第16話 神帝暦645年 8月15日 その9

「おーほほっ。何を言っているのかしら? あなたが愛おしく抱いている頭は火の魔犬ファー・ベロスのよ?」


 いきなり、妖艶な声があたりに響き渡る。今度は一体なんだ!? バンパイア・ロードの後ろから近づいてくるアレはなんだ!?


「うむっ。これは失礼したのである。この焼け具合、肌触り、お前のモノと勘違いしたのである」


「あら、いやな話だわ。私の頭と火の魔犬ファー・ベロスの頭とを勘違いするほどボケてしまったのかしら? 家に帰ってから、折檻が必要ね?」


「ちょっ、ちょっと待ってほしいのである! 愛しき妻の頭部を間違えてしまったのは謝るのである! だから、顔面に良いのを入れるような折檻はやめてほしいのである!」


「何を言っているのかしら? 顔ではなく、お尻の方に折檻するわよ? 今のあなたの顔に一発、良いのを入れようものなら、粉々に砕けてしまうわ?」


「そ、そうであるか。お尻の方であるか。優しくお願いするのである」


 なんだ? なんだ? こいつら、何を言ってんだ?


「お師匠さまー。お尻に折檻ってどういうことー?」


 ユーリ。お前にはまだまだ早すぎる話だ。好きな男ができても、そっち方面に行くのはダメなんだ。わかるな?


「さて、お客人たちが眼を白黒させていますので、ご紹介に預からせてもらいますわね。あたくし、ここでぼろぞうきんになり果てている男の妻なの。ヒト呼んでバンパイア・ロード・マダムですのよ」


 バンパイア・ロード・マダムだと!? おいおい。これはしゃれにならねえぞ! バンパイア・ロードとの闘いですら、満身創痍となっている今、マダムまで現れたら、死亡率99パーセントじゃないか!


「バンパイア・ロード・マダムって、どういことー? ねえ、お師匠さまー。あたしたち、ここで死んじゃうのー?」


 ユーリが錫杖しゃくじょうを両手で掴んだまま、へなへなと地面に尻をつけることになる。そりゃそうだ。ユーリじゃなくても戦意喪失するのはしょうがない。この状況は最悪すぎる。


「おーほほっ。そんなにあたくしを恐れなくても良いのよ? でも、あたくしの愛する旦那さまをここまでぼろぞうきんにしたお返しはしなければならないの? わかるわね?」


 くっ! 万事休すか! せめてユーリだけでも、ここから逃がせないのか!?


「おい。マダム。手を出すのはやめるのである。これはわれと、そこのニンゲンたちとの勝負なのである。この勝負をけがすようであれば、貴様とて容赦はせぬのである!」


「おーほほっ。まあ! なんということでしょう。あなたがあたくしに意見するとは、なかなかね? 良いわ。殺すのはやめにするわ」


 ナイスだ。バンパイア・ロード! マダムに尻を敷かれてしまうような男ではないと俺は信じていたぞ!


「しかし、どうする気なのかしら? あなたはぼろぞうきん。あそこに転がるニンゲンたちは魔力が尽きて闘えないわ? どう決着をつけるおつもりかしら?」


「ふむっ。痛み分けとするのである。このニンゲンたちが成長すれば、われの存在を消す力を持つことになるはずなのである」


 バンパイア・ロードがそう言うとマダムが、おーほほっ! おーほほっ! と高笑いをしだす。なんだ? 何がそんなにおかしいんだ?


「あなた。何をとち狂ったことを言っているの? あなたの存在を消すほどの力ですって? そこのニンゲンたちの首魁である、あの男の祖先ですら、あなたの存在を消すことは叶わなかったことをもう忘れたのかしら?」


 ん? どういうこった? 俺たちの首魁? それはもしかして団長のことを言っているのか?


「おい。マダムさんよ。俺たちの首魁ってのは、もしかして【欲望の団デザイア・グループ】の団長のことを指しているのか?」


「あら。しゃべる元気はまだあるようなのね。そうね。ここまで、うちの旦那をぼろぞうきんにしてくれたお礼に、おなたの問いに応えるわ。あなたたちの首魁。そう、【欲望の団デザイア・グループ】のノブナガの祖先は、昔、あたくしの旦那さまと存在を賭けて闘ったのよ?」


「団長の祖先だ? 一体、いつくらい前の祖先って言うんだよ?」


「そうね。たしか100から150年前くらいだったから、ざっと3、4代前と言ったところかしら? そのお話をあなたたちはあの男からは聞かされていないのかしら?」


「いや。全然だ。初耳だ」


「あらあら。あの時代、ヒノモトノ国の英雄とまで言われた男であるのに、あなたたちは知らないのね。どういうことなのかしら? おかしいわね?」


われも不思議だったのである。お前たちニンゲンは知らぬことが多すぎるのである。いくら長生きしても70年程度であったとして、まだ100から150年前の話なのである。なぜ、歴史が断絶されているのか不思議なのである」


 今から100から150年前。それは、ニンゲンが汽車ポッポーを発明したころだよな? その時代にヒノモトノ国に英雄さまが居ただと?


「ねえ、お師匠さまー。団長のひいひい? おじいちゃんってそんなに偉いひとだったのー?」


「いや、俺にも話がさっぱりすぎて、わからねえ。多分、団長すら知らないんじゃねえのか? 団長がもし、英雄さまのご子孫だったら、あいつの性格的に周りに言いふらす気がするんだけどな?」


「そんなことないと思うけどなー? 団長は過去の家名よりも今の自分の力のほうがよっぽど愛してやまない感じだしー」


「そうか。そうだよな。団長がそんな家名を傘に着るようなことすりわけがないか。ったく、俺、さっきの爆発で頭がおかしくなっちまったのか?」


「おかしいついでに、その頭をスイカのように割っても良いのよ?」


「い、いや。それは御免こうむる! ってか、旦那さんが痛み分けって言ってるんだから、それでいいだろうが!」


「ふむっ。マダムよ。そのニンゲンたちを痛めつけるのはやめてやれである。われと善戦しただけでも褒めるべきなのである」


「あら。そうなの。残念だわ。まあ、あたくしとしましても四十路の男の頭をかち割るのは好きではありませんわ? 男は25歳までですわ。あとは老衰で死んでくれていいのよ?」


 やべえな。こいつ。バンパイア・ロードは脳みそが筋肉で出来てはいるが話は通じるほうだった。だが、マダム。こいつは自分さえ良ければどうだって良いと考えるタイプの性格だ。こいつの気分次第では、旦那の静止すら振り斬って、俺たちを殺すことだってありえるぜ。


「で? 他には収穫があったのかしら? あなた、大神おおかみに連なる血の香りを嗅いだような気がすると言っていたはずでは?」


「ふむ。それであるか。ここに集まるニンゲン族たちは魔力こそ高いものの、大神おおかみの力に匹敵するモノまでは持ち合わせていなかったのである。大神おおかみの力であれば、われは今度こそ存在を消される可能性があったものを。惜しい話なのである」


「あらあら。結局、ぼろぞうきんになっただけで、肝心の力は見つけられなかったと言うことかしら。とんだ無駄足になったわね」


「しかし、大神おおかみの力でなくても、われの存在を消し去る可能性は見いだせたのである。それで充分なのである」


「そうなのね。では、あなたは、しばし、眠ってくださいな? 精の吸収ドレイン・タッチよ」


「ん!? 何をするのである! お前は何故、われ精の吸収ドレイン・タッチをしているのである!」


 バンパイア・ロードの股間をギュッと右手で、マダムがバンパイア族特有の精の吸収ドレイン・タッチをかましやがった! それを喰らったバンパイア・ロードはなすすべもなく膝から崩れ落ちるように地面にうつ伏せでつっぷすことになる……。


「あたくし、良いことを思いついたのよ? あなたはあのニンゲンたちを殺したくない。あたくしはあなたを傷つけられた報いをあのニンゲンたちに与えたい。だけど、あなたからはあのニンゲンを傷つけることは禁じられた。ならば、せめて、辱しめだけでも受けてもらうわ?」


 なんだ……と!?


「さて、旦那の精力は限界ぎりぎりまで奪ったわ。さあ、この精力を受け取るのはあなたよ。可愛いお嬢さん?」


「おいっ! てめえええ!! ユーリ逃げろ! 走れなくたって走れえええ!」


 このクソアマがっ! ユーリ、逃げろ! 動けないとしても逃げろっ!


「えっ? えっ? えっ?」


「動きがトロいわ。精の解放ドレイン・リターンよ」

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