#54 ゴシップガールと夏の日の201X

 暗闇を抜けたその先は、夏の空の中だった。


 燃える太陽の光線に焼かれた空の青さは褪せて水色に近くなり、そそり立つ積乱雲の白さは目に痛いほど眩しい。

 雲の根元には果てしなく雄大な球体の一部分が見える。それが紺碧であったことからあのカーブは水平線であり、地球の七割を覆う海原の遥か真上に自分たちは出現したのだと、この空間に放り出された瞬間に鼻腔に飛び込む潮の香りで理解した。

 視線を動かせば海原の縁には白っぽい縁取りや、波打つ緑の山々の稜線が見える。巨大な箱状の建造物も見えたが、それらはまだ小さい。海と陸地、この高度では人の頭脳と手が生み出した文明など悲しくなるほど存在感が希薄だ。



 まだ飛天像が出現していなかった博物館ミュージアム回廊の突き当たり、意味ありげな空白を演出していたその空間から飛び去ったキタノカタマコ。

 トヨタマタツミとともに、自分たちを裏切ったも同然な元生徒会長を追いかけたミカワカグラの五感が捉えたものは、どこか海辺の町の上空から落下していた自分の状況と情報、である。


 その前に、カグラは自分の鍵を使い、こちらの世界と並行世界をつなぐための扉を開いていた。

 ツチカとジュリが派手な喧嘩をしている隙に、回廊の突き当りにいち早くたどり着いたタツミがカグラの到着を待っていた 次元の向こうに消え去ったマコの姿を見つけんとして、壁に右手を、左手になにかを握りしめながら、その双眸をかっと見開いて凝視していた。

 カグラの到着のち数瞬、一度ぱちりと瞬きをしたタツミはざっと座標を告げる。


「西暦2010年代後半の極東、旧日本本州日本海沿岸。キタノカタさんが消えたのはそこ! 間違いないっ」


 日本海沿岸、と聞いてカグラの胸がどくっと跳ねる。フカガワミコトがかつてはにかみながら語った「前世の自分」の話では、平成末期の海辺の町、風力発電の白い風車がある小さな町でトラックに轢かれることになっていたのだ。カグラの頭の中にはその時に思い浮かべた想像図がある。


 タツミちゃんはこのことをしっているんだろうか? きっと知っているよね、だって二人は――。


 と、気を抜くとすぐにちくちくと胸の内を針で突く敗れた恋の痛みを頭をふって振り払い、カグラは頷き、えいっと掛け声を一つして、大きく伸ばした鍵の先を壁に向けて突き刺す。


 タツミは精神を研ぎ澄ませて脱魂状態になれば、三千世界と通称される外世界近縁ならくまなく見通しすことができる。時空間の壁を無視して探し求める対象を探索することなど容易いというのに、肉体を伴った時空間移動は不可能という制限も背負っている。そのため、別の世界に肉体事移動するときには必ず時空間移動能力を持つワルキューレの協力が必要となる。


 何を隠そう、カグラはその能力を持つ養成校でも希少価値のある方のワルキューレの一人であった。


 頭の中で大体の座標がつかめさえすれば、そのワンドで外世界へ赴くための扉を出現させ目的地への通路を開くことができる。

 外世界の中でも、この世界を中心としたごくごく近辺、分岐して間もなく変化の少ない無数の小さな世界が散らばる並行世界圏内ならば、五人程度のチーム移動も可能だ。

 西暦2010年代の旧日本なら、カグラでも移動が容易な並行世界圏内である。

 外世界侵攻戦略研究家に言わせると、前世の記憶を持つワルキューレにだけが唯一が時空間移動に不可欠な特有の方向感覚を有しているらしい。気が遠くなるような距離を移動していても方向感覚を失わず、大陸から大陸への移動を可能とする渡り鳥のような特別な器官が備わっているのでは? それは魂のルーツを外世界深奥かその近辺にもつかもしれない一部ワルキューレだけがもつ帰巣器官ではないか? 等と専門家は難しい推測を語っているが、ともあれ長年地味で大人しい不思議ちゃんのワル子気質がなかなか抜けないカグラはそういった非常にレアなものを自分が持っているかもしれないことを内心ちょっぴり誇りに思っていたりする。勿論、決して表には出さないのだが。


 ガチャン、と、金属の錠前が開くような手応えとともに壁全体に光線が走って幾何学模様が描き上げられる。これがもう一つの宇宙、仏典由来の俗語へ準えて呼ばれる三千世界へ通じる扉である。


 扉を意味する紋様が浮かんだ瞬間、タツミは素早く左手を振った。

 すると、制服が燐光につつまれて兵装姿へと瞬時に変化する(タツミの兵装は白衣非袴の巫女服とセーラー服を掛け合わせたようなデザインでいかにも太平洋校のそれくさい)。

 カグラも同じように左手を振って兵装を纏う(移動先ではおそらく戦闘は避けられない。これ以上この白いワンピースを汚したく無いのだ)。


 幾何学文様の一点にふれた鍵の先を軽く押し、目でカグラは促した。先に行って、という、タツミへの合図だった。

 が、ちょっと待ってと眼で訴えたタツミより先に、銀色の髪をなびかせて飛来したノコ──ではなくシモクツチカが疾風のように飛来して、そのまま扉に突入する。


「ありがとね、ミカワさんっ!」


 学園にいた頃から無駄に暴虐無人だった不良のお嬢様は、まったくこもっていない礼を一言口にして、頭からつるんと扉の向こうへ飛び立ったたのだ。ゆらゆらと波紋のように幾何学模様は一瞬ゆらめき、すぐに戻る。

 自分が先陣を切ろうとしていたタツミは後から来たツチカに追い抜かれる形になり、一瞬不意をつかれたようにキョトンと目を丸くする。が、すぐに事態を把握して憤慨してふんと鼻を鳴らしてぶつぶつと呟いた。


「ほんっとにあの人ってば相変わらず勝手なんだからっ」


 何をするつもりなのか、髪を結い上げていた組紐を解いた。まっすぐな黒髪がさっと背中の上に落ちる。

 そうして解いた組紐を左手に握りしめていた何かの穴にそれを通した。銀色に輝くそれは小さくシンプルな指輪リングである。

 タツミの左手薬指にはリングがきっちりとはまっている。タツミが紐を通したリングはつまり、今はここにいないフカガワミコトのものだ。

 リングを通した紐の両端を通してもち、首の後ろで結びつける様子をみたカグラの胸に走ったチクチクした小さな痛みも、そして兵装の胸元を飾るスカーフを帯状に畳んで長い髪が邪魔にならないようにポニーテール状に縛るタツミはこのことに気づいてないでほしいという甘い悲しさも、カグラの圧縮されたビジョンは子細漏らさずサランへ伝える。




 ミカワさんの能力は大変便利だけどノイズが多いのは難点だな──と、文句めいたことを感じる間も無く、タツミはカグラの跨る鍵の後ろに横座りして、魔法円じみた扉の中央を突破してこの世界の外側、よく知られた宇宙とは異なるまた別の宇宙、あらゆる世界と世界の隙間を満たす未知なる時空間に躍り出た。




 ワルキューレ因子を持つものであっても通常の五感は働かないとされるこの特殊な宇宙空間を、カグラに備わる五感や六感、専門家が唱えるように備わっているのかもしれない特殊な器官は、二人が飛び込んだこの空間をカグラの知覚はある形状に置き換えた。

 黒々とした漆黒に小さな白い点をばらまいたような昨今の人類がよく知る宇宙と似たような形状に。生身で地球の外に放り出されたように一瞬不安にさらされるカグラだが、素早く気持ちを立て直し、扉の外で突き止めた座標に向けて鍵の先を向ける。その先にあるのは比較的大きな白い点だ。

 カグラはそこに向けて飛行し──、そして、平成末期の日本の夏の空、その真っ只中にトヨタマタツミとともに出現した。そういう流れになる。





「──西暦2010年代旧日本、日本海沿岸、現時点から十六年前には廃されて、なおかつ羽衣伝説の伝わる町ねェ……、そこまで情報がそろってるならすぐにみつかんねぇとおかしい筈ですが……」


 黒々とした闇につつまてはいるものの、ヴァン・グゥエットが引き抜いた三日月丈の短刀が淡い燐光を放ってくれているのでそこまでは暗くない博物館ミュージアムの中。

 手頃な瓦礫の上に腰をおろしているパトリシアが、この場に表示させているのは『旧日本市町村史アーカイブ 平成編(1989〜2019)』なる非常に分厚い書物の形をしたデータベースで、膝の上に置いたそれをパラパラめくる。その傍で真剣な面持ちのジュリが、それまでのわだかまりを一旦うっちゃりパトリシアへ情報を追加する。


「風力発電の風車が数基、それに北ノ方自動車の部品工場があるはずです」

「風車に旧キタノカタの部品工場……そいつァ有難い情報だ。お陰さんで的が絞れやしたぜ、ホラ?」


 パトリシアのワンドである、背中の多機能多肢型マニピュレーターのうち一肢が背後からにゅっとのび、持ち主の膝の上で開いているデータベースの上をその先端でなぞる。関節部分についたクジャクの羽模様を思わせる目玉状の器官がぎょろりと動き、博物館の壁に映像を投影した。


 地球の衛星軌道上から極東の弓状列島全体を捉えた写真が投影され、そのまま西日本の日本海側にズームしてゆく。

 

 宵闇に沈むその地点はすっかり打ち捨てられ、緑の原生林に覆われた場所だった。

 寂れた漁港や、生い茂る葛のつるに覆われるままにされた打ち捨てられた風車が、竹や篠の海に沈む半壊した民家や商店の連なりが映し出され、その場に人の気配が絶えて久しいことを示している。

 その真上をカメラは移動し、さらに山中を開いて作った大きな工場跡、アスファルトがひび割れた箇所から雑草が生い茂るままになった産業道路、壮大な草原と化したかつての水田を無情に横ぎる長いフェンスを映し出す。それもまた青々とした蔓に覆われているのだ。放置された道路を横切るフェンスに立てかけられた看板には、日本語、繁体字、ハングル、英語、キリル文字で同じ文言が記されている。


『ここより先の立ち入りは亜州連合政府により固く禁じられています。違反者には懲役刑、罰金刑が課せられます』


 ご迷惑をおかけします、と各国語で口にし続けながら笑顔でぺこりぺこりと頭を下げる亜州連合軍制服に身を包んだ男性の二頭身アニメーション看板をみているのは、衛星軌道上のカメラを通した博物館に集うこのワルキューレたちくらいのものだろう。

 はーん、とパトリシアは顎のあたりに手を当てた。


「どこかと思えば、隠岐島事変の新兵器暴発で汚染地域に指定されちまったご一帯じゃあござんせんか」


 はーこりゃ厄介な場所で……と、人ごとのように呟く。

 亜州連合内における民族派同士の小競り合いに端を発し、あわや内戦の危機にまで発展しかけた小規模紛争の戦禍は新兵器の汚染物質に汚された列島・半島・大陸の諸沿岸の人類居住エリアという少なくない犠牲と引き換えになんとか短期間で最小限度に抑えられたのだが、当時の子供達の胸に消えないトラウマを残した事件でもあった。

 弓状列島の東北側、とはいえ日本海にほどちかい管理水田地帯に付属するあの街に暮らしていたサランの所でも、海流にのって汚染物質が流れ着くのではないかと大人たちの間で囁かれちょっとした終末論のようなものが子供達の間でも流行り、必要以上に怯える子供たちを多数生んだのだ。


 いやー懐かしいな……と、聴覚が自動的に捉える外部の会話に気持が引きずられけかけると、カグラが見せようとするびビジョンがぼやけてしまう。あわててサランは気を引き締めた。

 頭の中をむずがゆくさせる、カグラが直接伝達する情報に集中する。





 まばゆい夏空、眼下に広がる大洋に、緑深い山と渚に挟まれた細長い町。回転がゆったりすぎて止まっているようにしか見えない白い風車が、まぶしい砂浜沿いと高速道路が貫く山並みに数基ずつ並びたつ様子が見えた。


 そして、宙に浮かび向かい合う二人の少女の姿が、伸ばした鍵の上にまたがるカグラの爪先に見えた。

 向かって左がわが白銀の髪を伸ばし、キラキラかがやくガラスの破片めいたものを身体中から飛ばす水色ドレスの少女、右側が飛来するかけらを弾き飛ばす羽衣を纏った少女。


 シモクツチカとキタノカタマコだ。


 ノコの体を乗り移っているツチカはマコにむけて何かを罵っているが、風の音がうるさくてよく聞こえない。反対に後ろにいるタツミの声はよく聞こえた。


「ありがとう、神楽。──深川のヤツ取り返してくるからそれまで待ってて。悪いけど自分の身は自分で守って。できるよね⁉︎」


 あ、うん……と、返事を待たずしてカグラの鍵が一瞬沈んで軽くなった。

 船べりから海へ向けて身を滑り入れるように飛び込むダイバーやり方で、タツミが身を躍らせたのだ。


 こぉのおおおおおおおっっっっ!!!! ととにかく大声で叫びながら兵装姿で日本刀型ワンドを構えたタツミは二人の真上へ躊躇わず飛び降りる。その背中を中心に蜻蛉のそれを思わせる長く透明の羽がばっと四枚広がった。


 落下するタツミにコンマ数秒早く気づいたのはマコだ。

 つ、と視線を上向けたのをタツミの背中からひろがつ透明の羽越しに感づき、そして疎ましげに目をすがめた。

 その手には未だ、見慣れた鉄扇型ワンドがある。それをひらめかせて、キン、と金属質の音をたてて真上へ何かを跳ね上げた。それを素早く見切ったタツミは羽をわずかに動かして軌道を変え、カグラもあわてて旋回する。

 タツミとカグラが回避行動をとらなければ確実にダメージを与えていたはずの物体は、案の定くるくると回転する円状の刃だ。気を逸らした隙を見てぬかりなくツチカが打ち込んだそれを見切ったマコが防御と闖入者への攻撃を兼ねて鉄扇で跳ね飛ばしたのだ。


 弾き飛ばされた回転鋸はくるりと弧を描いて本来の持ち主のもとへ戻る。

 その間にカグラもワンドに向けて念じる。戻れ! と命じるとカグラを乗せたまま大きく伸びたワンドは元のサイズに戻り、連動するように兵装の背面が反応してサランが夏休みにみかけたフェアリーのそれのような羽が四枚広がる。どうやらワンドと連動して飛行ユニットが反応するシステムが組み込まれているらしい。

 ふわりとホバリングするように浮遊するカグラはゆったりと降下して、体の各部を鋸に変えてマコへ打ち付けるツチカの背後に回った。

 

 深川を返しなさいいいいいいいっ! と、力いっぱい叫びながらいつもより力のこもった斬撃を放つタツミにマコの相手を任せるつもりになったのか、ツチカは少し後方に下がり、はあはあと肩を上下させながら呼吸を整える。


「……三河さんか……っ」


 ノコの体だったはずなのに、ツチカの魂を宿したその体は若干成長していた。

 自分たちの同年齢の十四、五歳相当に。そのせいで借り物のエプロンドレスから長い手足がにゅっと伸びるという少々扇情的といえない姿になっている。


 だ、大丈夫……っ? と、自信なく問うと振り向いたツチカは数年成長したノコの顔で振り向いた。普段妹感覚で接している女児型生命体の少し大人びた顔つきに落ち着かない気分になってしまう。

 そんな内面を知るはずもないツチカは、カグラを見るなり苦笑する。


「あのワンピースはどうしたの?」

「あ、あのえーと、汚しちゃいけないから兵装に……」

「そう、いい判断だね。やっぱあのミノムシとは違うわ、三河さんて──」


(そのビジョンに触れたサランは思わず舌を打ちたくなるが、脳髄をぞわぞわさするような気配を与えてビジョンは先へ進む)


 カグラのビジョンの中にいるツチカは珍しく肩で呼吸をしている。乱れた髪を撫で、ほつれたドレスを払う。そんな有様をカグラに見られていると知って不敵に笑う。


「何? あたしが押されるのってそんなに変?」

「そ、そういうわけじゃ──」


 とっさに取り繕うカグラが慌てふためく様子がおかしいのか、ツチカは苦笑した。それは間違いなくサランが初めてみた表情だ。


「──ぶっちゃけ、豊玉さんが来てくれて助かったわ。ていうかパワーアップしてない? あの人のバカぢからっぷり」

「ば、バカ力……」

「そんな顔しないでよ、褒めてるんだから」


 はーっと、最後に大きな息を吐いてから呼吸を完全に整え、ツチカはノコの顔に人を小バカにしたときに浮かべる特有の嘲りをうかべてみせた。ただそれを向けたいのはカグラではなく、他でもない、シモクツチカ本人のようだった。


「……ああーっ、もう、ダメだわ。やっぱダメ、気持ちが整わなくて全力だせないなんて、ダサすぎ! かっこ悪すぎる」


 そんなことであの人に防戦強いられるなんて――と、こちら(つまりサランにこのビジョンを見せているカグラへ向けて)ツチカは自嘲した。

 あのシモクツチカが自嘲っ、そんな人間めいた謙虚な心持ちがあの傍若無人女に……! と驚いてしまったせいでぶはっ、とサランは派手に息を噴き出す。





 ――そのせいで、解凍されていたビジョンがみせる情報が乱れた。


「ツチカの父上がお母さまと出会った時ははまだ事変前でしたから」

「はーん、ま、とりあえずこの町の2010年代の姿は、っとぉ──」


 ジュリ、そしてアーカイブに保存されている同じポイントの町の風景をデータベースから呼び起こそうとしていたパトリシアの会話が、サランが息を噴き出した音に驚いたせいでいったん途切れた。


 二人の目が、パトリシアのマニピュレーターワンドの先端に開いた小さな吸盤を自分の額から引っ張って外すサランに注目する。

 ビジョンの中でツチカがやっていたようにぜえはあぜえはあと呼吸を整えだすサランの勝手な行動に、カグラがむうっと膨れてみせた。


「サメジマさん集中してっ! まだビジョンが乱れちゃう!」

「ですよゥ、副部長さんの頭に転送された情報はこっちもこうして保存中なんですぜェ」


 パトリシアまでサランの行動に不服があるとばかりに、右手を振って小さなワイプをひらいてみせた。

 そこには何かしらの信号と青を主体とした原色が揺らめき、きいきいぐうぐうとイルカの声やクジラの歌のような音声がでたらめに重なり合う抽象的な映像が浮かびあがった。いつになく真剣な表情のパトリシアが、その映像に何かしらコードめいたものを打ち込むと、映し出される画像はそれなりに整った。粘土細工のような人間と人間が言葉を交わしあっているものになる。

 ワンドの機能を利用して、脳内の記憶やイメージを情報端末を介した通信や保存を可能にする技術を極秘で開発していることを暗に口止した上で明かし、三人の初等部生をドン引かせたばかりのパトリシアは、その画像の具合を見て思案する。


「……うーむ、まだこの技術、実用段階にゃあほど遠いってこってすね……」


 コイツがまともに使えるようになりゃあ他人様の記憶や深層心理をあーしらで保存し放題ってことになるのに――……と、パトリシアは大変怖ろしいことを口にする。そのためにジュリが伊達メガネ越しにじとっとした目で釘を刺した。

 

「先輩が朋輩のプライバシー侵害という形でワンドを悪用なさろうとしていることを、先生方にお伝えしてもよろしいですか?」

「お好きになさいやせェ。ま、そん時ゃこっちもそれなりのお礼をさせてもらいやすんで」


 パパラッチというよりエンジニアの顔になったパトリシアは、ジュリの警告を右から左へ聞き流す。


「それに、さきほどカグラちゃんさんが並行世界で御覧になったのは本件の重大現場だ。こいつをきちんと整えて保存しておかねェと、理事の皆さんがまた好きなように本件のあらましと本校の歴史を好きなように書き換えて、太平洋校史に編纂しちまいやすぜ? こいつが当校の正史でございって塩梅でさァ」


 そうなってもいいんですかい? というパトリシアの問いかけに、ジュリは悔し気に黙った。

 それを転嫁するためか、ふーっと息を吐き、サランの両手を握るカグラに注文をつける。


「ミカワさんに感応能力があるのは分かったが、なら、サメジマだけじゃなく僕や先輩方にも一度に見せるわけにはいかないのか? その方が効率がいいじゃないか」

「で、できることはできるんですけど――……」

「それは力を食っちまうんだってさ」


 吸盤の跡がついてしまった額を手のひらでごしごしこすりながら、馴染みのないジュリの硬質な僕口調に戸惑うカグラに変わってサランが答えた。


「ミカワさんにはお茶会の時にも助けてもらった上にまだやってもらわなきゃならないことがあるんだ。分かってくれよう」

「やってもらわなきゃならないことねぇ……」


 今一つ納得いかないジュリはもどかしそうにサランを軽く睨む。その目つきで何が言いたいのかはサランは察する。


「――シモクの奴はキタノカタさんに押されて防戦気味だった」

「⁉」

「お前とケンカした直後だからメンタルが整わなくて本気出せないんだってさ」

「……っ」


 深々とため息をつきながらジュリは額に手を添えてうつむいた。感情的になった自分の行動を悔いているらしい。しかしすぐにばっと面をおこすと、カグラに迫る。


「ミカワさん、やっぱり僕にもその思念を飛ばしてもらうことはできないのか? 絶対に? どうしてもっ――?」

「え、ええとそれはそのあの、できなくもないことはできないんですけどもええとそのあの……っ」

「だったらお願いだっ。頼む。この通りだっ」


 キタノカタマコに屈するシモクツチカなど信じられない、もしそんなことが起きたというなら自分の目で確かめたいというのがジュリの主張である。だからためらいなくカグラに対し跪き、深々と頭を垂れる。

 しかしカグラはあからさまに困惑する。その奥で断固拒否の意思をサランに伝える。何しろ、ミカワカグラのビジョンはノイズが多いのだ。重要な情報に隠しておきたいドロドロとした感情が紐づいている。パトリシアの開発したシステムの動作実験に協力してもらえないかという申し入れも最初はかなり渋っていた。どうやら本人もそのことには自覚がああるようだ。

 なんやかんやである程度おのれの醜い箇所を安心してさらけ出せるサランと、ほとんど初めて口を利くような関係な上に『ハーレムリポート』を連載していた仇敵・文芸部の部長にすぐさま心を開けるわけがない――。カグラはそう言いたいらしい。

 

 サメジマさぁぁぁ~ん……という、涙の混じったような声が頭を直接ゆさぶったので、サランは小さく頷いた。ミカワカグラには迷惑かけ通しなのだからこういう時こそ借りを返さねば。


「ワニブチ、人をそこまで困らせるなんてお前らしくないよう。安心しろよう、うちがちゃんとミカワさんのビジョンを受け取るから」

「でも……」


 珍しく聞き分けの無い姿勢を見せるジュリの口を封じたのは、ちん! という金属と金属が触れ合う鋭い音だった。

 


 発生源は、回廊の突き当り。真っ二つに割れた飛天像の手前に腰を下ろしているアオザイ兵装の上級生である。

 スカートのスリットから磨いた象牙のように滑らかそうな肌合いの脚がこぼれるのにもかまわず、長く形良い脚を組んでいるヴァン・グゥエットは片手で持った短刀ワンド二本の刃を触れ合わせたのだ。

 特有のアーモンドアイで、じゃれついているようにも見える初等部生三人をじっとみる。一見無表情にも見えるその顔つきだが、サランには麗しい上級生の機嫌があまりよろしくないことがみてとれた。なぜなら彼女の全てであるマーハが所用で席を外しているからだ。

 無視の居所が悪さが放つ威圧感すら端正な上級生はもう一度刃を鳴らして一言、告げる。


「月蝕は儚い」


 相変わらず判じ物めいた分かりづらい一言で、ジュリもカグラも一様に姿勢を正した者の意味は掴みかねているようで返事をし損ねていた。

 時間が無いから早くしろの意である、と、正しく理解したのはサランのみである。あわてて額に吸盤をとりつけた。


「すみません、すぐ終わらせますっ!」


 マニピュレーターの先についている吸盤を額にはりつけることで、脳に転送されたビジョンをデジタル化して云々――という、パトリシアの解説による詳しい仕組みはともかく、この漫画じみた見た目だけはどうにかならなかったとサランは思った。

 準備が済んだサランの目を見て、カグラは頷く。そうするとまたゾワっと頭の中が痒くなった。ミカワカグラと来やすく思念のやり取りをする中にはなったが、この掻痒感にはなかなか慣れない――。





「きいいたあああのおおおおかあああああたああああああさああああああああんっ!」


 ドップラー効果を伴いながらタツミは叫ぶ、そうしながら蜻蛉の羽に似た飛行ユニットを巧みに操り凄まじいいスピードで突撃する。移動による余波でカグラたちのいる方向まで激しい風が吹き寄せたほど。

 名指しされたマコはこの騒々しい侵入者に対する鬱陶しさを隠すことなく、口元を隠していた鉄扇をひらりと一度舞わせた。その軌跡にそって生じるのは、指先ほどの光弾だ。無数に生み出したその半分で自分の周囲を護らせ、残り半分を鉄扇を振ってタツミへ向ける。攻撃命令だったのだろう、光弾の群れはふわふわと湯気のようにたよりない動きをしながらもタツミの元へ近づく。

 タツミはそれに対して、移動速度をあげることで対処した。力を上げたことで巫女とセーラー服を掛け合わせたような信じがたいデザインの兵装すがたの周囲が青白く発光する。それが一種の障壁となったのか、光弾の群れに突っ込み眩しい爆炎に取り囲まれてもその中から出てきたタツミの体には一切のダメージはない。


 そのスピードを乗せたまま、タツミは自分の刀を勢いよく抜く。その先には無論マコがいる。水平方向に一直線に突っ込んでくる相手の交わし方などいくらでも対処がありそうなものなのに、マコは逃げず鉄扇を閉じて羽衣を指先でつまんだ。

 その瞬間、タツミが抜刀する。名門神職のお姫様の霊力を充填している刀がそれ一つ一つが爆弾のような働きをする光弾の防御帯を臆せず切り裂く。

 

 至近距離で花火が爆発したような眩しさと衝撃があたりにも波及した。白い爆炎の中から飛び出したタツミは、軌道を変えてややななめ前方に上昇。納刀しながらもうもうと煙の漂う後方を振り返る。

 その表情は凛々しく、そして自分が斬り損ねた相手の少女の一を素早く見抜く。


「――騒々しいこと」


 風によってたなびく白煙の向こうから現れたキタノカタマコにも一切のダメージはない。つまんで自分の体にサリーのように巻き付けた羽衣を再び含ませる。

 羽雲を彩る彩雲にもにた羽衣は、そのように防護膜として使うこともかのうなようだ。しかしその一部は当然、フカガワミコトである。

 眉間に皺を寄せるタツミをみやり、ぱっと開いた鉄扇で口元を覆い隠す。


「このような場所にまでおいでになるとは――、一体どうなさいました? 豊玉さん」

「どうなさったもクソもないわよっ! 深川を返せって言ってるのっ。あなたが必要なのはS.A.W.Ⅰ Maia のスペアなんでしょうっ! 人の彼氏をそんな理由で渡せるわけ無いじゃないっ」


 せっかく納めた刀を抜き、その切っ先をマコに向けてどストレートにタツミは叫ぶ。愛する人の姿が見えないと素直に気持ちを表せるらしい。

 ともかくそれを聞かされたマコは、そよ、と鉄扇を動かした。扇の縁の上に見える目をつうっと疎ましげに眇める。


「――そのような根も葉もないお話を、吹き込んだのは何方どなたです?」

「誰だっていいでしょう、そんなことっ」

「出所の怪しいお話を信じて、かような場所にまでお越しになるとは……」

「そりゃあ来るにきまってるでしょう! 人の目の前で彼氏をかっさらわれたのにボーっと突っ立ってシクシク泣いてるような人間じゃないのっ、あたしはねっ」


 歯切れよく啖呵を切ってみせるタツミを、キタノカタマコは不快気に見やる。家柄や家系だけみればやんごとないと称される階層に属するはずのタツミが、下々のような口を利くのが不愉快で仕方ないと、その眉間が語る。

 やや遠くにいるキタノカタマコが一言、何かをつぶやく。しかしそれは鉄扇と風音に阻まれて聞こえない。


「……」

「えっ、何っ? 大きな声でもう一回言って!」


 冗談なのか本気なのか、自分の耳に手をあてるタツミの仕草をへたな挑発と受け取ったのか、マコは大声で吐き捨てるように返した。


「嘆かわしい、と申したのです。豊玉さんともあろう方がワルキューレとしての立場を放棄して殿方を追いかけ世界と人類の危機を見逃すなど……! それが私どもの誇り高い代表、初等部三年首席のありようでしょうか? 胸に手をあててお考えなさいませ!」


 ――あー、キタノカタさんお得意の議論の混ぜっ返しだ。あからさまに幻滅させてせてみせて人のプライド刺激する、話の論点すり替えるアレだ。他人がこれやられてるところを見ると冷静になれるのに、自分でやられると我を見失って術中にハマっちゃうんだよな……。


 と、傍目八目でキタノカタマコ得意のやり口を冷静に評するサラン(=カグラ)の視線の先で、トヨタマタツミは元気に怒鳴り返す。


「ワルキューレの誇り云々がどうしただこうしただ、そういうことを北ノ方さんにだけは言われたくないんだけど! 自分の目的の為だけにみんなに散々迷惑かけてる貴女にだけはっ!」


 そうだそうだー、本当は全然ワルキューレであることにたいする誇りもなにも無いくせにー。自分たち一族を肥やすために美しく儚い物語を悪用したプロパガンダで何も知らない女の子たちをだまくらかし、廉価で耐用年数の低い人造ワルキューレビジネスを展開する道筋を作ってたくせにー……と、サランがついうっかりタツミの尻馬に乗っている間にもビジョンは先へ進む。


 キタノカタマコはタツミの反論を、なんのことやら? という表情で受け止め、うっちゃる。


「私の行動はすべて、ワルキューレを含む世界人類すべての平和と安全につながるものです。そのような中傷を受ける覚えはございません」

「――っっ、ぬっけぬけとぉぉぉぉぉっっっっ!」


 ぶわっ、とタツミの髪が逆立った。さらわれた恋人を猪突猛進に追いかけてきた身としては、しらばっくれるているとしか言いようのないキタノカタマコの言葉に堪忍袋の緒が切れたらしい。


「そうやって胸を張って主張できるような計画ならちゃんと協力を仰ぎなさいよぉっ、深川にぃぃぃぃっ!」


 しゅん、と、青白い残光をのこしてタツミの姿が消え、マコの背後に姿を現す。そして遠慮なく刀を抜いた。

 マコはそれを察したのか慌てもせず、くるりとタツミの正面に向き合うと鉄扇を閉じて渾身の一撃を防ぐ。金属と勤続がぶつかりあう激しい音がなり、火花が散った。

 単純な力比べでは分は圧倒的にタツミにある。タツミの居合はマコの鉄扇を弾き飛ばした。持ち主の細い指先から離れた鉄扇は、空中で真っ二つになりバラバラに解かれながら紺碧の大海原へと落下する。

 腕が跳ね上がり、羽衣をまとった胴体を一瞬とはいえ無防備にさらしたマコは自身のワンドの回収には向かわない。そのような時間はありはしない。タツミがすでに二撃目を放ったからだ。

 かつて共に敵を撃ったこともある朋輩の胴を、一切の斟酌なく真っ二つに斬りおとすほどの勢いでタツミは刀を振るう。

 それをマコは落ち着き払って受け止めるのだ。指で羽衣をつまみ、タツミの剣戟を受け止める。ひらひらとした頼りない衣で、渾身の一撃を絡め取る。

 タツミの打ち込んだワンドのヤイバに羽衣を巻きつけ、しばりあげ、いともたやすくマコは動きを封じた。

 そう簡単に倒されてくれる相手ではないとタツミも予測していたのだろう、あがくのはほんの数秒、自身の刀が羽衣による拘束から逃れられないと悟と、柄を握ったまま目の前の少女の黒い瞳をまっすぐに睨んだ。


「──いいっ⁉︎ アイツはっ、深川のバカさとお人好しっぷりはね、筋金が入ってるんだからっ! デタラメな宇宙に振り回された被害者なのにっ、本来ならワルキューレなんてやらなくていいのにっ、侵略者退治なんてあたしたちに任せたって自分だけ逃げたっていいのにっ、そうしないで世界と人類を守ってるんだから……っ」

「──ええ、よく存じておりますが」


 貴女からわざわざ聞かされるまでもなく、という言葉を省略したことをマコはあからさまにする。

 その顔を隠すものを失ったマコは、タツミの刀を包み、縛る羽衣の両はしを握り締めながら感情の高ぶりによっていつもより瞳をぎらぎらきらめかせたタツミを見下ろす。その表情は対照的に涼やかで、汗の玉一つ浮かべていない。


「何がおっしゃりたいのです?」

「だからぁっ! きちんと説明したらよかったじゃないって言ってるのっ! あんたがどういうやり方で世界と人類を守るつもりなのか私はまだ知らないけど、学校や国連のやり方と違っても侵略者から本気でこの世界を守りたいなら、アイツにちゃんと説明しなさいってっ! そしたらちゃんと協力したってば、──自分にその力があるのなら当たり前に人や世界は大切だし守らなきゃって当たり前に思えるようなお人好しなんだからっ!」


 刀を奪われたためだろう、タツミは右手を柄から離し、剣印を結ぶ。ピンと立った中指と人差し指の周囲にに小さな白波がまとう。目まぐるしく螺旋を描くそれは、タツミの霊力が作り出した小さな水流だ。おそらくそれで羽衣を切断するつもりなのだろう。バネをぴんと伸ばすように水でできた剣に変え、振り下ろした。


「同意致しましょう。深川様は極めて崇高な方です。まるで昔から好まれる物語の主人公のように善良でお優しく、純粋で素直な方です」


 タツミの霊力を見ても、マコはきわめて落ち着いていた。全てを見透かすように傲岸に見下ろし、そして笑みをうかべる。


 王座の上から哀願する道化の戯れを見下ろす貴人の如き微笑みだ。それはだれがどうみても、フカガワミコトの素朴な献身と使命感を嘲笑うものだった。

 至近距離で愛しい人を愚弄された、タツミの怒りは当然燃え上がる。生じさせた剣をの刃を一層尖らせた。


 いつもあの鉄扇で隠されていた口元はこのような笑みをうかべていたのかと、見たものをぞっとさせるほど冷たく、それでいて艶やかですらある笑みをうかべたままするりとタツミに近づいた。


「それに、深川様にはすでに説明を済ませておりますが?」


 マコが身をすり寄せたため、タツミが霊力で生み出した剣を振り下ろそうとした羽衣がゆるんだ。ピンと張った状態であったなら切れ込み程度のダメージは与えることは可能だったかもしれないのに、撓んだ羽衣は超常の力で生み出した剣をもゆったりと包んでしまう。

 失態を悟ったタツミの耳元でマコは囁いた。生徒会長や名高い財閥の令嬢として人前に立つ時には絶対に見せない、艶めいた声で意味ありげに。


「深川様はお優しい方ですから貴女が悲しまぬようにお気遣いなさったのでしょう。 ──四月、暁の空を共に眺めた際のことですもの」


 それを聞いた瞬間、タツミの目が大きく開かれた。そのショックはカグラの意識を揺さぶるほど大きかった。

 言わずもがな、四月といえばキタノカタマコによるフカガワミコト監禁事件があった月である。カグラの脳ごとゆらすような衝撃に、タツミが瞬時に思い浮かべた様々な感情や想像図がなだれ込んで閃いた。怒り悲しみ疑い嫉妬、あらゆる感情がタツミの思考をかき乱す。

 形成した霊力の剣が一瞬で蒸発し空中に散る。羽衣を切ることは叶わない。

 そしてキタノカタマコは決してそれを見逃さない女だった。

 戦闘時の習慣でカグラはタツミのカバーに入るが、すでに遅い。思う通りにことを運んだマコは人の前に出ることに慣れた由緒ある令嬢然とゆったり微笑み、タツミの刀を絡め取った羽衣をたぐりよせた。

 そのころにはタツミも我に帰り意識をマコへ向けたが、その時にはもう、さきほどまで海に落とされた鉄扇を手にしていた右手にタツミのものである日本刀型ワンドの柄を握っていた。くるりと回しながら、刀身にまきつけた羽衣ほほどいてゆく。


 真夏の陽の光をギラギラと反射させたその切っ先を、マコはタツミの胸元へ突きつけた。そこには普段のタツミが身に着けない小さな装備がきらめいている。

 いつも髪を縛っている組み紐を通した指輪だ。

 

 二十一世紀をくまなく覆いつくす拡張現実の網から遠く離れた、過去の世界では勿論リングは使えない。それでもタツミは左手薬指にリングを嵌めている――などとわざわざ考えるまでもなく、胸元でちらちらときらめくリングがだれのものであるかなど明白だ。お茶会の終盤、マコによって羽衣に変えられたフカガワミコトの指先から落ちた、あのリングだ。

 しかしマコは、人でないなにかのようににこりと微笑んで空とぼける。


「見慣れぬお守りですこと」


 そして切っ先を器用に操り、リングを通した組紐を巻き付ける。よく研ぎ澄まされた刀の輝きはいかにも剣呑だ。持ち主ではないマコのてにあっても刃物として最低限の働きくらい果たせるだろう。現に組紐を構成する細い糸の束たちがぷつぷつと切断されていっている。

 胸元に自分のものである刀をつきつけられて、タツミもその場にとどまる。前進すれば刃が胸を貫く。動けば即座に、小さな無視をいたぶる少女そのものの笑みをうかべた生徒会長はおそらく容赦なくタツミをなますに斬る。それがわかっているのだ。

 それでもタツミは、真正面からマコの目を睨む。いつもきらきらとまばゆい眼光にありったけの闘志と威圧感を乗せてマコの余裕気な表情を睨む。


「――離しなさい」


 めったに見せない、古い家柄の姫君に相応しい威厳にあふれた態度をタツミは見せる。堂々と、静かな威厳を湛えて幼稚な狼藉に及ぶ同級生を咎める。

 マコはそれを目の当たりにしても動揺一つしない、目を弧のかたちにして微笑んで見せるが、好きな人の持ち物を肌身離さず持っていたいというタツミのいじらしい気持ちを踏みにじる。


「残念ですが、あなた方との縁を断たねばなりませんので、これを貴女に残す訳には参りません」


 その声にはありったけの嫌悪感が滲んでいた。かりそめの微笑みには似つかわしくないむき出しの感情が。

 時間にすれば一瞬の筈だが、マコの右手のなかにある刀がすうっと上へ持ち上げられ組紐が断ち切られる様子がカグラの目にはスローモーションで見えていた。

 マコはなんのつもりか、タツミが持っている指輪に通された組紐を断ち切ろうとしている。そのままいけば当然、リングは大洋に落下する。大海原に落ちた小さなリング、それを回収するのは不可能だ。


 カグラは息をつめ、マコの死角に回り込み、50㎝ほどの長さに伸ばした鍵の先をタツミの足元へ向けた。攻撃を反射する性質を持つ防御壁を展開し、リングの落下を防ぐためだ。戦闘中のそんな行為に意味があるのか、そんな余裕があるならマコの無力化を優先するべきではないかという疑問は押し殺す。

 親友の大切なものを失うところをみすみす見ていたくなんかないし、それにあのリングは失うべきではないのだ。――なぜならマコがとてつもなく嫌悪感をむき出しにしている。

 そういうものは得てして戦う相手の弱点だったりするのだ。特級ワルキューレとしてそれなりに戦闘経験も豊富なカグラのカンが告げていた。防御壁をはるタイミングを間違えないように……。


『ミカワさーん、聞いてる~? 聞こえてるよね~、おーい!』

「!」


 突然、カグラの頭の中で声が響いた。普段他人の思念を一方的に受信することの多いカグラにはこういう経験は少ない。驚いて声を上げそうになったところ、思考に割り込んできた声は叱責する。


『黙って! あの人に気付かれる。そのままタイミング測ってて』


 その声はカグラの聴覚を刺激する。連動して懐かしい記憶を引きずり出す。学科も実技もなんなくそつなくこなすのにいつも本気を出さないで同級生のほとんどをいらだたせて、信じられないような事件をおこして学校を去った、あらゆる意味で規格外の女の子だった、あの目立つ同期の声だ。

 彼女の在学時、まともに口をきいたことなんて数えるほどしかなかったのに、カグラの思念は彼女が放つけだるげで高圧的で他人は自分に従うのが当然だとばかりに当たり前に信じていそうな声を聴くと、自然に下手に出てしまう。その時もそうだった。

 はいぃっ、と頭の中で気弱な声を上げた時、視界の隅に入る長い銀髪に汚れた水色のエプロンドレス姿の少女はいた。カグラの頭の中に直接話しかけてきたのは、むろん彼女だ。正確に言えば、彼女の中にいるかつての同期の不良少女だ。


 彼女は矢のようにカグラの頭へビジョンを届ける。それを頭の中で展開し、概要を確認すると小さく頷いた。ノコの体に間借りしているはずの元同級生・シモクツチカが寄こしたのは作戦指示だ。このように動けという通達だ。


 戸惑うカグラだが、目の前で事態は進行している。マコが持つ刀の切っ先は、タツミが首から下げた組紐を一気に斬り上げた。


 切断された組紐の先から星屑のようなものが一つ、弧を描いて二人の並ぶ頭上より高く跳ね上がる。


 今! と、カグラの頭の中でシモクツチカが叫ぶ。返事の代わりに、魔法の杖ほどの大きさにした鍵をマコを突きつけ、防御壁の展開をイメージする。

 極力小さく、その分強度は固い、次元を超えた攻撃すら防げるほどの硬度をもつ壁の展開を。


 狙い通り、幾何学模様を描く光線が現れ大皿ほどの防護壁を一瞬で展開した。カグラが通常あらわす防護壁よりはるかに小さい幾何学模様が、キタノカタマコの羽衣を挟むように描かれる。見ようによっては、光線で描かれた魔法円の中央をやわやわとたなびく布がつらぬいているようにも見えた。


 が、どんな攻撃でもびくともしないよう強度を固めた防護壁が消え去った時、羽衣の一部が切断されてふわりと宙に踊る。羽衣の端を斬り落とされたことにマコは即座に気付き、振り向き鍵を構えたままのカグラを睨んだ。鬼のような眼差しで。


「上出来っ!」


 マコの視線に晒されて、ひぃっと強張るカグラに一声残して銀色の髪の少女が素早く動く。落下するリング回収に動いていたタツミより素早く落下地点に移動し、フライを補給する外野手のように左手でリングを奪い取る。

 自分が回収するつもりだったリングを奪られたタツミが、目を吊り上げて何事かを叫ぶよりより早く、これまた守備の名手めいた動きでツチカはリングを素早く投げたのだ。――その先にあるのは、フワフワと宙にたなびく羽衣の切れ端だ。その中央にツチカが投げたリングがあたる。羽衣はちょうどリングを包みこむ格好になり、そのままゆるやかな弧を描きながら落下する。その先は白い砂浜と目に鮮やかな松林だ。


「っ、何するのよっ!」


 ツチカの行動に当然腹を立てながら、タツミは落下するリングを追うために、羽を畳んで滑降の体勢に入る。そのまま素早くリングの回収へ――。


 意味の分からない行動に及んだシモクツチカは、睨まれた者の身をスライスしかねないマコの視線にさらされているカグラの前にいどうした。そしてそのまま、そのまま犬猿の相手であるシモクツチカを挑発した。長い髪をさっと払い、余裕気に憎たらしい口を叩く。


「油断大敵~、ていうか豊玉さんを追っ払うことに頭いっぱいで余裕失くすとか、らしくなさすぎ~。ダッサ」

「――――」

「ま、わかるけど。あの人そばにいるとめんどくさいもんね~、あんたにしてみればさぁ? 事情しらないくせに霊力満タンな子にそばをうろちょろされるのって邪魔だもんね~。だからホラ、協力してあげたんじゃん? ほらほらお礼は~? ──人からの親切を無言で返すのがそちらのご家風ってわけなの、ねー、北ノ方さん?」


 羽衣を切断されたマコがツチカへお礼など、言うわけがなかった。

 ただ、カグラへ向けてたいた鬼神めいた眼差しをツチカへスライドさせ、まばたきだけで怒りを払拭し、なにか含みを持たせるようにゆったりと微笑んだだけである。


「ええ、ありがとうございます。――まさかあなたがここにきて私の手に戻る判断をなさるとは」

「――は?」

「そういうことでしょう? こちらはせっかく代用品で手をうつ積りでしたのに」

「自分に都合のいい勘違いとかしないでくれる?」


 今度は不愉快そうにツチカが返した。

 その間、カグラは落下する羽衣とリングの行く先を目で追っていた。目が離せず追わざるを得なくなっていたのだ。


 カグラの視線の先、中央にリングを包んだ羽衣が見る間に形を変えてゆく。


 ホログラムのような七色の輝きを放ちながら羽衣はほどかれ、別の形に編み上げられる。指、手、手首、腕、肱、二の腕、肩、それから首に上半身――と左側から注進に、人間の形をしめす。それはカグラもよく見知った姿だった。カグラも知っているなら当然タツミも自分が今追いかけようとしている相手は誰なのか、よおく知っている。


「深川ぁ……っ!」


 感情がこもりすぎたのか悲鳴に近い声を上げながら、全身がまだ現れない少年の跡を追いかけながらタツミは名を呼ぶ。羽衣だった時の名残なのか、虹のように全身を輝かせた少年は、左手でリングを掴んだ。

 その薬指にリングを嵌めたかどうかまではカグラの位置からは確かめられない。ただ、懐かしい少年の声が呼んだのはタツミではなかった。


「ノコぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 遠ざかり落下する少年の声から届いたのは、自身のワンドの名である。すぐそばに自分を負っているタツミがいるにもかかわらず。


 ――このタイミングでなんでまた、フカガワ君てば!


 タツミの怒りをとっさに想像したカグラは頭を抱えかけたが、さらに目を疑う光景が待っていた。ポンっ、白い煙を出して目の前にいた銀髪の少女の頭身が見慣れたサイズに縮んだのだ。


「⁉ マスターっ、マスター元気なのか、マスターっ! っていうかここはどこだっ! お茶会はぁぁぁっ⁉」


 予告もなく持ち主に返還されたノコの体は、せわしなくあたり一帯を飛び回り、そして自分の名を呼んでいる主人が、足元遥かかなた陸へめがけて落下中であることに気が付き、だにゃああああ! と珍妙な悲鳴を上げた。


「マスターがマスターがマスターが、なぜあんなとこにぃ……!」

「……っ、…………っ、………………っ、…………………………」


 落下中にも関わらずフカガワミコトは何かを叫んでいる。ただし。物理的な事情でなにを言っているのかよく聞こえない。

 ミカワさんを守れ、だったりしないか……と、急変する状況を落ち着いた目で眺めるためにカグラの脳はあえて明後日なことを考えだすが、むろんそんな事態ではないのだ。カグラは再開できた自分の主を追いかけようと追跡体勢に入るノコの方を掴んだ。


「ノコちゃんっ、撞木さんはっ? 撞木さんはどこに……っ?」

「? そんなことよりカグラ、マスターがノコに何か言ってる!」


 状況がつかめず慌てふためくノコは、もはや小さな二つの点になりつつある自分の主人とタツミを追いかける前に両耳に両掌をあてた。そんな仕草だけで、最古のワンドでもある人造少女の耳には人間の声を聴くことが適うらしい。

 ワンドとして自分の主からの命令を第一に考えるノコに、さっきまでいたはずのシモクツチカの行き先を尋ねても無駄だとカグラは切り替えた。一見人間によくにていても、ノコの心は人間とは仕様が違うようで胸の内は騒がしくない。つまり、ノコが知覚する情報をカグラは知ることができない。

 

 わかることは、羽衣から切り離されたフカガワミコトが復活したこと。

 タツミはその回収にむかったこと。

 ノコの体に入り込んでいたシモクツチカ――かつての自分と同じようなタイプだと思っていたのに信じられないことばかりしでかす同級生曰く、一連の出来事を画策した問題児の不良お嬢様――は、何も言わずにノコの体から消え去ってしまったこと。

 そして――これが一番大事なこと――目の前に、冷ややかなまなざしをして宙に浮かぶキタノカタマコがいることである。


「――」


 やや短くなった羽衣の切断面をみて、マコは、少し目をすがめた。

 眉間にほんの少し力を入れるだけで、気分の良し悪しを見せつけるマコのその表情は、初対面の時からカグラを震え上がらせてきたものだ。タツミやノコ、そしてフカガワミコトたちと一緒に行動する機会が増えて感じなくなっていたキタノカタマコへの恐怖心がカグラの胸に去来する。

 それを見透かしたのか、マコは相手する価値を持たないものを相手するときに浮かべる淡々とした表情と口調で問うた。


「あれは何と言って去りましたか?」

「――あ、あれって……?」

「私の口からあれの名を告げよと?」


 相変わらず気の利かぬものだ、という軽侮の色すらみせることなく、キタノカタマコはカグラに尋ねた。よくみれば視線すら合わせていない。マコの視線は、羽衣の状態から戻ったフカガワミコトとそれをおいかけるタツミが消えた彼方の渚にある。

 キタノカタマコにとってミカワカグラはそのような存在なのである、という事実を目の当たりにしながら、カグラは以前のように口ごもりながら伝えた。マコがいう〝あれ″がなにかは明白だ。この人は以前、心の中で幼いころからよく知る仲だった女の子を〝化け物″と呼んだ人だ。


「し、撞木さんは何も言わずどこかに――。わ、私もノコちゃんも、どこに行ったかかなんて……そこまでは……」

「結構」


 たった一言、マコはそう口にする。カグラに対してはそれでおしまいだ。

 〝化け物″の一件で震え上がって以降、カグラは普段からマコの思念にだけは意識して耳を閉じ目を向けず関心をもたないように努力していた。しかしそうせずとも、マコが己の思念を外に出すことはめったになかった。マコのその姿勢には、上流階級の方は精神の鍛練も欠かさないのかもしれないと怯えながらも圧倒されていたものだ。


 やはりその時もこころの声は聞こえない。ただ、カグラの存在など頭の片隅にもなさそうなマコは鉄扇を失った指先で自分の口元を隠し、小さく呟いた。


「だからあれほど言いましたのに」


 全てはもう決定済みなのだと


 呟きは、そういう風に聞こえた。

 その直後、キタノカタマコは右手を開く。その手には未だ、タツミから奪った日本刀型ワンドがあった。

 自然、ワンドは重力に引かれて下へ落下する。少女たちの足元に広がるのは、紺碧の海だ。

 紙屑でも捨てるように刀を手放すマコと、するんと落下する刀を前に、カグラの口からは声が漏れた。


 ──この世界は、二十一世紀末の地球上をくまなく覆う拡張現実の網の外にある世界だ。リングが使用できない世界である。この世界にいる限りワンドの召喚ができない。そんな世界の大海原に一振りの剣を落としたら──。


「こらぁマコっ! それはタツミのワンドだぞっ! 勝手な廃棄は厳禁だっ!」


 時にチームをくむこともある特級ワルキューレ仲間のふるまいが見過ごせなかったのだろう、我に帰ったノコが臆することなくマコを叱った。その隙にカグラは真っ直ぐ落下する刀を追って下降する。出撃先ではタツミのフォローに回るのが習い性にもなっているが故、体が勝手に動いたのだ。

 二人が好きになった人の救出に向かった親友にはワンドが必要、ここでは手放したら回収は困難を極めるけれど、自分が預かっておけばいい。その一念でカグラは落ちてゆく日本刀を追いかける。しかし、フェアリーの羽ににた形状で顕現してしまう飛行ユニットは、たつみのものとは性質がちがって速度が出しにくい。落下する刀には追い付かない。


 じゃあこっちの方が早い、と判断したカグラは右手に持った鍵を取り出し、本物の妖精がするように杖として振るった。狙い通り、刀が落ちていこうとした空間に光線が走って魔法陣のような幾何学模様を描き上げる。世界の外に通じる扉だ。カグラはふわりと宙にホバリングして幾何学模様めがけて鍵の先を突きつける動作をする。

 がちゃん、と金属の機構が動くようなてごたえがあったあと、幾何学模様の中の空間が水面のようにたわみ、刀はその中央に落下する。ひとまずの確保完了だ。

 

「やったな! カグラ!」


 上から無邪気な声が降ってきて頭上を振り仰ぐ、みると白銀の髪一杯に日光を反射させてきらめいているノコがカグラを見下ろして拍手をしているのだ。

 逆光でわかりづらいが、それはカグラがみなれた元気でわんぱくで生意気で人懐っこいいつものノコの表情だ。裏表というものが全くない、タツミの次に友達になった女の子の顔だ。

 やっぱりこの顔にはこの表情が一番似合うな、と、不思議な友達が返ってきた喜びでいっぱいになった胸は、次の瞬間、恐怖と驚愕で満ちる。


 水色のワンピースに白いエプロンという、古典アニメーションのアリス・リデルスタイルのノコの胸の真ん中から何かが突きでているのが見えたのだ。そして、女児型生命体の背後には、逆光にも関わらず彩雲を思わせる輝きを纏った少女が浮かんでいた。

 ノコの胸からつきでたものも七色に輝き、その面積が徐々に大きく広がってゆく。それは記憶に新しい、ある光景をカグラに連想させた。


 フカガワミコトを羽衣に取り込んだ、お茶会最後の光景に――。


「ノコちゃ……っ」


 ノコの型番本名はS. A.W. - Ⅱ Electra、最古のワンドの一人だ。あの羽衣と合一できるのも当然だ。

 事態をのみこむカグラの前で、ノコは小さな体の限りに叫ぶ。


「いいから、カグラ! これはマスターの指示だっ、タツミと一緒に戻ってくるまでマコを足止めしろってマスターがノコに言ったんだ!」


 叫ぶノコの胸元から徐々に小さな体が布と化しながらめくり上がって行く。それでもノコは痛そうな様子は見せず、カグラへむけて声を張り上げた。


「カグラは島に戻って応援を呼んでこい! でないとマコのやつがなにか良くないことをやらかすぞっ!」


 本当は悪いワルキューレだったんだからと叫ぶノコの体の半分はすでに羽衣に変えられていた。首から上だけは最後まで形をもたせていたが、すぐのどのあたりも虹色に翻り出す。


 島に戻って応援を求める──たしかにいまはそれしかない。羽衣から切り離されたフカガワミコトにはタツミがついているが、ワンドをてばなして戦力不足は否めない。

 この世界に住む人間に恨みを抱いた天女の魂を持つマコの企みを防ぐためにも、応援は必要だ。


「だから早く行け、カグ──……」


 名前を最後まで呼ばせないまま、虹色の波は顎から顔をめくりあげそのまま一気に毛先まで虹色の衣に変化した。博物館に展示されていた最古のワンドたちだけで編まれた羽衣の一部にノコは姿を変えられる。


 それをふうわりと纏わせたマコがこちらを見ないうちに、と、カグラは急いでワンドを自分がまたがれる長さにまで伸ばす。それからいつものように扉を開き、並行世界を取り巻く宇宙に身を踊らせる。


 伸ばした鍵に横座りして、白い点が散らばる漆黒の空間に躍り出たカグラはまずその場に浮かんでいるタツミの日本刀を回収し、ほっと息をつく。あの羽衣の効果か、カグラと同じように外世界を移動できるようになったマコがカグラを追いかける様子も今の所ない。


 この間に急いで元いた世界に戻らないと……と、上も下もない暗闇を見渡したカグラははたと気づいた。


 ──帰り道はどっち?


 変えるべき世界のイメージは可能だ。でも、その世界の行く先は白い点が散らばる銀河となって宇宙に散らばっている。あの白い点農地どれが故郷だというのだ?

 並行世界圏内の移動は可能といっても、目的地がイメージしきれず座標を特定できないと、こうして世界をとりまく宇宙で迷子になることもある──。そのことを知ったカグラは全身に鳥肌を立たせた。





「……怖かった、本当に怖かった……っ! 真っ暗い中に一人きり……っ! もう当分あんな怖い目に合うのは嫌なんだから……っ」


 パニックを起こしながら並行世界圏内を単独で移動した恐怖が蘇ったのか、カグラはそう言ってカグラはに涙目を見せる。圧縮されたビジョンの残りを一気に頭の中で展開されて、立ちくらみを覚えているサランのことは眼中に入っていないようだ。


「あ〜うん〜、おつかれさま〜ミカワさん……っ」

「本当に怖かったんだからぁ、誰かが灯りをともしてくれて居なければ私一生宇宙で迷子だったんだから……」


 一気にまくし立てた後、カグラは自分が目指した灯火を用意したのが誰だったのか、ようやく気づいたらしい。

 回廊の突き当たりの段に腰を下ろす、ヴァン・グゥエットが持つ二振りの短刀のうち一つの刃がまだ薄暗く閉ざされたこの一帯をてらしているのだ。それが自分が目指した光源だったと気づいたのだろう。超然としているように見える演劇部トップスターに威圧されたようではあるが、ぺこんと勢いよく頭をさげた。


「あ、あああの初等部三年のミカワカグラともうします。さきほどは、あのその、ええと……帰り道を示してくださってありがとうございます……っ」


 それに対し、いつものようにヴァン・グゥエットはアーモンドアイでじっとカグラを見る。そのあとに、彼女と付き合いの薄いにんげんであれば怯えるのも無理のない口調で一言、告げた。


「繰り返す。月蝕は儚い。警告は二度目」

「!? えっええとそのええとあの……っ」

「月蝕は儚い。これで三度目。警告終了」


 そう告げたきり、ヴァン・グゥエットはぷいと怯えるカグラから視線を逸らした。

 そしていいつものように表情筋の使用を抑えた顔面の代わりにやたら圧の強い視線で、サランに無言で命じた。カグラもカグラで、どうして自分が麗しい上級生の不興を買ったのかがわからないために半泣きの目でサランに救いを求めた。

 仕方がないのでサランは答える。


「すみませ~ん、はやくします~。……あのね、ミカワさ~ん。ホァンせんぱいはね~、にかいもさんかいもおんなじこといわせるなっておっしゃってるだけ~。せんぱいのじゅつのゆうこうきかんがながくもたないからとろとろすんなっておっしゃってるだけぇ~」

「どうでもいいが、何だお前。その喋り方」


 カグラのビジョンを受け取った後、サランの口調が急に酔っ払いのような芯の無いふにゃふにゃしたものになったのが不思議なのか、傍にいるジュリが眉を顰めた。

 サランだってしたくてこんな喋り方をしてるわけではない。カグラの圧縮された体験と記憶とそれにまつわる感情という情報を圧縮したビジョンを一気に頭の中に流し込まれ激しく消耗させられたのである。時間にして数分も経過していない筈なのに、大量のエネルギーを持っていかれたような疲労感が頭上に残っている。

 そんな事情をしらないジュリが、フラフラしながら額に張り付いたマニピュレーターの吸盤を外すサランを見る目は焦りを隠さない。次元の向こうで何があったのか、自慢のお嬢様に何があったのか気になって仕方ない様子を隠さず、額をさするサランに詰め寄る。


「で、何があったんだ!? ツチカは無事かっ?」


 ツチカへの想いを明かしてから、ジュリはそれを全く隠さないようになった。リングを交換した身としてそれは少々おもしろくないとムッとしつつ、サランは自分が見たものをかいつまんでジュリに伝える。


「シモクとキタノカタさんの戦闘中、トヨタマさんが乱入して劣勢だったシモクは助かる。トヨタマさんはキタノカタさんにイヤミ吐かれてワンドを奪られて押されかけたけど、シモクのヤツとミカワさんのサポートでフカガワミコトを取り返すことに成功、トヨタマさんはそのままフカガワの回収作業に入ってあっちの世界に残留中。残ったノコの体からシモクが唐突に出てったあとに、キタノカタさんが奪ったトヨタマさんのワンドを廃棄、その回収作業中にミカワさんが当たっている間に、ノコはキタノカタさんの羽衣の一部になった」

「――ということは、つまり、ツチカは無事なんだな! キタノカタさんの手に落ちたりはしていないんだなっ」


 ジュリにとってはそれが何より気になることだったのだろう、サランの両肩を掴んで大声で尋ねた。

 むっとしつつも頷くと、ジュリは息を吐きながらその場にうずくまる。あからさまな安堵がなぜか憎らしいサランは、ぶつぶつと呟く。


「でも、わかんないよう? ホァン先輩の能力が有効なうちに動かないと、どのみちあらかじめ決まった世界に決定しちまうんだからさぁ」


 そうだ、と言わんばかりにヴァン・グゥエットは自身のワンドを鳴らした。今度はもう「月蝕は儚い」とは言わなかった。



「おっ、面白いもんがありましたぜ? ちょっくら御覧になりやすかい?」


 彫像めいた硬質の美貌と眼力のためにとにかく圧の強い先輩からの無言の催促に押される形で、初等部生三人が真剣な顔で角突き合わせるのに対し、パトリシアは一人だけが楽し気にマニピュレーターが次々に浮かび上がらせるデータを投影する。荒れ果てた現在の海辺の町とは違う、2010年代後半である鄙びた海辺の町の風景画像の隣に表示されるのは、その当時一般的だったSNSやブログの投稿だ。そのすべてが沖の上でちらちらと乱舞する不思議な光の目撃情報を伝えている。それら全て動画で撮影し、投降したものも少なくない。乱舞する光は海上から陸地へ向けて大きく弧を描き、松林の上空で掻き消えたもので全てが終わっている。

 UFO? 妖怪? 隕石? 火球? 画像や動画の傍には意味のない驚きの声が添えられていたが、その正体が何か――、カグラの報告を聞いた者には答えを聞かなくてもわかった。カグラが恥ずかし気に顔を覆う。


「やだもう、こんなにたくさんこの時代の人たちに目撃されてたなんて――。先生たちにまた叱られるぅぅ」

「何言ってンですかカグラちゃんさん。お手柄じゃねぇですか、さっきまでこのデータは全く影も形も無かったんですぜェ? それがあんたがお帰りになった途端、これだ」


 若干弾んだ声をだすパトリシアの希望に沿うように、怪光線の目撃情報に関するデータは次々に増えていく。中には当時の新聞記事や、ローカルニュースの映像、数年後のオカルト映像を面白おかしくあつかうテレビ番組のデータまで。海上でワルキューレの少女たちの戦闘をそうとはしらず目撃した人々の報告の声で、あふれかえった。


「過去の事象がここまで変わっちまったら、いくら偉い人に頭抑えられてたって、国連のお姉さん方もう、これすべて太平洋のアホ娘どものバカ騒ぎで通すのも無理ってもんだ。動かなきゃてめえらの存在も危うくなっちまわぁってなァ」


 ひゃっひゃっひゃ……と、何が楽しいのかパトリシアは声を珍しく声をあげて笑った。そうするとますます雰囲気が爬虫類めいて無気味になってくるが、この食えない先輩の言葉は確かに朗報と言えなくもなかった。

 外世界からきた侵略者なる存在に狙われるようになったという、フィクションじみたフザケタ歴史をもつこの世界だが、それがこの世の正史である。自分たちが決めた正史を守ろうとするのが、この世界を護るものとしての義務であろう。



 原因が変われば結果も変わる。

 サランははっと、今ヴァン・グゥエットが腰をおろしている回廊突き当りの段をみていた。大仕事をしてくれた上級生はそのことについてどう思っているのかやはり読みづらい様子でこちらの様子を見守っている。その背後にあったものが消えていた。


「!」


 真っ二つにわれて転がっていた飛天像が、この場から跡形もなく消えている。

 サランの様子でジュリもそれに気づいたのだろう、立ち上がって駆け寄り、本当に痕跡なく消えさったのか、段を駆けあがって確かめた。

 本当にきれいさっぱり消え去ったことをその目でみたのにまだ安堵できないのか、すがるようにサランに尋ねた。


「サメジマ、ここにあったお母さまの像が消えている。ということは、像は元通りツチカの父上の手元にあると考えていいんだなっ?」

「そう考えてもかまわないんじゃないか?」


 別の可能性もないわけじゃないのでは? と普段なら口にしてしまうところだが、安堵すら抑え込もうとするジュリの声が物悲しくてサランは黙った。


「ということは、だ。ツチカはちゃんとこの世に生まれて、憎たらしいお嬢様になって僕を困らせてキタノカタさんに憎まれた過去が戻ったったのと同義だなっ?」

「そうかもしれないけど、それってうちにバスケットボールぶつけたり、最悪な渾名つけたりした過去もすっかり元通りになっちまったってのと同じ意味だよう?」


 いっそ無かったことにしてやろうかと憎まれ口を叩いてやりたくなったサランだが、それは口にしなかった。あの忌々しいお嬢様となんの因果かおなじ文芸部に入り、バスケットボールを顔面にぶつけられたりするような過去があったからこそサランはジュリに出会えたのだ。

 ジュリと出会ったどころか、メジロ姉妹とややこしい関係になったのも、フカガワハーレムなんぞに入れられた挙句に演劇部のお姉さま方と妙なロールプレイをする関係になったのも、ミカワカグラと知り合ったのも、キタノカタマコなる恐ろしいお嬢様に睨まれるハメになったのも、アウトローガールの陰謀に巻き込まれたのも、漫然とワルキューレをやっていれば縁がなかったはずのとんでもない目に遭ったのもすべて、あの憎たらしいシモクツチカに出会ったからだとすらいえる。


 くそ、と小さくサランは呟いた。


 全て望んで得た体験でも出会いでもなんでもないのに、これらを全て無かったことにすることなんてできるわけがなかった。嬉しいこと、悲しいこと、怖かったこと、恥ずかしかったこと、腹の立ったこと、それら全てがサランの得た経験だ。天と地を一つにするだの、どこかのお嬢様のよくわからない目的の為にそれら全て無にするなど耐えられるわけがない。

 だったらやはり、何が何でもシモクツチカというあの憎たらしい女の存在を、この世界から消すわけにはいかないのだ。ああ、ムカつくったらない。どのみち自分はシモクツチカを救うために動かねばならないのだ。

 たとえジュリが、このように話を切り出してこなくても。


「――サメジマ、お前、ツチカのいる場所わかるだろう?」

「知らねえよう。なんでうちがあいつの居場所を知ってなきゃいけないんだよう」


 サランが居るのにツチカの心配ばかりするジュリへ拗ねてみせたくなったのと、本当にツチカの行く先を知るわけがないという気持ちがないまぜになった状態で、サランは答え唇を尖らせた。そんなややこしい心境を知っているのかいないのか、ジュリは言葉を継いだ。


「大丈夫、お前も心当たりがある場所であってる」

「そんならお前が行けばいいよう。シモクもその方が喜びそうだし」

「だから、――僕じゃ駄目なんだ。ツチカはお前が迎えに行かないと、あの人には勝てない」

 

 なんの確信があるのか分からないが自信ありげに断言するジュリへの口答えを否定したのち、そしてふーっと息を吐く。

 何事か言いよどんではいる間に、かちん、とヴァン・グゥエットがまた短刀の刃と刃を触れ合わせて音を立てた。早くせよ、の合図である。


 せかす意味がサランにもわかった。さっきまで射干玉の様だった暗闇が夜明けのように白んできているのだ。月蝕が終盤に差し掛かっているのだ。

 もう時間が無い。それはジュリにもわかったのだろう、深呼吸をして意を決した後に、サランを見上げた。

 

「お前じゃなきゃダメなんだ、サメジマ」


 伊達メガネ越しの目は、限りなく真剣だ。ジュリはの目と言葉には新年を持つものの力がみなぎっている。


「ツチカのとなりに立てるのはお前ぐらいなんだよ」

「──はい?」


 どういう意味なのか、詳しく説明を求めたかったのに、するりとサランのそばにいた上級生は立ち上がる。


「決定」


 有無を言わさず、ヴァン・グゥエットは宣言すると、サランのそばに立つ。ロータスの香水の香りがふわりと漂わせながら、サランをそのアーモンドアイで見下ろしながら命じる。


「シモクの娘がいる場所を念じる」


 なぜそうしなければならないのかの説明を一切省いて、若干の早口でヴァン・グゥエットは命じた。サランが戸惑うと、短刀を持たない方の手で上を指し示す。

 大きな穴が空いた天井の向こう、ぼうっと輝く虹色の塊が透けて見えた。あれは今の所正体が不明だがこの世界の事象を勝手決定してしまいかねない侵略者の中でもかなり厄介な部類に当てはまる、観測者である可能性も依然たかい存在だ。


 再三にわたりヴァン・グゥエットが注告していた月蝕が終わろうとしているのだとサランは理解し、気を引き締める。早口になるのも無理はないのだ。何しろ本当に時間がない。


 言われるがままにサランは頭の中にイメージを浮かべる。サランが知ってるツチカの居場所は一つしかない。


 サランの準備が整ったかどうかは確認せずに、ヴァン・グゥエットは輝きを放っている方の短刀の柄を持ち、空間に突き立て、そのまま下に切り裂いた。刃の軌跡にそって、空間が縦に斬り裂ける。


 ワルキューレになって不思議な現象は何度となく見てきているが、初めて見る超常現象には毎回必ず目を見開かされる。特に、普通ならありえない現象を平然と起こしてみせるワルキューレを至近距離で目撃した時など特にそうだ。


「ただの瞬間移動」


 空間を切り裂いた本人一人が何でもなさそうに口にしつつ、その切れ込みにサランの背中をぐいっと押しやった。この中に入れ、ということらしい。

 独特の口調のせいでとにかく意図が掴みづらいヴァン・グゥエットではあるが、これまで相当骨を折ってくれている上級生でもある。サランは振り向き、一礼をしようとした。


「あの、ホァン先輩。ここまでしていただいてありがとうござ──」


 います、と最後まで言うことは叶わなかった。

 どん、これ以上なく乱暴に、ヴァン・グゥエットはサランを空間の切れ込みの中へ蹴り入れたのである。

 この仕打ちには流石に文句でも言おうとした途端、サランの頭があった辺りを通って何かが床に突き刺さった。


 サランが手をついた床はなぜかふるびた畳だったが、そこに一枚の刃物が突き刺さっている。形状からさっきまでヴァン・グゥエットが手にしていた短刀はないかと思ったが、突き刺さっている刃物には柄がなく、ポッキリと折れた形跡があった。


 折れた薙刀の刃だと気づいた時にはぞっと、背中が粟が立つ。


 なぜなら、畳に刺さった刃にはべったりと赤いもので濡れていた。


 恐怖に駆られて振り向くと、サランを蹴り飛ばしたヴァン・グゥエットが目を見開き、絶句するサランの前で初めて表情らしきものを浮かべてみせたからだ。しようのない人間を見て呆れを誘われた時にうかべる苦笑ではあったが。


「あいかわらずとろくさい子じゃ」


 空間の破れ目を綴じるヴァン・グゥエットの右頬には、先刻までにはなかった真っ赤な線が一本走っていた。そこから鮮血がだらりとしたたり、宝玉細工めいた美貌を染め上げる。まるでそのことに気づいてないかのように、絶句するサランを見下ろしてからさっと背を向けた。


 そして、空間の切れ目は速やかに消え去る。


 新たにサランの目の前に現れたのは、すっかり馴染んだ昭和の後半に建てられた店舗兼住宅の居間、というよりもお茶の間だ。

 ちゃぶ台がわりの家具調こたつに、お土産らしい民芸品が並べられた箱型のテレビ、どこかの商店の店名が記された粗品カレンダーがかけられた鴨居などを確認し、サランはただしく自分がイメージした場所に移動したことを知る。


 それが正解だというように、背後でついついすがりつきたくなる優しくてすんだ声がしたのだ。


「あらあら、鮫島さんたらどうしたの? あっちじゃ緊急事態だそうなのに」


 振り向くと、縁側から姿をのぞかせたサンオミユが、居間でぺたんとへたりこむサランを発見して目を丸くしていた。直後、畳に突き刺さっている、折れた薙刀の刃を目ざとく発見し、エプロンからゴム手袋を取り出して装着すると素早く拾い上げた。


「もう! 詳しいことは知らないけれど、家の中で戦闘はよしてちょうだい! 怪我をしたのなら早く診せて、応急処置ぐらいはするから」

「さ、サンオ先輩……っ」


 怪我をしたのは自分ではないどころかファンも多い演劇部のスターだし、ここにきたのはいつものルーティンワーク出撃ではなく世界ではなく友人の頼みと自分の人生を守るためだし………っ、と、伝えたい、伝えなければならない情報が渋滞して何から何を伝えていいか分からない。だから無駄に口を閉会するしかないサランは、薄手のカーディガンにロングスカート、トレードマークのようなエプロンをかけたミユをただ見上げた。


 普段通りに見えるミユだが、口を閉会させる酸欠の金魚状態のサランを見て緊急事態であることは素早く汲んでくれたらしい。畳の上に座ると、サランの肩をとんとんと叩いた。


「落ち着いて、落ち着いて、吸ってはいて、はい深呼吸〜……。はーい、もう大丈夫よ、今日はね、こういう事態に備えてお店を閉めてますから」


 全く私の後輩たちはとんだ問題児ばかりみたいね、と、それでもミユはわざとらしくお小言を与える口調でサランを叱ってみせた。


 開け放った縁側、その軒先きからは空が見える。そこに浮かぶのは月ではなく、ぼんやりと虹色がかった巨大な顔面だった。


 あの顔はここですら見えるらしい。

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