76話 オペレーション湯けむり

 

 海水浴も終わり、季奈達も東京へと帰って行った。

 特に翡翠は友達が増えたことで多少名残惜しさがあったが、元から海水浴までという約束だったので、渋々帰って行った。


 水着から制服に着替えて、夕食は浜辺でバーベキューだ。

 各班に分かれて肉や野菜を切って串に通し、ホテルから借りたグリルを使って焼いていったのだが、ゆずが手慣れた様子だったのは驚いた。


 そういえ前任の日常指導係に自炊を勧められて、一日に一食は自炊しているって聞いたな。

 学校に持ってくる弁当もゆずだけは手作りだっていうし、料理に慣れていてもおかしくなかった。


 ゆずの料理の手際が良いことを褒めると、菜々美さんが自分が作れる料理のレパートリーを語りだし、「良かったら今度お弁当を作ってあげよっか?」とトドメと言わんばかりに料理好きアピールをしてきた。


 それに対抗心を燃やしたゆずも参戦の意志表明をし、図らずもゆずと菜々美さんに弁当を作ってもらうことになった俺に男子達から殺害予告が声明されたという一幕もあった慌ただしい夕食の後、午後六時から七時まで羽根牧高校の面々で温泉を貸切っている。


 つまり入浴の時間だ。


 ちなみに修学旅行中に泊まるホテルの温泉に混浴なんてものはない。

 普通に男女別だ。


 着替えの浴衣を用意して温泉のある大浴場の前にある脱衣所に辿りつくと、既に他のクラスや班の男子達がいた。


 なんかみんな自分の息子自慢をしているが、果てしなくくだらないのでさっさと入ってしまおうと大浴場に入る。


「おぉ……」

「これは凄いね……」


 俺と同室である大梶は思わず感嘆の声が出た。

 乳白色の湯が建物の中と露天風呂の二つに区切られていて、露天風呂から見える景色は無燈島の自然や海を一望できるのだ。


 露天風呂には石谷や同じクラスの男子達の姿が見えた。

 露天風呂があるならそっちのほうがお得感があるしな。


「石谷、何か見えるか?」

「いや、それがおかしいんだよ……」

「おかしいって何が?」

「なんも見えねぇ……」

「? 俺の目には綺麗な景色がしっかり見えるけど?」

「はぁ!? お前どんなトリックを使ったんだよ!!?」


 おいなんか会話が妙に噛み合ってなくないか?

 てっきり景色の話をしているものだと思っていたけど……。


「……お前何が見えないって?」

「何ってそりゃ、並木さん含む女子達の生まれたままの姿を……」

「覗きの話か――むぐ!?」

「バカ野郎! いるかわかんねえけど、向こうに聞こえたらどうすんだよ!」


 石谷がしようとしていたことをわざと大声で言ってやろうとしたら口を塞がれた。


 コイツ等覗きをするつもりだったのかよ!!

 どうしてくれようかこの犯罪者予備軍……。


「むぐが……なんで今日来たホテルの覗きポイントを知ってるんだよ」

「事前のリサーチの時に男風呂と女風呂の露天風呂は繋がっているから、この竹藪の隙間から見えるって話なんだけどさ~、全く見えないんだよ」

「……ガセネタか修理されたんじゃないか?」

「いやいや、女子達の話声が聞こえてくるまで確かに向こうの露天風呂が見えたんだって! なのに突然スマホの電源が切れたみたいに見えなくなったし、会話すら聞こえないんだよ~、何なんだこれ~?」


 別に嘘を言っている様子はないな……。


「くそ、この僅か一枚の隔たりの向こうに桃源郷があるというのに、俺達には見ることすら出来ないっていうのか!?」

「〝きゃっなにするの!?〟〝きゃあ~、胸大きい〟みたいな会話だけでも聞きたいのに……!」


 なんて醜い欲望なんだ。

 

「なんか不気味だよな~、まるで魔法か何かみたいに……」

「あ」


 思い当たった。

 俺この現象の原因分かったぞ……。


(鈴花かゆずが防御術式で魔導結界を張って隠したってところだろうな……)


 多分何らかの手段でこの覗き穴の事を突き止めたのだろう。

 使った結界は河川敷ではぐれ唖喰に遭遇した時に、季奈が使った魔導結界だ。

 その結界によって魔力を持たない人からは結界の内側の光景や声は聞こえなくなるというものだ。


 竹藪の上の方を見ると、男湯の露天風呂を覆うように魔導結界が展開されていた。

 男性が魔力を宿していることは極稀だから、あの結界が見えるのは俺だけかもしれないな。

 まあ最悪俺に見られることも考慮して、今回は俺にも見えないように施されているみたいだけど。


「なんだよ司、何か分かったのか?」

「その覗き穴の事は女子達にバレてるってことは分かった」

「ファ〇ク!! 俺ら非モテに夢すら見させないってことかぁ!!?」


 覗きなんてしようとするからだと思うぞ。


「お前ら誰目当て?」

「俺、柏木先生」

「柏木先生やばいよなぁ……美人でおっとりしてて、女子達と違って変に飾ってないから素材の良さが光ってるっていうの?」

「それな。あんな綺麗なお姉さんに思いっきり甘やかされてみたいよなぁ……」

「わかりみ」

「本人曰く大学でも結構告白されてるそうだぞ」

「柏木先生と同じ大学でキャンパスライフを送りたかった……」


 やっぱり菜々美さんってモテるんだな。

 大学でも俺よりいい男なんて山ほどいるだろうに……でも自分に自信を持てない菜々美さんの場合〝どうして自分なんだろう〟って考えが先行して付き合ってみようって発想にならなかったんだろう。


 ……菜々美さんのそういう考えって俺も同じこと考えてたな。

 まぁ菜々美さんはミスコン優勝するほどの美人で、俺の顔立ちといえば特別イケメンなわけでもブサイクなわけでもない感じだ。


 地の違いがあるから全く同じってわけではないか。

 

「でもおっぱいがなぁ……」

「あの大きさも良いんだけど、もう少し欲しいよなぁ……」


 おいこら。

 あの人のコンプレックスなんだから止めろ。


 そういう目で見るからモテないんだよ。  


「おっぱいで言えば並木さんが一番じゃね?」

「確かに。あれでまだ十四歳とか将来性凄すぎだろ」

「しかも最近めっちゃ笑顔が見れるようになったから男子人気もうなぎ昇りらしいぞ」

「でも4組にいるイケメンの田中が告っても振られたって聞いたぞ」

「ざまぁ。男は顔だけじゃないってことだな」


 中身だけでもないけどな。


「並木さんって言えば竜胆はともかく橘とも仲が良いよな」

「あー橘なー……あいつも結構可愛くない?」

「並木さんや柏木先生みたいに飛びぬけて綺麗ってわけじゃないけど、レベルは高いよな」

「そうそう、それであの男女関係無しに友達多いだろ? だから結構人気あるんだよ」


 へぇ~、それは知らなかった。

 確かに他の女子に比べて可愛いほうだとは思ってたけど、ずっと近くにいたからそう思ってるのは俺だけかと思ってた。


「そんな綺麗どころが一か所に生まれたままの姿でいるのというのに、どうして見えないんだ……!」


 結局覗き再開になった……。


 俺は馬鹿なことをしている石谷他幾数名の男子達を横目に、ゆったりと温泉に浸かっていると、隣の女風呂から何やら話声が聞こえてきた。


『やっぱりゆずってまだ十四歳なのに随分とご立派なものをお持ちのようで……』

『ひゃうっ!? す、鈴花ちゃん、くすぐったいです!』

『うわぁ柔らかぁ……、しかも肌スベスベ……』

『うぅ、聞いていません……』


 ……しまった、姿は見えなくとも俺には会話は筒抜けなんだった。

 それを知ってか知らずか……いや十中八九承知の上で鈴花はゆずにセクハラを働いているというわけだ。


 確かにゆずの胸は柔らかかったけど……ってそれは忘れるってゆずと約束しただろ!!

 

『あ、柏木先生も来たんだ』

『うん、お風呂ぐらいなら生徒と一緒にいいよって先生達に許可を貰えたの』


 菜々美さんまで来た……。

 今度は菜々美さんに泳ぎを教える時に、俺の上にうつ伏せで倒れて来たときのことを思い出した。

 あの時全身に感じた菜々美さんの感触……違うだろ俺、それも忘れろ!


 ……いかん、変なことを考えた所為でのぼせてきた。

 ちょっと頭を冷まそうと肩まで浸かっていた体を立たせて、湯船の段差に座ることで半身浴みたいにした。


 あ~、潮風が心地いい。


『う、前から思ってたけど、やっぱり並木ちゃんってスタイル良いね……』

『そ、そうでしょうか? 柏木先生もすらっとしていて綺麗だと思いますが……』

『それを言ったら、鈴花ちゃんの方が私より身長もあるからモデル体型だよ?』

『アタシ? いやいや、男なんて胸とか足とか尻しか見てないんですから、多少身長があっても意味ないですよ』

『そうですね……海水浴の間も良く下半身に視線を感じていました』

『男の子だから仕方ないとしても、もうちょっと抑えてほしいよね』

『面と向かって話す時ですら胸をチラチラ見てくるもんね~』


 その男子達は今まさにそっちを覗こうとしてる節操無しだもんな。

 というかこれ会話が筒抜けになってるの言い出し辛くなってきたな。

 

『その点、司君も多少意識しているのは分かるのですが、あまり下心は感じませんね』

『ね~、自分の視線が相手にどう見えるのか分かってるからかな?』

『アイツの場合、ヘタレなだけですよ』


 鈴花うるさい。

 ヘタレで悪かったな。

 

 なんだか聞き耳を立てているのも申し訳ないと思って、湯から上がろうとする。


「あ、竜胆、ちょっといいかな?」

「ん? 大梶に色屋? どうした?」


 彼女のいる大梶と、イケメンの色屋が声を掛けて来た。

 

「海水浴の時は色々大変そうだったな」

「あ~、知り合いが迷惑かけたみたいで悪かった」

「そんなことないって。咲も天坂ちゃんと仲良くなったって言ってたし」


 咲っていうのは、大梶の彼女である横村さんの名前だ。

 そうか、それならよかった。


「それで……竜胆は柏木先生のことをどう思ってるんだ?」

「……へ?」

「だってあんな綺麗な人が好意を向けてくれるだなんて、絶好のチャンスじゃないか?」


 それはまぁ、普通ならそうなんだけどな……。

 俺の場合ゆず側の好意にも向き合う必要があるから、綺麗な人が好きになってくれた、じゃあ付き合おうなんて簡単なことじゃない。


 しかもまだ俺は二人に対してどういう気持ちなのかはっきりしていない。

 どう答えたものか頭を悩ませていると……。


『柏木先生? どうかしましたか?』

『あ、す、鈴花ちゃん! 並木ちゃん! どうしよう!?』

『え、何かあったんですか?』

『隣で司くんが声的に色屋さんに私をどう思っているのか聞かれてるの!』

『『えええ!?』』


 忘れてたあああああああああ!!?

 というか向こうの会話が俺に聞こえてるんだから、こっちの会話が向こうに聞こえてても何もおかしくねえじゃねえか!!


「ど、どうなんだろうなー」

「誤魔化そうとしても無駄だぞ? ちゃんと答えるまで逃がさないからな」

「あ、大梶も気になる?」

「そりゃあれだけ仲が良いのならな」

「仲が良いって言えば、並木さんもどうなんだ?」

「え、ゆず?」

「もしかして並木さんのことがあるから、柏木先生の気持ちに応えられないとか?」

「え、あー、そのー」


 菜々美さんだけじゃなくて、ゆずのことも聞かれた。

 

 どうしよう、ゆずも菜々美さんも聞いてるから迂闊に答えられなくなった。

 そんな風に思ってないって言えば、菜々美さんが落ち込むのが目に見えてる。

 でもここで少しでも菜々美さんに好意的なことを言えば、今度はゆずが落ち込む。


 あれ?

 これ詰んでね?


 どう答えようと二人のどっちかを傷付けることになってね?


 なんで神様はこんな試練を課すんだ。


「え、なになに? 司が柏木先生と並木さんをどう思ってるかって?」

「そうそう、石谷はどう思う?」

「死ねばいいと思う」

「おい」


 何真顔で答えてんだよ。

 もう修学旅行終わったら誰か紹介するからそれで許せよ。


『つつ、司君が私をどう思っているのでしょうか?』

『わ、私も気になる……!』

『あー、もう無理、お手上げ』


 諦めるなよ鈴花。

 ああくそ、もう当たって砕けろ!


「二人のことをどう思ってるか、だよな」

「お、白状する気になったか」

「で? で? どうなんだ?」

『うぅ……』

『怖い……でも聞きたい……!』


 外野の声に構わず、深呼吸をして答える。



「俺と仲良くしてくれてることに感謝してるよ」



 俺の答えに色屋達は……。


「え、いや、そういう意味じゃないんだけど……」

「さぁーって、そろそろ上がらないとのぼせるから出るわ! っじゃ!」

「ああー、逃げられた……」


 三人が呆けている内に、俺はさっさと風呂を出た。

 

 なるべく早く着替え終えた俺は、自分の荷物がある部屋に戻って敷かれていた布団に入って寝た。

 湯上りで全身が温もったままだから、布団の中もすぐに温まった。


 それでも、顔の火照りだけは別の意味で熱くなっていた。



「――本当に、二人のことをどう思ってるんだろうな」


 

 その呟きに答えがもたらされることはなかった。

 

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