171話 永遠にこない〝いつか〟
あの時……咄嗟に菜々美さんを庇ってなければ、彼女はイーターに頭から食われて死んでいたかもしれない。
なら代わりに俺が――って思ってたけれど、実際は菜々美さんを余計に思い詰めさせてしまった。
彼女が、俺の事をどう想っているのか知っているくせに……。
彼女が、どうして強くなろうと必死なのかも知っていたのに……。
結局は自分が誰かを守れた事実を優先して、菜々美さんの気持ちを何一つとして顧みなかった。
そんな後悔を抱えながらも、俺はフランス支部から日本支部へ繋がっている転送魔法陣がある、一室にやって来た。
時刻は火曜日の午前九時……日本時間なら午後四時に当たる時間に、俺を日本支部に送るための迎えが来る予定となっている。
「ツカサさん、体の調子はどうですか?」
「ああ、おかげさまで快調だよ」
俺を気遣うルシェちゃんに、平気だと判るからように軽く屈伸運動をして見せる。
菜々美さんを庇った時に、イーターに下半身を嚙み潰されてしまい『下手したら二度と立てないんじゃないか』と思ったが、処置が良かったことと、すぐに気絶したことで体の感覚が乱れなかった二点によって、多少ぎこちなくはあるが普段通りに歩くことは出来ていた。
念のため、フランス支部の医務室に勤務する医師からは、一週間は激しい運動は避けるようにドクターストップが掛けられている。
「アリエル様もとても心配されていました……」
「そうだな……次に会ったら心配させちゃったことを謝らないとな」
アリエルさんにとっては初めてのデート相手が、次の日に重傷を負ったなんて夢見が悪そうな出来事だ。
「あ、転送術式の魔法陣が光ってますよ」
ルシェちゃんの言う通り、転送魔法陣が光を放っていた。
魔力を流すことで魔法陣に刻まれている術式が発動している状態で、迎えが来たことを意味していた。
そうして光が消えると、迎えの人物が姿を現した。
「つっちー!」
迎えの人物……天坂翡翠は、薄緑の長髪を揺らしながら俺へと駆け寄って来た。
学校帰りで直行してきたのか、いつものジャージ姿ではなく、白を基調としたセーラー服に身を包んでいる彼女は、元気一杯の動きで俺に抱き着いて来た。
「悪いな、わざわざ学校帰りに俺の迎えをさせることになって……」
「そこはつっちーとひーちゃんの仲なので、固いことは言いっこ無し、です!」
あと一時間だけ待てばゆず達がフランス支部に来るが、菜々美さんの現状を一刻も早く確かめたい俺の我が儘を聞いてもらったことと、ゆず達やルシェちゃんは訓練をするために来ているため、俺を日本支部に魔力を割くことはさせたくない。
そういうわけで、ゆず達じゃなくて翡翠が俺の送迎の役目を引き受けることになったのは、現状一番自由に動けるからという理由だったりする。
「ツ、ツカサさん……この子が迎えの人なんですか?」
「ああ、天坂翡翠って子で、転送術式を使って来た通り、この子も魔導少女だよ」
「ひーちゃんです! よろしくお願いしますです!」
「は、はい、ルシェア・セニエです」
当然と言えば当然だが、ルシェちゃんと翡翠は初対面だ。
翡翠の方がルシェちゃんより年下なのだが、魔導少女としての経歴だけを見れば、翡翠の方が先輩だ。
なので、ルシェちゃんはゆずのように年下の相手にも畏まった口調で接していた。
そうして互いに自己紹介をしていったが……。
「はい! えっと、リュチア……ルシュシャ……リュシュラ……噛んじゃうので、ルーちゃんって呼びますね!」
「え、そこまで噛む程難しい名前ではないはずなんですけど……わ、わかりました……」
久し振りの噛み芸を披露してから独特のニックネームで自分を呼ぶ翡翠に、ルシェちゃんは戸惑いながらも了承した。
このまま二人が交流を重ねるのも悪くはないが、今日は俺を日本支部に送るのが翡翠の仕事だ。
物足りないだろうが、また次の機会に回してもらおう。
「それじゃ、早速頼む」
「はいです! ルーちゃん、またです!」
「はい、ボクが言うのもなんですが、ナナミさんのことをお願いします」
俺と翡翠は転送魔法陣の上に乗り、ルシェちゃんと別れの挨拶を交わす。
最後に彼女は菜々美さんの安否を気遣いながら頭を下げた。
ポーラ達親衛隊の奴らと違って、フランス支部の清涼剤とも言うべき純粋さと優しさを見せる彼女の存在に、心の底から感激したくなる。
「転送術式発動、です!」
そう思ったのも束の間に俺の視界はすぐに白に染まり、足元が覚束ない独特の浮遊感によって、フランスから日本への長距離を三秒足らずで移動した。
~~~~~
地に足が着く感覚と、白に染まっていた視界が元の色に戻ったことで、日本に帰って来たと察した。
金曜日から火曜日の今日まで約四日間はフランスに居たことで、妙に日本の空気が新鮮に感じる。
感慨に耽りたいところだが、今は菜々美さんの様子が気掛かりだ。
翡翠も伴って、転送魔法陣が設置されているフロアを出た俺達は、エレベーターで菜々美さんがいる居住区のある地下二階へと移動する。
菜々美さんの部屋の前に行くと、ゆずと鈴花がドアの前に立っていた。
学校の制服姿なのを見る限り、彼女達も翡翠と同様に学校帰りのようだ。
「ゆず、鈴花!」
「あ、司君!」
「うおっ!?」
俺の呼び掛けに気付いたゆずは、バッと俺に向かって抱き着いて来た。
ふわりといい匂いが鼻を擽ってくるが、ゆずは俺に密着した姿勢のまま顔を上げて俺と視線を合わせた。
「無事でよかった……」
口調が崩れたゆずの言葉を聞いて、彼女をどれだけ不安にさせてしまったのか痛感する。
特攻を繰り返していたゆずに言ったように、いくら治癒術式があるからって怪我をしていい理由はない。
実際、治癒術式が無ければ一生歩けないどころか、そのまま失血死してもおかしくない重傷を負っている。
好きな人が死に掛けて、平常心で居られるわけがない。
特に、俺を自分の生きる意味として認識しているゆずにとっては。
「ごめんな、ベルブブゼラルの件で起きてから、まだ一か月も経ってないのに、また心配させて……」
「いえ、あの時にも言いましたが、司君がこうして生きてくれているなら気にしません」
「それでもごめん」
今出来るのはしっかり反省することだ。
その上で、また次に同じことがあっても……本当は無い方がいいんだけど、あると仮定してその時に備えてしっかりとシミュレートするしかない。
そうしてゆずとの会話に一区切りがついたタイミングで、今度は鈴花が寄って来た。
両手を後ろに回して、視線がキョロキョロと落ち着かない様子を見て、鈴花にも心配を掛けたことは明白だった。
「あのさ……」
「……おう」
やっと口を開いたと思って、続けて出て来た質問は……。
「下半身、嚙み潰されたんでしょ? やっぱ痛かった?」
痛みの有無だった。
正直あまり思い返したくないけど、心配を掛けてしまったことの罪悪感から、誤魔化すことなく答えるべきだと思い、素直に伝えることにする。
「なんか上手く言えねえけど、自分の半分が無くなるような感じがしたよ」
「要はめっちゃ痛かったってこと?」
「その一言で済まされるのはなんか腹立つな……」
「別に馬鹿になんかしてないし……アタシだって左腕を溶かされた時はすっごく痛かったしね」
鈴花は魔導少女になって日が浅い時、慢心から唖喰の攻撃を受けて左腕を欠損する大怪我をしたことがある。
ポーラ達親衛隊を知った今となっては、あの時慢心していた鈴花ですらマシに思えるが、ともかくその怪我によって鈴花は一度前線を退いていた。
ゆずや季奈のように痛みに耐性の無い現代人にとって耐え難い苦痛を、俺より先に経験しているからからこそ、鈴花はかつての自分と同じように怪我によって俺の意思に影響が無いかを気にしているんだろう。
「そうだな……ゆず達が今まで受けて来た痛みを身をもって痛感したけど、やっぱ魔導士や魔導少女って強いんだなって改めて思えるよ」
「ちょっとは見直した?」
「ああ、よくあんなのに耐えられるな」
「日常指導係を辞めるって言わないあたり、アンタも大概だけどね」
俺より唖喰と積極的に戦っている鈴花の忍耐力も相当なものだが、俺も相応に鍛えられていると指摘された。
きっと日常指導係を引き受けた直後ならすぐに投げ出していただろう。
そうなっていないのは、今までゆず達の交流を経た結果だ。
唖喰という気味の悪い相手に諦めず、勇敢に挑み続ける彼女達の姿を見て、直接戦っていない俺が投げ出すわけにはいかないという意地があるからだ。
「それでも、菜々美さんみたいにずっと平気でいられるわけじゃないんだ……」
閉じ篭っている菜々美さんがいる部屋のドアの前に立って、そのドアを見つめる。
「翡翠、ここはゆずと司に任せて、アタシ達は先に行こうっか」
「はいです」
この場を俺とゆずに託すことに決めた鈴花は、翡翠と一緒に居住区を立ち去った。
さながら俺達なら菜々美さんを立ち直らせられると確信しているようで、若干プレッシャーを感じる気がしたが、その期待に沿えるように微力を尽くすことには変わりない。
俺は菜々美さんの部屋のドアをノックする。
まずは彼女に俺の無事を知らせる必要がある。
「菜々美さん、俺です。司です」
『――つ、かさ、くん……?』
ドア越しにくぐもった菜々美さんの声が聞こえた。
『私達が呼びかけても返事はなかったのに……』
『まぁ、菜々美さんが引き籠る要因には俺が関わってるし、しょうがないだろ……』
自分と俺との差にゆずが少なからずショックを受けているが、それだけ菜々美さんの中で俺の存在が大きい証拠だろう。
ゆずも決して小さくないだろうが、今回の一件で良くも悪くも菜々美さんの心を揺さぶったのは俺だ。
菜々美さんにとって決して否応なしに無視できないくらいの中心に居座ってしまっている。
烏滸がましいと思うが、工藤さんと並び立つ程の中心として菜々美さんの中で扱われている。
ベルブブゼラルとの戦いで工藤が居なくなり、今度は俺の命も脅かされた。
これで落ち込むなっていう方が無茶だ。
忍耐力のあるはずのゆずだって、俺が意識を失ったことで精神的に不安定になった。
言っては何だが、ゆずより精神的に脆い部分が多い菜々美さんに、ゆずと同じ苦痛を受けろなんて拷問染みたことが、今の彼女の心に傷を付けている。
それを治せるのなら、今まさに反応を示した俺が彼女の説得をするしかない。
ある意味、好きになってもらった相手に対する誠意の見せどころでもある。
失敗は許されない。
一度大きく深呼吸をして緊張を紛らわせてから、ゆっくりと口を開く。
「まず、あの時はああして自分の身を挺して菜々美さんを助けることが最善だと思っていました……でもその選択をしたことで、菜々美さんを深く傷付けてしまうことまで考えてなくて……すみませんでした」
『ち、違うの! 司くんが謝ることじゃなくて、私がもっとしっかりしてたら……もっと強かったらあんな風にはぐれ唖喰に襲われることなんてなかったの!』
「それだって菜々美さんのせいじゃないです。知ってて逃がしたポーラ達もですけど、元々唖喰はこっちの心の隙を突いてくるような化け物です。何が悲しくて休暇のデート中にまで唖喰の襲撃を警戒しなきゃいけないんですか? 人間は誰しも集中力を発揮し続けられるわけじゃないですし、色んな要因が重なったことで、あの瞬間になったわけなんですから、全部が全部菜々美さんが気に病むことじゃないですよ」
『それでも! 私が司くんを守れなかった事実は絶対に消えない……』
互いが互いに責任が無いこと主張する、責任の被り合いだ。
これじゃ、いつまで経っても話は平行線のままで、膠着するのが目に見えている。
「菜々美さんは着実に強くなってるって俺は思ってます……」
『足りないよ! それだけじゃ全然足りてない! 先輩のように誰も死なせないようにって強くなろうとしたのに、たった一体のはぐれ唖喰相手に司くんどころか自分の身も守れないくらい、私はちっとも強くなんかないんだよ!?』
菜々美さんの今の心境は挫折のそれだ。
元々自分に自信を持つことが出来なかった彼女は、俺達と交流を得ることで、徐々に自分で籠っていた殻を破っていった。
だが、成長をしていたはずの自分の目の前で、工藤の死と俺の重傷という彼女にとって自分の命に代えられる相手を守れなかった。
それによって、彼女の中で芽生えていた自信が音を立てて崩れた。
だからこそ、『やっぱり自分は何をやっても駄目なのだ』と塞ぎ込んでしまった。
「菜々美さん!」
隣で俺と菜々美さんの会話を聞いていたゆずが、彼女に呼びかける。
「私が自分の命と引き替えにベルブブゼラルを倒そうとした時、菜々美さんの言葉でとても救われました! あなたが今思い悩む姿はその時の私とよく似ています! だから、今度は私が菜々美さんを支えたいんです!!」
ゆずの言葉には一切の嘘も誇張も無い。
精神的に弱っていたゆずを助けようと、菜々美さんは本来なら避けていたゆずとの模擬戦を通して、ゆずが今まで誰にも明かさなかった本心を吐きださせた。
それはゆずの日常指導係である俺ですら出来なかったことだ。
あの時のゆずが、どれだけ救われたと感じたのかは俺にもわからないが、ゆずが菜々美さんに敬意を持つことになるのはよく分かった。
『〝天光の大魔導士〟のゆずちゃんに、弱い人の気持ちなんて分かりっこない!!』
「――っ!」
けれども、菜々美さんの拒絶に近い絶叫に、それ以上は言葉が出なかった。
そう、いくら弱っていようともゆずは天才に位置する存在だ。
良くて秀才止まりの菜々美さんと違って、元の心の在り方が根本的に異なっている。
反面、菜々美さんは普通の女性の延長線上の存在……ゆずが出来たからと言って、菜々美さんに同じことが出来るわけじゃない。
そこを突かれたゆずは、絶句するしかなかった。
俺の言葉も、ゆずの言葉も、どう尽くそうとも塞ぎ込んでしまっている菜々美さんに届かない。
自分の力不足に悔いる以前に、ただただ、胸が痛んだ。
大切な人の助けになることが出来ない心苦しさに。
『もう……放っておいてよ……私一人が居なくなったって、ゆずちゃんや季奈ちゃん達がいれば、唖喰から世界を守ることは出来るでしょ……』
「で、でも……いつかゆず達や皆が
いつ来るかも分からない未来に思いを乗せて、菜々美さんを奮い立たせる。
彼女が唖喰と戦いたくないならそれでいい。
元から進んで命を賭ける必要のない戦いだからだ。
だけど、戦いには必要なくとも、戦いとは関係のない何気ない日常を過ごすためには、柏木菜々美という女性は既に俺達にとって代わりの利かない重要な存在だ。
だからそんな夢みたいな日が来た時のことを口にする。
「だから――」
『〝いつか唖喰が絶滅する〟……?』
菜々美さんが俺の言葉を遮った。
『ねえ、司くん……』
そして、俺の名前を呟いてから一拍置いて、
『そんな日は……絶対に来ないよ……』
暗く沈んだ声で菜々美さんが否定する。
「――え」
「菜々美さん、それは——!」
『だって……』
俺が呆けている間に菜々美さんが何を言おうとしているのか察したゆずは、咄嗟に止めようとするが、それより早くに菜々美さんの声が、夢の日を否定する根拠を答えた。
『組織は百年以上も昔に、唖喰を絶滅することは不可能だって結論を出しているんだから』
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