将成と宏香
まるで人形のように動かない顔で自分のことを見られるのは単純に不愉快だった。だから将成は宏香のことを徹底的に無視していた。
しかし宏香の方は、必要とあれば話し掛けもするし傍にもやってくる。将成のことを決して特別扱いはしていなかった。あくまで他の生徒にするのと変わらない態度で接していた。だが、他の生徒達は、将成が見せる鋭い視線や、彼自身が隠す気もない暴力的な雰囲気を恐れ遠巻きにする者と、彼のそういう部分もまるでアニメのキャラクターのように受容し受け入れようとする者とに分かれているようであった。
ちなみに後者は彼のことを『カッコいい』と思っている女子が殆どである。なにしろ彼のようなタイプはこの小学校には他には殆どいなかったのだ。
多少、乱暴なと言うか粗忽な感じの男子生徒はいるものの、基本的にはお調子者で気分屋なだけと思われているらしく、あまり人気はなかった。それに対して将成は、『クールな強キャラ』という見方がされているらしい。
とは言え、当の将成自身はそういう風に見られることを望んでいなかった。
『メンドくせえ……』
などと考え、単純に怖がられて近寄ってこないようにしたかっただけだった。だからいつも不機嫌そうな顔でギロリと睨み付けるような視線を向けるのである。
もっとも、そういうことをしていると、確かに避ける生徒も多かったものの、同じように粗暴な感じの生徒が因縁をつけてきて結局は面倒なことになるパターンが多かったのだが、この学校にはそこまでのはいなかったようだ。そうやって因縁をつけてくるのがいないことを有難がりつつも、
『ヘタレばっかりかよ、この学校は…!』
とか思っていたりもした。
確かに彼の感じたとおりこの学校の生徒は大人しい子が多いように思われた。しかしそれは決して消極的で主体性がない生徒ばかりという意味ではない。単に、将成に喧嘩を売らないといけないような生徒が少なかっただけだ。そして、他人に喧嘩を売るような真似を格好いいと思わないだけである。
とまあ、その辺りの細かい事情はどうでもいいが、面倒が少ないのは将成にとっても利点ではあった。ただし、あくまで自分の隣の席の<辛気臭い女>を除いてはだが。しかも、定規などを忘れたら定規を貸してくれて、鉛筆を削ってこなかったら鉛筆を貸してくれた。教科書を忘れれば机を寄せて見せてもくれる。馴れ馴れしくもしないが少しも自分のことを恐れてさえいない。彼にとってはそれが納得できなかった。
新学期が始まり二週間が経った頃、将成は相変わらず宏香のことを無視していたが、それと同時にどういう奴か確かめようと観察もしていた。基本的には大人しいようだが、かと言って他人の顔色ばかり窺ってビクビクしてる風でもなかった。クラスの他の生徒とは、すごく仲がいいという訳でもない一方で不仲という訳でもないようだ。単に必要以上に関わろうとしないだけらしい。
その一方で、二組にはいつも一緒に行動している生徒がいる。
美朱里は活発で声も大きく背も高く、髪を短くしてやや釣り目がちで黙っている時に一見するときつい印象もあっていわゆる美形という訳ではないが、いつも笑っていて明るくて愛嬌があり、そしてはっきりと物事を言うタイプだった。それに対して慧一は、体も小さく柔和な顔つきなために、美朱里よりもさらに髪を短くしていても一見すると四年生くらいの女子にも見えそうだが、話す時は割と饒舌で、特に美朱里とは息の合った掛け合いを見せていて、必ずしも大人しいだけではないようだ。
この二人と宏香は去年までは同じクラスだったらしく、その頃にはそれこそ三人いつも一緒だったらしいと、しかも放課後、慧一の家で家族が迎えに来るまで一緒にいるらしいと、毎日宏香に会いに現れる二人のことを、前の席の女子が更に前の席の女子と話していて、聞き耳を立てなくても聞こえてしまっていた。
そんな風にいつもつるんでいる相手がいる宏香がどうして自分にこうも世話を焼こうとするのか、将成にはますます分からなかった。自分のことを『格好いい』とか言ってすり寄ってくる女子とも明らかに違っているためだ。
そして今日も、授業の後で、
「やほ~! ヒロリ~ン、一緒に帰ろ~」
と、一組の教室に入ってきながら美朱里が声を掛け、その後ろに慧一が立っていた。
「……」
宏香が黙ったまま頷いてランドセルを背負い二人の傍まで行くと、美朱里が話し掛けてくる。
「明日はオムライスに挑戦だよ。前回はキレイにできなかったけど、今度は成功させるぞ」
それに続けて慧一が美朱里に向かって笑い掛ける。
「美朱里はあせりすぎだと思うよ。だから破れるんだよ。もっと落ち着いてやらなきゃ」
「うっさいなあ。どーせ私はせっかちですよ~だ」
二人のやり取りを宏香が見守るようにしながら、三人一緒に教室を出て行った。
『なんだあいつら。意味分かんね…』
三人の後姿を見ながら、将成はそんなことを考えていた。
翌日は土曜日で、将成はいつも通り朝から近所をぶらぶらと歩いていた。この辺りのことは、どこに何があるのかということも既にかなり把握している。その一つが、慧一の家だ。迷路のように入り組んだ路地の中にある、決して大きくはない一軒家。そこが慧一の家だった。それがなぜ分かったかと言うと、本人と美朱里が出入りしていたからである。しかも、少し様子を窺っているだけの間でも、建物は小さいのにやけに人の出入りが多い家だった。
その多くは高校生くらいの女子だった。慧一と美朱里と宏香が家の前でバドミントンをして遊んでいると、慧一の姉と思しき女子と一緒に三人の同級生らしき者が制服姿で現れ、『ただいま』と声を掛けながら家へと入っていったのを見かけたのだった。同級生らしき三人のうち二人はスカートだったが、一人はスラックスを穿いていた。だから男子生徒にも見えたのだがそれにしては胸には明らかに膨らみもあり、女性のようにも見えた。もっともそれは、将成が知らなかったことで戸惑っただけで、三人とも紛れもなく女子である。女子でもスラックスの着用が認められているのだ。人数は非常に少ないがスラックスにする者もいる。そのうちの一人だということだった。
また、女子の一人を将成がなぜ慧一の姉かと思ったかと言えば、慧一が彼女に向かって『おかえり、お姉ちゃん』と声を掛けると、『た~だいま』と砕けた感じで応えたのに続いて他の女子が『ただいま~』『ただいまケイ』『ただいま』と、彼女に比べればどことなく他人行儀な挨拶をしたからである。
とは言え、『お邪魔します』ではなく『ただいま』と言ったことと、当たり前のように家に入っていたことから相当に親しい間柄だというのも感じ取れた。
そういう光景を数回見かけ、将成はそこが八上慧一の家だと確信したのだった。が、だからと言って何かするつもりもない。変に近付いて関わられるのも嫌なので、その家が見える場所はなるべく足早に通り過ぎることを心がけようと思っただけだ。何しろその家からは、いかにも幸せそうな温かい家庭のオーラとでも言うべきものが溢れ出てきている気がしたからというのもある。将成が最も嫌っている雰囲気だ。
家族が馴れ合って仲良しごっこをしている光景が、彼は大嫌いだった。そういうのを見かけると滅茶苦茶に壊してやりたいという衝動にも駆られた。しかし今はそんなことをしようとしても小学生の自分ではすぐに取り押さえられてしまうだろう。だから今はやらない。が、いずれ力をつければ片っ端からぶち壊してやるとも考えていた。
だがそれが実は憧れの裏返しであることを彼はまだ知らない。それを理解させてくれる人間がいなかったからだ。彼はこれからそういうことも学んでいかなければいけないのだった。
散歩と言うか縄張りの見回りと言うかを終えてアパートの近くまで戻った将成は、一号室の前で見覚えのある人影に気付き、思わず電柱の陰に隠れた。
『なんで俺がコソコソしなきゃなんねーんだよ…!』
とは思ったが、そこにいたのはどうにも苦手な人間達だったのだ。
それは、藤舞美朱里と八上慧一と、慧一の家の前で何度か見かけた、二人からは『リカ』と呼ばれている高校生くらいの女性だった。
『どうもこいつらは苦手だ』
将成はそう思っていた。幸せそうなオーラを放ちながら、それでいてなぜかそういう人間にありがちな平和ボケしていると言うか隙だらけと言うか、そういう脇の甘さのようなものがあまり感じられなかったからである。特にあの『リカ』と呼ばれる、さらりとした黒髪を胸まで伸ばした女は、常に油断なく周囲に目を配り、危うく自分も見付かりそうになったことで思わず隠れてしまったのだった。
『あのリカってのはただもんじゃないよな…』
その時、結人から少し離れたところに、ある大手警備会社のロゴが入った自動車が止まり、その中から自分達の住むアパートの方に視線を送りつつ無線で交信している警備員らしき二人の男の姿が目に入った。はっきりとは確認できないが、どうやら一号室の辺りを見ている気がする。
その将成の直感は正しかった。それは実は、『リカ』と呼ばれる女性、
『見付かった…!?』
別に何かやましいことをしようとしてる訳ではなかったのだからそんなに気にする必要もなかった筈なのだが、そのガードマンが間違いなく自分を見たことを察知し、思わず緊張が走り抜けた。
この時点ではまだそのガードマンが鷹取真理香を警護しているとは知らなかった彼だが、直感的にそれを感じ取っていたことで、『やっぱりただもんじゃねえ…』と思ったりもしたのだった。
が、あのアパートは自分も住んでるところなので、美朱里達が一号室に入ってしまったのを確認して気を取り直して、自分も部屋に戻ったのだった。だが、その間、自分に向けられる視線を彼は感じていた。ガードマン達が自動車の中から自分のことを見ているのが分かった。電柱の陰に隠れるようにして警護対象の様子を窺っているような素振りを見せていたことで、要注意対象とされてしまったのだろう。将成にもそれは感じ取れていた。
『なんであんなのと知り合いなんだ、あいつは…?』
部屋に戻って「おかえり~」とほの姫に迎えられつつ、将成はそれには応じずにそんなことを考えていた。
『あいつ』とは、工藤宏香のことである。こんなしみったれたアパートに父親と二人で住んでるようなあの辛気臭い女が、ガードマンを付けて本人も抜け目なく周囲を見回すような高校生と知り合いとか、それこそ意味が分からなかった。
いつもの窓から外が見える位置に腰を下ろして、外を眺めながら考えていた将成に、
「もうちょっとしたら宏香ちゃんの家にオムライスごちそうになりに行くからね」
と、ほの姫が何の脈絡もなくパソコンに向かったままそう告げた。
「はあ? 昼飯までかよ…!」
将成は苛立った風に声を上げたが、既に決定事項であり彼が異議を唱えてもほの姫がとりあう訳がないことは彼も承知していた。それにこれまでにも何度も夕食はよばれに行っていたのだ。以前にも一度昼にホットケーキをよばれはしたがそれっきりだったと思っていたのにいよいよ昼食までということで反発しただけである。
ともあれその言葉通り、正午を過ぎた頃、ほの姫の携帯に着信があり「行くよ~」と上機嫌の彼女に連れられて、渋々、一号室へと出向いたのだった。すると中には、工藤親子だけでなく、さっきこの部屋に入っていった美朱里と慧一とリカもまだいたのだった。
『げっ!』とあからさまに顔に出して不快そうにした将成だったが、ここで背を向けるというのもまるで逃げ出すような気がして癪に障り、不機嫌そうに目を背けただけで黙って部屋に上がった。
ただ、六畳ほどの部屋に工藤親子、美朱里、慧一、リカ、ほの姫、将成の七人がそろったものだからさすがに少々手狭な感じは否めなかった。にも拘わらず将成以外の誰もそれを気にしている様子はなかった。
そして、部屋の真ん中に置かれたテーブルには、見るからに美味そうなオムライスが七つ、あとはほの姫と将成が席に着くだけの状態で用意されていた。これもあの宏香が作ったものだというのか。
ここまで来たら逃げ場はない。席に着きつつも精一杯不機嫌そうな顔をして見せたにも関わらずやはり誰も気にしてないように、将成以外の全員で「いただきます」と声を上げ、食事が始まった。
「わ~、美味しい、これも宏香ちゃんが作ったんですか?」
オムライスを一口食べると、ほの姫の顔がぱっと輝いて、工藤浩一に向かってそう問い掛けた。すると彼は微笑みながら首を振って美朱里の方を見ながら、
「いや、今日はこの美朱里ちゃんが作ってくれたんだよ」
と言った。ほの姫はさらに驚いて、
「え!? 美朱里ちゃんもこんなに上手に作るの!? うわ、ショック!! また負けた~!」
などと一人で身悶えし始めた。無理もない。オムライスはほの姫も作るが、どうしても手抜きをしてしまうからか味が安定せず、ちょくちょく失敗することもあったからである。そんな彼女の様子に美朱里は「えへへ~」と自慢げに笑って見せた。だが、その美朱里自身の前に置かれたオムライスは表面の玉子が大きく破れ中身が見えてしまっていたが。自分には失敗したものを、ほの姫と将成には成功したものを配膳したということだった。
「私だけじゃなくて、ケイも作れるよ。ケイのとリカお姉ちゃんのはケイが作ったものだから」
そんな美朱里の言葉にほの姫はますます体をよじって「うそ~!?」と声を上げた。女の子二人だけでなく、男の子である慧一までこんなに上手に作るとか、女としての自信が根こそぎ打ち砕かれるようだった。
実は、この前の日曜日にもホットケーキをごちそうになり、その際に美朱里、慧一、リカとの顔合わせも済ませ、そこでも慧一がホットケーキを作れることは知っていたのだが、まさかオムライスまで作れるとはさすがに予想してなかった。
「将成、あんた負けっぱなしだよ? この三人の足元にも及ばないよ!? どうすんの!?」
と将成に向かって言った後すぐに、
「ああ~! それは私も同じか~!!」
と頭を抱え、一人で百面相を披露していた。
だが、その場にいた誰一人、そんなほの姫の姿を嘲笑うことなく、しかし柔らかい笑顔でそれを見守っていた。工藤親子も、美朱里も、慧一も、リカも、ほの姫のことを馬鹿にする必要がなかったからだ。そんなことをしなければいけないような精神状態になかったからである。
この時のほの姫の様子を呆れた風に見ていた将成だったが、実は内心、穏やかではなかった。料理ができるできないはどうでもいい。ただ、このほの姫の無様な姿を、この場にいる誰も嘲笑しないのが信じられなかったのだ。『こんなみっともない姿とか、嘲笑ってスカッとするのが当たり前じゃないのか? せっかくこんなバカが目の前にいるのにそれをイジらねーとか、何考えてんだこいつら?』。という風に驚いていたというわけだ。
そこが、将成と宏香達の根本的な違いだった。将成は他人を蔑み嘲り貶めることで愉悦を得、自らを慰めることでしか自分を維持できなかった。しかし、宏香達は違う。そんなことをする必要も理由もないのだ。そんなことをしなくても満たされているのだ。だからほの姫を嘲笑う必要などないのであった。
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