第21話「守るべき者」

「ねぇ、母さん。僕の父さんは人間だったの?」


「どうして、そんなこと聞くの?」


「ラズの奴が、僕の事を混血だって、馬鹿にするんだ」


 母は、息子の頭をでながら、目線の高さに合わせるようにしゃがんで、こう言った。


「貴方のお父さんはね、確かに人間だったけれど、とっても素敵な人だったのよ。いい? グリン。誰よりも強く、賢くおなりなさい。そうすればね、そんなことを言う人は、貴方の前から居なくなるわ。貴方の名前はね、緑(green)と井戸(well)を表すの。誰もが貴方を必要とするような存在になって欲しいって、お父さんが付てくれた立派なお名前なのよ」


「うん、分かったよ。僕、強くなる!」


 誰よりも……誰よりも……


 この頃のヴァンパイア世界では、人間とちぎりを交わせば、地位を落としめるばかりでなく、更に迫害されることも多かった。

 また、それが女性であれば尚更で『猿が相手でも股を開く』などと、言われようも酷かった。

 グリンウェルの母、エミリアは、妃候補の筆頭であるほどに強かったが、人間と恋に落ち、その地位も名誉も失ってしまっていたのである。


  ・

  ・

  ・


 月は満ち、風は緩やかに流れ、雲の隙間から見える星は、普段よりも輝いて見えた。

 音が遅れて聞こえてくるほどの速度で、その空間を飛ぶ二匹の蝙蝠こうもりれ違う。


「エクリプス?」


 レイリアは気づいて止まったが、鷹也の方は気づかなかったのか、それとも、相手をする暇を惜しんだのか、名を呼ばれた事さえ気づかなかった様子で、振り向く事なく飛び去った。

 レイリアは、エクリプスの行く先が明白であった事から、敢えて追いかけはせず、真っ直ぐウォレフの国へと向かうのだった。



「これで、心置きなく死ねると言う訳か?」


わざと逃がしてやったとでも言いた気だな」


 グリンウェルには、この城に近づく大きな妖気に気が付いていた。

 それが鷹也なら人質で対処できるが、ウォレフだった場合、自分が生き残る可能性が5%ほど落ちる事を嫌い、ガーランドの策に乗ってみせたのだった。

 例え、レイリアがウォレフを伴い戻って来たとしても、その間にガーランドを狩れると考えた。


「当たり前だ。君程度の考えくらい容易に見抜ける……時間が惜しい、そろそろ死んでもらおうか?」


「!?」


 ガーランドが反論するよりも早く、一気に間合いを詰められた。

 咄嗟とっさに拳の無くなった左を出したが、そこには既にグリンウェルの姿は無く、背後に回られた事を瞬時に察して、一回転しながら右腕を振ったが、それも屈んで避けられると、突き抜けたかと錯覚するほどのボディブローを受け、両膝を落とした。

 胃の中の物を全て吐き出し、焼けるような熱さに苦しみながらも立ち上がった時、再び背後に気配を感じたが、振り返る余力は残されていなかった。


 ガーランドは、かすんで行く視界の向こうに、弟の仇を見る。


「随分と……早かったじゃねぇか……エクリ……プス……」


 そう鷹也に声を掛けた者の胸には、拳ほどの大きな穴があり、その身に血を巡らす臓器が無くなっていた。

 倒れ行くガーランドの向こう側で、不気味に笑う死神が彼からもぎ取った心臓を握り潰し、指の隙間から飛び散った血が、その頬を濡らした。


「クレアは何処だ!」


 前方に広がる地獄のような光景にさえ目に入らない様子で、愛する家族の所在を死神に確認した。

 グリンウェルは後方を指差し、そこには十字架に掛けられた少女の姿があった。


「クレアー!」


「安心しろ、今は薬で眠っている」


 鷹也は少女へと近づこうとしたが、グリンウェルがその間に立ちふさがる。


退け!」


「お前は、自分の立場と言うものが解ってないようだな。お前の返答次第では、永遠に眠りにつく事になるのだぞ?」


「今すぐお前を殺れば、返答も何もないだろ!」


 そう言って腰にある長剣を抜いたが、グリンウェルは、それを聞いても動揺するどころかニンマリと笑って、懐から何かを取り出した。


「このボタンを押すよりも速くか?」


「……」


「これを押せば、女の首が飛ぶぞ」


 よく見るとクレアの首には、鋭い刃物が付いた機械が取り付けられていた。

 食いしばった歯から血が出るほどに怒りは満ちあふれ、それに比例するかのように妖気も上昇していく。

 その時、鷹也の妖気を更に上回るヴァンパイアが、城の中へと入って来た。


「まずは、手始めに後ろのヤツを殺してもらおうか?」


 グリンウェルの言葉に無言のまま振り返り、剣先をウォレフへと向けた。


「待て鷹也! 私を殺した所で現状は変わらんぞ! それに、コイツが約束を守る訳が無い!」


「随分な言われ方だな。鷹也たかや君が私にそむかない限り、死ぬような事はないさ……今すぐにはな」


 鷹也は、振り返ってグリンウェルを睨みつける。


「相手が違うだろ?」


 グリンウェルは、そう言うと十字架の脇にある玉座まで飛んで行き、腰をおろした。


「すまない、ウォレフ」


「謝るのは俺の方だ。俺はまだ死ぬ訳には行かない、守らなければならない百万の民が居るからな」


 すまない、アルベルト……俺は、お前の息子を殺さなければならない!


  ・

  ・

  ・


「美しい」


 ユリウスは、恐怖を感じる筈の相手に、魂を奪われた。


「お願いだ、おとなしく命を差し出す代わりに、君の絵を描かせてくれないか?」


 生まれて初めて、そんな言葉を投げかけられたエミリアは困惑する。

 それはドラキュラが鏡に映らないというのもあるが、殺されるかもしれない相手を美しいと言った人間にも興味が湧いた。


「こ、これが私?」


 まるで聖母のような優しい笑顔が、そのキャンバスには在った。

 本当の自分が、この中に在るように思えた。


 この人間と居れば、こんな優しい笑顔で居られるのだろうか?


「約束だ、この命、君に捧げる」


 エミリアは、ユリウスを抱きしめ、泣いた。


 人の世界もヴァンパイアの世界も避け、山の奥でひっそりと二人だけの世界を築いた。

 自然と家族は増え、いつまでも幸せに暮らせるかと思っていた。

 しかし、もともと身体からだの弱かったユリウスは、息子が3歳を迎える前に、この世を去ってしまう。

 ユリウスと出逢ってから、エミリアはユリウスの血はおろか、人間の血を飲むことは無かった。

 だが、息子グリンウェルはドラキュラとして、成長しつつあった。

 エミリアは息子を想い、ヴァンパイアの世界へ戻る事を決意する。


 妃候補を捨て、人間を選んだ。

 王に恥をかかせてしまったのだ、極刑も受け入れるつもりだった。

 しかし、王カーライルが下した命令は、もっと酷いものだった。


「強いドラキュラを産むための器になれ」


 エミリアは、愛する息子を守るために堪えた。


 幾日か経った或る日。

 カーライルの相手をさせられている最中に、魔人メイヲールに襲われ、エミリアは生涯の幕を閉じる。


 グリン、誰よりも強く、賢くおなりなさい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る