第39話 準備①

 任務が終わって以来、心身ともに忙殺されているうちに、あっという間に日が経ってしまっていたのだ。

 そして、今日が晩餐会であることを、すっかり忘れてしまっていた。


「は、は、はいっ……」


 思わず上ずった声で返事してから、再び事務作業に戻っていったサイラスの背中を見送る。

 だが、ラシェルはすぐに頭を抱えてしまった。


(ど、どうしよう……、色々あったから気持ち的にそれどころじゃなくて、結局晩餐会の準備とか、全然出来てない!)


 そういえば、何日か前に母親から「晩餐会での衣装の打ち合わせをするから、一度帰ってきなさい」という内容の手紙が来ていたというのに、返事をすることすら忘れてしまっていた。


「おい、ラシェル。どうしたんだよ?」


 心配したザックが声をかけてくれたが、


「ご、ごめんなさい! 今日はちょっと用事があるから……明日からまた練習に付き合うわね」


 とだけ言って、訓練室を出るのがやっとだった。


(ああああ、ほんとどうしよう……! ただでさえサイラスさんと並んで晩餐会ってだけでも気が引けるのに、大した準備も出来ないまま参加するなんて、このままじゃあサイラスさんに恥をかかせてしまう……!)


 煮詰まってその場で頭を抱えたまま立ち尽くしてしまっていたラシェルに、不意に声がかかった。


「こんなところで突っ立って、何やってんのよ? そんなことしてる暇があったら練習でもすれば?」


 そのままのポーズで振り返ると、怪訝そうな顔でこちらを見下ろすモルナーの姿があった。


「も、モルナー先生……」

「何よ、いつも以上に辛気くさい顔してるわねえ。何かあった?」


 かく言うモルナーは、いつも通りの華やかな様相だ。

 男性であることが一瞬解らないほどにしっかりと化粧をし、長い髪は美しく結い上げ華やかな飾りを挿し、丈の長いドレスのような衣装を見事に着こなしている。

 そう、今すぐにでも、パーティに参加できそうなほどに――


「せ、先生……助けて下さいいいい!」

「はあ!? な、何なのよ急に!? 意味不明なんですけどぉ!?」


 急に泣きついてきた弟子に、気持ち悪い! とでも言いたげな顔をしたモルナーに、ラシェルは口早に事情を説明した。


「そ、それが……今日、晩餐会なのに、何の用意もしていなかったんです! こ、このままじゃあ、お相手に恥をかかせてしまうんです! どうすればいいでしょうか……!」

「晩餐会? あんたが? これまで色気の欠片も無ければ、華やかな舞台を嫌がってた、あんたが?」


 まじまじとこちらを見て来るモルナーの視線が痛い。

 確かに、幼少の頃、モルナーからハープを習っていた際に、何度か教え子達による定期発表会の打診をされたものの、「人前で着飾ってハープ弾くなんてやだ! 恥ずかしい!」と叫んで拒んでいた思い出がある。

 返す言葉も無く、黙り込んだまま肩を落としていると、ラシェルの心境を汲んだのか、モルナーがふうっとため息をついた。


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