162話 クロエの幸福


 交流演習第二週目の四日目……木曜日の平日のフランス時間午前十二時前。


 フランス支部の第四訓練場にて、アリエルさんの付き人であるクロエによるルシェちゃんの指導が始まっていた。


「相手が攻撃をしてきた時に萎縮する癖がまだ抜け切っていないぞ! それでは『攻撃してください』と馬鹿正直に教えていると言っているだろう! 喉笛に食らいついて刺し違える気概でいけ!」

「はい! すみません!」


 クロエさん指導は、ぶっちゃけゆず同様スパルタだった。

 少しの気の緩みも許さないところとか、傍から聞けば無茶振りな指摘とか。


 強いて違う点をあげるとすれば、語調の違いくらいだ。

 ゆずは丁寧な言葉使いなのに対し、クロエさんは怒号が飛び交うのだ。


 さながら全国大会常連の運動部のような……所謂熱血スパルタだ。


 ただ、その指導にもめげずに付いていけているルシェちゃんの努力も相当なものだ。


 俺は根性が無いわけじゃないけれど、ある程度の飴が無いと投げ出すだろうと自己分析出来るくらい厳しいのに、ひたむきな彼女は折れることなく着実に力をつけていった。


 もちろん、ルシェちゃんが相手取るのは新しい教導係であるクロエさんだけでなく、ゆずや鈴花に菜々美さんを含めた日本支部の面々もだ。


 クロエさんもルシェちゃんと同じく日本支部の魔導士達と模擬戦を行ったが、当然と言えば当然だが、結局ゆず以外誰も勝つことが出来ない程に強かった。


 ゆず達と同じく、グレーのワンピースタイプの訓練着を身に纏うクロエさんは、細身の長剣の形をした魔導武装による近接戦を得意としていて、一度懐に入られてしまうと容易に離れることが出来ない程に流麗な剣技でもって相手を追い詰めていくスタイルだった。

 その強さの一端を時代が違えば、クロエさんも最高序列に名を連ねることも出来たんじゃないかと冗談抜きに思えた。

 


 クロエさんが近接戦で切り込み、後方でアリエルさんが攻撃術式を放つというのが定石らしい。

 らしいなんて言うのも、フランスに来るようになってもうすぐ一週間になろうとしているのに、一度もアリエルさんが戦うところを見たことがないからだ。


 教会に務める修道者としての仕事の都合だったり、いざ戦っても俺達が日本に帰った後だったりで、どうにも間が悪いことが原因だ。


 もちろん、俺達がフランスに滞在している時間に唖喰が出たことはあるが、その際に上位クラスの唖喰が出現したことがないため、必然的にアリエルさんの出番がないということになる。


 アリエルさん自身も俺に自分の戦う姿を見せられなくて残念だと言っていたようだ。

 俺達は日曜日の邂逅以来顔を合わせていないが、ルシェちゃんは昨日アリエルさんに模擬戦の相手をしてもらった際にそう聞いたという。


 なお、その時のアリエルさんは無手でルシェちゃんを圧倒したとも聞かされた。


「やああっ!」

「いいぞ! だがまだ踏み込みが足りん!!」

「あっ!?」


 ルシェちゃんが右手に展開した光刃で刺突を繰り出す。

 その判断をクロエさんが褒めたところで、指摘と同時に半身を逸らして避けられてしまった。


 ――ピピピピピピピッ!!


「お、そこまで! 時間だぞー!」

「む……仕方ない、続きは昼食後だ」

「はい、ありがとうございました!」


 模擬戦の制限時間のタイムキーパーをしていた俺の声に合わせて、二人は戦闘態勢を解いた。

 

 なお、昼食というのはフランス側の感覚で、俺達日本側は夕食の感覚だ。


 仕事と割り切っていれば、クロエさんの男嫌いも鳴りを潜めることは月曜の頃からよく知っている。

 そうじゃないとアリエルさんが仕事で異性と関わる際に一々トラブルになるし、当たり前といえばそうなんだけどな。


「お疲れ様です、ルシェアさん」

「ありがとうございます、ユズさん!」


 ゆずの労う言葉に嬉しそうに返事をするルシェちゃんからは、全く疲労を感じさせない元気が伝わってきて、思わず頬が緩む気持ちになった。


「おい貴様。人の後輩を見て何をニヤニヤしているんだ?」

「ニヤニヤなんてしてませんよ。ただ元気だなって思っただけです」


 同じく疲労を感じさせない程の切れ味のある悪態をつくクロエさんに、疚しい気持ちはないことを説明する。


「……癪だが、同感だ」

「え……」


 どうせこれも言い訳をするなって怒られるだろうと踏むが、意外にもクロエさんからの返答は比較的穏やかなものだった。


 そんな彼女の反応に思わず声を漏らしてしまい、クロエさんはギロッと睨んできた。


「何を驚いている?」

「いや……」


 第一印象の厳格な女騎士から外れない厳しい性格の彼女から、まさか同意を得られるとは思っても見なかった、とは口が裂けても言えない。


 俺の曖昧な返事にクロエさんは訝しむようにじっと見つけてくるも、すぐに視線を外して口を開いた。

 

「……ルシェアはワタシと貴様の仲が悪いと感じたようでな。貴様にどれだけ助けられたか嬉しそうに語って来たのだ。船上パーティーで痴漢から助けられたこと、ポーラ・プーレの恫喝から庇われたこと、戦場で孤立した際に共に戦ってくれたこと等、正直下心一つでもあった方が納得する程の善行ぶりをひたすら聞かされた」

「ははは……なんかすいません……」


 ルシェちゃんの親切はありがたいが、男嫌いのクロエさんに俺のしたことを説明しても意味はないと思うぞ。


 現にクロエさんは未だ信じられないといった様子で、俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。


「全くだ。ナミキ殿という恋人がいながらルシェアに現を抜かすなど、不貞極まりない」

「ええっ!?」


 うわちゃー……いくら男嫌いってもやたら刺々しいなー、なんて思ってたら船上パーティーでルシェちゃんから聞いた俺とゆずが恋人だっていう噂が原因だったのかー……。


「む、何を驚くことがある?」

「あの、クロエさん? 俺とゆずは恋人じゃないです……」

「は?」

「そりゃ日常指導係なんていう聞きなれない役職ではありますけど、今に至るまでにゆずと恋愛関係に発展したことはないです」


 ルシェちゃんに説明した時と同様、告白された事実と菜々美さんからも好意を向けられていることは伏せながら、クロエさんに説明をする。


「ふむ……」

 

 話を聞き終えたクロエさんは、顎に手を当てて何やら思考した後……。


「それではナミキ殿とカシワギ殿から恋愛感情を向けられていることはどういうことなのだ?」

「ぶふぉう!?」


 これまた意外な言葉を彼女の口から聞かされ、俺は思い切り吹き出してしまった。


「な、なんで……?」

「まさか解っていなかったのか? 貴様がアリエル様やルシェアと話している時に、二人から羨望と嫉妬の情が見て取れたぞ」


 さも当然のように言い切ったクロエさんに、俺は呆気に取られた。

 

 えぇー……失礼だけど、クロエさんってそういうの分かるのかよ……。

 百合属性だからって男女関係に疎いなんて決めつけるもんじゃないな。


「えっと、気付いてはいるんですけど、俺の勝手な事情で気付いてないふりをしています」


 情けない現状をありのままに話すと、クロエさんの目がスッと細められて……。


「……おい、貴様――」

「違うんです! 俺自身が二人に対して気持ちを決めかねているだけで、決して二人の気持ちをもてあそんでいるわけじゃないんです!」


 絶対零度のように冷え切った声で軽蔑の視線を向けるクロエさんに対し、そう弁明する。

 

「そういうことなのか……だが、その状況も良くないのではないのか?」

「それは解ってますけど……どうしたら二人を悲しませずに済むのか分からなくて……」

「ワタシはアリエル様さえ関わらなければ貴様の恋愛事情などどうでもいい」

「そ、そりゃ……そう、ですけど……」


 知るかと一刀両断するクロエさんにそれ以上言えず、しばらく沈黙が続いた。

 訓練場の反対側では、ゆず達とルシェちゃんが楽し気に談笑している姿が映るが、こっちは途轍もなく気まずい。


 そもそも、なんでクロエさんは俺に話しかけてきたんだ?

 

「ル、ルシェちゃんの才能ってどうですかね?」


 結果、沈黙に耐え切れるはずもなく、互いに共通する話題を持ち出してみた。


「リンドウ・ツカサ……先程自分に好意を寄せる女性の話をしておきながら、よくもまあルシェアの話を持ち出そうと思えたな」

「だからルシェちゃんをどうこうするつもりはありませんって!?」


 何故かクロエさんに再び軽蔑の視線を向けられ、俺は気が休まらない思いを感じながらも他意はないことを伝える。


「どうこうするつもりがないのなら、何故彼女をやたらと気に掛ける?」

「クロエさんが先輩としてルシェちゃんを気に掛けるのと同じですよ。それに俺はあの子の夢を叶える手伝いをするって約束したんで」

「アリエル様のお役に立ちたいという夢か……貴様にも話していたのだな」

「いい夢だって思いました。そのためにポーラ達のいじめにも耐えて来たのを知って、尚更叶ってほしいって願ったくらいです」


 夢に向かってひたむきに努力を重ねながら悪辣ないじめに耐えて来た彼女だからこそ、アリエルさんの指示とはいえクロエさんが教導係になってくれた。

   

 ルシェちゃんの夢への大きな前進となったが、クロエさんから見てその夢が叶えられるか、教導係になった彼女の目から見てどうかを知りたくて尋ねた質問に、クロエさんはドリンクを一口飲んでから答えてくれた。


「才能はあることはナミキ殿から聞いているのだろう? ならばワタシからの答えも変わらん。先日アリエル様が模擬戦を通してルシェアを試されていたが、彼女と話されるのが面白いと仰っていた程だ」

「お、おお……それってつまり……」

「確証は出来ないが可能性は高いだろう」


 ルシェちゃんの夢は叶う。

 そう分かると、自分のことのように嬉しくなった。

 すぐに教えてあげたい気持ちだが、確定ではないまま伝えては彼女の努力に泥を塗ることと同じだ。


「望みが繋がっているって分かっただけでもありがたいです」


 とりあえず教えてくれたクロエさんに礼を伝えると、彼女は驚いたように目を見開いていた


「先週まで赤の他人だった相手のことで喜ぶのか……貴様は変わった男だな」

「そんな風に言われることはないと思いますけど……」


 そんな呟きを零したクロエさんに、そんなことはないと続ける。


「クロエさんはアリエルさんの幸せが自分の幸せ、みたいな考えがあるんじゃないんですか?」

「む……何故分かった?」

「クロエさんみたいな性格の人はそういう考えの人が多いんですよ」


 本当はアニメや漫画からの知識で実在するとは思っていなかったのだが、絵に描いたような女騎士らしいクロエさんだと違和感がないのもまた不思議だ。


 自分の内面が言い当てられたことで、クロエさんは瞑目して息を吐いた。

 色々衝撃を受けて一度整理しているようだ。 


「……アリエル様に近付こうとする男はこれまでにも、それこそ星の数ほど存在した。あの方の美貌に目の眩んだ者、寵愛を受けようとした者、あの方の歌声を独占しようとする者、己の欲情の捌け口にしようとする者、アルヴァレス家の威光に取り入ろうとした者、所詮男などあの方を何一つ慮ることのない私利私欲に飢えた獣のような下衆どもばかりだと思い知らされる程だ」

「……」


 クロエさんの独白に対して、俺は相槌を挟まずに黙って耳を傾けた。


「だからワタシはそんな輩からアリエル様をお守りすると誓った。貴様のことも、ナミキ殿が信じていようとも、ワタシが信じる理由にはなり得ないはず


 だった……か。

 男嫌いの彼女が男である俺にこうして話してくれるのは、多少なりとも信用され始めていると明確に理解しているからだ。


 クロエさんが語ったことは、彼女が男に対しての不信感を持つに至った経緯の一端だ。

 主であるアリエルさんは、日本で非常にモテるゆずや菜々美さんですら凌駕する程の美貌の持ち主だ。

 上流階級の令嬢という箔がなくても、声を掛けずにはいられない男は多くいたのだろう。


 まさに、クロエさんが言ったように私利私欲に塗れた自分勝手な人達が波のように。

 それがいつの頃かはわからないが、アリエルさんを我が物にしようとひっきりなしに縁談の話が舞い込んで来たことは紛れもない事実なのは容易に察せられた。


「先程貴様はアリエル様の幸せがワタシの幸せだと言ったな。それは違いないが、一つだけ正しておくぞ」

「一つだけ?」

「ワタシはアリエル様のお傍にいるだけで常に幸福なのだ。初めてあの方にお仕えすることになった時、ワタシがこの世に生を受けたのはアリエル様のためなのだと直感したからな。それ以上の幸福を考えられる程贅沢ではない」


 そう言ってクロエさんは昼食のために訓練場を出て行った。


 一方、俺はクロエさんの言葉を反芻していた。


 大切な人の傍にいること。

 それは奇しくも、ゆずが告げたことと同義だった。

 

 その人のためなら自分の命でも賭けられるし、守ろうと奮闘出来る。

 クロエさんやゆずのように、心に決めた相手がいるということが初めて羨ましいと思えた瞬間だった。


 魔力を持っていても操れない俺が魔導少女と唖喰の戦いで出来ることを模索している途中なのに対し、彼女達は自分の力を誰のために振るうのかを決めているからだ。


 それはまさに俺が魔法少女を通して憧れた〝誰かの希望になれる〟姿だから。


 もし、俺にもそんな人が出来るとしたらそれは——。


「……なんてな」


 途中で思考を止めて失笑する。

 ロマンチストじゃあるまいし、今はフランス支部のことで手一杯だ。


 俺の場合、手段や目的が不透明なだけで、誰のためかなんてわかり切っている。

 そこまで考えて、俺はゆず達と一緒に食事を摂るために彼女達に呼び掛けた。

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