ケース3 一条椋谷×健康診断(3/8)
使用人とすれ違う度に短く挨拶を交わし、狭い廊下を抜けてパントリーに入ってくる人の気配に椋谷と春馬と白夜が顔を上げる。暁だった。
「椋谷さん、お客様がおみえです」
「え、俺にー?」
椋谷は取り皿の中を急いで平らげて席を立とうとする。すると、暁の足元から、
「おにーちゃんっ!」
予想外に若々しい女の子の声が聞こえて、白夜は思わず凝視した。暁の影からひょこっと顔を出すのは、中学生くらいの女の子だった。伊桜と同じ年くらいだろうか。だが、伊桜が中世ヨーロッパの物語の中から出てきた美少女だとすると、こちらはNHK朝ドラヒロインといった清々しい美しさがある。
「
椋谷がそう名前を呼び、駆け寄っていく。朱柚と呼ばれた少女は、
「パパもママも帰国してて、
慌てたようにまくし立てる。黒髪のショートヘアに顔を隠しながら何やら言い訳しているが、真っ赤なほっぺには「私が会いたかった」と書いてあるように見える。
「え、みんないるのか!?」
「う、うん……」
「家族水入らずなのに、こんなとこ来ちゃだめだろ~?」
「ううん! そんなことないよ! パパも、お兄ちゃんに会いたいって……! あのね、それにママも……! だから、いいよね!! お盆なんだからさ!」
椋谷はちょっと悩んだ後、
「ま~、せっかく来たんだし、俺もちょっと顔出しとくか」
「やった!」
結局そのまま二人、どこかへ行ってしまった。
空いた席につく暁に春馬が新しい取り皿を手渡しながら、ぽかんとしたままの白夜を指さす。いったい、今の子は……?? 白夜の疑問に、暁は端正な眉を寄せ、説明してくれた。
「朱柚さんは、椋谷さんの異母兄弟にあたります」
異母兄弟?
「つまり、椋谷さんの実父の娘さんです」
白夜は一条家の家系図を思い出そうとした。だが、正直ややこしくて、記憶にもやがかかっている。ええっと、どこがどうなってるんだっけ?
「――故・一条ゆかり様の不倫相手のご家族とも言いますが」
そう言われてはっとした。こちらは思い出せるわけがなかった。一条家ではなく、その外側の家系だ。まだまだ先があったらしい。
しばらくして、我らがお嬢様伊桜が不機嫌全開でバックヤードにまでやってきて、「椋兄ぃどこ」と今にも一触即発の睨みを利かせた。「誰かといるの?」直感で、行き先がバレたらヤバいと感じる。女のコの目つきだ。春馬が、話せないのをいいことに何も答えずに抱っこして膝の上にのせ、妙な形の天ぷらを食べさせてお茶を濁している。爆発物処理班に命運を託し、白夜はそっとパントリーを抜け出した。
廊下を歩く時窓の外に、椋谷の姿が見える。ちょうど庭を出るところらしく、使用人業務用の地味な作業車の助手席に朱柚を乗せ、ハンドルを握っている。これから実父の家庭に顔を出しに行く……のか。先ほど暁に聞いた話によると、椋谷は実父と今でもたまに飲みに行ったりしているらしい。
白夜には信じられなかった。白夜の家は片親で、その父とも疎遠になっている。そんな身からしたら、どうして離縁までいかないのか、それどころかなぜ仲良くさえできているのか、不思議でならなかった。けれど、この屋敷内でも生き延びている彼の様子からすると、できなくもないのかもしれない、とも思う。
「じゃー行くか! 外まで送っていったら、俺はすぐ帰るからなー!」
「はーい!」
そんな声が遠く聞こえてくる。
勝己や瑠璃仁や伊桜、それから異母兄弟のことで笑ったり困ったりしている椋谷は、振り回され、考え、思い悩めること自体が幸せだとでもいうように、まるで溌剌とした母親のように、眩しい。
白夜が欲しかった光だ。なりたかった光だ。
きっと彼は人から充分愛されていて、彼も人を愛してやまない。経歴上恨まれることはあれど、それなら立場を落としてしまうことも厭わないほどに、人を最優先にしている。そうしたところで一条椋谷という一人の人間の価値は変わらないのだろう。勝己に好かれ、伊桜に恋され、瑠璃仁と軽口を叩き、暁でさえ、立場が落ちれば彼を嫌いはしないし、春馬も味方をしてくれて、亡き母親は、家出の際に椋谷を連れていっている。実父には家庭があるが、その家庭からも椋谷は迎えられているらしい。
どこに行っても彼には居場所がある。だから立ち向かいたい困難を好きに選べるのだ。
一人、作業車で戻ってきた椋谷を出迎えるのは、涙も枯れた伊桜だ。待ちわびていたように抱き着く彼女の頭を、椋谷はそっと撫でる。
「椋兄ぃ……」
「伊桜、悪いな、待たせて」
「……遅い……」
「ごめんな」
そうして、しかし椋谷は意志を感じさせる口調で、続ける。
「俺さ、これから行かないといけないところがある。伊桜も来るか?」
「そうなの? どこ?」
伊桜はわがままな感情を気丈に引っ込めるようにして、尋ねる。
「ん、ちょっと、病院」
それを聞いた伊桜は真剣な顔になる。
「どこか悪いの?」
「いんや、俺は治ったんだけどさ」
「お見舞い?」
「そ。お見舞い。勝己のな。一緒に行くか?」
緊張実を帯びたままに迷わずに首肯した。
「ん、行く」
屋敷で伊桜と自分の身支度をしている椋谷から話を聞いた白夜は、反射的に言った。「いいえ、それはできませんよ! 今は面会謝絶なんです」
「はーくやー」
椋谷がつついてくる。伊桜も真似をして「はくやー」と。
「今は無理です……お会いにはなれません」
勝己ではなく「憑依」した先代に暴力を振るわれていたと思っているから会いに行けるのだろうか。
それが勝己の意思だったと知ったら?
白夜はふと、とんでもないことを思いついてしまった。
いや、だめだ。
そんなことをしてみろ、最悪の事態は、勝己だけでなく椋谷までも病んでしまうぞ。自分は何を考えているのだ。白夜は頭を振る。正気か俺は。けれども、もしかしたら、という気持ちが沸き起こってくる。
彼ならもしかしたら、本当の勝己も受け容れてくれるのではないだろうか。「憑依」ではないと知ったとしても、それでも変わらずに――。
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