5 とんだ異端審問官

 パドの町には、“若草萌ゆる緑の盾騎士団”という著名な騎士団が存在する。

 団としての規模はごく並程度、令聞令望の殆どは過去の功績。しかし、この若草騎士団のある”特殊な構成”が、他の平々凡々とした騎士団と一線を画し、人々を魅了してやまないのであった。

 即ち、彼ら……いや、彼女達はこの世界でも珍しい“女性のみの騎士団”であった。彼女達は町のアイコンとして相当な影響力を持ち、町民達に親しまれ、町の貴族、大商人、教会等のいわゆる権力者ですら容易に手出しの出来ない存在であった。

 決して強力な武力を有する訳ではないが、大きな戦争が起きていない今日では、彼女達の様な存在こそが大衆の支持を集め、金となり、権力となる。この女騎士団と良好な関係を築く事こそ、この町で成功する為の重要なファクターであった。


 その中でも特筆すべきは、副団長のチルシィの存在だ。

 チルシィは子供の頃から騎士に憧れていた。力強く、正しく、美しい存在に憧れていた。自分もそうあろうとするあまり、子供の頃から自身が“正しくない”と判断した相手には、歳上の男の子であろうと、大人であろうと、教師であろうと、絶対に屈服しなかった。また、それが彼女自身を強くし、凛々しい美貌と相まって、騎士団に入る前から彼女のファンがいたほどだった。(その内の多くは何故か女性だった)

 彼女が入団してから、若草萌ゆる緑の盾騎士団は以前にも増して注目を集め、特にチルシィ本人の人気は爆発的なものとなった。彼女を一目見るためにわざわざ異国の王が自ら訪問し、相手国と良好な関係を紡ぐ事に成功した、という事例もあった。彼女はパドの町、あるいはメルギア国にとって、ある種の”英雄”と呼んで差支えの無い存在になりつつあった。

 ……とは言え、誉れ高い事ではあるにしろ、チルシィ本人にとってそれらは瑣末な事。

 彼女の目的は“正義”。ただそれのみである。


 ある日、チルシィは騎士団の抱えた非常に深刻な問題に頭を悩ませ、うんうんと机で唸っていた。問題とは、他ならぬ騎士団の新人達の事だ。

 騎士団が著名になればなるほど、入団希望者は殺到し、狭き門となる。血の滲むような努力と生まれ持っての才能、そして天文学的な高倍率を突破する運命とでも言うべき奇跡が必要であった。

 その針の穴を突破した新人達は、もれなく強い信念と熱い情熱を備えていたが、それはチルシィの思いとはかけ離れた異質な情感であった。


 即ち、重度のチルシィ信者。

 新人の殆どはすべからくチルシィガチ恋勢だった。


(……分からん。答えなど出ようはずも無い!)


 艶やかな髪をぐしゃぐしゃと掻き乱し、チルシィは椅子に背中を預けた。

 普段は部下に決して見せないラフな態度。彼女が心休まるのは、たった一人で副団長室に居る時だけだった。

 チルシィは悩み続ける。


(……私への好意は騎士団への好意では無い。しかし、騎士団への忠誠や正義への信念と無関係の感情だと断ずるのは……それは軽率な判断だ。なぜなら、私だって最初は騎士を敬愛するただの少女。ただのファンガールだったのだから。

 好きか嫌いか。そんな子供じみた感情こそが、大木の如き太い信念を育てる為の大切な芽だ。無碍に摘み取って代わりに植えたものが、決して彼女達に根付くとは思えない。

 思えないのだが……)


 チルシィは何とも言えない複雑な表情で宙を眺めた。と思えば、すぐに頭を抱えて青くなる。


(春画だ!)


 チルシィの青い顔に、ほんのり赤みが刺した。


(春画、春画が! 私の春画が! 私の春画が彼女たちの間に出回っているのを、私は注意出来なかった!

 出来るか!? ズリネタにされている本人が出て行って、これでカイた者は……いや、違う、これを書いた者はどこのどいつだ!

 ……言えるか、そんな事!? 言われた当人は傷つくし、団内でずっと気まずい思いをする。本人の罪を補って余りある重罰を与えてしまう。

 あれを描いたのはきっとマーシャ訓練生だ。彼女に以前、戯れで私の似顔絵を描いて貰った事がある。確かにあれと同じ絵だった。彼女には少なからず、そういった才能があるらしい。

 騎士団に必要の無い才能を、騎士団は摘み取るべきか? そうじゃない。そうじゃないが……騎士団にとって善くない行動は、騎士団に居る以上、正すべきだ。

 私は副団長で、これは善くない事。言い方を考えなければならない。でなければ、きっと彼女は不幸に……)


 その時、副団長室の部屋がノックされ、チルシィはぎくりと身を強張らせた。


「な、何だ?」


 ドアを開けて入って来たのは、訓練生の一人だった。


「あの、副団長。お客様がお見えになっているのですが……」


「客……? 分かった。すぐに応接間に……」


「その必要は無いれふ」


 訓練生の背後から、気の抜けるような声が聞こえる。声の主は、訓練生の肩をぽんぽんと叩くと、脇からぬっと顔を出した。

 タレ目気味の女性で、争い事とは無縁そうな顔。呂律の怪しい口調そのままの弛緩した表情。しかし、応接間で待たずずけずけと副団長室に入り込む無遠慮さとのギャップに、チルシィは妙な違和感を感じた。

 人は見た目で判断出来ない。いい場合も、悪い場合も。


「副団長殿と二人きりで話がしたいのれふが……」


 チルシィは訓練生に頷き、客人の言う通りにした。客人が司祭の法衣を纏っていたためだ。この世界で教会を敵に回すものはいない。


「ご配慮痛み入るれふ」


 バタン、と後ろ手にドアを閉める女司祭。

 チルシィは座ったまま、じっと相手を見ていた。


「くふふっふ。さすが“若草萌ゆる緑の盾騎士団”。可愛い騎士さんが多いれふね。訓練生も、副団長殿も」


「何の御用ですか。司祭様がわざわざこのような所まで」


「ポポーニャれふ。ポポーニャ・ストロベリーフィールズ異端審問官。教皇より勅命を受け、ハルバルビスコ修道会からやって参りまひた」


 異端審問官と聞き、チルシィの背筋は俄に凍りついた。


「……異端審問官殿が、我が騎士団にどのような用向きで?

 私の団に、神に裁かれるべき者は誰ひとりとしておりませぬ」


「この世に神に裁かれない者は誰ひとりとしていないれふ」


 ポポーニャは部屋の脇にあった椅子をずるずると引っ張り出し、チルシィの目の前までやってくると、どかっと腰を掛けた。足を組み、両腕を肘掛けに置き、両手を口元で組む。


「……それなら、言葉を変えましょう。我が騎士団には、神に背く者は誰一人おりませぬ」


「副団長殿。そんなに警戒しないれくらはい」


 相手の言葉の馬鹿馬鹿しさに、チルシィは思わず皮肉っぽく笑った。


「警戒するな、というのは無理な相談だ。あなたの仕事は悪しき人を見つけ、罰する事なのだから。

 ……そうだ。昨日はついつい深酒をしてしまった。もしや、それが原因で?」


 くふふ、とポポーニャは含み笑いをした。


「不問にしまひょう。悩み多き副団長殿の事れふから」


 ふとチルシィの脳裏に過る、自身の春画。

 苦笑いを浮かべそうになるのを、彼女はなんとか思いとどまった。


「私に悩みなんてありません。司祭殿」


 チルシィの言葉に、ポポーニャはにっこりと笑った。

 空寒い感覚に、チルシィは思わず身震いする。

 垂れた瞼の生温い瞳の奥に、刃物のようにギラつく何かを彼女は感じ取ったのだった。


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