トップシーンは簡単だけど前後が難しいという例
「久しぶりね」
「そうだな」
男はそう言った。女は男の横に腰掛け、バーテンに「いつもの」とオーダーする。
「最近の若い子はバーに来ないそうね。酒が苦手なのか、バーに魅力がなくなったのか……来ないそうよ」
「自分をさらけ出すのがうまくなったのか、下手なのか。それとも、インスタントが好きなのか、じゃないか?」
―――ジャズバラード。バーテンが女の前にモヒートを置く。男はマティーニを飲み干し、ソルトピーナッツを一粒頬張る。
「相変わらず、それなんだな」
「なんだかんだ言ってね。一周回ってこれなの」
「俺はジムビーム、アイツはハイネケン、お前はモヒート。いつもそれだった」
バーテンが男の前に琥珀色をした酒を置く。男はピクルスが刺さっていたスティクを弄んでいる。
「話ってなんなの?」
「もう少し楽しめよ。余韻をさ」
「ヒマじゃないのよ」
「A&Rだかなんだか知らねぇけど変わったもんだな」
女はスマホをいじりだす。誰かと連絡を取っているようだ。男は黙ってグラスを傾けている。
「噂は聞いてるわよ。また始めたそうじゃない……アイツと」
「誘わなかったからひがんでんのか?」
女は鼻で笑って否定する。
「いまさら何のつもりなの? 終わったんでしょ。あんたたち」
「そうだな」
「今更謝る気もないし、協力するつもりもないわよ」
女は「FIZZ」と告げる。バーテンはうなずき、数種の液体をシェイカーに注ぎ、静かに振り混ぜる。
「先を見たいやつと会ったんだよ」
「へぇ……そう。 私には関係ないけど、それは良かったわね」
―――バーテンが女の前に酒を置く。バイオレットフィズ。曲が終わり、一瞬の静寂。バーテンが何かを洗う音が静かに響く。
「妹さん、大丈夫なの?」
「アイツに勧められてな」
「あっそ。 まぁ、先に進めて良かったんじゃない? で、なんの用なの?」
「昔のバンド仲間に会いたくなることはそんなに悪いことか?」
「ヒマじゃないのよ」
女はFIZZを飲み干す。スタンリー・クラークと上原ひろみのコラボが流れ出す。
「でもまぁ、次のライブはいつ?昔のよしみで、チケットくらい買ってあげるわよ」
「決まったら連絡するよ」
「ま、行くか分からないけどね」
女が帰り支度を始め、バーテンに「バカルディ」を注文する。
「アイツは……元気?」
「あぁ。システム開発に行き詰まって、納期がヤバイとか言ってたな」
「―――そう。それじゃ、またね」
扉から女が出ていくとき、手に持った透明な瓶が照明に反射して滲んで光った。
「相変わらず素直じゃねぇな」
バーテンは「僕から見たらどっちもですよ」と言って、微笑んだ。
【知らない人のための用語説明】
バー=BAR。酒を提供する場所。(以下、偏見)存在からしてエロい。主に女性を口説く場所。気になる女の子をBARに誘って、断れなかったら50%の確率で好意があると思っていい。ただし、酒が飲めない人は入ってはいけない。ベロベロになって醜態をさらす可能性が高い。口説きテクの一つとしてあるかもしれないが、ゼロサムゲームにしかすぎない。酒が飲めない僕が憧れており、同時に憎悪を抱いている場所。
A&R=レコード会社に所属、または委託されてる新人アーティストを見つける人。(以下、偏見)主にライブハウスやイベント会場等に出没。襟がデカイシャツを着て、ピースの又吉みたいなメガネを掛けて、つまさきがとんがった革靴を履いている。ノリがうざいか、テンションがすげぇ低いかの両極端。プロデューサーの前では敬語。
スタンリー・クラーク=ジャズ界の超大御所ベーシスト。ヴィクター・ウッテンやマーカス・ミラーと違って、なんか音がエロい。すんげぇエロい。そしてデカイ。
上原ひろみ=海外でも活躍するジャズピアニスト。スタンリー・クラークと2010年にコラボした。
ジムビーム、モヒート、バカルディ、FIZZ=強いお酒。
(以下偏見)ロック系のフェス会場に大抵ある。まだ寒い春先でも、キッズたちは半袖のバンドTを着て「寒い寒い」って言いながら飲んでいる。それを微笑ましく見ながら豚汁とかすすり始めたら完璧おっさん。音楽は境を無くすが、鳴り止んだら世代とか性別とかの壁が一気に噴出してくる。静寂と嗜好は歳という現実を突きつける。不思議。
ハイネケン=パッケージが緑色のカッコいい外国のビール。
(以下、偏見)ロックンローラーのお気に入り。若いバンドマンやロックキッズの家に行くと、ハイネケンとバドワイザーは常備されている。「これ、好きなんだよね」とか言っているけど、30歳越えて遊びに行くと変わる。普通に「スーパードライ」とか「ストロングゼロ」とかに変わってて、ツッコむと「これ、好きなんだよね」と返される。中年になったときに思い出すと、少しだけ悲しい気持ちにさせるビール。
バイオレットフィズ=ブランキージェットシティーってバンドの曲のタイトル。だいぶエロイ。
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