215話 日常指導係改め……
さて、ルシェちゃんの男性恐怖症の治療に協力するにしても、色々方針を決めないといけない。
アリエルさんがわざわざ日本支部に来ているということは、そのあたりの段取りも説明してくれるだろうと思い、彼女の方へ視線を向ける。
が、何故かアリエルさんはゆずと菜々美と鈴花の三人と輪になってこそこそ話していた。
「(どう思われますか?)」
「(ルシェアちゃんが司くんにだけ平気なのって、そういうことなのかな?)」
「(でもあの様子だと、多分どっちも解ってないと思う)」
「(いずれにせよ、しばらくは様子を見ましょう)」
一体なんなんだろうか……。
前にもこんなことがあったような気がする。
「さて、竜胆君がルシェアの男性恐怖症のリハビリ係……長いわね。じゃあ〝
「「え?」」
さも当然のように語る初咲さんに、俺とゆずはポカンと呆気に取られた。
あれ?
今なんて言われた?
俺がそう思っている間にゆずから凄まじいプレッシャーが放たれた。
それは殺気にも似たもので、正直立っているのもやっとだ。
当のゆずの表情は……初めて会った頃を彷彿とさせる無表情だった。
だがそれは感情を凍てつかせていたものとは異なり、激情から来るものだった。
有り体に言って……ゆずはめちゃくちゃキレていた。
「──初咲さん? どういうつもりですか?」
「ど、どういうつもりもなにも、ルシェアの治療のために竜胆君はどうしても彼女につきっきりになるだろうし──」
「でも二十四時間ではありませんよね? 残り時間を私の日常指導に当ててくれれば良いのでは?」
「いや、それだと結局俺が二十四時間つきっきりになることに変わりなくないか?」
ゆずが俺との日常をどれだけ大事に想っているのかは身に染みて伝わっているが、流石にそれは少々独善に走り過ぎている気がする。
いや、ベルブブゼラルの件があってからというものの、ゆずの俺に対する好意がエスカレートしているのは解っていたが、ここまでとは思っていなかった。
そんな俺の心象はともかく、普段我が儘の言わないゆずの言葉に初咲さんは苛立ちを隠さずにはっきりと告げる。
「あのねぇ、あなたがどういう指導を受けているかは竜胆君から定期的に報告を受けているけれど、最近は教えることが目に見えて減っているわ。これがどういう意味かは分からないとは言わせないわよ」
「う……」
初咲さんの言う通り、最近では日常指導係としてゆずに教えることがめっきり減っていて、何も教えることがないまま一日を終える日もあった。
正直、このまま惰性で過ごしていていいのかと、漠然とした不安は感じていた。
いくら俺に辞めるつもりはないとはいえ、教えられることには限りがある。
それを分かっているのか、ゆずも強く反論出来ないでいる。
「彼はゆずの日常指導係である以前に組織の一員なの。あなたばかりに構っていられるわけではないし、いずれ解任する予定だったのだから仕方ないでしょ?」
「で、ですが……」
「そもそも、ベルブブゼラルの時みたいに彼の身に何かあった時に一々メンタルを崩していたらキリがないわ。恋愛感情を抜きにしても彼と離れても平静に過ごせる心を持ちなさい」
「い、嫌です! そんなの、私に死ねと言っているのと同じじゃないですか!?」
「もう、ゆず!」
娘を叱る母親のような物言いの初咲さんに対し、ゆずは普段の理性的な面が見えない程に感情的になって拒否する。
俺への好意に命を賭けてくれるのはありがたいが、確かにこの先も組織の一員として過ごしていれば、日仏魔導交流演習の時のように俺が同行出来るとは限らないし、どうしてもゆずと一緒に居られる時間は減るだろう。
〝天光の大魔導士〟と呼ばれ、飛び級出来る程に賢いといってもゆずはまだ十五歳の女の子だ。
特異な環境で育って来たこと、暖かい日常に触れて来たことで感情を表に出すことを躊躇わなくなった分、感情的な思考が目立って来ている。
日常に疎かった魔導少女に遅れてやって来た、反抗期とも言える言動だった。
「お言葉ですがユズ様。ツカサ様がルシェアの男恐治療係に就かなければ、彼女は普通の女性としての日常生活を送ることが難しくなってしまいますわ。貴女様の我が儘でルシェアの人生に蓋を閉ざしても構いませんか?」
「あ、う……それは……」
かなり手厳しい指摘がアリエルさんの口から出て来た。
頭ごなしに叱っているわけではなく、ルシェちゃんの将来を犠牲に自分の我が儘を突き通してもいいのかと、ゆずの良心に訴えかける言葉だった。
意地が悪い言い方だが、アリエルさんなりにゆずとルシェちゃんの両者を想っての言葉だとは容易に伝わった。
「え、えっと、ボクは付きっきりでなくてもいいので、日常指導係はそのままでも大丈夫で──」
「いいえ、その妥協はどちらかのためにはならないわ」
ゆずの寂しい気持ちに申し訳ないと思ったルシェちゃんが、自分を後回しにしても構わないと妥協案を出すが、初咲さんににべもなく却下された。
男性恐怖症を治すために日本支部に来たというのに、後回しにしては本末転倒だ。
……仕方ない。
このまま口論が続いてゆずとルシェちゃんの間に悔恨を残すわけにはいかないと、俺は腹を括ることにした。
「初咲さん、日常指導係と男恐治療係は兼任でお願いします」
「司君……!」
「ただ、期待させて悪いんだけど、ルシェちゃんの男性恐怖症の治療が一段落するまでは、やっぱりどうしてもルシェちゃんと接する時間に偏るから、ゆずに我慢してもらうことにはなると思う」
「そ、そんなぁ……」
上げて落とされたゆずは、眉を八の字にして落ち込む。
心が痛むがこればっかりは仕方ない。
無知なゆずに日常を教えるのと、ルシェちゃんの男性恐怖症の治療では勝手が違うし、いきなり両立しようとすると失敗するのは日の目を見るより明らかだ。
まずはルシェちゃんとの時間の取り方を図るために、彼女に付きっきりになってしまう。
だが、それでもゆずを蔑ろにするつもりは毛頭ない。
「それでも空いた時間には極力ゆずとの時間を取るつもりだから、な?」
「むぅ……約束してくれますか?」
「ああ、当たり前だ」
「でしたら、我慢します……」
まだ納得はいかないと不満気ではあるが、ひとまずは矛を収めてくれたようだ。
恋する乙女の相手は大変ではあるが、それも好かれている証明だと割り切るしかないだろう。
「……はぁ、あなたはホントにお人好しねぇ……あまりゆずを甘やかさないでちょうだい」
「ツカサ様の優しさは紳士で美徳ですが、過ぎれば毒であるということもお忘れにならないでくださいませ」
「はい、善処します」
ゆずの我が儘に苦言を呈した二人から注意される。
まぁ、確かに甘やかしてる自覚はある。
これから注意していこう。
「さて、色々慌ただしくなったけれど改めてよろしくな、ルシェちゃん」
「はい!」
「そういえば、ルシェアちゃんのご両親にはどう説明しているんですか?」
菜々美がアリエルさんにそう尋ねた。
そうだ、ルシェちゃんが男性恐怖症の治療のために日本に留学しているということは、彼女の両親になんて説明しているのだろうか?
「その事ですが、まずはルシェアの男性恐怖症の件は彼女のご両親には説明済みですわ。治療の当てがあることも説明させて頂きましたところ、それが彼女のためになるなら是非にと、こちらがお願いされましたの」
「前にボクがツカサさんのことをパパとママに話していたので、ボクがそこまで信頼するならいいよって言ってくれたんです!」
「そっか……」
あの時は自分の存在が彼女の両親に疎まれていないか若干不安だったが、こうしてルシェちゃんが日本に来る許可を後押ししているなら、それはそれで良かった。
「なお、ルシェアが男性恐怖症の治療の間、新親衛隊の訓練に忙しいクロエが日本に参る訳にはいきませんので、日本支部の魔導士の方にルシェアの教導係を引き継いで頂く運びになっていますわ」
アリエルさんの言う事は尤もだった。
今日は珍しくいないが、アリエルさんの従者であるクロエさんがルシェちゃんの教導係とはいえ、フランスに居る彼女が毎日日本に来るわけにはいかない。
それならいっそ、日本支部の魔導士に引き継いでもらった方が色々手間が省けるだろう。
「そして、肝心の引き継いで頂きたい魔導士ですが……ワタクシはナナミ様にお願いしたいのです」
「え、わ、私っ!?」
アリエルさんからの使命に菜々美は大いに驚くが、一方で俺は納得した気分だった。
ルシェちゃんとも仲が良くて、魔導士としての実力と心構えを併せ持っている菜々美なら不足はない。
それに、アリエルさんがもし日本支部から派遣人材を送ってもらうのなら、菜々美と鈴花を指名していたほどだ。
慌てている菜々美には悪いが、実際のところ彼女が一番適格だ。
「えと、私はまだ魔導士になって一年と半年だし、教導係を務められる自信がないんだけど……」
「何事も経験ですわよ? それに、ナナミ様は将来教師を目指していられるのであれば、教導係の経験はしておいて損はないかと思いますわ」
「あ……」
どうしてアリエルさんが菜々美の希望職種を知っているかはわからないが、その言葉に菜々美はどこか納得の行ったような表情を浮かべる。
フランス支部での騒動の際、自分に自信を持てなかった彼女は大きく変わって行った。
それでも長年の癖と言うか、驚くと自分を卑下しがちな面がまだ残ってはいるが、やる前から何もかも無理だと投げ出す事はしなくなっていた。
だからこそ……。
「──わかりました。クロエさんに代わって、私が責任を持ってルシェアちゃんを立派な魔導士へと指導します」
彼女はアリエルさんの提案を受け入れた。
その答えに満足するように、アリエルさんはうんうんと頷いた。
「そういうわけで、私なりに頑張るからよろしくね、ルシェアちゃん」
「はい、ナナミさん!」
フランスで出会った頃から仲が良い二人なら大丈夫だろう。
そう思わせるだけの自信を、菜々美は見せてくれた。
「あ、そういえばボクはこれから組織でも学校でもツカサさんの後輩なんですよね?」
「ああ、それがどうしたんだ?」
俺がそう返すと、ルシェちゃんはパァッと笑って……。
「でしたら、呼び方も変えないとですね! よろしくお願いします──ツカサ
「──ぶっ!?」
ルシェちゃんから改めて先輩呼びされた俺は、思わず吹き出してしまう。
なんだこれ……今まで由乃を筆頭に色んな後輩に先輩呼びはされてきたはずなのに、彼女達より関わりの深いルシェちゃんからの先輩呼びはなんというかこう、ぐっと来るものがあった。
「あれ? えっと、いきなり先輩って呼ぶのは迷惑でしたか?」
「い、いや違うから! ちょっと新鮮だって思っただけで、迷惑じゃないしむしろそう言ってくれて嬉しいよ」
「そうですか! えへへ、ツカサ先輩!」
「ん、ん?」
「呼んでみただけです!」
「──」
何この可愛い後輩。
俺、これからこの子に付きっきりで男性恐怖症の治療をするのか……。
なんだろう、始める前からやる気が十二分に高まってきた感じがするなぁ……。
「「「「じぃ~……」」」」
「──っは!?」
一人感慨に耽っていると、ゆず、菜々美、鈴花、アリエルさんの四人からなんだか意味深な眼差しが向けられていた。
「司君……」
「デレデレし過ぎじゃないかなぁ?」
「むぅ、なんだか釈然としませんわね……」
「ったく、自分が相手なら平気だからって、変なことしないでよね?」
「色々すみません……」
確かに、ちょっと気が抜けていたかもしれない。
そんな反省を心に刻みつつ、こうして俺は日常指導係改めて、男性恐怖症の治療を担う──男恐治療係という役職に就くことになったのだった。
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