また、獣

 大友は近江にあって、周囲の者に気ぜわしく指示を与えていた。王というのはその周囲の力をよく引き出すものであるが、それにはまず王自身が優れた器でなければならない。もっとあとの時代になれば、ただそこに産まれて存在しているだけで尊いとされるが、大友のときに示されていたは違った。

 百官の者の中には自ら策を献じようとする者もあるが、大友はその是非を判断し、言葉を与えてやらねばならなかった。

 大友にとっての不幸とは、彼が平凡な若者でありその周囲に鎌のような天才がいなかったことであろう。たとえば、彼がふつうの豪族の家の出であったなら、それなりの働きをすることができたかもしれない。言い換えれば、葛城の子として産まれたことが、彼にとっての最大の不幸であった。

 親と子とは、無論繋がりを持つ。人に混じればそれは拡大解釈され、たとえば気質や思考、才までもその血とともに受け継いで然るべきだと見られてしまう。実際はそうではないことがほとんどであるが、人が大友を見て葛城の治世を受け継ぐものと期待する以上、そうだった。

 ゆえに、大友は葛城でなくてはならなかった。葛城が山科の山中に消えてからというもの、彼はつとめて葛城であろうとした。

 ──父ならば、どう言うか。

 ──父ならば、どうするか。

 もういない人間のことを常に思い出し、思考するようになった。

 ──俺は、父が名を指してここに立った。あの父が、俺に何かしら王の才があると見たのだ。きっと、俺にすら気づかぬものがあるはずだ。

 そう自分に言い聞かせ、この天地に前例のなかった王を継ぐ者として取り組んできた。

 父ならば、どうするか。それが大友という男だった。葛城は一見、のっそりとしているように見えるところもあった。それでいて、人の思いもつかぬようなことを着想し、それを実行するための具体的手段を講じ、即座に行動することができた。だから、大友は、今の今まで晴れていた空に突如として轟く霹靂のようであろうとした。


 吉野に引きこもったはずの大海人がいきなり名張に現れて兵を起こしたと聞いたときには、肝が潰れた。まさか、そのようなことがあるとは思ってもいなかった。自分は、葛城にじきじきに指名されたのだ。大海人もそれを知っていたのに、なぜ。

 大海人は、人の上に立ちたいのだ。力を、欲したのだ。誰かが、そう言った。偶然先帝に拾われた渡来人の子が、偶然思いもしない地位を手に入れたのだ。それに固執し、さらに多くを望むのは理であると説く者があったのだ。

 なるほど、と大友は思った。あの何の表情もない色の白いを、憎らしいと思った。大海人が大友に対して弓を引くということは、その父に対して弓を引くのと同じことであると言う者もあった。それも、その通りだと思った。

 大友は、正しいのだ。この世の誰よりも。先帝の意を受けて立つ、次の王であるのだから。少なくとも、彼はこの頃にはそう思うようになっていたし、思わざるを得なかった。

 高市皇子が、叛いた。若き英才として知られていたそれが叛いたことは、近江にある者に少なからぬ動揺をもたらした。それよりも、伊賀や大和などの豪族どもの方が同様は激しいだろう。日和見を決め込んでいる者も多くあるが、このことでそれらがどう出るか読めぬようになってきた。

 ただちに討伐しておかねば、あとに障るという者があった。その通りだと思った。本来ならば、今頃、大友は首だけになった高市と対面しているはずであった。しかし、もたらされたのは、伏兵の裏をかかれ殲滅させられたという報せであった。

 焦った。それならば、高市は放っておいて、を断つ方が早いと言う者があった。それも、その通りだと思った。あたかも自分が思いついた策であるかのように、それを宣言した。翌日には軍が近江を発し、名張に拠ったという大海人のもとへ発せられたが、それも突如として消えたという報せのみがもたらされる結果となった。

 大友に策を献じようとする者は、それで一気に減った。無論、全くなくなったわけではなく、まだ大友をたすけようと懸命に策を献ずる者もあった。


 そのうちの一人が、阿曇仲麻呂あずみのなかまろという三十を少し越えた歳の者である。先の白村江の戦いで戦死した阿曇比羅夫あずみのひらふの子である。そもそも阿曇氏というむらじ筑紫国ちくしのくにに発祥があるとされ、その祖先は海神であったという。その由来のとおり父の比羅夫は船のことに長けており、白村江に向かう大船団をよく指揮して戦った。父の死後、一族は各地に散り、そのうちの一人である仲麻呂は都の北の守りのため、鳰の海琵琶湖に注ぐ大きな河の河口部一帯に住むようになっていた。

 今はその河は安曇川あどがわと呼ばれているが、安曇と阿曇は全く同じ意味である。

 これは全くの筆者の私見であるが、比羅夫の一族のうち、信濃国(長野県)に住むようになった者にゆかりのある土地は現在も安曇野あずみのと呼ばれていることから、比羅夫の一族のうちの何者かが父の功績のためにそこに住むことを許されるようになったためにその河に安曇の名が付いたものと考える。

 なおかつ、琵琶湖西岸に細長く位置する大津市の中北部を「志賀」と呼び、それが現在の滋賀県の由来になっているわけであるが、それは阿曇氏の氏神が祀られている、彼らに縁の深い博多湾の古称である志賀浦しかのうらの名を冠した志賀海神社しかのうみじんじゃ(現在も福岡県福岡市にある)に因んでのことであると筆者は考えている。


 私見による余談はさておき、大友が葛城の子でありその後に続く者であるという意識があるように、仲麻呂にもそれがあった。白村江で死んだ父はすでに老齢といってもよい歳であったが、その子である己もまた武の人であらんとしてきた。

 この時代、武人というものはいない。いても、きわめて少ない。武器を扱い、戦いをすることを生業とする者があらわれるのはもっと後の時代のことで、この時代においては官であっても剣や弓を使う者もあったし、自ら田の世話をする者もあった。

 そういう仲麻呂は、かつて葛城にじきじきに声をかけられたことがある。近江宮が完成して間もない頃、参殿した彼の前の高床を葛城が通り過ぎた。ずっと好んで用いていたという緋色の衣と意思の線のある眉、ひょっとすると人間ではないのではないだろうかと思えるような目の光で、すぐにそれと分かった。

「見ぬ顔だな」

 ふと興味が湧いたのか、葛城の方から声をかけてきた。仲麻呂は土の上に平伏し、

「かの白村江で死んだ、阿曇比羅夫の子でございます」

 と名乗った。葛城は少し思い出すような顔をし、

「お前が、そうか」

 と、なぜか悲しげな顔をした。

「父のこと、気にかけているのか」

 気にかけている、というのは残念に思っている、という意味である。仲麻呂は土を見つめたまま薄く笑んで首を横に振った。

「お前は、父をよい父であったと思うか」

 興味なのか何か思うことがあるのか、葛城はどんどん質問を投げかけてきた。

「よい父でありました。我が父が比羅夫であったことが我が生の宝であると思い、ゆえに己が何を為さねばならぬのか、いつも考えるようになりました」

「仲麻呂」

 思わず、顔を上げてしまった。あってはならないことである。だが、背骨に雷が落ちたような気がして、そうせざるを得なかったのだ。

 葛城はそれを咎めるでも気にするでもなく白い歯を見せて笑い、

「近江に来い。この都の北に住め。そして、守れ」

 と鋭く言った。

「都を、守るのでございますか。そのような大きな――」

「ちがう」

 なにが違うというのか、分からなかった。都の北に住め、そして守れ、という言葉に、都を守れという指示以外の意味があるとは思えなかった。

「お前がほんとうに守るべきものを守るため、ここにおれ」

 そう言い、仲麻呂の問い返しを待たずして、葛城は去った。


 その仲麻呂が、大友に策を献じにやってきた。

「我が任は、この都を守ること。先帝より言いつかったそれを我が誓いとし、これまで過ごして参りました」

 まだ、大友は王ではない。しかし、仲麻呂は板敷きに額を付けて話していた。そうするのが自然であるというような雰囲気が、近江宮にあった。だから、それに従った。

「よい。早く、思うところを述べよ」

 大友の声は、痩せていた。声が痩せるとは妙な話であるが、顔を見ることができないのだから仕方あるまい。それに従い、自らの声で語った。

「大海人どのは、東に、東に兵を進めております。まるで、この近江から遠ざかるように」

「それが、どうした。この近江宮に迂闊に手を付けられぬのであるから、そうなのだろう」

「私は、恐れます。遠ざかったように見えるだけであることを」

「どういうことだ」

 大友の声に、露骨に不安の影がよぎった。葛城が消えてから参殿することもなくなっていたために大友と実際に言葉を交わすのははじめてであったが、気の弱い男なのだ、と即座に判じた。

「遠ざかったのは、我らを急がせぬためではありますまいか」

「急がせぬ、とは」

 こんどは、苛立っていた。だんだん、仲麻呂は大友と話すのが苦痛だと感じるようになっている。

「兵を発し、すぐさま近江を攻める構えを見せれば、我らは持てる力の全てを使い、応じます。しかし、いったん遠ざかるように東へと進めば、大海人どのは吉野を出はしたが、近江を目指しているわけではないのではないかと思う者が増えます」

 実際、その通りであった。兵を発したはいいが簡単に都には手が付けられぬと悟った大海人は、東に逃げてどこか適当な場所に落ち着き、そこで力を蓄えるつもりなのだと考える者が多くいる。

 それが、戦いに対する不安と恐怖がもたらす根拠のない希望的観測であると仲麻呂は説いた。そうやって近江の構えを解かせ、今だというとき――近江の力を大海人が上回ったと確信したとき――に、東と南から囲うようにして、一挙に近江になだれ込んでくるつもりなのではないか、という自らの分析についても述べた。

「そのようなことが――」

 大友は、次の言葉を自らの内で求めた。もしかすると、その父ならばどう言うか、と考えていたのかもしれない。

「あるはずがない。このは、そうやすやすと陥ちるものではない」

 都、ではなく、宮、と大友は言った。

 この瞬間、決まった。

「もはや、頼むに値わず」

 仲麻呂は平伏するのをやめ、立ち、去った。大友とその取り巻きどもはなにが起きたのか分からぬといった顔をしていたが、それを顧みることはなかった。


 仲麻呂が守らんとしたのは、宮ではない。都なのだ。それはそこに暮らす人のことであり、そこで為されるまつりごとのことであり、それが導く人のことであった。それを守るために彼の父は大陸へ渡り、そして死んだ。

 このとき、はじめてかつて葛城が言った意味が分かった。

 己が、なにを守らねばならぬのか。

 それを守るため、仲麻呂もまた近江を出奔した。

 仲麻呂にもまた獣としてのがあると葛城が即座に見抜いてあのようなことを言ったのか、あるいは全くの気紛れなのか、今となっては知る由もない。

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