ストッパーとコントローラー
アパートに帰った
彼の頭の中には、今でも自分の首を絞めて殺そうとした実の母親の顔がはっきりと焼き付いていた。その何も映っていない、実の子である自分のことすら見えていない、ただ何もかもを呪って盲目となった虚ろな目が、彼の心を支配していた。あれが人間の本質であり、正体であり、全てだと思っていた。
だから彼は何も信じない。美しい言葉も優しい言葉も彼の耳には届かない。彼が思うことはただ一つ、
『オレを殺そうとする奴は殺してやる』
だけである。親からも生きていることを拒否された自分が生きて生きて生き延びて、先に死んでいく人間全てをゴミのように蔑んで、
『どうだ? お前達が要らないと言ったオレが生きのびてるぞ。くやしいか?』
と罵ってやりたいから生きているのである。
だが、ほの姫と一緒にいるとどうにも締まらない。とにかく何かが噛み合わなくて、はぐらかされる。あの能天気なお花畑ぶりがその原因だと思うのだが、かと言ってそれをどうにかしようという気にも何故かなれない。せいぜい時々、罵り合ったりする程度だ。それが何故なのかを知りたくて、あの女と一緒にいるというのもある気がするというのも、明確に意識はしてないが彼の中にもあったのだろう。
そういうことを考えているのかいないのか、やはりよく分からないまま将成はただ歩き続けた。その距離は、日を追うごとに長くなっていく。周囲の道を把握し、頭に入ったらさらにその向こうまで行く。彼は狂暴で学校の勉強には興味はないが、決して知能は低くなかった。それが向かう方向性が違うのだ。
彼がどうしてそういうことをしているのかは、実は彼自身にもよく分からない。もしかすると獣が自分の縄張りを確保しようとしてる感じかもしれないが、それを確かめる方法はない。ただ、これが役に立ったことはかつてあったのも事実である。
それは、去年のことだった。下校中、彼の目の前で同じ小学校に通っていた女子生徒が、通りがかった自動車から降りてきた男に連れ去られるという事件が発生したのだ。だが将成は、その自動車が走り去った方向から逃走ルートを予測し、先回りして待ち伏せ、わざと大きな声で騒いで周囲の人間の注目を浴びた上で、女子生徒を連れ去った自動車が通りがかったところでフロントガラスにダイブして事故を装い、それを目撃した人間達に緊急通報をさせて誘拐事件を未然に防いだということがあったのだ。
自動車が走り去った方向は狭い道がひどく入り組んでいて自動車では通り抜けができず、バックで戻ってくる以外では一つしか抜け道がなかったことを知っていたことで、先回りできたのである。もっとも、彼がそのようなことをしたのは正義感からではない。女子生徒を守る為でもない。自分の目の前で決定的な犯罪行為をやらかした大人を世間の前に引きずり出して嘲笑と非難と侮蔑を浴びさせることが目的であった。そして自分は、その惨めな大人の姿を見て笑ってやろうと考えたのだ。
瞬間的にそこまで考えるのだから、頭は切れるのだ。ただし、その価値観と思考の方向性は、徹底的にねじくれている。しかも、狭い道だから限度があるとはいえ逃走を図るためにそれなりにスピードを出していた自動車にダイブするなど、正気の沙汰ではない。幸い、その時は打撲で済んだが、下手をすれば命にも係わった筈だ。
その事件は、小学生の女児を誘拐しようとして逃走中に他の小学生の男児を撥ねた凶悪なものとしてそれなりに世間を騒がせた。そして将成は、テレビでそのニュースを見る度に、フロントガラスに飛び込んで来た自分を何とも言えない表情で呆然と見詰めていた男の顔を思い出しては笑い転げるという姿が見られた。ただ、当然、彼が自動車に飛び込むところを目撃した人間からは、単なる交通事故には見えなかっただろうが。
少年が誘拐犯から身を挺して少女を救い出した美談という話も出掛けたりしたが、いかんせん、当の将成が学校でも有名な問題児であり、しかもマスコミなどが取材に来ると怒鳴るわ喚くわ物を投げつけるわ水を掛けるわで大暴れしてその狂暴性を遺憾なくアピールしたことから、やはり偶発的に起こった事故だったということで評価は落ち着いてしまったのである。
だがそれも、彼の狙いだったと言えるだろう。自分を美談のヒーローに祭り上げて利用しようとする大人を徹底的に愚弄してやることが目的だったのだから。
しかしその時もほの姫は『あんた何やってんの?』と呆れた様子を見せただけで、彼の傍若無人ぶりを受け流してしまったのだった。まあ、ほの姫自身、しつこく取材に押しかけてくるマスコミには辟易していたからなのだが。
ただし、そんな形で悪目立ちしたことで、将成はいっそう、学校側からは要注意児童として目を付けられてしまったりもしたというのも事実ではある。
こんな風に、彼は、大人や世間というものを徹底的に見下していたのだった。
彼が起こした事件は他にもある。それが故に最初に入学した小学校から、ほの姫の郷里である地域の小学校に転校する羽目になったりもしたのだが、それはまたおいおい語るとして、一緒に暮らしているのが彼女でなかったら『面倒見きれない』として今頃は施設にでも預けられていただろう。しかし、施設に入ったからと言って大人しくなったという保証はまるでない。むしろほの姫と一緒にいるからこの程度で済んでいるという面も否定はしきれない。
それどころか、実の母親と一緒に暮らしていたら…?
それこそ取り返しのつかない事件になっていた危険性が非常に高かっただろう。そもそも彼がほの姫と出会ったきっかけだって、その実の母親に首を絞められて殺されそうになるという凄惨な事件だったのだから。その時は表沙汰にしなかったことで刑事事件にはならなかったものの、本来なら完全に殺人未遂である。
そういう点から考えると、将成の母親が彼をほの姫のところに残して姿を消したのは、むしろ僥倖であったかもしれない。
そして、そんな彼の面倒を見ているほの姫の願いはただ一つ。
『この、母親にも見捨てられた幼い子にも幸せが訪れますように』
だった。
どうすれば彼が幸せを掴めるのかは分からない。ただとにかく幸せになってほしい。それだけを彼女は願っていた。
まあ、『もうちょっとお行儀よくしてほしい』とか『乱暴な態度を改めてほしい』とか思うことはあったが、それも結局は彼の幸せを願えばこそではある。今のままでは、自分から事件を起こして結局は自分を不幸にするという危険性も決して低くはないだろうから。
そうは思いつつも、それをどこまで具体的に考慮して対策を取ろうとしてるかと言えば何もしていないというのも実情なのだが。
ほの姫は朗らかで気持ちの優しい女性ではあるものの、必ずしも利口で知恵が回るタイプではないというのも事実だった。将成の幸せを願いながらもただ心の中で願っているだけなのも残念ながら現実である。そういう、彼女に不足している部分、彼女にはできない部分を補う為の出会いが求められていた。
人間には、それぞれ向き不向きがある。将成の凶暴性をうまくはぐらかすという点では抜群の適性を見せる彼女も、彼が幸せになる為の明確な道筋を指し示せる訳ではないのだから。
ほの姫の存在は、将成が自らの狂暴性で過ちを犯す危険性を大きく緩和させていた。彼女の存在なしでは、彼はとっくに取り返しのつかない事件を起こしていただろう。それくらいに彼にとっては重要な存在だったのである。
ただ、彼女は彼の付属物ではない。彼女には彼女の人生があり時間がある。彼に過ちを犯させない為だけに彼女を彼の下に縛り付けておくわけにもないかない。いずれは彼自身が自らを律し彼自身の力で自らの人生を切り開いていかなければいけなくなる。彼女が不死不滅の存在でない以上は。
だが残念なことに、
ほの姫にそれができればよかったのだが、無いものを望んでも都合よく現れたりはしない。だから足りない部分は他で補うしかないのである。平たく言えば、『他人を頼る』ということだ。
努力は確かに大切だろう。努力することなく諦めるのはただの怠惰だと思われる。しかし、努力すれば誰でも百メートルを九秒台で走れるようになる訳でもなく、一流の野球選手以上の努力をした人間がプロの野球選手になれるとは限らない以上、それぞれの人間でできることとできないことがあるという事実は動かしようがない。できないことをやろうとしてできない自分に絶望し自棄を起こすくらいなら、できる人間を頼るのが結局は社会的なリスクも減ると考えることもできる。
将成を産んだ母親は、それを理解できない人間だった。不倫で幸せを掴むなんて自分にはできないこと、誰の助けも借りずに赤ん坊を育てるなんて自分にはできないこと、そういう諸々を理解できないから、自分にはそれはできないということを理解して別の選択をするというのができないから、自分も苦しんであまつさえ将成を殺しかけてしまったのだ。自分には無理だというのを早々に受け入れて将成を施設に預けてしまえばそれ以降の余計な苦しみはなかったかもしれないのだから。
無論、将成を手放したとしても本人が幸せになれた保証はない。自分にできることとできないことの区別もついていない愚かな彼女では、その後も同じ失敗を延々と繰り返した可能性の方が高い。しかし少なくとも将成が被害に遭うことは防げた筈だ。ましてや自分の母親の手にかかって死にかけるような目に遭うことはなかった。それが、将成の母親が犯した最大の過ちであっただろう。
しかし一方で、その事件がなければ将成とほの姫が出会うこともなかったのも事実ではある。とは言え、その事件に至る経緯がなければ、将成もここまで危険な少年になることもなかったこともまた事実かもしれない。
さりとて今この時点では彼がそういう少年に育ってしまっているという現実がある以上は、彼に自らの危険性と向き合いそれを制御できる人間になってもらわなければいずれ取り返しのつかない事件が起きる危険性が高い。何しろ彼は、他人を傷付けることに何の躊躇いも持ち合わせていないのだから。その為の具体的な方策をほの姫は持っておらず、また、彼女は独力でそれに気付くことができるタイプではなかった。彼女は、将成のように己の存在の根源から湧き上がる怨念や憎悪というものに囚われるということ自体が無縁だったのだから。
彼女は両親に愛され、その存在を無条件に肯定されて育った。だから大学時代の工藤や将成のような人間でも肯定的に受け入れることができる器を持っていた。が、そこから先の展望がなかった。言うなれば、『赦す』ことはできても『諭す』ことが彼女にはできないということだろうか。そして、工藤や将成のような人間を感覚的に理解することも、共感できる部分を全く持たない彼女には無理なのだった。
彼女が将成の感情の発火点を上手くはぐらかすことができている今のうちに、彼に自制の為の具体的な対処法を身に着けてもらう必要があったのだ。しかも早急に。
将成はもう小学六年生。本人にはまだそこまでの実感はないようだが、そう遠くないうちに大人相手でも負けないだけの体力もつくだろう。彼がそれを自覚した時、大人への本格的な報復が始まる。そのカウントダウンは既に始まっている。彼自身がそれを望んでいるのだから。
もしそれが実行されてしまった場合、どれほどの苦痛と悲しみと不幸がばら撒かれることになるのか、考えるのすら恐ろしい。
そんなこの時期に、ほの姫が工藤と再会したことは、まさに僥倖だった。なぜなら、
工藤が今の幸せを掴むことができたのも、本人一人の努力による結果ではない。その為に必要なことを学ぶ機会が、他人からもたらされたおかげである。でなければ、工藤は今でも嶌村ほの姫を温かく自らの部屋に招き入れるような人間にはなれていなかっただろう。それどころか、彼女に将成のことでアドバイスができるような人間にもなっていなかったに違いない。それは、他ならぬ工藤本人が自覚していることでもある。
人は、一人では生きられない。裸で自然の中に放り出されれば、一部の例外を除いて数日で死んでしまうような脆弱な生き物だ。どんなに『自分は一人だけの力で生きている』と高らかに声を上げても、それは実際には多くの人間が存在し、それら他人の力で維持されている社会の中で『一人で生きているような気になっているだけに過ぎない』と言っても過言ではあるまい。単に、自分がいる環境のことを理解できていないだけだろう。
自分が一人だけの力で生きているのではないということが理解できるなら、他人への感謝の気持ちというものも抱きやすいのかもしれない。
将成も、それを全く理解していなかった。今は子供だからほの姫を利用して生き延びている。自分はこいつを利用できるくらい頭の回る人間だと考えていたが、本当はほの姫一人の力ではないことを気付いていないだけだ。彼はこの世の全てを憎み嘲笑しているが、それは所詮、釈迦の掌の上で増長している孫悟空の姿そのものでしかない。彼が思っているように本当に社会から見捨てられていたなら、彼は既に生きてすらいなかっただろう。見捨てられたように感じていても、実はまだ完全には見捨てられていないのだ。彼にそのことを理解してもらわなければならない。それが理解できれば、彼の憎悪は劇的に緩和する筈だから。
とは言え、それは決して簡単なことではない。何度か彼に説教したところで届くことは決してない。だから彼は今もなお危険なのである。
彼がそれを理解するには大変な労力と時間が必要になると思われる。そしてそれを提供できるのは織姫ではなかった。彼と本質的に同種で、かつ実際にそういう自分を乗り越えてきた人間でなければ、彼に伝わる形でそれを提示することは非常に困難なのだった。
例えるなら、工藤浩一は神守将成にとってのワクチンのようなものなのかもしれない。
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