173話 魔導少女達の意志 季奈・翡翠編


 初咲さんから唖喰の秘密を聞いた俺は、重い足取りで地下三階の技術班の整備室へ向かった。


 はぐれ唖喰に襲われた時のショックで、魔導器に損傷が無いかを検査するために整備室に来いと、隅角さんからの伝言を翡翠から聞いていたからだ。


 正直気乗りしない。

 今すぐベッドで不貞寝したい気分だったが、いざというときに魔導器が壊れていましたなんてことになったら今度こそ死んでしまう。


 そうならないように、俺は重い気持ちを押し殺して整備室に辿り着いた。


「おう、元気そうだなぁ、坊主」


 ボサボサの黒髪に無精ひげを蓄えた気怠けな表情と、紺のジャージの上に白衣を纏いながらも猫背なおじさん……技術班班長の隅角さんが挨拶をしてきた。


「すみません、魔導銃を作ってもらったのにあんな事になってしまって……」

「銃を構える余裕がないタイミングだったんだろ? だったら運が悪かっただけだ」

「運……」

「そう運だ。運悪く戦場から逃げ出したイーターが、運悪くデート中のお前らのところにやってきて、運悪くイーターは腹が減っていたからお前らを狙ったってだけ……そう割り切るしかねえだろ」


 本当にそう割り切れたらどれだけ気が楽になるだろうか。

 唖喰が絶滅出来ないっていうのなら、こうしている間にも日常を過ごしている人が食い殺されているかも知れないと思うと、どうしても他人事と切り捨てられる気がしない。


 会話をしながら右手首に着けていた腕時計型の魔導器を隅角さんに手渡す。

 持ち始めた当初に比べて、今ではスマホと同じレベルで肌身離さずに持っていないと落ち着かない程だ。


 なんだか手首がスース―する気がする。


「坊主は良くやった方だと思うぜ?」

「いや、俺は――」

「せや、つっちーは自分の命より菜々美の命を優先しただけ、立派やと思うで?」

「季奈……」


 隅角さんの称賛にどう返すか戸惑っていると、整備室の奥から、赤い和服を着た黒髪のおかっぱの少女――和良望季奈が出てきた。

 どうやら整備室の方で術式の開発をしていたみたいだったようだ。

 

「人間、誰しも自分の命が一番やのに、咄嗟に庇ったつっちーの勇気は褒められてええやつや。そこはウチも保障したる」

「でも、俺は怪我をせずに菜々美さんを助けることが出来たかもしれないって思うと……」


 実際に振り返ってみて、自分では冷静なつもりだったが、魔導銃を構えて撃つことは出来ていたかもしれない。

 

 菜々美さんを突き飛ばして自分が身代わりになるようなことをしなくても、菜々美さんの腕を引けば良かったかもしれない。


 正直挙げれば反省点はキリが無い。

 

「あ、つっちー!」

「翡翠……」


 鈴花と一緒にいたはずの翡翠が整備室にやってきた。

 いつの間にかゆず達がフランス支部に行く時間になっていたのか……。


「なっちゃんはどうです?」

「……ダメだった」

「つっちーでもダメなんて……」


 俺がここに入る時点で若干そんな気はしていたんだろう。

 翡翠はしょんぼりとした様子で項垂れていた。


 ふと、俺は二人に唖喰のことを尋ねてみることにした。

 二人共すでに唖喰が絶滅不可であることは知っているし、どうして戦い続けるのかを聞けば、何かヒントになるかもしれないと思ったからだ。


「あのさ……唖喰の数のことで話があるんだけど……」

「! ……解った、俺は坊主の魔導器の検査をしてるから、お前ら三人はあっちの方で話してな」

「……ありがとうございます」


 唖喰の数のこと……絶滅が出来ないことを知っている人物には、この暗号で伝わると初咲さんに教わっている。

 少なくとも、隅角さんと季奈と翡翠の三人は確かな反応を見せていた。

 流石にこの場所でそのまま話をするわけにはいかないため、俺達は隅角さんに促された方へ移動した。


 整備室の倉庫の一つだ。

 鍵は翡翠が持っている為、途中で誰かに邪魔をされることも、聞き耳を立てられることもないので、安心しろと隅角さんからお墨付きの場所だった。


 倉庫の戸締りを確認したところで、早速季奈が口を開いた。


「はぁ~……つっちーが組織に入ってからまだ一年も経っとらへんのに、誰が口を滑らしたんや?」

「ええっと、菜々美さんを励まそうとして〝いつか唖喰を絶滅させたら〟って言ったら、その菜々美さんから……」

「うわぁ~、ただでさえ今の菜々美はナイーブやのに、知らんかったとしてもそんな夢見事ゆったらあかんで?」

「つっちーって、たまに地雷踏んじゃうのカッコ悪いです……」

「いや、事実を知っていたらもう口が裂けても言えないって……」


 俺が事実を知った経緯を話すと、季奈と翡翠から呆れの視線を向けられた。

 本当に考えなしにも程がある。

 

 そりゃ唖喰が居ないのが一番理想的だ。

 だけど、本当のことを知っている人からすれば、季奈が言ったように夢見事と一蹴される程度の淡い理想だ。


「季奈はどうだったんだ?」

「ウチは実家が実家やから、割と早い段階で知らされたわ」


 季奈の実家……和良望家。

 組織の設立にも係わっているとされている〝魔導六名家〟の一つで、こうして気安く接しているものの、季奈は令嬢といっても問題ない立場の人間だ。


 一家全員が男女問わず魔力を宿しているため、生まれた時から唖喰と魔導の世界に足を踏み入れる宿命がある。

 そうであれば、早く知らされても違和感はない。


「仮に唖喰を本気で絶滅させたいんやったら、最初に側の世界にどんだけの唖喰がおるか観測せなあかん……まっ、今までの研究成果をわざわざ振り返らんでも三百年とおんなじようなジリ貧やね」


 やることははっきりしているのに、どれも手が着けられない……そういった事情で、人類側から唖喰を積極的に攻撃することが出来ない。


 向こうからの侵攻を待っていては、どう足掻いても後手に回ってしまう。


 本気で唖喰を絶滅させたいのなら、攻勢に出る準備が必要なのに、それすらままならないのが現状だ。


 季奈の言いたいことを要約するなら、唖喰を絶滅させたいなら、まずは唖喰の生態を暴いたりする必要があるのに、現段階でもそれは困難を極めている。


「逆にゆうたら三百年間も今の状態で切り抜けとることになるんやけど、なんでか解るか?」

「悪夢クラスや天災クラスの唖喰が頻繁に来ないから?」

「それもやけど、一番重要なんは諦めの悪い人らが戦って来たっちゅうことや」

「諦めの悪い……」

「せや、実際ウチが目標に決めとる〝魔導の技術で世界を幸せにする〟っちゅう夢を持ったきっかけは、唖喰の絶滅が出来やへんことを知った後なんや」

「えっ!?」


 季奈が今の夢を持つ経緯を聞いて、俺は驚きを隠せなかった。

 それは真実を知っても尚、季奈が絶望せずに戦い続けることを決めていると言っているようなものだった。


「嫌にならなかったのか?」

「何ゆーてんねん、嫌になったに決まっとるやん」

「え……」


 俺の問いに対して、季奈は何を馬鹿なという風に肩を竦める。

 

「和良望家に生まれたからゆーて、なんでそんな倒しきれへん化けモン相手にせないかんねやーって、拗ねたわ」

「す、拗ねる程度で済んだのかよ……」

「拗ねて唖喰がおらへんようになるんやったらいくらでも拗ねたる。せやけど現実はそない上手くいかへん……せやったら、今までご先祖様がやっとったことを、今度はウチがする番なんやって割り切るしかあらへんかった」


 その結論に至るまで季奈の十六年の人生でどれだけの時間が掛かったのかは分からないが、少なくとも今の俺と違って絶望して悲観に暮れることはせず、前を向いて夢を持って今を生きていることは理解出来た。


「別に嫌やったら逃げてもええってオカンやオトンには口酸っぱく言われたんやけど、ウチはウチに出来ることをやっとる内に〝術式の匠〟なんて呼ばれるようになっとった。そないなったら今度は未来の魔導士・魔導少女のために少しでも役に立つ術式を作る……これが今のウチにとって一番手に届く望みや」


 そう語る季奈の表情はとても頼もしく見えた。

 途方も夢に手を掛ける第一歩として、未来の魔導少女達が唖喰と戦いやすくするために、今生きている内に一つでも多くの術式を開発する。

 

 〝術式の匠〟と呼ばれる季奈にしか出来ない立派な目標に、事実を知って打ちひしがれている自分が途端に情けなくなってくる。


 季奈は季奈で、俺は俺でしかない……完全な妬みだが、それ以上に目の前の少女に敬意に近い感情を抱いた。


「……翡翠はどうだったんだ?」


 次に翡翠に尋ねる。


「ひーちゃんは……正直よく分からないです……」


 翡翠は申し訳なさそうに俯いて、まゆを下げていた。

 

 その反応を見て、いくら知っていると言っても無暗に尋ねていい内容じゃなかったと反省する。

 翡翠が唖喰とまともに戦ったのは初戦闘の時の一回きりで、俺が知っている限りでもベルブブゼラルとの戦いで負傷したゆずを助けた時くらいだ。


 それ以外では負傷していて且つ魔力が残り少ない魔導士・魔導少女の治療がメインの後方支援……所謂衛生兵のような役割を果たしている。


 実戦経験に乏しく、まだ十三歳の翡翠がすぐに答えられないのは当然だった。


「翡翠……」

「ひーちゃんが唖喰の絶滅が出来ないことを知ったのは、初戦闘の後です……」

「え……それってかなり早くないか!?」


 翡翠が唖喰と戦ったのは既に一年以上前になる。

 その時、彼女は唖喰の攻撃によって下半身を噛み千切られる重傷を負った。

 先日の俺も似たようなものだったが、翡翠の場合は下半身が完全に消失していたという。


 俺が言うのもなんだが、本当に良く即死しなかったと思う。


「教導係のおねーちゃんが死んじゃったって聞いて、ひーちゃんは凄く悲しかったです……おねーちゃんを殺した唖喰を許さないって、無茶をして戦おうとした時に、ひーちゃんを止めるために唖喰のことを教えられたです」


 そう、それだけの怪我を負った翡翠がこうして生きているのは、彼女の教導係だった魔導士の尊い犠牲によって即座に治癒術式を施されたからだ。


 今翡翠が語ったように、尊敬していた人を食い殺した唖喰に対して憎悪を滾らせながら戦おうとしても、不思議はない。


「あ……」


 今更ながら、俺はようやく今の菜々美さんの心情が当時の翡翠と重なっていることに気付いた。

 自分を助けるために尊敬する人を唖喰に殺された…どうしてすぐに結びつかなかったんだ。

 若干の自己嫌悪を覚えつつ、それならばと翡翠に尋ねる。


「真実もそうだけど、どうしてまだ魔導少女を続けているんだ?」

「それは……」


 翡翠は一度言葉を選ぶように区切ってから、口を開いた。


「どうしておねーちゃんは自分のことよりひーちゃんを助けたのか、それをちゃんと証明したいって思ったからです」

「助けられた証明……」


 翡翠の言葉を反芻して、ある光景が思い浮かんだ。 


『うん……先輩がいなくなったことは確かに悲しいし、辛いよ……でも私がここで投げ出したら、ここまで鍛えてくれた先輩の努力も無駄になる。そうなったら本当の意味で先輩が戦って来た意味がなくなってしまう……私が戦い続けることで先輩が戦った証になるんだよ』


 ベルブブゼラルとの戦いで戦死した工藤さんの葬式で、菜々美さんに魔導士を辞めるのかどうか尋ねた時に、彼女はそう答えていた。


 今の彼女は証明する意志が折れている状態で――いや、正確には俺が折れる要因を作ってしまったことが原因だが……。

 ともかく、あの時の言葉や覚悟を成し遂げることのないまま卑屈になってしまっている。

 それを嘘にしないためにも、菜々美さんを立ち直らせる必要があるが、俺はそれに失敗してしまっている。


 さらに唖喰が絶滅出来ないと知って、延々と立ち塞がる厳しい現実に打ちひしがれて……。


 ――本当に何をやってるんだろうな。 


 そう自虐する他なかった。

 だって菜々美さんはそれだけの覚悟が折れる程傷付いているのに、俺は上辺を取り繕った言葉しか投げ掛けられたかった。


 自分の身の振り方に悩まされている奴に、何を言う資格があっただろうか?

 きっと自分でも気付かない内に菜々美さんの好意に甘えていたんだ。

 好きな人の言うことなら絶対に立ち直るなんて、彼女の気持ちを軽く考えているような自惚れた気持ちで、何がちゃんと気持ちを決めるだ。

  

「つっちー? なんだか顔色が悪いです……」

「まだ病み上がりなんやろ? ちょっと休んどき」

「――っ」


 いつの間にか顔色に出ていたらしい。

 慌てて取り繕い、何でもないように笑みを浮かべる。  


「あ、ああ……そろそろ良い時間だし、今日はもう帰るよ……」


 一先ず二人にはそう伝えて、俺は自宅に帰った。

 両親に色々心配を掛けたことを謝罪しつつ、明日以降のことを気にしている内にまどろみに誘われるがまま眠った。

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