206話 アリエルの誕生日



 十月七日、今日はアリエルさんの誕生日だ。

 交流演習の最中に起きた騒動に巻き込んでしまったお詫びとして、是非とも参加してほしいとアリエルさんから送られてきた招待状に直筆で書かれていた。


 断る理由もないこと、騒動を経てようやく自分の人生を歩み出したアリエルさんの誕生日を祝いたいと言うことで、俺達も招待に応じて参加することにした。


 ダヴィドの件もあり、アリエルさんの誕生日会はパーティー会場を貸し切っているものの、彼女の家族であるレナルドさんとレティシアさんはもちろん、クロエさんと支部長代理として彼女の両親も参加し、交流演習に参加した俺達や親衛隊達にも声が掛かっているという。


 本来であれば事件解決に一役買ってくれた季奈も招待されていたのだが、自分は俺のお願いを聞いただけだといって辞退していた。


 翡翠も行きたがっていたが、こればかりは招待されている側である俺達ではどうしようもないことだった。


 代わりと言っては何だが、時間がある時にパフェを奢ることになった。

 それで満足するあたり、翡翠の年相応な反応に微笑ましく思えた。


 服装に関しては交流演習前日に着た礼服と同じだが、女性陣は全員髪型を変えていた。


 ゆずは黒のロングスカートのドレスに、黄色の髪が波を描くように広がっていた。

 髪は束ねるかストレートかのどちらかだったゆずが、こんなに大きな変化を加えるとは思ってもいなかった。


 菜々美は膝下丈で金色の刺繍が入った白いノースリーブドレスと、シースルーの薄緑のポンチョもそのままだったが、栗色の髪を後頭部に束ねてパレッタで留めていて、綺麗なうなじが顕わになっていた。


 思わずうなじに視線が吸い寄せられてしまったが、すぐに平静を取り戻すことは出来た。


 鈴花はワインレッドのミニスカートドレスだが、前回のままだとゆずと髪型が被るのを避けたのか、赤っぽい茶髪がサイドテールになっていた。

 

 こっちも新鮮な感じがして別人にしか見えなかった。

 馬子にも衣裳ってうっかり口に出さなかった自分を褒めたい。


 俺はまぁ、船上パーティーの時と同じスーツで髪も自分なりに整えて来たけど、どうにもあの時のアリエルさんが梳かしてくれた時のようにはいかなかった。


 お嬢様なのに自分で梳いたりしてるんだろうか。

 まぁ、クロエさんが魔導士になるまである程度は自分でこなす必要があったんだろう。

 実家に戻れた今じゃその心配もないけどな。


 そんなこんなで準備を終えた俺達は、転送術式を用いて一週間ぶりにフランスへと渡り、早速ある人物と再会した。


「ツカサさん、皆さん、お久しぶりです!」


 交流演習で知り合った今月で魔導少女になって三か月目になる小柄の女の子……ルシェア・セニエちゃんが結った青髪で出来た尻尾を揺らしながら俺達を出迎えてくれた。


 ルシェちゃんの装いはこれまた船上パーティーの時と同じグラデーションが掛かった青いマーメイドスカートドレスの幾重にも重なったフリルが海岸の波のように鮮やかな色合いを出していた。 


「ルシェちゃん、久しぶり」

「元気そうで何よりです」

「素敵な格好だね」

「出迎えてくれてありがとうね」

「いえ、皆さんのためなら問題ありません!」


 出迎えてくれた彼女に皆でそう挨拶をする。

 フランス支部の騒動である意味アリエルさん以上の被害者である彼女の元気な姿を見られることで、あの男の凶行を止めることが出来て良かったと、殊更強く感じた。 


 そんな彼女の案内で俺達は誕生会の会場となっているパーティーホールへと向かう。

 フランス支部から徒歩五分程で行ける近い場所にあり、入り口にはクロエさんがいた。


 執事が着るような黒の燕尾服を身に纏い、ダークブラウンの髪も三つ編みに編み込まれていて、後頭部に形作ったシニヨンからは一束だけ三つ編みが垂れ下がっていた。


 相変わらずの男装麗人っぷりに周囲の人の注目を度々集めていた……いたのだが……。


「……なぁルシェちゃん、なんでクロエさんはこの世の絶望を目の当たりにしたような沈んだ表情をしているんだ?」


 クロエさんは何故か入り口近くの柱にもたれ掛かって、口から魂が浮かんでいるかのように茫然自失としていて、なんというか……生きてる感じがしなかった。


 おかしいなぁ……俺、昨日あの人とアリエルさんへプレゼントする映画を選んだ時に、めっちゃイキイキしていたクロエさんの顔を良く覚えてる分、今のクロエさんが別人にしか見えなかった。


 一体俺と別れた後に何があったのかとルシェちゃんに問うと、彼女はどう答えたものか困ったように眉を八の字にしながら口を開いた。 


「ええっと、クロエ様とボクは一足先にアリエル様にお誕生日プレゼントをお渡ししたんですけど……クロエ様がプレゼントした映画のあらすじをアリエル様がお尋ねすると、結末まで全部喋っちゃんです」

「あっちゃぁ……ネタバレしちゃったのか……」


 クロエさん、『猫僕』をめっちゃ気に入ってたもんな……せめてあの興奮を治めてからフランスに帰すべきだったか。


 それにしたってネタバレは駄目だろうよ……。


「それで映画の内容をネタバレされたアリエルさんに怒られて、クロエさんはああなっちゃったってこと?」

「はい……」


 身内の恥を見せることにルシェちゃんなりに申し訳なく思っているようで、その顔は羞恥で真っ赤だった。

   

 こんな可愛い後輩に気を遣わせるなよ、と内心呆れつつ俺はクロエさんに歩み寄る。

 

「クロエさん、こんにちは」

「……あぁ、貴様か……はは、なんだ? アリエル様に金輪際映画を観るなとお叱りを受けた無神経な女だと、ワタシを笑いにきたのか?」

「それ多分、アリエルさんが観たことのない映画に限っての注意勧告だと思うんですけど……」


 これは絶対大袈裟に受け取ってるな。

 ハイライトの消えた目で自分の価値を下げるクロエさんの表情を見て明確に悟った。

 あくまでアリエルさんが怒ったのは、知らない映画のネタバレを回避するためであって、クロエさんにも自分と同じく映画を観て欲しい気持ち自体はあると思う。


「語気も覇気も弱り切ってるところ悪いですけど、今日は待ちに待ったアリエルさんの誕生日で今年はあの人の念願が叶った特別な年なんですよね?」

「……」


 俺がそういうとクロエさんの肩が一瞬だけビクッと揺れて、光のない目がギョロっと俺の方に向けられた。怖い。


「クロエさんはそんなおめでたい日にそんな暗い表情でアリエルさんを祝うつもりなんですか? それじゃアリエルさんが嬉しいはずないでしょう。俺だってそんな表情で祝われたくありません」

「――っ」


 再度クロエさんの肩が揺れた。

 よしよし、良い手応えだ。

 心の中でうんうんと頷きながら、俺は続ける。


「ここは一つ、怒られたことは水に流して何食わぬ顔でアリエルさんを盛大に祝いましょう。じゃないとクロエさんを傷付けてしまったかとアリエルさんが悲しんでしまいますよ」

「――き、貴様に言われなくてもそれくらい承知だ! 早く中に入ってこい!!」


 驚く程あっさり立ち直ったクロエさんは、漲る覇気の宿った目で俺達を見やりながらずんずんと会場へと歩みだして行った。


 クロエさんは良くも悪くも単純だ。

 特にアリエルさんを引き合いに出すとそれが顕著になる。

 だからこうやれば簡単に元の調子を戻すことは容易に分かった。


「す、すごいですツカサさん……! ボクがどれだけ励ましても駄目だったのにこんなにあっさりと……」

「クロエさんの場合、男の俺に言われた方が反骨心が働くと思うぞ? それにルシェちゃんからはあまり強く言い辛かったんじゃないか?」

「え、どうして分かるんですか!?」

「さて、どうしてでしょうかー?」

「むー! 教えてください!」

 

 敢えて答えずにおどけてみせた俺に、ルシェちゃんは自分の行動が見破られていたことが気になるのか俺に突っかかってくる。

 実際には、ルシェちゃんの性格を考えればすぐに分かることなのだが……まぁ、みなまで言う必要はないだろう。


「司君、早くしないとクロエさんに置いて行かれてしまいますよ」

「そうだよ司くん、せっかく招待されたのに遅刻しちゃったらそれこそアリエルさんに申し訳ないでしょ」

「ねえ、言うことは真っ当なのになんで二人で俺の腕を抱き寄せてるの?」


 何故か俺の右腕をゆずが、左腕を菜々美が自らの胸元に抱き寄せたことに、戸惑いと恥ずかしさを感じてしまう。


 全く意識していない相手ならともかく、ゆずと菜々美は告白の返事もまだなのにキスをしているため、否応なしに意識してしまう。


「両手に華じゃん、やったねー」

「いや、やったねーじゃなくて、これすっげぇ恥ずかし――」

「さぁ、行きましょうか」

「ゴーゴー」

「ひょっとして怒ってるのか? だったら謝るからこのまま会場入りだけは勘弁してほしいんだけど……」


 ニヤニヤを隠しもせずに囃し立てる鈴花に反論するが、バクバクと妙に早い鼓動が説得力を無くしていた。突然こんな積極的な行動に出るはずのない二人の声音に抑揚が無いため、何か怒らせるようなことをしてしまったと悟ってそう言ったのだが……。


「「別に怒っていません(いないよ)」」

「え、えー……」


 明らかに怒っているというのに怒っていないと言い張る彼女達に、俺はクロエさんを立ち直らせる時とは打って変わって言葉を無くしてしまった。


 ルシェちゃんは戸惑い気味に苦笑を浮かべるだけで、クロエさんからは殺気にも似た黒い感情が背中から発せられていた。

 いや、出来たら見てないで助けてくれるとありがたいんだけどなぁ……無理ですよね、そうですね。


 そうして会場となるパーティーホールのあるビルに入り、エレベーターで目的の階まで上がっている途中でもゆず達の拘束を解くことは敵わず、結局そのまま会場入りすることとなった。


 クロエさんとルシェちゃんの案内で通されたパーティーホールは壮観の一言に尽きた。

 高さ三メートルはあるであろう天井から吊るされた豪奢なシャンデリアは、爛々と輝きを放ってホールをこれでもかと照らしていた。

 ホールの広さはサッカーのフィールドと大差ないんじゃないかと思う程広く、逆に広すぎて妙に落ち着かないのは庶民の性だということで流すしかない。その奥にある檀上の上部に設置されている吊り看板には、多分フランス語でアリエルさんを祝うメッセージが書かれているのが分かった。


 シミもシワも一つたりともない真っ白なテーブルクロスが被せられた円形のテーブルが会場内に幾つか並べられていて、その上には船上パーティーの時にもアルヴァレス家で食事をごちそうになった時にも見た、色とりどりの豪華なフランス料理が所狭しと載せられていた。


 多分、三ツ星クラスの腕前を誇るアルヴァレス家の専属料理人の方が作ったやつだろうなぁ……。

 

 よく見ると親衛隊の面々も会場にいて、各々綺麗なドレスに身を包んでいた。

 彼女達との初邂逅だった船上パーティーの時にはそこまでよく見てなかったけれど、やっぱり魔導士らしく顔面偏差値が高い。


 そんな風に目の前の光景に俺達が目を奪われていると、ブーッと警報が鳴ったかと思った途端、照明がバツンと落とされた。

 ついさっきまで外より明るかったホールは一転して暗闇に包まれた。

 突然のことに会場内は動揺から出たざわめき声で満たされるが、すぐに壇上の左脇にスポットライトが当てられた。


 そこには一人の男性が立っていて、会場のざわめき声はさらに加速した。


 その人物を見て、俺は思わず「あっ」と声に出してしまった。

 何せ紺のスーツに身を包み、短く切り揃えた金髪に同色の顎髭を整えている壮年の男性が見知っている人だったからだ。


「こんにちわ皆様、アルヴァレス家当主のレナルド・アルヴァレスです。本日我が愛娘であるアリエルの二十歳誕生日という記念すべき日に、よくぞお集り頂き誠に感謝いたします」


 そう、アリエルさんの父親であるレナルドさんがスポットライトに照らされた壇上の一角に立ち、招待されて会場に訪れた俺達に向かってそう挨拶をした。


 上流階級の名家の当主とあれば、こういった挨拶は手慣れたものだろう、レナルドさんは緊張している様子が一切なかった。


 むしろ愛娘のであるアリエルさんの誕生日とあってか、いきいきとしているようだった。


「特に今年度はアリエルが紆余曲折を経て、我がアルヴァレス家に帰ってきた記念すべき年です。さて、そろそろ今日という日に祝うべき彼女に壇上へ上がってもらおうか……アリエル!」


 レナルドさんが左腕を自身の反対側に向けると、今度はそっちへスポットライトが向けられた。


 ──瞬間、会場の空気が一変した。


 スポットライトが照らした先には、暗転の間に会場に入って来ていたのであろう、今さっきレナルドさんが呼び掛けたアリエルさんが立っていた。


 立っていると言っても、その佇まいは船上パーティーの際にも見た、胸を張って背筋をピンと伸ばし、すべての所作が洗練されて微塵の乱れもない、優雅さや気品が溢れ出る美しい淑女らしいものだ。


 後頭部に束ねられた白銀の髪も相まって、その美しさはスポットライトの光以上にアリエルさんという存在を輝かせていた。

 身に纏うドレスも非常に凝っていて、二の腕半ばまですっぽりと覆う長手袋から肩や胸元など、アリエルさんの白くシミの一つもない綺麗な肌が露わになっている大胆なデザインだ。

 首には真っ白な真珠のネックレスが付けられていて、彼女の肌色と同等の輝きを放っていた。

 レースがふんだんにあしらわれたスカートも彼女の体にピッタリと貼り付くタイプなため、キュッとしまった腰のくびれも柔らかそうなお尻も服の上からでも容易に分かる。

 ドレスと同色のヒールを履いているが無駄な動きが無いため、歩き難さを感じさせない悠然とした歩みだった。


 特に目を引くのがそのドレスの色だ。

 それは青色寄りの紫色で、俺の苗字にもなっている竜胆の花の色だ。

 

 だからこそ、アリエルさんがあのドレスを着た意味を遠目ながら理解した俺は、顔に熱が集まる感覚を抑えることが出来なかった。

 あの人も一時の気の迷いなどではなく、本気で俺に対して好意を示していると思い知らされた。

 

 そんなアリエルさんは壇上の中央で立ち止まり、ゆっくりと会釈をした。

 その動きも整っていて、全く違和感がなかった。


「皆様……本日は招待に応じて頂きまして、誠にありがとうございます」


 マイク越しに彼女の口から福音のように心を震わせる柔らかい声音が発せられ、予め何度も練習していたであろう謝礼の言葉を紡いだ。


「招待状に書き記しました内容とお父様のご紹介の通り、ワタクシ……アリエル・アルヴァレスは本日を以ってこの世に生を受けて二十年目を迎えました。二十歳という節目を迎え、国によっては大人と認められる年齢でもあります。ワタクシも敬愛するお父様とお母様と同じく自らの責任を問われる立場となります」


 アリエルさんの言葉は、成人式のように自分の将来に責任を持つことを意識しているものだった。

 俺はまだ十七歳だからと楽観視していい理由にはならない。

 むしろこれからも魔導と唖喰の世界に関わっていくのなら、自分の行動に責任を問われ続けることになるだろう。


 命懸けの戦いに年齢なんて些細な言い訳にすらならない。

 若さだけで見逃されるなら少年兵なんて存在しないし、交流演習を通じて人の悪意から魔導士と魔導少女達の日常を守ることを決意した今なら尚更だ。

 道を間違えないように、自分の行動で自分を追い込まないように、彼女達を守れるようにならないといけない。


「これからの人生を歩むにあたって、ワタクシはアルヴァレス家の威光だけに頼るつもりはございません。ようやく念願が叶いお父様達と再会したからこそ、ワタクシはワタクシ自身の持てる力を用いて、自らの人生を悔いの無いように生きる所存です」


 そこまで告げたアリエルさんは一旦言葉を区切り……。


「今日はその第一歩となる日です。その門出の日となる今日を皆様にお祝い頂けることは、最上の喜びであると感謝致します……挨拶は以上とさせて頂きます」


 最後にそう告げて、アリエルさんは再び会釈をした。

 そうして彼女の二十歳を祝うパーティーが始まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る