2-4: βテスト-1

 wormsはβテストに移行したことで、その進捗を早めた。統括としての黒田くろだ あゆむ は、一時的に研究を脇に置かざるをえなかった。βテスト参加者からのプログラムの更新依頼や更新パッチの反映、RFCとして提出する規格文書の執筆および協力者からの校正・校閲結果の反映、それらは研究を脇に置かざるをえない状況となった。

 寄せられる更新の内容は、やはり worm による探索結果の共有に関するものが多かった。それは、要望を寄せる側も簡単な見積りがつけられていることが多かった。n個の worm が n個の worm に情報を個別に送る。それは単純に O(n^2) となる。それがよく寄せられた見積りだった。だが、一部には別の見積りも寄せられていた。 n個の worm が n個の worm に m個 のデータを送るのだとしたら、 mがnのたかだか何倍かであるなら、 O(n^3) と近似できる。たかが多項式ではあるが、現実的にそう言えるのは nが充分に小さい場合に限られる。そして、βテストの後の現実的な運用となれば、たかがとは言えないだろう。

 では、 worm 同士が通信して探索結果を共有しない場合はどうだろう。どこかにサーバとディスク、そして通信路を用意する方法であれば。それであっても基本的には変わらない。むしろ、通信路の帯域の問題が明らかになり、サーバの速度とディスクの容量の問題ともなる。

 それは、wormの探索結果が個人の手を離れることでもあり、やはり情報処理研究所に移す方が適切であるようにも思えた。そして幸いにもβテストには情報処理研究所も参加していた。worm の研究を非常勤講師として情報処理研究所で行なわないかという誘いも歩にあった。週に一日か一日半、情報処理研究所で打合せとプログラムや文書の更新を行なうという内容での打診だった。その他の条件も悪くはなかった。

 歩が躊躇していた理由は、ただwormの探索結果が中央集権化されてしまうという点だった。それは検閲を容易する可能性があるという点だった。もう一つ、中央集権化されたらどうなるか。商業利用がなされることは間違いないだろう。ブラウザに無数に付き纏う広告が歩には見えていた。それは worm の可能性ではあるものの、好きにはなれない可能性だった。

 探索結果を共有することで、サイトのカバー率は大幅に上がるだろう。それと歩自身の好みとのどちらを優先するか。そして、情報処理研究所の協力を得ることで、規格文書など作業の進捗は大幅に上がるだろう。βテストに入った今、個人でできる範囲でという理由は成り立たなくなっていることも実感していた。


 歩は、情報処理研究所との契約を結び、最初の打ち合わせへと向かった。受け付けでバッジを受け取り、しばらく待っていると担当の助教授がやって来た。連れ立って会議室へと向かった。

 所員の少なくない人数が参加した会議で、以前、worm の存在がαテスターの外に知られた時とおよそ同じ内容の講演を歩は行なった。

「worm による探索ではなく、こちらが用意したサーバが単独で同様の処理を行なう方法もあるかと思いますが?」

 予想はしていた質問があった。

「通信容量には大きな違いは出ないかと思いますが。worm による探索は、探索自体の計算を分散させます。対して、その方法だとサーバの負荷が現実的なものとなるかどうか」

「たとえば、日本語であれば文字コードの問題もありますね。それに表記揺れの問題もあります。すくなくとも表記揺れについては、こちらで一括して対応した方が確実ではありませんか?」

 確かに表記揺れについては問題だった。worm のキーワードを正規表現に対応したのもそのためだった。一括で対応できるなら、むしろ正規表現に対応させる必要はなく、力技で対応することも可能だろう。

「かならずしも一括で対応した方が確実とも言えないかと思います」

「しかし、こちらで字句解析を用意することが可能であれば、いろいろ確実になると思いますが?」

「その点については、表記揺れからは外れてしまいますが、ユーザ独自の文字列を探索対象としたい場合もあるように思います。字句解析の枠から外れるようなものも対象とできるかと」

「話を伺っていると、こちらでサービスを提供することにあまり前向きではないように思えますが?」

 歩は一旦考えた。

「まず、wormによるサイトのカバー率は、どのような方法であれ探索結果を共有する方が上がると思います。そして、共有の方法は、worm が存在するサイトの内外のいずれであっても、黒板やブロード・キャストを行なうより、特定のサイトに集約する方がいいだろうと思います。その点において、情報処理研究所において探索結果の共有が可能であるなら、それを越える方法はないだろうと思います」

 歩はOHPのシートに目を落した。

「問題は、中央集権化した際のサーバ、ディスク、通信路の容量や帯域があります。これについては情報処理研究所に置くことで解決しやすくなるだろうと思います。そして、むしろ懸念しているのは、検閲と商業利用です」

「商業利用?」

「想像してみたのですが、中央集権化されたそういうサイトがあった場合、それをより有効利用しようとするなら、広告を載せるのがまず最初に取られる方法ではないかと思います。そして、広告をより有効に利用するのであれば、ユーザの追跡も行なった方がいいでしょう。これにより、個々のユーザに沿った広告が表示されるなどが可能となるでしょうから」

「黒田さんは、そこは容認できないと?」

「利便性は上がると思います。ですが個人として容認できるかというと…… あまりそっちに発展して欲しくはないとは思います」

「ですが、規格が公開されれば、すぐにそうなるのでは?」

「でしょうね。そして、それはこちらが管理できる範囲を越えてしまっていることも承知しています」

「なら、こう考えたらどうでしょう? こちらで worm 活用の理念を提示してしまうというのは」

 歩はもう一度OHPシートに目を落した。

「そうするしかないという覚悟はあります」

 受け付けに来た助教授が立ち上がった。

「その方針は尊重していくということでどうでしょうか?」

「それがお願いできれば」

 そうして会議は終わった

「では、チーム・ミーティングに移りましょうか」

 助教授が歩を別の部屋へと案内した。

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