第22話 後悔と罪悪感のはざま②

(そんな――)


 はじかれるように顔を上げてラシェルは一歩足を踏み出した。


「わ、私はっ……ちゃんとハープを弾こうとしました! でも、怖くて……」

「その怖さはどこから来たんだ。初陣だったからか? それとも、本当に音楽などで魔獣が倒せると思わなかったからか?」

「それは……」


 そのどちらもが的を得ていたため、ラシェルは言葉に詰まった。

 何の知識もなく戦場に放り込まれ、初めて魔獣に遭遇したのだ。混乱して、せっかく覚えた譜面は脳内から吹き飛び、手が震えて演奏どころではなかった。

 だが、あの状況下で演奏を促したアルベルトに対して、「何を馬鹿なことを」と思ってしまったことも事実だった。


「確かに……そうなのかもしれません。でも、せめて、予備知識ぐらいあればあんなことにはならなかったはず……」

「お前は敵がどのような形をしていて、どうやれば倒せるか事前に勉強をするものだと思っているのか?」


 指摘されて、かっと顔に朱がさした。


「そ、そんなことは思っていません! ですが、念には念を入れて情報収集をしておくのも戦術の基本だと思うのですが」

「お前の言うことはもっともだが、まるで教本のようだな」


 まさにこれは騎士団の面接を受けるにあたって学習した教本通りの内容である以上、サイラスの弁にぐうの音も出ない。

 それを察してか、サイラスはため息をついた。


「確かに俺たちはお前に魔獣というものをもっと教えておく必要があったかもしれん。だが……あえて教えなかった」


 すっとサイラスの目が細められ、飛び出した言葉に、ラシェルは目を見開いた。


「なっ……どうしてですか? 事前に聞いていれば、対策法だって考えることが出来たかもしれないのに……」

「だからだ。下手な知識を与えれば、お前はその知識に偏った学習をしただろう。毎度同じパターンを踏むような敵ならいい。だが、魔獣はその時々によって形状も攻撃方法も違う。固定概念が仇となって、不利になる事も多い。そんな戦いに、予備知識など邪魔になるだけだ」


 サイラスの言う通りだ。

 落ち度がないように、寝食を削ってでも自分ができる範囲のことに全力で取り組む。

 それがラシェルの今までやってきた生き方だ。

 ラシェルはわずかに視線をそらした。

 それにサイラスはふぅとため息をついて、落ちる前髪をかき上げた。


「だから、俺は伝えたはずだぞ。俺たちの指示に従えと」

「……はい」


 出陣前、サイラスは確かにそう言っていた。

 言葉の裏まで考えることは出来なかったが、おそらく、それもこれもラシェルの性格を考慮した上でのことだったのだろう。


(自分の浅はかさが嫌になる……)


 ラシェルはうなだれ、じっと床を見つめた。


「今後、お前は見聞きしたことのない事柄を山ほど目や耳にすることだろう。だが、下士官とはその大半が、自分が遂行している任務の真の意図を知り得ないものだ。もちろん、不条理なことだって多々ある。だが、騎士団に所属する以上、我々は女神に剣を捧げ、与えられた任務を黙々とこなす――それが使命だ」

「……はい」

「ならば、今、お前のやることはなんだ?」

「休養を取って、また明日から楽器の練習をすること……です」

「そうだ。体調を整えることも、また騎士たる者の役目だ」


 頭では理解してはいる。

 だが、こんなもやもやとした気持ちのままでは休むものも休まらない。


「……失礼します」


 とはいえ、これ以上この場でサイラスの手を止めるわけにもいかないと判断して、そう一言告げてから去ろうとしたその時、サイラスが言葉を付け加えた。


「ああ、そうだ。言い忘れていたが」


 慌てて振り返ると、サイラスがさらりと言った。


「俺もアルベルトも、魔獣を相手に演奏したのは、この間が初めてだ」


(え……?)


 ラシェルはぽかんとした間抜けな表情を、思わず向けてしまった。


「あ、あんなに堂々と弾いていたのに、ですか?」

「そうだ。成功するという保証はなかっだが、俺はアルベルトを信じて笛を吹き続けた。結果としてうまくいったわけだがな」

「どうしてそこまで、団長を……」


 理知的なサイラスが、どうしてアルベルトの無茶に付き合うのか。どうして信じることができるのか。

 ラシェルの内心の問いかけを察してか、サイラスは言葉を続けた。


「お前も身をもって知っていると思うがな。あいつは昔から自分の身の危険も顧みない、誰かのために力を尽くす。そんな博愛主義の大馬鹿者だ。だが、だからこそその信念に嘘は無い――そう思える」


 それだけを言い残し、サイラスは手にしたままだった剣を片付けると、中庭を去っていった。

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