15話 女友達の選択
俺とゆずは鈴花がいるという応接室へと向かっていた。
今更だがオリアム・マギ日本支部の構造は地上一階地下六階の全七階建てだ。
地上一階は一見寂れたエントランスにゴミ山があるように見える隠蔽用の結界が張られているため、魔力のない人が入ってもすぐに引き返すようになっているのだが、そうでない人には奥にあるエレベーターと非常用階段が見えるようになっている。
地下一階には事務室や応接室、初咲さんのいる支部長室がある。
俺はまだしっかりとこの施設の構造に関して説明を受けたことはないため、行ったことがあるのは地下一階までだったりする。
地下二階に食堂がある以外は残りの五階はどんな目的の階かは知らない。
今日は難しいけど、また次の機会に聞こう。
そう決めていると応接室の前に着いた。
この中に鈴花がいる。
そう思うだけで不思議と心が重くなってくる。
俺はここに来るまである可能性に直面していた。
いくら俺とゆずを尾行していたからといって、鈴花が警報を鳴らすほど侵入することは普通は出来ないはずだ。
なのにこの中にいるということは……。
それはつまり……。
「失礼します!」
考えていることを否定したくて俺は意を決して勢いよくドアを開けて部屋に入る。
「ぢゅぅがぁざぁぁぁぁっっ!!!!!」
鈴花の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。
ひでぇ……女の尊厳とかあったもんじゃないな……。
「ぢゅがざって誰だよ……なんでここにいるんだよ鈴花……」
「怖い……ここ怖い……、警報が鳴ったと思ったら……いきなり
侵入者に容赦ねえなこの組織! デモ〇ズウォールみたいな追い詰め方するなんてトラウマになるだろ……。
「そんなことは聞いていません。司君は何故橘さんがここにいるのかと聞いているんです。それにあれはまだ序の口にも程遠いものです」
ゆずがばっさりと切り捨てるが、同時に聞き捨てならないことも暴露する。
まだまだ上のレベルがあるのか……容赦のなさが唖喰並じゃないのか……。
「ぐすっ……だって司がなんかいつもよりきめた服装で外に行くのが見えたから、今日はどんな相手からデートに誘われたのかって思って後を尾けてたら、並木さんとだなんて思わなくて……」
「待て待て待て! その言い分だとお前……最初からずっと俺達のデートを尾行してたって言うのか!!?」
「並木さんとデートするくらい仲良くなって良かったね……ってニヤニヤしながら眺めてた」
「あー、友達になったことを言うのが遅くなって悪かったよ……」
鈴花にゆずとどう接すればいいのか相談したままだったな。
鈴花なりに俺とゆずの仲がどうなったのか気になっただけのようだった。
俺がそんな風に思っていると、鈴花は涙目のままで俺をじっと見上げた。
「司、アタシここまで来たんだから本当のこと教えてよ! ここはどういう建物なの!?」
相変わらず図太いなこいつ……なんで頼んでもないのに〝頑張ったから教えて〟って感じに開き直ってるんだ?
けどここで本当のことを話すわけにはいかない。
改めてここにいるのが本物の鈴花であることを確信したからこそ、俺は鈴花の質問の答えをはぐらかす。
「前言ってた並木さんのバイト先だよ」
「害虫駆除の? なのにさっきの廊下のセキュリティにしろ、ここの部屋とかなんか設備良すぎじゃない?」
う、妙なところで鋭いな……。
「俺もゆずに案内されたばかりだからよく知らないんだけどさ……」
「じゃあ並木さんに聞くね? ここってどういう建物なの?」
うわ、コイツ標的変えやがった!?
対するゆずはいつもの無表情で答えた。
「橘さんが知る必要のないことです」
「え……」
出ました拒絶の言葉……。
けどそれじゃ駄目だ。
鈴花の追究が止むわけがない。
「いや、知る必要はないとか言われると余計に気にな――」
「返答は変わりません。橘さんが知る必要のないことです」
「司は良くてアタシが駄目な理由は?」
「それも橘さんが知る必要はありません」
二度あることは三度あるというように鈴花の問いをゆずは切り捨てていった。
まずい、なんか険悪ムードになってきてないか?
「……ちょっと、さっきからなにそれ? 理由も話さず馬鹿の一つ覚えみたいに同じこと言われて〝はい分かりました〟なんて言えるわけないじゃん」
「理由を聞いたとして橘さんはどうするつもりなのですか?」
「どうもこうもしないよ。本当のことを知りたいだけ」
「でしたら尚更お答えするわけにはいきません」
「……」
二人の間になんだか稲妻が迸っている気がする……。
埒が明かないと思ったのか鈴花は俺の方に向いてきた。
「司! アンタなら知ってるよね?」
「いや、だからここは害虫駆除を目的として……」
「こんな立派な建物が必要な害虫なんているわけないでしょ!? 嘘言ってないで本当のことを教えてよ!」
本当のことは言ってないけど嘘は言ってねえよ。
唖喰なんて害虫と一緒だ。
「大体俺がどこで誰となにしようが鈴花には関係ないだろ?」
「……が……で……い……」
「え、なんて……」
「司がへんな詐欺に引っかかってないか心配だったの! 悪い!?」
鈴花はそう怒鳴ってきた。
おおう、鈴花からすれば詐欺集団にしか見えなかったのか……。
「どうして橘さんがそこまで司君に関わろうとするのですか?」
「どうしてって……アタシは司の友達だし……」
「友達……」
鈴花の理由にゆずが黙り込んだ。
昔からこうだ。
鈴花は友達のために動けるやつだ。
小学生の時にクラスで起ったいじめに俺を含めて皆見る事しか出来なかった中、鈴花だけはいじめを受けていた友達を助けようとその主犯と常に対立していた。
そんな鈴花の人柄を俺はよく知っていた。
だからこそ、鈴花を唖喰と魔導に関わらせるわけにはいかないと感じていた。
もしそのことを鈴花が知った時、彼女がどういう行動に出るのか、俺には簡単に予想できた。
なんとかして誤魔化して鈴花を遠ざけたい。
でもどう言い訳しようか頭を悩ませていると後ろから声をかけられた。
「あの子が侵入者ね? 話しぶりから竜胆君の知り合いのようだけど、どうしてこんなことになっているのかしら?」
「初咲さん……」
支部長である初咲さんが応接室にやって来た。
「友人の橘鈴花です。デート尾行されていたみたいでして……」
「え、ちょっと司、そのインテリビューティーなお姉さんは誰?」
鈴花は初咲さんの登場に若干戸惑いつつ、俺にそう聞いてきた。
「あら、お上手ね。私は初咲楓よ。そう、デート中に……」
「えと、橘鈴花です……あのあの、初咲さんにお聞きしたいことがあります」
「何かしら?」
「ここはどういった建物なんでしょうか!?」
初咲さんが俺達の事情を把握しているとみるや、鈴花は質問をぶつける。
俺達が言わないことを事情を知ってる人が言うわけないだろ……。
「ふむ……ご期待に添えるかどうかはわからないけれど、答えてあげる」
「え、本当ですか!?」
「その前に一つ、こちらの質問に答えて頂戴」
「? いいですけど……」
初咲さんの言葉に鈴花は少し身構えた。
「どうやってここまで入ってきたのかしら?」
「えっと、どうって、
なんてことのないように言った鈴花の答えに、俺は心臓が鷲掴みにされたように息苦しくなった。
一番あって欲しくなかった可能性が確実となったからだ。
「司君、なにやら顔色が悪いようですが……」
そんな俺の様子にゆずが顔を覗きこむように見つめてきた。
「……悪い、なんでもない」
俺はそう言って鈴花と初咲さんの方へ顔を向ける。
「……そう」
「どうしてそんなことを聞くんですか?」
自分がなにをしたのか理解できていない鈴花は一人納得した様子の初咲さんにそう訊ねた。
それに対して初咲さんは腕を組んで少し考えるように目を閉じていた。
――嫌な予感がする。
そんな思いが俺の中に浮かんだが……。
「橘鈴花さん」
「は、はい!」
「これからする話を聞いてどうするかあなた自身で決めて欲しいわ」
「え、えっと、わかり、ました?」
初咲さんの神妙な表情で告げる言葉に鈴花は戸惑うばかりだった。
嫌な予感ほどよく当たるなんて酷過ぎるな……。
俺は初咲さんの言葉を聞いてそう思った。
初咲さんが勿体ぶるような言い回しをする理由……それはあの人は鈴花に魔力があることを察したのだ。
ただ魔力があるだけの俺と違って鈴花は女性だ。
男性が魔力を持っていても操る術がないため、唖喰が見えること以外の利点がない。
でも女性なら唖喰が見える以外にも魔力を操って術式を発動させる事が出来る。
つまり……鈴花には魔導少女として唖喰と戦うことが出来る。
鈴花が日本支部に侵入してきたと聞いた時、一番否定したかった可能性がこれだった。
願いもむなしく入口の結界によってゴミ山に見えたはずの場所が魔力を持つ鈴花には本来の形で見ることが出来た為、こうしてここに来た……来てしまった。
そして初咲さんは決定的な言葉を言い放つ。
「あなたを唖喰と戦う魔導少女として私達の組織に勧誘をするわ」
「――っ初咲さん!!?」
おれはたまらず初咲さんの言葉を制するように叫んだ。
「ううえ!? 司、そんなに慌ててどうしたの?」
「っ話を……続けて下さい」
「ええ、わかったわ。橘さん、まず魔導少女というのは――」
そこからは俺が受けたのを同じような説明だった。
魔導のこと、それを扱う魔導士・魔導少女のこと、組織のこと、唖喰のこと……。
唯一違うのは魔導少女として戦う上で命の危険がある事を何度も注意したことだ。
それらの会話を頭の片隅で聞いていた俺はある光景を思い出していた。
脳裏に浮かぶのはゆずが唖喰と戦っていた時の光景だ。
あの時のゆずは触れたものを溶かすローパーの触手に捕まって四肢が火傷を負ったように血まみれになり、特に右足の皮膚はぐちゃぐちゃになっていた。
そんな状態のゆずが最後まで戦い抜けたのは五年という長い時間で痛みに耐性が出来ていたからだ。
ついこの前までその枠組みにいた俺が言うのもなんだが、平和ボケした日本人の……戦争を知らない現代の若者が同じ目に遭えば間違いなくショック死するだろう。
初咲さんの言ったことは戦時中の赤紙に等しいことだ。つまり〝お前には敵と戦える力があるから戦え〟と言っているのと同じで、命を守るための命を戦いへ駆り出すという矛盾した行為だ。
「――以上で基本的な説明は終了よ」
「……魔導、少女? あくう? な、なにがなんだか……」
説明を一通り聞き終えた鈴花は完全に混乱していた。
それもそうだろう。
怪しい場所に入っていく俺を追ってきたらいきなり世界規模の話に巻き込まれたからな。
「……何度も言うようだけれど、魔導少女として唖喰と戦うのは命の危険が伴う非常に厳しいことよ。よく考えて頂戴」
初咲さんはそう言って話を終えた。
「……」
俺は鈴花になんて言って声を掛けていいのか分からなかった。
本音で言えば戦って欲しくない。
でも初咲さんの説明の中に人手不足の旨があった。
別に初咲さんが鈴花の良心に付け入るために言ったわけじゃない。
ただの現状の説明に人手不足の話が避けられなかっただけだ。
世界を救う組織と言えど……いやだからこそ人手不足は深刻な問題だ。
特に魔導士なんて唖喰との戦闘で命を落とす事があるから、初咲さんにとって鈴花は貴重な戦力になると睨んだのだろう。
俯いてどうするかを考えていた鈴花は顔を上げて俺と目を合わせた。
その目は……迷っていた。
自分がどうすればいいのか迷っているんだ。
――本音を言えば記憶を消して聞かなかったことにしてほしい。
でもそれは俺の自己満足でしかない。
鈴花には何も知らないでほしいっていうただの我儘だ。
「ねえ司」
「……なんだよ」
鈴花の呼び掛けに俺は素っ気ない返事をしてしまった。
この場にいる四人の中で一番不安なのは鈴花なのに……。
「司はいつから知ってたの?」
鈴花の問いは唖喰と魔導のことだとすぐに分かった。
「五日前、唖喰に襲われているところをゆずに助けてもらった」
「え、意外に日にち経ってな――今なんて?」
鈴花が驚いたように俺に詰め寄った。
そういえば唖喰に襲われたことを言っていなかった。
俺が気まずさで口を閉じていると、ゆずから説明が入った。
「私が司君と初めて会った時に、彼は唖喰に襲われていました。その際彼も唖喰を見ることが出来たので、初咲さんが私の日常指導係として彼を組織に加えました」
「……そっか、それが二人の本当の関係なんだ」
「友達になったのだって二日前だもんな」
まだ一週間も経っていないという事実にも驚いた。
十六年生きてきてここまで濃密な一週間は経験したことがない。
俺とゆずの話を聞いた鈴花の目からはさっきの迷いはなくなっていた。
ああ、やっぱりか……。
こうなったら俺が何言っても意思を曲げることはない。
「初咲さん、アタシ魔導少女になります!」
こうして新たな魔導少女が誕生した。
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