第42話 馬車の中で②
「浮ついた……というわけじゃないですけど、近寄ってくる方は多かったんじゃないですか?」
「まあ、確かにいなかったかと言われれば嘘になる。付き合った女性もいたが……」
そこで何故かサイラスは顔をしかめた。
「いたが……もしかして、長続きしなかったとか?」
ラシェルが後を続けると、サイラスのむっつりとした顔が更に渋くなった。
「……本当に、余計な一言が多い奴だな」
ぼそりとつぶやかれた言葉に、実はショックだったのかしら? と、内心でおかしく思ってしまった。
だが、それをおくびにも出さず、つんと澄ましてラシェルは言った。
「余計な一言っておっしゃいますけど、そもそもサイラスさんが言い掛けたことを代弁したつもりだったのですが」
「その点は上司に気を遣う点だろう」
「気を使ってほしかったんですか?」
にこりと笑って小首をかしげると、サイラスはぐっと言葉に詰まったように口をへの字に曲げた。
だがすぐに、ふぅとため息をついて、サイラスは肩をすくめた。
「……いや。別にいい。そもそも、付き合ってくれと言われたから付き合ってみただけだったからな。だが結局、相手の方が愛想をつかして去って行った」
「何でまた……」
なんでもそつなくこなしてしまうサイラスに迫っておいて、自ら去っていく強者がいることにも驚きだが、その理由が気になった。
「別に何もしていない。いつも通り仕事をしていたら、気が付けば……という感じだな」
首をひねるサイラスに、ラシェルは「ああ」と妙に深く納得してしまった。
おおよそ仕事ばかりしているサイラスに構ってもらえずに、愛想をつかしたというところなのだろう。
そのようになることなどサイラスを見ていれば分かりそうなものだが、そう言った女性は彼の容姿や力強い采配力だけに魅了されたのかもしれない。
「確かにサイラスさんは仕事第一で生きてらっしゃいそうですもんね」
うんうんと深く頷いていると、ぴしりと額をサイラスに小突かれた。
「人を仕事人間みたいに言うな。……と言いたいところだが、まあ、言われてみれば確かにそうだな。もう少し肩の力を抜いて生きていた時もあったんだがな」
そう呟くサイラスは、馬車の窓の景色より、さらに遠くを見つめているように見えた。
それは、今は肩の力を抜いて生きていくことが出来ない何か理由があるのだと語っているようで、ラシェルの胸がチクリと痛んだ。
まるで生き急ぐかのようなサイラスの生き方は、一緒に仕事をしていて、いつもどこかで感じていた。何かに追われるように――と言った方が正しいのかもしれない。
だけど、その追いかけてくる正体が何なのか、サイラスは一切教えてくれることがない。
それが、少し寂しかった。
しかし、そのサイラスが、何故か今、こうして目の前で晩餐会に出席するための馬車に乗っている。
しかも、ラシェルの婚約者(仮)などという馬鹿げた理由を背負って、こんな茶番に付き合ってくれている。
改めて考えてみて、この現状の意外さを実感した。
「そんな仕事人間なサイラスさんが、どうしてこんな私の両親の我がままのようなことに付き合ってくださってるんですか?」
「前にも言ったが、部下が円滑に仕事を進めるにあたって必要なことだからな。仕事の一部のようなものだろう?」
サイラスはそうさらりと答えるが、ラシェルは何か釈然とせずに首を傾げた。
「でも……そうは言っても、想いを寄せているわけでもない相手の婚約者のふりとか、普通なら面倒じゃないですか? 周囲からも勘違いされてしまうわけですし……。しかも、こんなドレスまで用意してくださって。こんなことされたら、女性はみんな勘違いしちゃいますよ?」
すると、サイラスはわずかに虚を突かれたような顔をした。
そのままじっと見つめられ、ラシェルははっと口元を抑えた。
(今のってもしかして、私がサイラスさんに想いを寄せてるみたいにも聞こえる!?)
なんだか恥ずかしくなってきて、わたわたと挙動不審にも左右を見回したり、スカートの裾を直したりしていると、サイラスがぽつりと呟いた。
「面倒……か。言われてみれば確かに、そうだな」
「や、やっぱりそうでしょうすよね!?」
慌てて誤魔化すように、うんうんと首を縦に振る。すると、サイラスはちらりとラシェルを見て片眉を上げた。
「まあ、よく考えてみれば、利害を考慮する上での必要なもの以外で、贈り物などしたことはないのだが……」
「利害を……って、いわゆる袖の下的なものですよね」
すかした顔で嘯くサイラスに、ラシェルは顔をひきつらせた。
だが、サイラスはそれににっこりと美しい笑みを浮かべた。
「いいや? 個人的な贈り物だ。その結果、たまたま何か忖度されたことはあったこともあるかもしれんが……」
どうやら確信犯なようだ。
(そういえば……モルナー先生に来てもらうときも、なんだか高そうなお酒が用意されていた気がする)
もっとも、モルナーへの最大の贈り物はザックだったような気がしなくもない。だが、その恩恵にあずかっているラシェルに口出しできることはない。
まさにやり手の商人のようなサイラスの手腕に、思わずため息が漏れる。
「それはさておき、これまでに女性に物を送ったことはない。だが、何故かお前にはそうしてやりたかったんだ。その結果、お前に気があると勘違いされるのも、まあ、悪くないな」
馬車の窓から差し込む月明かりが、サイラスの瞳に映りこみ、きらりと輝いた。
向けられる流し目に呆然とする。
「は……い?」
一瞬、頭が真っ白になった。
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