白されても気持ち悪いだけです」

「妙に辛口だな……例えば崎田君に告白されるとしたらどうだ? イケメンだし、翡翠とも仲が良いだろ?」

「崎田君とはお友達でいたいです」


 悲しいことに全く意に介されていないらしい。

 頑張れ、崎田君……。


 って、そんな余計なことはいいんだよ。

 今は翡翠のことに集中しないと……。


「つっちー……つっちーはどうしてそんなに強いです?」

「え?」


 不意に投げ掛けられた言葉に、思わず呆ける。

 だが、俺が答えを返す前に翡翠は体育座りのまま、顔を俯かせる。


「ひーちゃんは、唖喰が怖くて、憎くて、仕方がないです。おねーちゃんが居なくなってとても悲しくて寂しくて、どうしてひーちゃんが生きておねーちゃんがいないのって後悔して、唖喰が絶滅出来ないって知って、ずっとずっとどうしようもないままです」

「……」


 そんなことない、そう言うことすら出来ないくらい、翡翠のトラウマは大きかった。

 いや、トラウマだけじゃなくて、大切な人が亡くなって自分が生きていること自体に強い罪悪感を抱いている。


 翡翠が感じているのは〝サバイバーズ・ギルト〟という精神状態の一種で、戦争や災害に事故などに遭いながらも奇跡的に生還を遂げるものの、亡くなった被害者いたのに自分が助かったことに対し、強い罪悪感を感じることだ。

 これは工藤さんを亡くしたばかりの菜々美にも該当していたが、彼女は今のように俺を支えとすることで払拭している。


 だが、翡翠には菜々美と違って払拭できる存在がいなかった。

  

「つっちーは、唖喰に何度も殺されかけたのに全然折れなくて、唖喰が絶滅出来ないって分かっても、ゆっちゃん達のために戦うって決めてるのに、ひーちゃんは……」

「そんなの、翡翠は翡翠のままでいいんだって……無理に俺に倣おうとしなくても──」

「つっちーにっ! ひーちゃんの気持ちは分かりっこないです!!」

「っ!」


 挙句に、翡翠は自分と俺を比較して一層塞ぎ込む始末だった。


 怒号を散らして走り去る翡翠を、俺は咄嗟に追うかどうか迷ってしまう。

 コンプレックスの元に何が言えるんだって、自分で自分を責める。


 でも、同時に美沙と喧嘩別れした時のことを思い出す。


 ──あの時、彼女の後を追って謝っていれば……。


 そう思い至った俺は、翡翠が走り去った方へ一気に駆けだす。


「ツカサ先輩!?」

「後で連絡する!」


 突然の行動に驚くルシェちゃん達に簡潔に伝えて、俺は足を止めることなく、翡翠が入って行った光剣の森林の方へ入って行く。


 

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