第6話

 新井先輩の母さんは、イライラと腕を組み直した。いまにも、ドアを閉めてしまいたい様な顔をしている。俺は、構わず言葉を続けた。

「お母さんが見に来るなら、先輩にタスキの受け渡し、して貰えば良かったなぁ。でもね、タスキを紛失してしまって、新しいものを使うことになりまして」

 紛失、と言った時に、彼女の目が少し泳いだように見えたのは、気のせいだろうか?

「そう……大会、頑張ってね」

ぎこちない愛想笑いを浮かべて、新井先輩の母さんがドアノブに手をかける。俺は思わず、閉められないようにドアに手をついた。

「伝統のタスキだったんですよ。先輩漏れ練習でよく使ってたなぁ。思い入れのあまり、タスキにいたずら書きするような奴までいましてね。なんだったかな、タスキの端に、こう……」

「ニコちゃんマーク、とか」

 粘る俺に耐えかねて、新井先輩の母さんが思わず、と言った感じで言った。

 ビンゴ!

 指をパチンと弾きたい衝動をこらえる。

「そうそう、そーなんですよ」

 じゃあ、とドアを閉められそうになって、再度俺はドアに手をついた。新井先輩の母さんの表情が固くなる。思ったより、冷静な声を出せた。

「あれ、お母さん、よく知ってますね」

 俺の言葉に、彼女はびくりと肩を揺らした。見る間に、顔色が悪くなる。血の気が引いて行く音が聞こえそうだ。

「それはっ……、咲也から聞いていたから」

 俺は首を横に振った。

「嘘ですね。あのニコちゃんマーク、試走会の始まる直前に、俺の友人に止める間もなくスタンプで押されちゃったんです。うちの部活の顧問の先生、タスキのことすっごく大事にしているから、俺、ずっと内緒にしてたんです。誰にも言ってません。だから、試走会の時に、タスキに触りもしなかった新井先輩が、タスキの端に押されたニコちゃんマークのことなんて知っているはずがないんです」

 うなだれてしまった彼女に俺はゆっくりと言った。

「お母さん、タスキ、返してくれますよね?」

 後ろから、様子を伺っていた佐々木が、小さく拍手するのが聞こえた。


駅伝大会当日。

うちの学校は七位で、結局うちの学校は県大会を逃した。俺は、良平とともに沿道で駅伝を観戦した。二区は、引越しを一日引き伸ばしてもらった新井先輩が走った。マンションは引越しで、ひきはらうしかなかったから、昨日は田中先生の家に、新井先輩だけお世話になったそうだ。

「田中のやつ、やるじゃん」

と一部始終を聞いた畑中が腕を組み、胸をそらして言った。

もー、先生のこと、呼び捨てはともかく、奴って言うなよ……。

そう言ったら、あんた達だって呼び捨てにしてるじゃんと切り返されてしまった。

畑中が、ところで……と声を潜める。

「よくタスキを新井先輩のお母さんが持って行ったって気がついたね」

「他の大会なんかでも先輩の母さんを見かけたことなかったなあって思ってさ。あそこまでケバければ、俺覚えてるから。今回だけ見に来たのは余程この間の試走会が新井先輩の母さんのとって特別だったのかなって思っただけだよ。そこで、タスキが無くなった……。ちょっと強引だけど怪しいんじゃないかって思ったんだ」

 ふうん、と畑中が片眉をあげた。

「どうして新井先輩のお母さんはタスキを盗んだりしたの?」

「なんていうか……、愛、かな」

 頭をかいて言った俺の顔を畑中が覗き込んで来た。狭まった距離に俺の心臓はキュッと縮まり俺を慌てさせた。俺は畑中から視線を逸らして続けた。

「新井先輩が引越しするのって、両親が離婚するからなんだそうだ。で、新井先輩は父さんの方について行くそうでさ。新井先輩の母さんとしては、今の先輩の思い出をどうしても欲しくなってしまったんだって。彼女も田中先生の車の近くを通りかかった時に、後部座席に無造作に置かれていたタスキを見たんだと。勝手に体が動いてしまった、って言っていたよ」


 駅伝会場には、新井先輩の母さんも来ていた。

 先輩の走る姿を見て涙ぐんでいた。相変わらず、格好は派手だったけど。もう、彼女のけばけばしさは、俺の気にさわらなくなっていた。

 走路を挟んで反対側では、畑中と里田さんが応援している。畑中は、良平を意識しているのか、やたらと済ました顔をしていて、おかしかった。新井先輩の母さんと同様、里田さんの目にも光るものがあった。

「光輝(こうき)、長距離に転向するの……どうするんだよ」

 良平が前を見たまま、俺に聞いてきた。

「もうしばらく、迷おっかな〜」

 わざとはぐらかしたら、ジロリと睨まれた。

「じゃ、短距離は、部では俺の一人勝ちってことで」

 いつの間にか後ろに立っていた佐々木が声をかけてくる。

「なっ……、長距離に行くとは言ってないぞ」

「じゃ、一緒に走ろうぜ」

 佐々木が、俺と良平の肩の腕をかけて引き寄せた。

 おう、と答えた良平が俺の顔を覗き込む。俺が頷くと、良平の笑顔がはじけた。

 秋の空は、どこまでも高くて、澄み渡っていた。

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給水塔の幽霊 にあ @nori1110

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