新学期

四月に入って春休みも終わり新学期を迎えた日、将成しょうせいは朝から不機嫌だった。まあそれはいつものことなのでほの姫もそれほど気にしてなかったが、今日は特に不機嫌そうではあった。ここの小学校は集団登校なので生徒は集まり一緒に行かないといけないのである。


しかもこのグループのリーダーは六年生である工藤宏香くどうひろかであることもまた、彼の不機嫌の原因の一つではあった。もっとも、それは学年により自動的に決まるものであって、将成を除けば宏香が唯一の六年生だったからだ。ちなみにサブリーダーは五年生であり、五年生の時にサブリーダーだった彼女がそのまま持ち上がりでリーダーとなった。


リーダーと言っても列の先頭を歩き誘導するだけなので、特に何か命令するわけでもない。しかも、この学校の生徒はおおむね大人しい児童が多いので列を乱す者も殆どいなかった。また、保護者や地域の高齢者達が通学する子供達を見守る為に通学路に立つこともあり、ただ普通に一緒に通学すればいいだけである。何も面倒なことも難しいこともない。それでも将成は何か釈然としない顔をしていた。


『女がリーダーとか……』


時間が来て全員が集まってることを確認し、登校を開始する。低学年の生徒の母親などがついてくれているので、皆、落ち着いて行動していた。その後を、将成もついていく。春休み中にも何度か顔を合わせた時と変わらず、宏香は無表情で冷めた目をして黙々と先頭を歩いていた。


やがて学校に着いて、クラス分けの名簿が張り出されていたのを確認した時、宏香はやはり表情を変えなかったが、将成はいっそう不機嫌そうな顔になった。同じクラス、一組の名前の中に、自分と宏香の名前もあったのに気付いてしまったからだった。


「あの女と同じかよ…」


そう小さく呟いて舌打ちをした。それが聞こえる距離にいたが、宏香はまるで聞こえなかったかのように平然としていた。そこに、


「ヒロリン、おっはよ~!」


と、底抜けに明るい声で挨拶しながら抱きついてきた女子生徒がいた。


「う~ん、今日もかわいいね~」


その女子生徒は宏香の頭を撫でながら嬉しそうに笑っていた。そんな女子生徒の後ろには、妹か弟らしき生徒が立っていた。髪は短いが、一見しただけでは女子か男子か区別がつかなかった。だが、


「でも、私もケイも二組か~、残念。だけど休憩時間には遊びに行くからね」


とその女子生徒が言ったことで、下級生ではなく同学年だということが分かった。体が小さくてあどけない顔をしているからてっきり年下だと思ったのだが。


「じゃ、またあとでね~」


女子生徒はそう言いながら手を振って、ケイと呼ばれた生徒と一緒に歩いて行った。ケイも笑顔で手を振っていた。その顔を見てもやはり女子か男子か区別がつかなかった。二人と入れ替わるようにして一人の女性教師がやってきて、今度は将成の顔を見るなり、


「あ、神守こうもりさんは先生と一緒に来てください」


と言われて、渋々それに従った。どうせまた、教室で前に立たされて挨拶をさせられるんだと思った。以前にもあったことである。


その予測は的中し、彼は担任に連れられて教室に入り、教壇の横に立たされた。


「今日から皆さんのクラスメイトになる神守将成こうもりしょうせいさんです。仲良くしてあげてくださいね」


『…さん…?』


強烈な違和感に、将成は思わず教師の顔を見上げていた。そう言えば名簿の前で声を掛けられた時もそうだったが、『神守さん』とさん付けで呼ばれた。女子でもないのに。


将成がそう思うのも無理はなかった。この学校では、男子も女子も『さん付け』で呼ぶことになっている。ジェンダーフリーの考え方というのも理由の一つだが、実はそれ以上に、実社会では普通は男女関係なく『さん付け』で呼ばれることの方が圧倒的に多いので、今のうちからそれに慣れてもらおうというのもあるらしい。


だが将成がこれまで通っていた学校では男子は『くん付け』であり『さん付け』は女子だけだったので、強い違和感を覚えたというわけだ。が、それに文句を言うのも面倒臭い。呼びたきゃ勝手にそう呼べと思いつつ、彼は不貞腐れた顔をしただけだった。


「神守将成…よろしく」


教師に促されてぶっきらぼうにそれだけ口にした彼に何人かの生徒は眉をひそめて訝し気に見たりもしたが、殆どの生徒はそれほど気にした様子もなく受け流したようだった。


「じゃあ、神守さんの席は、あそこの空いてる席ね」


担任が指さしたのは、窓際の一番後ろの席だった。だがそれを見た瞬間、将成はますます不機嫌そうな顔になった。自分の席の隣に見知った顔を見付けたからである。できれば関わり合いたくないそれは、間違いなく工藤宏香だった。


なるべく宏香の方は見ないようにして、将成は席に着いた。すると宏香が、声は出さずに小さく頭を下げて挨拶してきた。それでも彼はそれに気付かなかったふりをして無視し、窓の外を見た。三階建て校舎の三階だが、中庭と隣の校舎が見えるだけの場所だったので、特に見晴らしが良い訳でもなく退屈しそうだと思っただけだった。


こうして、将成と宏香の六年生としての学校生活は始まったのである。




神守将成こうもりしょうせいは、とにかく愛想が悪く他人を睨み付けるように見る目つきの悪い少年だった。


しかしそれと同時に、小学生にしては引き締まった精悍な顔つきをしており、決して背は高い方じゃないものの体も大型の猫科の獣を思わせるしなやかな体つきをしていた。だから、愛想が悪いという点を除けば…いや、むしろその愛想の悪いきつい視線こそが一部の女子の何かをくすぐるらしく、すぐに何人かの女子生徒が彼の近くに集まるようになっていた。


「ねえ神守さん。神守さんは前はどこに住んでたの?」とか、


「神守さんは何か得意なスポーツとかってある?」とか、


およそ転校生に対する定番の質問攻めにされて、げんなりという顔をしていた。


「悪いけど、俺、女子とか興味ねーんだ。ほっといてくれよ」


面倒臭そうにそう吐き捨てると、女子の一人がぱあっと顔を輝かせてさらに近寄ってきた。


「え!? 神守さんって、男の子が好きな人!?」


「はあ!? ふざんけんな!!」


なるべく関わり合いになりたくなかったからとにかくきつめの感じでと思っていただけなのに、有り得ないことを訊かれて彼は思わず声を荒げた。その瞬間、教室の中に緊張感が走る。すると、教室の隅で何か作業をしていた担任がすぐに駆け付けてきた。


「どうしましたか?」


そう訊いてきた担任に対して、その場に集まっていた女子達はお互いの顔を見合わせて微妙な表情をしていた。そうやって曖昧にするのが彼女らの誤魔化し方らしい。すると担任は、声を荒げた将成にではなく、集まっていた女子生徒に向かって声をかけた。


「みなさん、神守さんは転校してきたばかりで他に顔見知りがいないんです。そうやって取り囲んで質問攻めにしたら、困ってしまいます。ですから、聞きたいことがあるときは少しずつ、一つずつ、丁寧に聞いてあげてください。お願いします」


担任がそう言うと、女子生徒達は「はい」と素直に返事をした。どの程度理解したのかはまだ定かではないものの、少なくとも態度は従順にも見えた。


しかし将成の戸惑いは、そこではなかった。彼が今まで見てきた教師は、必ず、大きな声を出した自分に何か原因があると決めつけ、理由も聞かずに『何をやってるんだ!?』と頭ごなしに怒鳴ってくる感じだったのに、この担任の様子は彼が知るどの教師のそれとも違っていたのである。


だがそれは、彼が今後感じる戸惑いのほんの入り口に過ぎなかったのだった。




いきなり女子に囲まれたりした将成だったが、隣の席で同じアパートに住む工藤宏香は特に絡んでくる様子はなかった。彼を質問攻めにした女子達の様子にも関心がないらしく静かに本を読んでいただけだった。


この日は、体育館での始業式の後、教室に戻ってクラス全員で簡単な自己紹介をし、新しい教科書を配られたり様々なお知らせのプリントなどが配られただけでさすがに授業はなかった。


給食もなく、昼前には下校となった。


「明日も授業はありません。給食もありませんのでお昼には学校は終わりです。それではみなさん、気を付けて帰ってください」


担任の言葉に「は~い」と生徒達は返事はしたが、どうも大人しい感じはするもののあまり覇気がある印象ではなかった。少なくとも将成にはそう感じられた。いかにもな感じの『悪ガキ』風男子も、こうして見るだけならいるようにも思えない。もちろん、落ち着きのなさそうな男子は何人かいるようだが、どれも将成から見れば『ヤワ』な感じだった。ケンカ上等、暴力上等な雰囲気はまったく無い。


『なんだこのフヌケ学級は…?』


それが彼にとっての正直な感想だった。彼がこれまで通った小学校には、クラスに一人や二人は必ず暴力的な臭いを発している奴がいて、そいつは大抵、将成に食って掛かった。彼が持つ暴力的な雰囲気を感じ取るのだろう。要するに似た者同士ということだ。そして自分の方が上だということを示そうとして噛み付いてくるのである。


将成にとってはそれが学校であり学級であった。力で自分の方が優位であることを示すか、でなければお笑い芸人のように他人に媚びて笑いを取って人気者になるかしなければ、力の強い者や人気のある者の踏み台として利用されるのが当たり前という世界だった。


だが、ここは、それまでのそういう学級とは何かが違った。よく言えば平穏で平和なのだが、悪く言えばだらけてるというか締まりがないというか。どうにも彼とっては違和感しかない学級だった。


とは言えまだ一日目である。結論を出すのはさすがにまだ早いと彼も思っていた。大人しいふりをして腹の中は真っ黒なんていう奴もこれまでにも何人もいた。この学級も、良い子のふりをした下衆野郎の巣窟ということだってありえる。だからまだ油断はできない。


そんな感じで一日目を終え、帰るためにランドセルと背負おうとすると、ロックをかけ忘れていたせいで中のものをぶちまけてしまった。


『ちっ! めんどくせえ…!』


そう思いながら拾おうとすると、周りにいた生徒達が一斉に拾い始めてくれたのだった。その中には宏香の姿もあった。


『…は?』


呆気に取られて呆然としてるうちに落ちたもの全部が拾い集められて、それを受け取った宏香が将成の代わりにそれらをランドセルの中に仕舞ってくれた。さらにきちっとロックまで掛けてくれて、机の上に置いたのだった。


それは、彼にとってはありえない光景だった。これまでは拾ってくれるのがいたとしても一人二人で、殆どは見て見ぬふりだった。それどころが不様な失敗を嘲笑するのさえいた。なのにここにはこれを嘲笑する奴は一人もおらず、しかも何人もが一斉に拾ってくれたのだ。それが信じられなかった。いや、信じられないどころか『気持ち悪い』とさえ彼は感じた。


『なんだこのクラス…?』


例え様のない違和感に、彼はお礼すら言わず逃げるようにして教室を出て行ってしまった。そこに集まっていた生徒達は戸惑うように顔を見合わせた。「なにあれ…」と呟く者もいたが、それはあくまで驚いた感じであって強い嫌悪感のようなものではなかった。


宏香も、彼が出て行った教室の出入り口を見詰めていただけだった。


その時、その出入り口から顔をのぞかせ、


「ヒロリ~ン、一緒に帰ろ~」


と声を掛ける者がいた。朝、クラス分けの名簿の前で声を掛けてきた女子生徒と、ケイと呼ばれた生徒だ。


「あ、こんちは美朱里みしゅり慧一けいいちくん」


出入り口近くにいた別の女子生徒が二人に向かってそう声を掛けた。五年生の時に同級だった生徒だ。


「こんちわ~。ニコ~」


笑顔で応える、『美朱里みしゅり』と呼ばれた彼女の名前は藤舞美朱里ふじまいみしゅり、『慧一けいいちくん』と呼ばれた生徒は、名前は八上慧一やがみけいいち。その名の通りれっきとした男子である。ちなみに、ニコと呼ばれた女子生徒が『慧一くん』と口にしたように、実は『さん付け』で呼ぶことを強要されている訳ではない。教師が生徒を呼ぶ時には原則としてそうするように規定されてはいるが、生徒同士が呼び合う分には自由なのである。ただどうしても、教師がそうしているから同じように『さん付け』で統一している生徒も多いというだけだ。


美朱里と慧一に声を掛けられ、宏香も頷いて二人のそばにやってきた。この三人は、いつも一緒に帰っている。なぜなら、帰る家が一緒だからだ。宏香は父親が仕事で家にいないし、美朱里は三人で一緒にいたいというのと、一緒の方が勉強がはかどるからというのもある。その為、学校が終わると慧一の家に集まるのである。


三人で校門までくると、そこには将成がいた。校門が開くまで出られないからだった。この学校では、朝は集団登校。下校時はさすがに集団下校とはいかないが、なるべく一斉に下校することで生徒が一人になることを防ぐことを目的に、校門を開ける時間を絞っているのだ。将成はこの奇妙な学校からさっさと帰りたかったが、保護者が迎えに来るなどの場合を除き門を開けてくれることはない。とにかく時間まで待つしかなかった。


時間が来て門が開くと、校門近くで待機していた生徒達が一斉に下校を始める。しかも学校周辺は教師が立ち見守りを行った。他にも、町内の高齢者などの有志によって構成される<見守り隊>が自主的に子供達の見守りを行ってくれていた。


生徒達はなるべくお互いが見える位置や距離を保ちそれぞれの帰路に就く。その中には、将成や宏香、美朱里、慧一の姿もあった。


せっかく先に教室を出たというのに結果として宏香と近い位置で帰ることになり、将成は明らかに不機嫌そうな顔をしていた。だが、その途中で、宏香は将成が真っ直ぐ行った小さな交差点を美朱里や慧一と一緒に曲がり、姿が見えなくなったのだった。


それに気付いた将成は、清々したとでも言いたげに「はっ…!」と吐き捨て、そのまま家へと帰った。


なお、美朱里らと一緒だった宏香は慧一の家に到着し、「ただいま」と声を上げて当たり前のように入っていった。それはもう、一年半ほど続いている習慣だった。宏香を家に一人にしないようにする為と、事情があって家には帰りたくなかった美朱里を保護する為に始まったことだったのだ。慧一の家に上がると三人はさっそくリビングで宿題を始めた。帰ったらまず宿題をすること。それが決まりだった。三人はそれを守っていた。


おそらく、一人ではついつい疎かになりがちな決まりだっただろう。だが、三人が一緒にいることで、続けることができた。一緒にいると楽しいし、宿題も楽しくできるからだ。特に美朱里にとっては重要なことだった。直接自分の家に帰っていた頃には、ちょくちょく宿題をせずに学校に行くこともあった。どうせ忘れて行けば学校でやらされるのだからその時にやればいいみたいな開き直りもあった。


しかし今ではその面影は殆どない。こうして三人で楽しくやれるのだから、全く苦痛にならないからであった。


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