158話 アリエル・アルヴァレス 前編


「おい、リンドウ・ツカサ、貴様に一つだけ言っておく」

「え?」


 突如先導するクロエさんから話しかけられて、軽く動揺していると……。


使、もしアリエル様に良からぬ企みを向けていると判断した場合……ワタシは貴様を断首するつもりだ」

「――っ!?」


 明確な殺気を孕んだ射抜くような視線に、俺は思わず息を呑んで戦慄した。

 本気だ。

 この人は、今言った状況が起きれば、宣言したことをそのまま実行に移すと即座に理解出来る程の圧があった。


「待ってください、彼はそんな悪行を企むような人ではありません。もし、彼に危害を加えるつもりなら、私が相手になります」

「そうだよ。司くんが本気でそんな酷いことをするような人なら、今こうして私達と一緒にはいられないもん」

「男ってだけで人の友達を悪人呼ばわりするのは、流石に言い過ぎでしょ?」


 その殺気を感じたのは直接向けられた俺だけではなかったようで、むしろ俺より怒る勢いでゆず達がクロエさんに苦言を呈した。


「仮の話だ。その男が本当に悪巧みをしていなければな」


 そう言ってちらつかせた殺気を消しながら話しを区切ったクロエさんに、俺はどうしても確かめておきたいことを尋ねた。


「……参考までに聞きたいんけど、クロエさんはどんなのを想定しているんですかね?」

「む……」

 

 どのあたりが彼女の琴線に触れるのかを把握して置かないと、本当に交流演習どころではなくなってしまう。

 だから予め聞いておこうと思い、投げかけた質問なのだが……。


「顔を合わせて会話をしようするところが既にダメだ」

「……え?」


 予想以上に敏感な琴線に、思わず声が漏れた。


「どうせ男など、アリエル様の夜空に輝く星のように煌びやかな白銀の髪の匂いを嗅いだり、あの魂が震わされる声で耳元から愛を囁かれたり、穢れを知らぬような白い手を握ったり、大きく育っている胸元に抱き寄せられたり、柔らかな太股で膝枕をされたり……そんなやらしいことを考えてるに違いない!!」

「いや、アンタの方がやらしいこと考えてんじゃねえか!!」


 やけに実感の籠った例えだな、って思ってたら、クロエさんの目がギラギラしてた。

 よく見ると顔も赤いし、何より息を荒くして口端からよだれも出ていた。


 これ普段からクロエさんが思ってることを、他の男に横取りされるのが嫌なだけじゃねえか!


「やらしくなどない! 私は純粋にアリエル様を愛しているだけだ!」


 愛とか言っちゃったよ。

 忠義以上の愛情が垣間見えた瞬間だった。

 あちゃー、この人心酔とかそういうレベルを越えてるタイプだったか……。

 そりゃ男を寄せ付けない堅物っぷりにも納得だわ……。


「ワタシのアリエル様への愛の前に、男など不要だ!」

「じゃあ、例えばアリエルさんが好きな男の人と結婚したいって言ったらど――ヒィッ!?」


 鈴花が言い終える前に、クロエさんが目にも止まらぬ速さで腰の警棒を抜刀術のように引き抜き、鈴花の首筋に添えていた。


「結婚以前にアリエル様が男を好きになるなど……そんなことがあるはずないだろう……一生を懸けてもあり得ないことを口にするなよ?」

「た、例えばだって! 冗談を真に受けないで下さいよ!?」


 冗談ですら世界の破滅を目の当たりにしたような絶望の表情を浮かべているクロエさんに、鈴花は慌てて冗談であることを伝えた。


 というか、さりげなくアルヴァレスさんに一生独身でいてほしいみたいな言い方をしていたな。


 仕える主人が独身であることを望む従者とか絶対に嫌だなぁ……。


「えっと、それならクロエ様はアリエル様と結婚したいんですか?」


 恐らく純粋な好奇心なのだろう。

 ルシェちゃんがそう尋ねると……。


「そんな恥知らずで畏れ多い願望、抱いた時点で万死に値する! 分かったか!?」

「は、はいぃ!」


 日本のアイドルファンのようなことを大声で叫ぶクロエさんに、ルシェちゃんが怯えながら返した。


 アンタ程じゃないけど、ルシェちゃんもアルヴァレスさんをまともに尊敬している貴重な子なんだから、あまり怖がらせるなよ。


「む、話し込んでいる内に南塔に着いたな」

「あ、本当ですね」

「ええ!? 景色とか全然見てなかったよ!?」

「あははは、クロエさんの熱弁に呆気に取られて、それどころじゃなかったもんね……」


 いつの間にか木組みされた縦に長いスペースに入っており、鈴花の言う通り景色を全く見てなかった。

 まぁ、帰る時に同じ道を通るだろうから、その時に堪能しよう。


 が、クロエさんが南塔の入り口の前で振り返り――。


「申し訳ないが、リンドウ・ツカサの同行者にはここで待ってもらう。誠に遺憾だが、アリエル様は貴様と二人での会話を望まれているのでな」

「んっ!?」

「それって、ツカサさんとアリエル様が二人きりになるってことですか!?」

「「ええっ!?」」


 クロエさんから伝えられた言葉に驚きを隠せなかった。

 それはゆず達も同じようで、声をあげて驚いていた。


「そう長い時間は掛からないと仰っていた。だから早く行くがいい」

「そ、そういうことなら……」

「「むぅ……」」


 ゆず達は何やら不満げな表情を浮かべている。

 俺がアルヴァレスさんと二人きりになるのが気に入らないんだろう。


 大丈夫だ、と二人に笑顔を向けて、俺はクロエさんが脇に立つ南塔の入り口に向かう。


「アリエル様がいらっしゃるのは、この階段を上った先だ。くれぐれも粗相のないように」

「解ってますよ」

「本当だろうな? アリエル様に不貞を働いた瞬間、貴様の全てを潰すぞ?」


 そんなに一々脅さなくてもいいって……。

 ゆずや菜々美さんもいるのにそんなことしたら、二人を傷付けちゃうし、情けないがする度胸もない。


 言ったところでクロエさんが納得しないことも察しているため、ある種のやるせなさを抱えつつも俺は階段を上っていく。


 鐘のある場所まで一つ下の踊り場に着いたと思った時に、その人はいた。

 そよ風になびく白銀の髪は、太陽の光を反射してキラキラと輝いていて、黒の修道服に身を包んでいようとも、初めて見た時の優雅な佇まいは、完成された芸術品のように洗練さを損なわれてはいなかった。


「……お待ちしておりましたわ」

「!」


 待ち人が来たことを察して発せられた声に、また心が震わされた。

 直接顔を合わせてないっていうのに、本当にこの人は同じ人間なのかと疑いたくなる。

 

「こうして直接お会いするのは初めてですわね、リンドウ・ツカサ様」

 

 振り返って微笑を浮かべるアルヴァレスさんに、どうしても胸の高鳴りを感じざるを得ない。


 俺の名前を知っているのは……アリーさんから聞いたのかもしれないが、クロエさんの口振りからして、彼女もアリーさんのことは知らないようだ。


 なんて、疑問も目の前の女性……アリエル・アルヴァレスさんの前じゃすぐに気にならなくなった。


 パーティーの時とは違って特に変わった化粧はしていないはずなのに、初めて見掛けた時と何ら変わりない彼女の美貌は、二度目でも目を奪われる程だった。


「そ、そうですね……えっと、アルヴァレスさんを初めて見た船上パーティーでの歌、凄かったです……」


 まともに目を合わせられなくて、誤魔化すようにパーティーで聞いた歌の感想を述べると、クスクスとアルヴァレスさんが手で口元を抑えながら笑っていた。


「そんなに畏まらなくても結構ですわ。気軽にアリエル、と呼んで頂いても構いません」

「え、えっと、わかり、ました……アリエル、さん……」


 後でクロエさんに殺されないかヒヤヒヤしつつも、せめてもの抵抗としてさん付けで呼ぶが、彼女はニコニコと笑みを浮かべるだけだった。


「えっと、その、早速本題に――」

「ふふ、慌てる必要はありませんわ。リンドウ様もまだ緊張が解れないようですので、少し世間話をしてからでも問題ありません」


 気を使わせてしまった。

 普段通りにはいかないな。

 ゆず達以上の美貌と上流階級のお嬢様なんていう、俺とは正反対に位置するアリエルさん相手にはどうにも気後れしてしまう。


 苦手意識ではなく、高価な壺を落とさないようにゆっくり丁寧に運ぶような、そんな緊張が拭えないからだ。


「あ、す、すみません……でも、何を話せばいいのか……」

「では、リンドウ様がワタクシに関して知りたいことをお尋ねして私が答える、という形式でいかがでしょうか?」

「あ、じゃあ、それで……」


 さらに助け船まで出してもらった。

 もう美人耐性とか欠片も意味を為していない状態だった。


 だが、こちらの質問に答えてくれるという貴重な機会だ。

 これを利用しない手はない。


「えっと、どうして俺の顔と名前を知っているんですか?」


 何とも当り障りのない質問だが、やっぱり自分のことを一方的に知られているのは気になる。


 そんな一心で質問したのだが、アリエルさんは口に手を添えてクスクスと上品に笑い出した。


「な、何か変でしたか?」

「いえ、真っ先に聞きたいのがワタクシのことではない、というのが珍しいだけですわ」

「まぁ、分からなくもないですけど、俺としてはそっちはあまり重要じゃないっていうか……」

「構いませんわ。それで、質問の答えですが……リンドウ様は組織間ではワタクシを含む最高序列に勝るとも劣らない有名人だからですわ」

「ええっ!? なんでですか!?」


 いくら魔力持ちの男だからって、外国の人達にも認知されてる程のことをした覚えがない。


 訳が分からないまま戸惑っていると、アリエルさんから答えを教えられた。


「リンドウ様がナミキ様の日常指導係を担ってから、彼女は大きく変わられています。それこそ変貌と形容出来る程に……ご自分では大したことを為されていないと思ってらっしゃるようですが、貴方が〝天光の大魔導士〟に齎した変化は、全国の支部で伝えられる程のことなのです」

「あ……」


 それは、ある意味当然の帰結だった。

 ゆずは最高序列第一位〝天光の大魔導士〟……人類最強の魔導少女だ。


 魔導の世界において一番の有名人と言える彼女の日常指導係なんて役目を負って、過去の境遇や唖喰との戦いを経て凍てつかせていた感情を取り戻したばかりか、恋愛感情を持つにまで至った。


 そういえば、ルシェちゃんと初めて会った時も、彼女は俺のことを知っていて、俺とゆずが恋人だと思っていた。


 そんな噂が出てるくらいだから、その噂の一片でもアリエルさんの耳に入れば、彼女が俺のことを知っていて当然ということになる。


 なるほど、アリエルさんの言う通りだ。

 客観的に見れば、俺のしたことは凄いことになる。


「そういうことですか……」

「ええ、こうして対面してこそいますが、ワタクシも疑念の方が勝っておりましたわ」


 それも仕方ないだろう。

 俺だって出会った頃のゆずが今のように、感情豊かな姿を見せるどころか、好意を寄せられるなんて思ってもみなかった。


「その直接の影響を与えたリンドウ様が組織の一員となってからの略歴を拝見させて頂きましたが、まぁよく唖喰の被害の場に居合わせられていますわね」

「はは、本当に無事で生きていられるのが不思議な感じですよ」

「つい最近でも、例の悪夢クラスの唖喰の手によって眠らされていらっしゃったとも……だからこそ、貴方という男性がどういった人物なのかを知りたいという好奇心が湧き上がってきたのですわ」

「好奇心……」


 アリエルさんが俺と二人だけで話したいという理由は、そういうことだったのか。

 

「話して思った感想としては、益々貴方という人間を知りたいということです」

「えーっと、俺は自分がそこまで面白味のある人柄のようには思えないんですけど……」

「そんなご謙遜、とんでもございませんわ。先日の戦闘のように、魔力を操れない男性でありながら銃を片手に自ら戦場へと踏み込む度胸と行動力を示すお姿は、このような男性がいるのかと、ワタクシの好奇心を次々と刺激して止みませんでしたわ!」

「あ、ありがとう、ございます」


 余程興奮しているのか、グイグイと近づいてくるアリエルさんに動揺していると、落ち着きを取り戻した彼女は、咳払いをしてから再び口を開いた。


「コホン。……ともかく、何事にも無関心だったナミキ様が、あんなに年相応の少女のように振る舞わられるとは、人生とは何があるのか予想出来ませんわ」

「俺も同じ感想ですよ。ゆずと出会ってなかったらこうしてアリエルさんと話すこともなかったってことですからね」

「あら、お上手ですわね?」

「あっ……と、今のはその、他意はないですから……」


 一切含みのない純粋な言葉を述べたつもりが、アリエルさんがちょっとびっくりしたように目を大きくして、頬を赤くする反応を見て、またいつもの悪癖が出たことを悟った。


 慌てて他意はないことを言い訳のように告げるが、アリエルさんは瞑目して口を覆うように右手を被せて……。


「酷い、あんまりですわ……ワタクシはとても嬉しく思いましたのに、リンドウ様は何とも思いになられていないのですね……」


 目端に涙を浮かべて、崩れ落ちるように泣き出すアリエルさんに、俺は慌てて駆け寄って彼女を抱き上げるように支えた。


 鼻孔を擽るような良い匂いと、抱き止めた瞬間に大きな双丘がぶるるんっと震えたこと、アリエルさんの常軌を逸した綺麗な顔が間近に迫ったことで、激しい動悸が胸に走った。


 だが、それを顔に出さないように必死に平静を装う。


 いかんいかん、このままだとクロエさんに背中から警棒を叩きつけられて、腰の骨を折られてたかもしれない。


 そのあとで、ゆずか菜々美さんが治癒術式を施してくれるまでの行程を幻視した。


「す、すみません……俺、何かそういうジゴロ台詞をつい言っちゃう癖があって、普段は出ないように気を付けているんですけど、さっきみたいにポロッと出ることが多々あるんで、悪気があるわけじゃないんです」

「……」

「あ、アリエルさん?」

「うっふふふふふ……あははははは、あはははははっ!」


 悪癖のことを説明するが、アリエルさんはきょとんとした表情をしたあと、何か可笑しかったのか、笑いを堪えきれないといった風に笑いだした。


「あ、あの……」

「いえ、リンドウ様の反応が、本当に可愛らしくて……、









 に、顔をリンゴのように真っ赤にして、あたふたしていた様子を思い出すと、笑いを堪えられなかっただけですわ……」

「え――?」


 アリエルさんがなんてことのないように告げた理由に、俺は血の気が引いて背中が寒くなってきた。


 先日――つまり昨日に俺が膝枕されたのは、アリーさんだけだ。

 なのに、アリエルさんはまるで見ていたかのように当時の俺の様子を言葉にしていた。


「あ、あのー、なんで膝枕のことを? ひょっとして、アリーさんから聞いたんですか……?」

「……ふっ!! ~~っ!」



 声が震えたまま、そう尋ねると、アリエルさんは再びきょとんとした後に、さっきと比べ物にならない程の笑いが襲ったのか、声は抑えているものの、涙を流しながらお腹を抱えて笑い出した。


 益々アリエルさんの反応が理解出来ずに戸惑っていると、笑いが治まったのかアリエルさんは両手を目元に伸ばしてある行動を起こした。


 いきなり何をしてるんだろうと暢気なことを思ったのも束の間だった。


「すぐにバレるのでは、と思っていたのですが、案外鈍いところもあるのですね、そこもまた可愛らしいと思いますわ」

「え……ええええええええええええっっ!??」


 のアリエルさんが俺に顔を向ける。

 その時、俺は点が線で繋がったような衝撃を受けたあまり、下にいるゆず達にも聞こえるのではないかと思う程の絶叫をあげた。


 何故、アリーさんが俺の名前を知っていたのか。

 何故、船上パーティーで歌唱後にアリエルさんが俺を見たのか。

 何故、アリーさんがアリエルさんとの話し合いの場を設けることが出来たのか。

 何故、クロエさんがアリーさんの存在を知らないのか。


 それらの疑問の答えが、アリエルさんのたった一つの行動で齎された。


「驚いた顔もとても魅力的ですのね、リンドウ様♡」


 前髪を降ろしたアリエルさんは目が隠れているはずなのに、悪戯が成功した子供のように無邪気な光を放っているように見えた。


 謎の女性アリーさんの正体は、目の前で惚れ惚れとするような満面の笑みを浮かべているアリエルさんだった。


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