「この鎌の思うところを、聞いて下さりますか」

「聞く」

 葛城は、即答した。

「聞けば、この鎌と、ここにあるふひとの首を、刎ねてしまわれるかもしれませぬ」

 それほどの大事を、鎌は口にしようとしている。

「刎ねぬ」

 葛城はまずそう答え、鎌の思考を言葉にすることを促した。

「先のことを、考えておりました」

 葛城の思った通り、鎌は将来のこの国のことについて考えていたらしい。

「たとえば、この史が長じた後」

 これより十年以上も後のことである。

「太子のそばで、この史を使ってやってほしいのです」

「やぶさかではない」

 これほどに才知あふれる子が長じれば、いったいどれほどのことを為すのだろう、と葛城は単純に楽しみに思った。

「この鎌が成そうとしたものは、とても私一代で成るようなことではありませぬ」

 なるほど、国創りとは、将来長きに渡り、何世代もかけて行うものだろう。

 ここから、鎌の思考は、更に具体的になってゆく。

「もしかすると、この史が太子の側で仕える月日のうちで、また新たな王が立つことがあるかもしれませぬ」

 葛城もまた人間である以上、時間という期限を背負っている。そのことは、葛城自身が世に知らしめたことである。だから、時間が経てば、葛城は死ぬ。そのあとの王の世のことを、鎌は言っている。

 自分が死んだあとの話をされて気を悪くするほど葛城は可愛気のある男ではないから、何も言わず耳を傾けている。

「伊賀どののことです」

 短刀を差し込むように、鎌は言った。

「このところ、伊賀どのの行いやそのお言葉を見るに──」

 そこで、少し口をつぐんだ。それを受けて葛城が、

「──あまりに、凡愚。あまりに、王才が無い。俺は、そう思っている」

 と助け舟を出してやった。鎌が何を言っても怒らぬと決めたのだから、これくらいのことは自ら言う。

「では、やはり」

「猫だ」

 葛城は、自らの後を襲うのを、大海人と名を改めた猫に定めているようだった。

「もう、ずいぶん前になるがな。あれには、我が子が長じ、それが凡愚であったとき、俺の亡きあと、それを殺してでもお前が王になれ、と言い含めてある」

 鎌はそのことを知らなかったから、葛城が昔と変わらぬ雷獣のままであることを改めて認識した。

「猫は、何と」

「何も。なぜ自分が、というような顔をするのみであったわ」

 やはり、と鎌は思った。大海人は、優しすぎるのだ。素手で相手を殺すような恐ろしい技を持ちながら、その心のうちは澄み切り、穏やかな水のようである。それが、葛城の言うような激しいことを本気でやってのけることができるか、どうか。

「猫を王にするための方策が、ひとつございます」

「なんだ、それは」

「伊賀どのを、皇太子に立てられませ」

 それでは、葛城の思うことと矛盾する。そうすれば、大海人は王になることができなくなるではないか。

「どういうことだ」

 困惑を隠しきれぬ顔になっている葛城と、それに底知れぬ光を持つ目を向ける老いた父。その二人の姿を、史がじっと見ている。

「道見えど、未だ国は成らず」

 その通りである。そこに至る道筋はここにいる二人が中心となって敷いてきたが、その先にある国というものが出来上がるには、おそらく壊すよりももっと多くの時間を要する。

 目では見ることができても、手で触れることはできない。今は、そういう状態である。

「それを、引き寄せるのは」

 鎌の目が、獣として光った。

「ただ待ち、積み上げることではありませぬ」

 葛城は、この獣が何を考えているのか、察した。しかし、言葉にしてほしいと思った。自らが先に立つこの道で、次の一歩を踏み出すために。いや、それをするのは、葛城ではないのかもしれぬ。

 鎌は、ふと外を見た。そこには、蝉の声が降り注いでいる。しばらく、それを目に浴びている鎌の横顔は、老いていた。

「それを引き寄せるのは──」

 ゆっくりと顔を戻し、葛城を見た。やはりその目の光は、はじめて出会い、葛城が怒りのあまり飛ばしたくつを拾って履かせながら見上げたその瞬間と変わらなかった。それが、葛城を安心させた。

「──積み上げることではありませぬ」

「なぜ、二度言う」

 葛城は苦笑した。そうすると、彼にもまた目尻や頬に彼が時間の中で生きていることを示す線が走った。

「喰らい、破る」

 鎌は、確かにそう言った。

「喰らい、破ること」

「くわしく言ってみろ」

 鎌は容儀を正し、この場の空気を張り詰めたものにした。じっとりとした汗が、葛城の背を伝ってゆく。

「今、誰もがこの道を知り、この先にあるべきものを知るところとなりました。これは、ひとえに太子がかの戦いに乗り出され、それが成らなかったとき、ただちに人に光を見せたがため。太子は、まことの王なのです」

 くどい。葛城は、そう言ってしまいそうになった。しかし鎌が何かとてつもないことを言おうとしているのが分かるから、待った。

「しかし、まだそれは儚く、薄い。太子がこの先になったとき、人は自ら求めるものの終わりを知ることになりましょう」

 言わんとしていることは、分かる。葛城が求めるのは自分に続くあらゆる王が自分のような特別な才をあらかじめ持って生まれずとも王として立つことができる国、分かりやすく言い換えると人が人を統べるのではなく仕組みや制度、秩序や規範こそが人を統べるような国である。

 葛城一人によって保たれていると人が思っているようでは、葛城が求めたものにはほど遠い。ゆえに、

「人に、それを阻ませるのです」

 と鎌は言う。

「まだ確かに存在する旧き心。それを一人に負わせ、大いなる力となって我らの作らんとするものを苛ませる。そして、我らを継ぐものが、それを喰らい、破る」

 そうすることで、と鎌はまたその目を光らせた。

「我らの創りしものが成るまで、今しばしのが得られまする」

 もしかすると、鎌が葛城に施した策のうちで、これが最大のものであるかもしれぬ。それゆえ、鎌は、自らとその子の首を刎ねはせぬか、と念を押したのだ。鎌とてまさか葛城が激情のあまり自分を殺すなどとはもう思っていないが、そう言うことで覚悟を示したのだ。

 彼らがずっと求めてきたものが成るまでの、時の間を得る。そのため、

「伊賀どのを、皇太子に」

 と鎌は言うのだ。

 それを、人は受け入れぬだろう。その歪みを鎌が敷き、葛城が歩んできた道に続くべき者が正す。人はこぞって、立つべき真の王のもとに参じ、さらに国は国となる。

「猫が、伊賀を殺す、か」

 葛城は、無表情に言った。史が、それを観察している。

「我が子ながら、不憫よの」

「しかし、全ての、いまだ生まれぬ人のためです」

 芦那も、同じようなことを言っていた。全ての、いまだ生まれぬ人のため。それが当たり前のようになって歩んでゆく道を。それを導く光を。それが、国。


 鎌は、獣の唸りを、ひとときしずまらせた。それで、この場にはいくらか柔らかな空気が戻った。つい今しがたまでの張り詰めた空気に比べれば、差し込んでくるうるさい陽射しも、降り注ぐ蝉の声も、可愛いものであった。

「法を」

 葛城は、背に流れる汗が冷えてゆくのを感じながら、ん?という顔を向けた。

「──作りまする」

「法なら、あるではないか」

「無論」

 蘇我を打ち倒したあと、葛城が中心となり、当時の天皇の名においてかなり細かい法を敷いた。それでは不足であるらしい。

「より細かく、肉を付けて。そして、それを書き起こします。我らのあとに続く人が、いつでも目で見ることが出来るよう。口で語り、耳で聞いては、時の流れとともに法はその姿を変えるやもしれませぬ」

 なるほど、明文化した法典というのは、すぐれた社会には不可欠である。葛城は大陸の国にもそれがあるという知識を思い起こし、承諾した。

「あらたな法。それが人を縛る。せねばならぬこと、してはならぬことを知らしめ、全ての人が同じ光に照らされ、導かれるよう」

「鎌」

 葛城が、この数年よくするようになった種類の顔を鎌に向けた。

「まるで、もうじきに死ぬような言い草だな」

「仰せの通り」

 鎌は、眉一つ動かさずに言った。その眉にすら、白いものが混じっている。

「人は、かならず死にまする。だれであっても、必ず。時というものの上に生きている以上、必ず」

「時、か」

 そうであるならば、葛城は、自ら人に知らしめたそれを憎まねばならぬということになる。だが彼はそれをせず、ただ名前のない表情を鎌に向けている。

「時の外にあるものだけが、死を免れます。たとえば、死した人」

 なるほど、死んだ人間は、もう死なぬ。死とは、時の外へと人をやることなのかもしれない。

は、それを知らねばならぬのです」

「わかった。お前の言うことは、よく分かった」

 だから、鎌。と葛城は一度立ち上がって歩み寄り、膝を曲げてその肩に手をやり、

「分かったから、そんな悲しいことを、言わんでくれ」

 史は、たしかに見た。

 王が困ったように笑いながら、目に見えぬところから涙を流しているのを。

 それはたとえば、今彼らに降り注いでいる蝉の声に似ていた。

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