第34話 逃亡者
『少しの間、泊めていただけないでしょうか』
『……うい』
珍しい人から“敬語”での連絡に、顔を顰めながらも、了承する。
隣で寧々がちらちらとこっちを見てるし、断る理由もない。
前に来た時に言っていたマスコミがうるさい時期なのだろう。しょうがない。
時刻は18時過ぎ。了承とともに直ぐにインターホンが鳴り、モニターに映る黒いマスクとキャスケットを被った“長月さん”は目を逸らしながらどこか気まずそうだ。
「どうぞ」
私はそれだけ言って、寧々と一緒にエレベーターまで向かう。
やがてエレベーターがつくと、先ほどの気まずい表情はどこへやら満面の笑みで寧々に抱きつく“いつもの”長月さんがいた。
「お姉ちゃん、重い」
「今日も可愛いー!今からでも一緒に暮らさない?」
「やだ」
「スーパーキュート!!!!」
いつにも増してテンションがぶっ壊れている……
十中八九、何かがあったんだろうけど、あんまり自分のことを話したがらない人だし詮索はやめておくべきだろう。
見た感じ、荷物は少ない。背負った似合わないリュックだけだ。
「事情はなんとなくわかるので聞きませんけど、うちも安全ってわけじゃないですよ?」
「もしかしたら茶々お泊まりデートで明日週刊誌の一面を飾ってるかもね」
「笑えませんね」
楽しそうに笑う茶々さん。この人ならツイートンで愛しい妹とお泊まりデートしてました、とか平気で呟きそうな気がする。
家に帰り、来客用の部屋に案内する。
長月さんは荷物を置いて、小さく息を吐き出すといつにもなく真剣な目で寧々に視線を合わせた。
「ごめんね。守ってあげられなくて」
何のことかは分かりきっている。母親とのことだろう。
寧々は何を言うわけでもなく、長月さんの頭にそっと触れる。
「大丈夫だよ。彼方がいたし」
寧々の言葉に、顔を上げる長月さん。横目で私を見て、小さく頭を下げた。
「あー、その、ありがとう」
「寧々のためだからね」
「……ほんと。憎らしいほどにお似合いだな、お前ら」
呆れ顔で私たちを見る長月さんは、少し嬉しそうだ。
寧々は少し俯き気味で、だけど口もとが緩んでいる。かくいう私も同じで、長月さんが素直に私たちを肯定してくれたことが嬉しい。
長月さんはめんどくさい人ではあるけど、それ以上に私たちにとっては周りで唯一気軽に話せる大人で、悩み事もすぐに解決に導いてくれる頼れる人だった。
「照れられたらこっちまで恥ずかしくなるんだけど……、てかその感じ……やっとか?」
「……なにが?」
寧々の言葉に長月さんは口角を上げて、小指を立てる。今では馴染みのないものだけど意味ぐらいは分かってしまう。
________先に顔を赤くしたのは、私か寧々か。少なくともそれは答え合わせにはなってしまったようだ。
「冬生といつになったら自覚していちゃいちゃぬとぬとしだすか賭けてたけど意外と早かったな」
「うるさいです」
「昔から目の前でラブコメ空間作られて適度に腹が立ってた身からしたら本当にやっとだけどな」
ヘラヘラと笑っていた長月さんは、ふと真剣な目をして、私を見る。
「うちの可愛い妹だ。幸せにしろよ」
「もちろんです」
笑顔で頷く。そんなもの、当たり前だ。
私の答えに満足したのか、長月さんは笑顔に戻って寧々を見る。
いつの間にか寧々は湯気が出そうなほど、顔を真っ赤にして、小さくなっていた。
顔はにやけが抑えられなくてすごいことになっている。
「寧々……萌え……」
長月さんが何か言ってるが無視だ。
少しして復活した寧々が、私の背中に顔をうずめてぺちぺちぺちと私を叩きながら唸る。
この様子じゃ当分、立ち直りそうにない。
「そういえば長月さん、マスコミは大丈夫なんですか?」
「んっ?あっ、ああ、大丈夫だろう……うん。大丈夫だ」
目を泳がせて歯切れの悪い様子でそっぽを向く長月さん。
怪しさ100%だ。
「……長月さん、なんで少しうちに泊まりたいんですか?」
「そ、そりゃ、やっぱ、今をときめく俳優だし?や、やっぱマスコミに追われてるっていうか〜」
________pipipipipi
携帯の着信音が響く。音は長月さんのポケットから発せられている。
「あ、あわわ」
ポケットからおそるおそる携帯を取り出し、表示を確認した途端、顔を青くして携帯を放り投げてしまう長月さん。
運良くベッドに着地したが、投げた拍子に電話を取ってしまったらしく、携帯から声が響く。
『長月先生!もう締め切りとっくにすぎてますよ!家にもいないしどこにいるんですか!!!!』
女性の声が部屋に響く。
「……お姉ちゃん」
「いや、ち、違うんだ!違うんだよ!」
携帯を慌てて切り、私たちに向き直る長月さん。
……さっきまでの感動とかそういうものをすべて返してほしい。
「もう一度聞きますが、うちにきた理由って……」
「……担当編集に合鍵渡してて家にいたら捕まるから」
どんどん小さくなる長月さん。私は置かれているリュックを満面の笑みで長月さんに渡した。
「帰ってください」
「やーだー!!!!」
________結局、私たちに勝利した駄々っ子長月さんは編集さんに謝ることを条件に少しの間だけうちにいることになった。
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