3/4π(1.297×10^26)^3=9.14×10^78 ヤヌスポイント《《裸の特異点》》の中の蛙 (かわず)

「先輩、今入っても大丈夫ですか?」

「はっ! その声はチルダ?」


僕は退屈な病室生活の中で、毎日のように小さい頃の同じ夢を見ていたんだ。

そして、その退屈なループの呪いから解放してくれたのはチルダの一言だった。


「いいよ! 入って!」


チルダは病室に入るとデバイスを使った変装を解いた。


「チルダ、来てくれたんだね。

来るとき大丈夫だった?」


「クオーリア先輩の姿に変装して来たんで大丈夫です」


「そっか。でも、無理はするなよ。

君の体にはゲートの発信器が埋め込まれているんだ。

いつ反対勢力から狙われてもおかしくないんだから」


「わかりました。

ところで先輩、一つ聞いてもいいですか?」


「いいよ。どうしたの?」


「先輩は一生この病室にいるように言われて、悲しくはないんですか?」


「え? 急にどうしたの?」

チルダの目は真剣だった。


「あたしにはわからないんです。

自分や自分の民族に一生自由が無いなんて辛いじゃないですか?

それなのに、あたしの両親や身の回りのドーラ人達はみんな自由を諦めているんです。

自分達はこういうものだとまるでアース人に洗脳されたかのように、深く深く思い込んで誰も疑問を持たないんです。

もちろんドーラ人の中にも、あたしやお姉ちゃん、他のグラハムのメンバーなど例外はいますよ。

でも、そんな人達はテロリスト扱いされて社会から除け者にされるんです。


先輩をみてると私には不思議でならないんです。

先輩からは、アーレス先輩からは、悲しみとかネガティブな感情が感じられないんですよ!

先輩は病室から出て自由になって、自分のやりたいことをしたいとは思わないんですか?」


「僕にもね、自分のやりたいことがあるよ。

僕も一生退院出来ないって聞かされて最初は悲しくて仕方なかったよ。

でもさ、気付いたんだよ」


「気付いたって何を気付いたんですか?」

前のめりになり、その吸い込まれそうな瞳を

僕に向けてきた。


「僕達3人で約束したよね?

僕達ずっと友達でいようねって」


「はい」


「詳しいことはまだ秘密なんだけどね。

実は僕には壮大な夢があるんだ。

そしてその僕の夢の為にクオーリア先輩にも手伝ってもらってるんだ。

僕は病室にいても夢の為に出来ることがたくさんあるから。

だから、ここでの日々を退屈に感じる事はあっても

悲しいなんて思わないよ」


「先輩、前向きですごいですね!

私にもその計画、手伝わせてもらえませんか?」


「ありがとうチルダ。

チルダにももちろん手伝ってもらうよ。

でもね、チルダの出番は最後、つまりこの計画の本番

で協力してもらうからね」


「え~? 本番だけなんですか?」

チルダは僕に頬を膨らませ拗ねてみせた。


「ごめんね。

でもね、チルダは既に僕の力になってくれてるんだよ」


「え? それはどうしてですか?」


「僕が入院してから、何度もアナログの手紙を書いて

送ってきてくれるからね。

僕はそれがすごく嬉しいんだ」


「だって、デジタルだと傍受されちゃうかもしれませんし、

それに……」

チルダは僕にあからさまに背を向けると、声のテンポに鈍らせ続けたんだ。

「それに、時間や手間をかけるほうが気持ちが伝わるって思って……、


もー! 先輩、あたしに恥ずかしい事言わせないでくださいよー!」


「え~俺?」

チルダの方を振り向こうとした僕の頬に、

チルダはその片手をノー!とまっすぐ突き出し拒んだ。

「いでぇ~!」

加減を忘れた彼女の片手は僕の頬を直撃し、

僕は結構ダメージをくらった。


「先輩! すみません! 大丈夫ですか?」


「大丈夫、大丈夫。心配しないで」


「すみません」


「いいっていいって。


ところでチルダ、僕には一つ理由が解らず疑問に思う事があるんだけど話してもいい?」


「はい、なんですか?」


「チルダがクオーリアと触れ合える事、つまり触覚を実感し合えるのは、お互いの特殊な力が働いてうまく噛み合っているからっていうのはわかるんだけどさ。

でもさ、どうして僕とも触れ合えるんだろうね?」


「先輩、もしかして気付いていないんですか?」


「え、どう言うこと?」


「あの時が一番わかりやすいですかね。

先輩がクオーリア先輩と二人でイケニエに選ばれたあたしを助けに来てくれたときのことです」


「僕達が君を追ってゲートに入ったとき?」


「はい」

 

「その時先輩、あたしを助けようとクオーリア先輩とゲートに入りましたよね?

そのときの記憶のことです」


「あ、うん。

確かに僕はその時、先輩と一緒にチルダを助けにゲートに入ったはずだけど……」


「本当に不思議に思わなかったんですか?

あの時、何故クオーリア先輩があんな風に簡単にドーラ人専用に作ったゲートやタワーに触れられて潜入できたかとか。

 また、先輩とクオーリア先輩がアーレス先輩のお父さんに発見させられたとき、ゲートやタワーの中からどうやって無事に出られたかとか。

そんなふうに、うまく説明の出来ない部分がたくさんあることに、

先輩は一度も疑問に感じなかったんですか?」


「え、だって……」


「私は最終的にクオーリア先輩のお母さんの力で元の状態にデコードされ帰還させてもらいました。

 そして、クオーリア先輩は直接ゲートには出入りできかったので、先輩のデータにクオーリア先輩の記憶をダウンロードしたものを加えて……」



「え?

それってつまり……僕は」

僕はまるで主人に仕える忠犬のように前のめりになりチルダの続きの言葉を待った。


「つまり先輩は……、人間じゃないんです」


「え?」

僕は毎晩の夢に出てくるネイピアという少女の言葉を思い出し

ハッ!とした。


「先輩は催眠術にかかっているんです。

いえ、催眠術にかけられているんですよ」


「どうして? どうして?」

僕の頭は混乱した。


「先輩が話してくれたネイピアっていう人も、もちろんアーレス先輩も『人』としてこの世に……存在しないそうなんです」

チルダは僕に気まずそうに、そして、ショックが出来るだけ小さく済むように配慮して話してくれた。

それでも、その残酷な現実は、僕の心に深い深いダメージを与えた。


「じゃあ、僕は何なの?」


「クオーリア先輩が作った高次元の円周率のプログラムなんです」


「はい?」


「つまり、先輩とネイピアさんはテレビチャンネルの電波の様にそれぞれが噛み合って共存する隙間の空いた宇宙つまりブレーン宇宙にまたがった一つの4次元超球の顔の内の2つらしいんです。

そして、あたし達の前に存在する先輩は徐々に薄く大きくなっているように見える球体そのもので、

別ブレーンの球体であるネイピアさんは別のブレーンの歪みの影響を考慮した徐々に濃く小さくなっているように見える修正球体らしいんです」


「じゃあ、どうしてチルダ、君に触れるの?

コミュニケーションが出来るの?」


「アーレス先輩はあたしやクオーリア先輩の蛍デバイスの中にデータとして存在しているんです。

そのプログラム自体はデバイスから光を出し、アーレス先輩の実体を装おっているんです」


「ちょっと待って?

じゃあさ、僕が今まで君やクオーリア先輩と作ってきた沢山の思い出は全部嘘だったって訳か? そういう事か?

クソっ!」

僕はあまりのショックで、泣きながら大人げなくチルダに怒声で

喋ってしまった。


「先輩、落ち着いてください!

夢じゃないんですよ。思い出は本当です」


「声を荒らげてしまって本当にごめんな、チルダ」

僕はチルダに心から深々と頭を下げた。


「あたしこそすみません。

先輩に角が立つように説明しちゃって……」


「チルダ、ありがとね」


「急にどうしたんですか、先輩?」


「僕が人間じゃないのに、

人間じゃない僕の為に、君は僕と一緒に行動して

思い出を作ってくれたんだろ?」


「当たり前ですよ。

だって先輩、あたしが落ち込んでいた時に励ましてくれたじゃないですか。

アース人やドーラ人なんて関係無いって。

大切なのはお互いのキモチなんだっ~て!

ウフフフ!」


「そんなに可笑しいか?」


「ウフフ、あたし嬉しかったんですよ。

だってそんなこと言ってくれたのお姉ちゃんの次に

先輩が初めてだったんですから」


「そんなこと言ってたんだな僕」


「先輩、そこは覚えて無くても素直に頷くところですよ。

全く、先輩は乙女心がわかっていませんね!


え~と、話を戻しますね。

だからわたしも思うんですよ。

人間か人間じゃないかなんて関係無いって。

大切なのはキモチなんだって」


「嬉しいよ。

でも、僕がプログラムだとしたら、

どうして両親がいるんだろう?

そして、どうして僕は入院してるんだろう?」

チルダは僕の疑問に首をゆっくり左右に降った。


「先輩には両親はいませんし、入院って言いかたも本当は違うんです。

先輩が両親がいる、入院をしていると感じているのは

先輩が先輩自身の精神を傷付けないように、催眠術のような働きでそう思い込むようにプログラムされてるからなんです。

でも、クオーリア先輩やあたしが高校生男子という先輩の具現体(インターフェース)を呼び出したとき

先輩はたしかに記憶を持った一高校生の男子として、私達の前に現れるんです」


「ねえチルダ? 僕は今、ここが病院じゃなかったら

本当はいったいどこにいるのか教えてくれないかな?」


「先輩は今、クオーリア先輩の家の研究室(ラボ)であたしの目の前にいますよ」


「そうなんだ、安心したよ」


「どうしてです?」


「実は少しずつ、本当に少しずつなんだけど、

チルダやクオーリア先輩から距離が遠くなっている気がするんだよ」




「それはね、アーレスの力が残り少ないからなの!」


淡々とそう語る声の主はチルダではなかった。


「クオーリア先輩!

帰って来ていたんですね」


「ねえ、アーレス。よく聞いて。

あなたは私とチルダの生物主観宇宙だけに生きる存在なの」


「生物主観宇宙ってどういうこと?」


「つまりね、本当の宇宙じゃなくて、

生物が進化の歴史の中で生存競争を有利に生き残る為に獲得した脳や五感に頼った色眼鏡で見ている生物観宇宙。

そして、この生物観宇宙も一人一人感じ方が違っていて、

それぞれが感じる宇宙が生物の主観宇宙なの」


「じゃあさ、本当の宇宙は?」


「本当の宇宙は誰にも視ることや感じる事は出来ないの。

少なくとも、今の科学ではね。


話を続けるわね。

最新の科学ではね、本当の宇宙には私やチルダも、そしてアーレス、あなたさえもいないって考えられているの」


「ちょっと待って、誰もいない?」

僕はこの耳を疑った。


「そう、誰もいないの。そして、生き物もいない。

水や物質も、分子や原子、素粒子も、宇宙ひもも、

膜宇宙も、何にもなくて、中も外なんて概念さえも無くて、

ただそこにあるのは、無と無限大と1を永遠に繰り返す循環だけ」


「じゃあどうして、何もなければ今考えたり話している僕達のこの気持ちは何なの?」


「『井の中の蛙、大海を知らず』

アーレスはこの言葉知ってる?」


「ああ、確か遠い宇宙にあるっていう謎の遺跡の有名な碑文だろ?」


「そう。意味は?」


「蛙は自分達が井戸の中にいて、外の世界のことを知らないってことだろ?」


「そうね。つまりね、

本当の宇宙の無と1と無限大を永遠に繰り返す循環の中の『1』の状況の時のほんの一瞬にだけ裸の特異点があらわれて消えるの」


「裸の特異点? ブラックホールの中心の?」


「そうよ。そして周りに事象の地平面が存在しない特異点を裸の特異点っていってね、

その『※裸の特異点の中』こそが


※私達が意識を感じる何かがある核(コア)世界なの」


※ あとがき


結局、アーレスの大切な思い出は、幻想や錯覚だったのでしょうか?

答えは『いな』。

一人一人の認識宇宙『心宇宙』、つまり『現実』は違うのです。

多世界解釈とは違いますが、アーレスを軸とした宇宙は確かに存在し、そこでのアーレスは間違いなく一人の人間なのですから。


※ブラックホールの特異点

ブラックホールの蒸発と情報の行方に関する研究から、最近では特異点が発生しないブラックホールのモデルが注目されています。


※シュワルツシュルト型のブラックホールでは、

大量の物質が中心に向かって落ちていき、ある一点に全ての物質が落ち込み、やがて質量密度が∞の特異点に取り込まれてしまうと言われています。

 しかし、ブラックホールの特異点に量子力学を適用すると、密度∞の場所はできないのではないかという意見もあります。

 プランク長レベルの極限にミクロな密度になると、量子効果によって反発が起こり、また領域が広がりはじめると言うのです。

 この量子効果によって膨張し始めた領域は膨張してブラックホールの外に出ることはできません。

特異点ができはじめる時には既に事象の地平線の形成は終わっているので、今さら量子効果で膨張しても、ブラックホールの外には出られないからです。

 すると、狭いはずのブラックホールの内側に広い広い空間ができあがることになります。

 そこで、ブラックホールの中の果てしなく広い空間では別の宇宙(子供宇宙)が生まれているのかもしれないという仮説があります。

 事象の地平線の内側にできた特異点でエネルギー密度が∞になる寸前で量子効果によりぼこぼこと泡のように宇宙が発生するというものです。

 


※ 私達が意識を感じる何かがある核(コア)世界なの


ホログラフィック宇宙論より

 ホログラフィック原理と呼ぶ理論によると、

宇宙は1枚のホログラムに似ているそうです。

 ホログラムが光のトリックを使って3次元像を薄っぺらなフィルムに記録しているように、3次元に見える私たちの宇宙はある面の上に描かれたものであり、はるか遠くの巨大な面に記録された量子場や物理法則と私たちの宇宙とは完全に等しいというのです。





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