69話 遊園地デート 後編
俺が今額に擦り付けているレンガタイルは夏の日差しで熱されていてすごく熱い。
視線は同じくレンガタイルで、脚は正座し、手は地に付けている。
そう、俺は今……伝統的謝罪姿勢〝土下座〟をゆずに向けて行っている。
理由は俺がゆずの胸を鷲掴みにしてしまったからだ。
これ以上ないくらい柔らk――じゃなくて、誠意を込めた土下座だ。
お化け屋敷を出た後にこの土下座をしているため、これ以上ないくらい目立っている。
傍からみれば“美少女の彼女に捨てないでくれと土下座して懇願しているダメ男”にしか見えないだろうが、そんなことは知らん。
「あ、あの……あれは事故でしたし、原因は私にもありましたから……」
ゆずが声を震わせながら俺に声を掛けているが、この程度で俺は自分を許せない。
なにせ交際しているわけではない異性の体に不貞を働いてしまったのだ、簡単に許されていいわけがない。
「いや、ちゃんとゆずに振り返らなかった俺のせいだ。せめて何かしらの罰か、責任は負うつもりだ」
「せ、責任!?」
なんでちょっと嬉しそうなんだ?
「ああ、ゆずの気が済むまで俺を殴るなり蹴るなり、焼くなり煮るなり好きにしてくれ」
「あ、あまり暴力的なのはちょっと……」
化け物相手に容赦無く攻撃をする人のセリフとは思えないな。
違う、今は余計なことを考えるな。
どうすれば贖罪を果たすことが出来るかということだけを考えろ。
「と、とにかく土下座はもういいですから、私の話も聞いてください!!」
ゆずが珍しく大声を上げる。
言われた通り土下座を辞めてゆずの顔を見てみると、顔が赤かった。
やっぱり胸を鷲掴みはダメだよな……よし、もう一回土下座を……。
「ですからもう土下座はいいです! 今私の顔が赤いのは目立っているからです!」
「あ、はい。申し訳ありませんでした!」
そっちか。
やっぱりゆずは羞恥心を刺激されるのに大変弱いらしい。
土下座をして許してもらうはずが逆効果だったようだ。
とりあえずこの場から移動しようということで、トゥーンエリアの休憩所にやって来た。
そしてゆずから明かされた話というのが……。
「お化け屋敷に入った本当の目的は、怖いことを理由に抱き着くためだった……!?」
「……はい、鈴花ちゃんに勧められまして……」
あいつゆずに何変なことを吹き込んでいるんだ!!
つまりゾンビが出る度に俺に抱き着こうとしたが、羞恥心から勇気が出なかったと、そわそわしていたのはそういうわけか……そしてゴール前のあの時にようやく踏ん切りをつけて抱き着こうと動いたら、俺の手がゆずの胸を鷲掴みにしてしまったというところだろう……。
大方「きゃっ」「大丈夫か?」「ゴメン、恐いからこのままでいい?」「お、おう」みたいな応酬を期待しただろうな。
「なんでゆずも素直に乗ったんだ?」
「えっと、司君が喜ぶからと鈴花ちゃんが言っていました」
一歩間違えば即ブタ箱行きなのにロクでもないこと吹き込みやがって……。
「鈴花には俺がキッチリ落とし前を付けておくからいいとして、他に妙なことは吹き込まれていないだろうな?」
「はい、鈴花ちゃんからお勧めされたアトラクションはお化け屋敷だけです」
ならよかった。
いや結果的に不貞を働いてしまったから良くはないが。
「それで……あー、あれのことだが……」
「っうぅ、そのことは……お互い忘れましょう……あれは事故です……」
「寛大なゆずさんの言葉に感謝を……!!」
心広すぎるよゆずさん。
ひとまずお許しが出たので、掘り返すのはやめておこう。
そうしてコーヒーカップや、アドベンチャーライド系のアトラクションをいくつか乗り終えて、ついにゆずチョイス最後のアトラクションとなった。
時刻は午後五時になっており、夕日がキャッスルエリアのシンボルであるお城をオレンジに染めている。
そしてゆずが最後に選んだアトラクションが……。
「〝Ferris
「はい、遊園地デートのラストを飾るなら観覧車がいいと初咲さんから教わったので」
鈴花以外に入れ知恵の輸出人がいたか……。
ゆずにしてはちょっと少女漫画っぽいと思ったら初咲さんだったのかよ……。
しかし夕方の観覧車というシチュエーションを求めてか、列に並んでいる人達の八割がカップルだ。
「ママー、前のお姉ちゃんきれー」
「あ、こら! すみません、でも彼女さんホントに綺麗ですね」
「ウチの妻も美人でしょう?」
「あら、珍しいわね。うふふ」
やはりというか、俺達は後ろの親子三人からカップルに見えるようだ。
「か、彼女ですか!? え、ええっと、ありがとうございます……」
勘違いとはいえ、ゆずは綺麗と褒めてくれた三人にお礼を言った。
「はは、初めてのデートの時も今みたいに勘違いされていたな」
「あ、そうでしたね……それと水族館の時もでしたね」
確かに、イルカショーのトレーナーさんもそう言っていたな。
どうも周りからは俺とゆずはカップルに見られがちだ。
実際の関係を説明するわけにはいかないため、特に誤解を解かないままでいるが、ずっとこのままでいる訳にはいかない。
ゆずの日常指導が終わった時、俺はそのまま唖喰や魔導の世界に関わり続けるつもりだが、ゆずがどうするかまでは分からない。
今でこそ俺に好意を向けているが、俺以外の誰かを好きになって結婚するかもしれないし、魔導士になって唖喰と戦い続けるかもしれないし、いずれにせよ決めるのはゆず自身だから、俺が考えるだけ無駄なのは分かっている。
今でこそ俺はゆずの日常指導係りで友達だけど、もしゆずに告白されたら俺はどうするべきだろうか?
もし告白を受け入れればゆずは俺の彼女となる。
こんなに可愛い彼女がいれば俺の日常もさらに華やかになるのは容易に想像できる。
でも俺に好意を向けているのはゆずだけじゃない。
柏木菜々美さん。
彼女に対する気持ちもはっきりするべきだ。
それが出来るまでは、二人の告白を受け入れることはとてもできそうにない。
「司君? そろそろ私達の順番ですよ?」
「え!? ああ、そうだな」
「あ、すみません。何か考え事の最中でしたか?」
「い、いや大したことじゃないから……」
ゆずや菜々美さんとどうするかとか一旦忘れよう。
今はこの遊園地デートを完遂させないと。
俺達は係りの人の指示に従って観覧車に乗り、向かい合うように座った。
夕日に照らされた園内は昼の時とは違った印象を見せていた。
「……夕日、綺麗ですね」
「……だな」
きっと相手が恋人だったら〝君の方が綺麗だ〟とでも言うだろうが、まだ恋人ですらない今のゆずに言っても困らせるだけだ。
「初めて出会った時も夕方でしたね」
「ああ、あれからまだ二か月しか経ってないのか……なんか一年分過ごした気分だった」
「ふふ、私もです。司君と会うまでは訓練をして戦いに備えるだけでしたから、今の生活がこんなに楽しいだなんて思いもしませんでした」
「それを言ったら俺だって、学校から帰ったらアニメDVDを見るだけだったからな」
世界貢献度で言えば、ゆずの方が俺より遥か高みにいることは間違いない。
片や世界の平和を脅かす唖喰と戦う魔導少女、片や魔法少女オタクなだけの高校生。
そんな俺達が今こうして遊園地デートをするなんて、世の中どう転ぶか分からないな……。
「……多分ですが、司君が私の日常指導を引き受けていなければ、こうして何気ない日常を楽しいと思えることはなかったと思います」
「大袈裟だって……それにゆず達と関わってから、何気ない日常の大切さを教えてもらったのはこっちのほうだ。中学生の頃に曽爺さんが〝今どきの若者はこの平和がどれだけ恵まれていることが分かっとらん〟って言っていた程だからな」
曽爺さんは過去にあった世界大戦を生き抜いた元軍人だ。
当時はただ軍人の言うことはカッコイイと思って聞いていたが、今にしてみれば戦いの過酷さと日常の暖かさを知るが故の言葉だと実感出来る。
「……恵まれている」
「……本当はゆず達魔導少女がどれだけ頑張っているのか知ってほしいけどな」
だが魔導と唖喰の存在を公にしてしまえば世界は滅びの一途を辿ることになってしまうため、簡単に出来るわけではない。
ゆずは俺の言葉に覚えがあるのか苦笑しながら胸の内を明かしだした。
「世界中の人達に知ってもらう必要はありません。私の場合は司君や鈴花ちゃんのように身近に理解してもらえる人がいれば十分です」
ちょっと引っかかる言い方だな……。
「他の魔導少女は違うのか?」
「私が魔導少女として戦い続けて三年が経った頃に、ある魔導少女が世間の無理解に苦しみ、傷害事件を起こしたことがあります」
「え!?」
ゆずの口から語られたことは、人を守るはずの魔導少女が人に危害を加えたということだった。
世間の無理解に苦しんだというその魔導少女は今のゆず達のように日常を過ごす傍らで魔導少女として唖喰と戦っていた。
彼女も初めは世界のため、魔導の力を駆使して唖喰から人々を守るための使命感に溢れた心優しき少女だった。しかし依然として変わらない唖喰の侵攻と彼女が魔導少女として戦っていることを知る人物(ゆずから見た俺のような存在)がいないことによるストレスで心を擦り減らしていき、その心には戦いで刻まれてきた傷と疲労が砂粒で山を盛るように積み重なっていった。
それでも彼女は自らが過ごす日常のために耐えてきた。
しかし、その我慢も限界を迎える事態が起きた。
夕方に侵攻してきた唖喰を殲滅した翌日、友人から告げられたある言葉が原因だった。
『昨日の夕方にカラオケに誘うと電話を掛けたのに返事がなかったね、何か用事があったの?』
友人からすれば何気ない言葉だった。
彼女からすれば自分が命懸けで戦っていた裏で友人が呑気に遊んでいたと確信させる言葉だった。
自分があんなに痛くて辛い思いをしていたのに、友人達が変わらぬ日常を過ごせているのは、自分が身も心も削って戦っているからなのに、それが当たり前であるかのように……。
それが不満を閉じ込めていた蓋が決壊した瞬間だった。
普段であれば〝用事で電話に出ることが出来なかった〟と言っていたが、我慢の限界に達した彼女の心にそう言える余裕はなかった。
少女は友人に暴行を加えたという。
その時の少女の荒れ様は目も当てられない程だったと当時のクラスメイトは言っていた。
「その人はその事件を機に魔導少女を辞めたそうです。もし彼女に司君や鈴花ちゃんのように唖喰との戦いを知ってもらえる人が一人でもいれば違った結末になったはずです」
「……辛くないわけがないよな、あんな戦いを生き抜いてきたことを誰かに打ち明けて、叫びたかったんだろうな」
思えば鈴花や翡翠もそうならないと言い切れない。
二人は唖喰に重傷を負わされ、戦う意思が折れたから、世間の無理解に晒されることはなかったが、もし二人が今も戦い続けていたとして、同じことにならない保証がない。
「……実は私と先程話した魔導少女の違いには忍耐力や理解者の有無以外に最も重要なものがあるのですが、それが何なのか司君に分かりますか?」
ゆずがちょっとしたクイズを仕掛けて来た。
少し思案する。
先程の話に出てきた元魔導少女は世界のため、人のために戦って来た。
ゆずは母親の遺した〝生きてほしい〟という思いに応えるためだ。
理由の違いは当然だが、そんな単純な答えではないだろう。
というより、ゆずが一度自らの戦う理由を打ち明けた時に言った言葉に繋がった。
『司君が期待するような世界がどうとか、大切な人がなんだとか、そういったことは正直知った事ではなくて、生きるために唖喰と戦って来たんです』
日常に触れていく中で雰囲気が柔らかくなった今のゆずは、あの時と戦う理由に変化がないのか……そう思いながら答えを口にだした。
「自分のためか他人のためか……二人の違いはこれか?」
「……はい、正解です。厳しい物言いになりますが、人は顔も知らない誰かのために振るえる力を持ち合わせていないと私は思っています。それは魔導の力も変わりません」
それでも、とゆずは続ける。
「司君とこうして過ごす日常を守るために私は戦い続けるつもりです」
「――っ!」
心臓が跳ねるかと思うほどの衝撃が胸に走って来た。
嬉しさで言葉が出ない。
俺がゆずの日常指導として彼女に変化を齎せていることが、確かな実感となって胸に染み渡っている。
ちゃんと彼女の支えになれていると感じたからだ。
ふと景色を見てみると、観覧車は頂上に昇ったところだった。
――夕日と遊園地が良く見渡せるなぁ。
そう思った瞬間、俺はスマホを取り出してカメラ機能を使ってこの光景を撮ろうとした時、ゆずにある提案を出してみた。
「……なぁゆず。夕日と遊園地をバックにゆずの写真を撮っていいか?」
「? いいですよ?」
何の疑いも無くオーケーを出したゆずに、あとで通りすがりの人に同じことを言われても応じないように注意しようと心の中で決め、俺はボタンを押してシャッターを切った。
――パシャッ。
「どうでしたか?」
「うん、ゆずを綺麗に撮れた」
「わ、私より夕日のほうが綺麗に写っているのでは?」
「じゃあ訂正、夕日に照らされる綺麗なゆずが撮れた」
「そ、そそそれじゃあ変わらないじゃないですか!!」
ここ最近反応が可愛くなってきたゆずをからかいながら残り半周の観覧車から見える景色を目に焼き付けていった。
そうして話しているうちに観覧車は一周した。
係りの人がドアを開けるのに合わせて、俺達は観覧車を降りた。
「途中辛気臭い話けど、結構満喫できたな」
「もう一回っと言いたいですが、今一度乗ってしまうと帰りが遅くなってしまいますし、次の機会に回しましょうか」
今から電車を乗り継いでいくと、羽根牧市に着く頃には時刻七時前後になる。
その頃には陽も沈むだろうし、そんな時間までゆずを連れまわすのも良くないため、俺達は少々の名残惜しさを残しつつ、遊園地を出ることにした。
羽根牧駅に着くと、予想通りに辺りは暗くなっていた。
ここではいさよならというわけにいかないため、俺はゆずをオリアム・マギ日本支部まで送っていくことにした。
駅から徒歩で歩くこと二十分。ゆずの住む拠点の入り口に着いた。
「今日はありがとうございました、とても楽しかったです」
「こっちこそ、ありがとう。最後はお悩み相談みたいになっちゃたけど……また明日」
「はい、また明日」
そう言って俺とゆずは別れた。
こうして〝また明日〟と言えるのも今まで俺が積み上げてきたものの結果というなら、確かにちゃんと成果を出せていると実感しながら、俺は自宅への帰路を歩いて行った。
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