第41話 馬車の中で①

 夕刻になり、そわそわと落ち着かずに寮の出入り口をうろうろしていると、寮の前に一台の馬車が停まった。

 御者が馬車の扉を開けると、長身の人影が降りて来た。

 それを見て思わず固まったラシェルに、馬車から降りて来た人物――サイラスが驚いたように目を丸くした。


「……ラシェル? どうしてここにいるんだ?」

「へ、部屋にいるとなんだか落ち着かなくて。それで……」


 何故だか視線を合わせることが出来なくて、どうしても俯きがちになり、声もくぐもってしまった。

 サイラスはラシェルを上から下までをしげしげと眺めてから、口元に手を当てたまましば動きを止めていたが、やがて軽く咳払いをして近寄ってきた。

 そんなサイラスの様相を改めて見て、ラシェルはどきりとした。

 黒の礼服に身を包んだサイラスは普段の白の制服とはまた随分と印象が違っていて、どこか艶めかしい色気さえ感じる。

 目のやり場に困って俯いていると、


「どうした、いつもと調子が違うな。大丈夫か?」


 不思議そうな顔をしたサイラスが、ラシェルの顎をくいっと持ち上げて覗き込んできた。


「そそそ、そんなことありませんってば! は、早く行かないと遅れてしまいますよ!?」


 慌てて距離を取り、馬車に乗り込もうとするが、慣れないハイヒールのかかとがずるりと滑ってしまった。


「きゃあ!」

「ラシェル!」


 宙に投げ出される形になったが、直後、背後からふわりと腰を抱え上げられた。


「はあ……びっくりした。あ、ありがとうございました」


 事なきを得たことに安堵の息を漏らした。

 晩餐会に出かける前に負傷したり、ドレスを汚したりすれば目も当てられない。


「ヒールの高い靴が久しぶりで、失礼しました……って」


 ふと顔を上げてみて、すぐそばにサイラスの顔があることに気付いて、ラシェルは再び硬直した。

 今、自分は、サイラスにお姫様抱っこをされているのだ。


「さ、さ、サイラスさん!?」

「何を動揺してるんだ。お前を担ぐのなど、これが初めてじゃないだろう。とりあえずここに座れ」


 あたふたしていると、サイラスにぴしゃりと言われて、そのまま馬車の中に放り込まれた。

 馬車が走り出してしばらくして、ラシェルはぽつりとつぶやいた。


「ごめんなさい……私、いつもサイラスさんに迷惑ばかりかけているような気がします」


 なんという失態だろう。醜態を思い出して自己嫌悪に陥る。

 向かい側に座っているサイラスの顔など、恥ずかしくてまともに見れたものではない。

 だが、サイラスがそれにふっと笑ったのが分かった。


「いや、こちらこそすまなかった。もう少しスマートにエスコートするつもりだったんだがな。いつもと違うお前の姿を見て、俺もつい動揺してしまったようだ」


 その言葉にラシェルは驚いて、思わず顔を上げた。

 そこにはいつもとは少し違う、わずかに困ったような笑みを浮かべたサイラスがいた。


「サイラスさんが……動揺……ですか? 私を見て?」

「まあ、多少はな。馬子にも衣装とはよく言ったものだ。お前ならこういったものが合うだろうと思って見立てたのは確かだが……予想以上に似合っていて驚いた」


 驚いて顔を見つめていると、サイラスは気まずそうに顔を歪め、ふいとそっぽを向いてしまった。

 その少年のような動作に、ラシェルは思わずぷっと吹き出した。


「おい。仮にも上官に向かって失礼な奴だな」


 むっとしたようにサイラスが睨みつけてくるが、ラシェルは笑いを止めることが出来なかった。


(だって……まさかサイラスさんが、私と同じようなことでドキドキしてただなんて)


 普段は厳しい上司だけれども、今はサイラスの存在が何故かとても近く感じた。


「ごめんなさい。でも、サイラスさんはこんな女性関係なんてお手の物なんだと思ってたので、ちょっと意外でした」


 何しろサイラスは、この整った容姿だ。これまでにも流した浮名は数知れずだと勝手に思っていた。

 すると、サイラスはそれに片眉を上げた。


「お前は俺を何だと思ってるんだ。そんな浮ついた人間に見えるか?」

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