生々世々、君王を恨みじ

 猫に連れられ、引き出されてきた有間を、葛城が居丈高に見下ろしている。彼と天皇の前には、有間のほか、叛乱を画策したとされる者が二名引き出されているが、葛城はそれには見向きもしない。

 大陸から輸入した文化であろうが、頭を垂れたままの姿勢を取った有間は、何も言わない。すでに、自分にこれから訪れる命運を察しているのであろう。これは、はかりごとだ。私が望んで画策したことではない。さまざまな言い分が有間にはあることであろうが、それすらも言わない。その謀が、今目の前にいる国家の実質上の最高権力者の差し金によるものであることを知っているらしい。

「お前が、天皇を倒し、国を我が物にせんと企んでいたよし、まことか」

 葛城は、眠ったような表情でそう問う。それを葛城が問うというのが滑稽でもあり、恐ろしくもある。

「兵は、どうするつもりであったのか」

 聡明な有間は、それにも答えない。すでに、葛城や鎌らがどのような方法で自分を陥れようとしたのか、いや、陥れたのかを知っているのだろう。

「熊野の海賊に渡りをつけ、海から難波なにわへと攻め上がり、山を越えて倭京あすかに攻め入らんとしていたそうだな」

 断っておくが、ここは湯治場である。そこに、この国で最も尊い人間がいて、最も政治的権力を持つ者がいて、それらが謀反の疑いのある者を呼びつけ、詮議をしているのである。異様な光景と言っていい。

 だが、葛城は、それをした。

相違あいちがいないか」

 芦那も、讃良さららも、傍らでそれを見ている。葛城と木立を揺らす冬の風のほかは、言葉を持つものはない。

「答えぬ、ということは、全て俺の言う通りであると認めるということだな」

 鎌がここに来ていないということは、葛城一人で進めてよい場であるということである。より正確に言うならば、葛城ならばこうするであろう、という明確な想定が鎌の中にあり、その通りに進めても鎌の思うところとの齟齬は出ぬと判断しているということである。長年の呼吸の中で葛城もそれが分かっているから、思う存分、獣になることができた。


 見ろ、鎌。お前の思う通り、俺は獣になっているぞ。

 内心、そう思っている。

 その獣が、雷電を纏い、ひとつ吼えた。

「吊るせ」

 ひらひらと手を縦に振るような仕草と共に、葛城が言った。ずっと肩膝をついた状態の猫が、同じ姿勢のままで、は、とのみ答えた。

「なにか、言い残すことがあれば、聞いておいてやる」

 葛城が、かつて鎌が謀り、蘇我石川麻呂を屠ったとき、その前に立ったときと同じことを言った。これから死ぬ人間が何を言ったところで無駄なのであるが、それを聞いてやるような感傷的な部分があるらしい。誰がそれを問うたわけでもないが、

「お前は、ここにある我が母が可愛がり、行く末を期待した男だ。母のため、今何かを言うことを許してやる」

 と付け加えた。

「では――」

 有間は、すがすがしいほどの声を発した。その上げた顔には何の感傷もなく、これから自らが死ぬのだという絶望もなかった。

「――ひとつだけ」

 葛城が、眉間に少し皺を寄せ、申せ、という姿勢を示した。

生々世々しょうじょうせぜ、君王を恨みじ」

 石川麻呂がその死の間際に吐いた、葛城への呪詛。有間はそれを引くことで、自らの潔白を示した。

「さもありなん」

 葛城は、それに同意を示した。

 有間は、かつて可愛がられた天皇に叛き、その天皇の名のもとに吊るされるのだ。それに対する呪詛に葛城が同意を示したということがどういうことであるのか、この場にいる誰もが考えた。



 有間は、十一月十一日、藤白坂(現在の和歌山県海南市にある)の道の脇の木立に吊るされた。道行く人は皆、謀反人の死体であるとして通りすがりに石を投げた。共に連行されてきた二名も、猫によって斬刑に処せられた。


磐代いわしろの、浜松が枝を引き結び 真幸まさきくあらば、また還り見ん」


 猫が、事後、その歌を書き付けたかんを、湯屋に滞在する葛城に差し出した。

「これは?」

「有間様が、紀の湯へと向かう道中にしたため、私に託されたものです」

「磐代で引き結んだ松の枝を、幸多くあればまた見たいものだ、か。有間は、やはり死を覚悟していたのだな」

「それと、鎌どのに命じられ、私が有間様を捕らえたときに仰せになったことも、お伝えしておきます」

 猫の表情は読み取れない。天皇も、芦那も、讃良も、声を発しない。

天與赤兄知全ては天と赤兄だけが知る吾全不知私は全く知らぬこと

 赤兄あかえというのは、鎌が言い付けて有間に近付かせ、謀反の計画を持ちかけた者の名である。その接近の時点で、既に有間は自らの死を招くべく画策された大いなる力による働きを察していたものらしい。

 それを聞いた天皇が、ついにはらはらと落涙した。芦那が気遣い、すっかり骨ばってしまっている背に手を当てて撫でてやっている。

「それだけか、猫」

「はい、主上」

 葛城は、ふいと湯屋の奥の方に引っ込んでいった。いつもならば共にあるときは影のように従う猫も、このときばかりはそれを追うことはなく、湯屋に吹き込んでくる風に凍りついたように肩膝をついたまま、目を伏せている。

「ねえ、猫」

 讃良が、言葉を発した。誰もが、はっとした表情を彼女に向けた。滅多に言葉を発しない彼女が、団栗のような目を漆のように黒くして、まっすぐに猫に向けた。

「猫は、その簡を持って、その言葉を知ったまま、有間さまを吊るしたの?」

 猫が、一点を見つめたままにしていた眼を、ついに逸らした。

「有間さまの首に、縄をかけて。引っ張って。苦しみながら亡くなられるとき、その簡は、あなたの衣の中にあったの?」

「――はい」

 猫が、短く答えた。

「讃良さま」

 芦那が、できるだけ穏やかな声で、讃良を制しようとした。

「猫」

 讃良の瞳が、猫を飲み込むように大きくなった。

「あなたは、獣のような人ね」

 それに、猫は答えない。讃良の言う通りだからだ。なにせ、猫なのだ。全て、葛城のために。命を投げ捨てることで葛城の役に立つというならば、今すぐにでもその首を刎ねるだろう。人の行うべきでないことに積極的に加担し、自らその優秀な実行者たらんとし、手を下してきた。内麻呂も、さきの天皇も。だから、猫は、讃良に返すべき言葉は持たない。そうと見て取ったのか、讃良は、自ら言葉を継いだ。

「かわいそう」

 有間のことを言ったのか、あるいは猫のことを言ったのか。

「讃良さま。わたしたちも、湯に浸かりましょう。そして、今宵はもう眠るのです」

「はい、芦那さま」

 こくりと頷く讃良に、芦那はやわらかく頷いた。おそらく、二人になり、なにごとかを話し、言い聞かせるつもりなのであろう。このところの芦那は、そういうところにも自分の役目があると思っているふしがある。


 疲れた、と言い、天皇も湯屋の自室へと引き上げていった。

 猫が一人残った。肩膝をついたまま、じっと、一点を見据えて。

 月が、頭上に。雲がそれを隠し、寒風に流されてまたその光を現すたび、彼の眼は光った。

 そういうところも、やはり、猫のような男だった。

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