13 とんだストーカー
ヒューは丸一週間もの間、クララ・アンスラサイトを付け回した。彼女の性格、行動パターン、趣味趣向、人間関係などを徹底的に調査し、それをメモに記す。彼女を脅す為には、まず彼女の弱みを握らなければならない。
姉のメリル・アンスラサイトに対してマリンカは『高慢さと傲慢さが服を着たような人間』と評していたが、妹のクララに対するヒューの印象は姉とはまるっきり反対のものだった。
『自虐的な程に臆病な人間』……それがヒューのクララに対する、正直な評価だった。
クララは極端に他人との接触を避け、一人で行動する事を好む。誰かと会話をする場合は俯きがちにぼそぼそと呟き、時折上目使いで相手の表情を盗み見る。そんな奇妙な話し方が余計に他人を遠ざけ、彼女はますます孤独になっていくが……しかし、あるいはそれは彼女自身が望んでいる事かも知れない。
彼女は家に居る時以外は基本的に図書館で時間を潰していた。本は彼女の全てだったが、読書という選択肢が積極的なものなのか、つまらない人生の中で消去法的に選んだものなのか、それは分からない。四六時中追いかけ回しても彼女は笑顔を見せることが無く、彼女が何を楽しんで生きているのか、何を求め、どういう人間になりたいのか、ヒューにはちっとも分からなかった。
また、クララを追う上で彼は姉のメリルを見かけた事もあった。それは一週間の間でたった一度、教会の日曜礼拝の時だけだった。メリルの周りには絶えず取り巻きが囲っており、教会に似つかわしくない陽気な会話と馬鹿笑いに包まれている。一方のクララはやはり一人で黙々と聖書を読み続け、真摯な信仰と言うよりは、苦痛の時間を耐え忍んでいるように見えた。礼拝の始まりから終わりまで、ついに姉妹が会話するところをヒューは一度も見かけなかった。仲が悪いのか、仲が良いと思われたくないのか。
容姿についてもやはり前評判通りで、メリルは“有名になるだけある”美貌の持ち主だった。少女の無邪気さを残しつつもどこか挑発的で自信に溢れる表情は、単なる美人とは一線を画すスター性のようなものを振りまいていた。周りの男たちは彼女に対し、注意を引かれない訳にはいかなかった。
一方、クララは絶えず俯き、眼鏡と長い黒髪で他人の視線を遮っていたが、時折見せる端正で物憂げな顔つきは、メリル程では無いにしろそれなりに魅力的だとヒューには思えた。
ヒューは想像した。二人のほんの少しの美貌の差が、片や自信に、片やコンプレックスに育まれ、姉妹の性格をこれほどまでに別け隔てたのかも知れない。それが正しい想像かどうかは分からない。重要なのはこれがクララに近づく為に必要な情報かどうかだ。
彼女が何を考え、何を欲しているのか。どういう環境に育ち、どこにつけ込む余地があるのか……ヒューはまるで詐欺師のような自身の卑劣さに、ちょっとした罪悪感を感じた。しかし、”仕方の無い事だから”と割り切れる以上、自分を正当化出来る理由があるなら、悪人になるのは随分簡単なものだな、とも彼は思った。あるいは、自分は元々そういう人間だったのかも知れない、とも。
椅子に座るマリンカと目線が合うように、ヒューはベッドに腰掛けながら、ここ一週間の調査の纏めを話し始めた。
クララの調査に一週間の期限、経過報告はいらない、とマリンカはヒューに伝えていた。彼女は知りたかった。パートナーがどれだけ出来るのか、どれだけ信頼出来るのか。
「クララの趣味は読書だ」
と、ヒューは切り出した。
「彼女は現実で過ごす時間よりも、本の中で過ごす時間の方が長い。彼女を追いかけてると、ずっと町の図書館に入り浸る事になる。
それは、他の貴族の娘達とは一線を画す行動パターンだ。メリルや他の令嬢達は可能な限り人脈構成に勤しんでいるが、クララはそういったコミュニケーションから逃げる為に本の世界にどっぷり浸かっている。現実を忘れる為に、空想に逃げ込む為に……。
俺も図書館の本を読む時間が沢山取れたよ。お陰でこの世界の事も少しは分かった」
マリンカは、へえ、と小さく口から漏らした。
「クララの行動パターンも興味深いでありんすが、あんた、異世界の本を読んで分かるんでありんすか?」
「分かった。この世界の言葉をこうして話しているみたいに」
マリンカは、へえ~、とまた感心した。
「文字や言葉はマナと密接な関係がある、という説を提唱している偉い学者さんがいるそうでやすが、是非あんたという貴重なサンプルとお近づきになりたいでしょうな。
……それで、クララはどんな本を読んでいるんでありんすか?」
「『マルスデロームの幽霊』だ。ずっとあの本ばかり読んでいる。知ってるか?」
マリンカは腕組みをし、件の物語を頭の中で思い浮かべる。
「そりゃもちろん。『マルスデロームの幽霊』は定番の一冊でありんすから。マルスデローム王国が滅亡し、そこのお姫様が生き延びる為に身分を隠して奴隷にまで身を落とす話でありんす。最後は婚約者だった王子が助けに来てハッピーエンドで締めくくられるっていう、夢見る少女御用達の物語。
それを丸一週間読み続けたんで?」
ヒューは頷いた。
「ああ。本屋で買い物もしていたから、他の本も読んでいるんだと思うけど……でもどういうわけか、図書館では『マルスデロームの幽霊』だけを頑なに読み続けているんだ。
読書スピードが遅いわけじゃない。むしろ、とても早い。同じ本を最初から最後まで何度も何度も繰り返し読んでいた。あの本の背表紙はもう穴が空くほど見たから、間違いない」
「本屋ではなんて本を買ってるでありんすか?」
ヒューは首を傾げた。
「店主が教えてくれなかったんだ。金を出すって言っても、顧客情報は売れないって」
ふん、とマリンカは小さく鼻息を吹く。
「殊勝なこってすな。本屋にそんな矜持があるなんて、知らなかったでありんす。
まあ、とにかく! やる事は決まったでありんす」
そう言うと彼女は、自身に不釣り合いなほど大きなパイプを机の引き出しから取り出し、マッチを擦って火をつけ、ぷかぷかと煙をふかし始めた。
未成年者がタバコをふかしているようにしか見えない絵面に、ヒューは何となく苦笑いを浮かべる。
「ぷはーっ」
「……やる事って?」
一服に会話を中断され、ヒューは改めてそう尋ねた。
マリンカはパイプの頭部分を握り、吸口をヒューに向ける。
「クララ・アンスラサイトはマルスデロームを一週間もぶっ続けでリピートする生粋の”夢見る乙女”でありんす。
こんな現実イヤだ! ホントのワタシはこんなじゃナイ! ワタシは奴隷じゃナイナイ! ホントのワタシはプリンセス、王子様ワタシを早く見つけてーっ!
……だったらヒュー、あんたが王子様になれば宜しかろう」
「えっ!」
ヒューは、どきん、と高鳴る胸に手を当てる。
「理想と現実のギャップを埋めてやれば、クララはあんたにホイホイ懐くはずでありんす。卑劣な詐欺師になって、彼女を騙せば、弱みを握る事なんて容易い」
「……いや、そりゃ容易いだろうけど……俺には無理だろ。王子様って柄じゃない。それに、そんな純情を踏みにじるような事、果たして許されるのだろうか?」
「一週間もストーカーするのは許されるんすか?」
「いや、それは……」
ぷふーっ、とマリンカは煙を吐き、ヒューの顔面に吐きかける。ヒューは思わず咳き込んだ。
「ゲホッゲホ!」
「命に比べれば純情なんて安いもの! あんたに許されないのはたった一つでやす。あっしらの目的と信念のブレ。即ち、クララ・アンスラサイトに同情する事! この間違いだけを犯さなければ、後はお好きにどうぞ」
「同情の何が悪いんだよ」
マリンカの険しい目つきがヒューに向けられる。
「同情したら人なんて騙せないでありんす! 今のあんたは悪党だ。悪の先に我々の悲願があるなら、悪党を全うする義務がある。よ〜〜く覚えておくでありんす。
心配しなくても、ネタが揃えばあっしが脅すでありんすよ。あんたが手を汚すのは、クララ・アンスラサイトからメリルの弱みを引き出すところまで。
……ちなみに、姉妹仲は良さそうだった?」
悪そうだ、とヒューは言った。
「なら案外簡単に引き出せるかも。どうして仲が悪いんでしょうな」
「妹への軽蔑か、姉への僻んだ嫉妬心か」
マリンカは、ふむふむ、と二、三度頷くと、椅子の背もたれに背中を預けた。彼女はヒューの報告に概ね満足したらしかった。
「他に何か言っておく事は? 聞きたい事は?」
ヒューは首を横に振る。
「……別に無い。聞きたい事は図書館で大体調べたし、一週間図書館で調べても、俺が本当に求めている答えは一欠片も見つからなかった。お前に聞いても分かるワケがないしな」
「つまり?」
「元の世界に帰る方法」
ああ。と、納得してマリンカは手を打った。
異世界にやってきて、怒涛の非日常が穏やかになるにつれ、ヒューはだんだんと郷愁に駆られた。
目につくもの、聞こえるもの、匂い、味、町の空気、人々の会話、流行りもの、風潮……全てが自分にとって異質で、詰まるところ、自分自身が異質なのだと彼は思った。自身の境遇を考える度に、彼は深く暗く冷たい孤独を想起する。
クララ・アンスラサイトもまた、孤独の中に生きている少女だ。
彼女の異質さの源泉は、結局何なのだろう?
彼女の極端なまでの孤立の原因は?
……彼はほんの少し彼女に興味を持つのだった。
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