2-3: αテスト-3
αテストの段階は、そろそろ終る時期のように思えた。参加者からも、新規の研究室からの参加の要望が寄せられ、歩だけで管理できる範囲を越えようとしていた。
ただ、歩も考え、また行なっていたことだが、既に参加している研究室からも、仕様を明確な文書とすることを勧められていた。
そして、βテストに移行する前に解決しておかなければならない要望が一つあった。歩も検討はした事柄ではあったが、それぞれのwormの探索結果を共有する方法の用意、あるいは探索結果を集約するサイトやサーバの用意がそれだった。そこにおいて問題となるのは、通信回線の容量であり、ハードディスクの容量であった。
その機能を実装したところで仕様を明らかな文書とすれば、wormは歩の手を離れる準備が整うと思えた。問題は、充分な容量を提供できる研究室の確保と、αテストの最終版を公開するタイミングだった。その他の問題と言えば、仕様を英語で書くことをある人から勧められていたことも挙げられるかもしれない。
wormの探索結果を共有、あるいは集約する研究室としては、情報処理研究所が妥当であるように思えた。それはαテストへの参加者も同意していた。
歩はαテストの最後の版を構築し、wormの探索結果の集約のテストを行なった。そのためのハードディスクも研究室で購入してもらった。その目的のために使うのは一時的なものであり、その後にはコーパスを溜め込む目的に使えるのだから、教授もとくに断わりはしなかった。
だが、αテストの最終の版を歩自身で、かつ個人的に稼働させると、予想どおり、あるいは予想を越えて、ハードディスクの容量の消費が多かった。それは、単に容量の消費が多いとして終らせることはできない問題でもあった。ファイルの内容にランダム・アクセスかそれに近いものとしてアクセスできるように、ファイル群の構成を考えるか、あるいは素直にDBMSを導入する必要があるように思えた。そして、現実的にはDBMSを導入するのがいいように思えた。
ここまででも、歩の書いている仕様には、いくつか問題があった。wormの実行系を実行する、Javascriptの変種の実行系についての問題が大きいように思えた。それはつまりJavascriptの仕様に対する変更であり、wormが単一のサービスによるものではなく、複合的なサービスであるからでもあった。
βテストに移行する前に、Javascriptの開発元に許可を得る必要はあるだろうし、正直行儀のいい扱いをしているとは言えないことも懸念ではあった。加えて、Javascriptが公式の仕様として提出されていないことも懸念ではあった。
情報処理研究所との交渉、Javascriptの開発元との交渉、wormの仕様の文書化を一人で行なうのは、歩個人の容量を越えているように思えた。だが、まずはwormの仕様を文書とすることが第一ではあった。他との交渉においては、その仕様が基礎となるだろう。そして、αテストの最後の版を作っていることもあり、仕様を文書とすることだけは歩にしかできない作業でもあった。
そうして、対外的には作業にいくらかの遅れが見えた頃だった。ある研究会において歩の本来の研究の結果を発表した時だった。その質問が来た。
「発表内容についての質問は出たようなので。発表の内容からは外れてしまいますが、wormの進捗について一言でいいのでお願いできますか?」
この質問が、これまでのαテストの範囲を越えた人々に、wormの存在が知られた瞬間だった。おそらくは一人を除いて。
研究会のプログラムが終了すると、会場となった大学に所属している助手から、別の会場を確保したという告知がされた。wormに興味のある人はそちらへ、そして歩にはぜひ出席して欲しいとも。これは歩には選択肢が存在しない誘いだった。
「wormについて話すことになるとは想像していなかったので、OHPシートもなにもありませんが」
歩はそう切り出し、ともかく概要をホワイトボードに書きながら話した。
「現在も結局解決できていないのが、wormの実行系を悪意がある動作を認めるように改変された場合です」
「それに対しての方策としてなにか考えていますか?」
参加者の一人が訊ねた。
「取れる方策はないように思えます。ただ、仕様が公開され、かつどこかが公式の実行系を提供するという形になれば、発見は可能ではないかとの助言はいただいています」
「その助言はどこから?」
別の参加者が訊ねた。
「個人的な知り合いというか、e-mailで趣味関係のやりとりをしている、アリソナ大の助手の方です」
「その人の専門は?」
「天文学というくらいにしか聞いていませんが…… 多少聞いたところでは、電波望遠鏡の制御や画像処理など、情報工学にも造詣が深いようではあります」
「電波望遠鏡か。おかしなところで繋がるな。FORTHを参考にしたというのは、その人の意見?」
「いえ。そこも含めて話したところ、そういうアイディアを簡単に漏らすものじゃないと怒られました」会場には笑い声が響いた。「ただ、仕様を書くなら、最初から英語で書くようにと勧められまして。苦労してはいますが。ともかく書けたらチェックしてくれるとは」
「それをうちでも導入してみたいんだが、どこから手に入るかな?」
また別の参加者が訊ねた。
歩はしばらく天井を眺めた。αテストの最終版と考えていたものを、βテストの最初のバージョンとしてもいいとは思えた。
「ftpでもanonymousでというのはまだ避けたいので。ユーザを作ります。配布を希望される方は、こちらにメールをしていただければログインできるようにします」
歩はホワイトボードに自分のメール・アドレスを書いた。
「ただ、この配布をもってβテストの開始としたいので、二次配布は避けていただきたいと思います。それと、」歩はまた一旦天井を見た。「wormについてここに参加していただいている方だけで話を進めるとか、仕様策定の委員会のようなものを作るのも避けたいと思います」
「それはかまいませんよね?」会場を確保したと告知した助手が言った。「αテストに参加している他の方を無視するのもおかしな話しですから」
一同がうなずくのを見て、歩は安心した。こちらの会場に移ってから気になっていた問題の一つだったからだった。他に気になっていたことと言えば、セキュリティの問題を深く追求されることだった。だが、そちらについてはすぐに指摘できる改善案もないのか、深く追求はされなかった。だとしても、それがいいことなのか、そうでないのかの判断は、歩にはつかなかった。
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