第31話 変貌①

 無事に馬車の返却手続きを終えて一人で馬屋から出て来ると、そこで、予想外の人物に遭遇した。


「あ……リュークさん!?」


 雑然としたメイデンズブルーの街並みの中で一際引きたつ凛とした姿は、見紛うことなく、男装の騎士リューク・エクセレイアその人だった。

 リュークはこちらを振り返ると、一瞬戸惑った様子を見せるも、わずかに表情を和らげた。


「ラシェルか。地上に降りてきていたのか」

「神聖近衛騎士団も、地上で任務があったのですか?」

「ああ。近隣の地域で、大きな魔獣戦があったのでな。我ら部隊も援護に加わっていた」


 見れば、リュークが手にしている槍には、魔獣の返り血と思しく赤黒い液体が付着している。かなりの激戦だったのだろう。それでも純白のマントに汚れはなく、彼女の立ち回りがいかに巧みであったかを感じられる。


「魔獣を……倒したんですね」

「……そうだ。魔性化したのはまだ若者だったが……仕方あるまい。倒さねば、我々がやられていた」

「そうですか……」


 リュークは淡々と言い放つが、それは本心なのだろうか?

 心の内を探ろうとリュークの目を見つめるラシェルの視線を振り切るようにして、リュークは顔を背けた。

 二人の間に、奇妙な沈黙が流れる――その時だった。


「離してよ!」


 繁華街から少し外れた路地付近から、女性の叫び声が聞こえて来た。

 間髪入れずに駆けだしたリュークを追って、ラシェルもまた声がする方向に走った。

 するとそこには――娼婦か何かだろうか。露出度の高い派手なドレスを身に纏った女性と、その腕を掴んでくってかかる、一人の男性騎士の姿があった。


「離してったら!」

「なんだよ、前はお前の方からすり寄ってきただろう! 何故急に拒絶するんだ!」

「だからあれば、客引きだったって言ってるでしょ! しつこい男は嫌いだよ!」

「俺は、お前達を守ってやっている聖騎士だぞ? そんな俺の誘いを断ったらどうなるか、わかってるのか?」


 カッとなった男がそう口にした直後、彼の表情はいっきに青ざめた。


「そこまでだ」

 二人の間に割って入ったリュークに、青年騎士は慌てて頭を下げた。

「こ、これはエクセレイア副団長……。お、お見苦しい姿をお見せしました……!」


 腕章を見るに、彼がリュークと同じ神聖近衛騎士団の所属であることが判る。

 そのためか、リュークは眉をひそめ、氷の刃のような視線を男性騎士に向けていた。


「ヨハン・ドーソン。近衛騎士団員でありながら、何という愚かな行為を……」

「も、申し訳ございません。その……以前誘われたことがあったので、つい、俺に気があるのかと思ってしまって……」


 頭を下げ続ける騎士――ヨハンの背後で、彼から解放された娼婦が、「馬鹿馬鹿しい! 娼婦からの誘いを間に受けるんじゃないよ!」と吐き捨てながら去っていった。

 それを見届けてから、リュークは深いため息をついた。


「任務を終えて気を抜いたのかもしれんが、聖騎士としての品格は常に問われるものだ。貴殿をこのまま我が騎士団に置くことは出来ない。エンデに帰還後、追って沙汰を待て」

「そ、そんな……」

「貴殿は私よりも経歴が長く、若手騎士を先導する騎士になると期待していたが……残念だ」


 有無を言わさぬ様子できっぱりと言い放ったリュークに背を向けられ、ヨハンはその場に崩れ落ちた。


(な、なんだか大変な場面に立ち会っちゃった……)


 口出しするわけにもいかず、ラシェルはその場に立ち尽くしていた。

 状況を見てそっと立ち去ろうかと考えていたその時、ふとヨハンを見るとどこか様子がおかしい。


(……あれ……?)


 力無く膝を付き、がくりと項垂れたヨハンの身体から、暗紫色の靄のようなものがじわじわと溢れ出しているように見えて、ラシェルは目をこすった。


(この感じ……どこかで見た事があるような……?)


 そう、それもごく最近。確か――ザール村で……

 ラシェルが結論を出すより前に、ヨハンの口からぼそぼそと呟くような声が漏れ出た。


「くそ……なぜこの俺がこんな女に人生を奪われなければならないんだ……」

 それは憎しみと怒りと嫉妬が入り混じった呪怨の声だった。

「え……!?」


 ラシェルが思わず声を漏らすのと、異変に気付いたリュークが振り返るのは同時だった。


「うう……うあ……あああああ」


 溢れる靄を押しとどめるように、ヨハンはがくがくと震える体を抱きしめながら、顔を蒼白にしている。

 だが、その顔は徐々に強張り、まるで血に飢えた野生の動物のような形相になっていく。


「こ、これってまさか……」

「魔性化!? まさか、そんな……ヨハン!」


 黒い靄をまとい全身を強張らせるヨハンの元へ、顔を蒼白にしたリュークが駆けだした。

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